27:気の所為とは
26話飛ばしてました!!
街の北側に位置する家具や家財を取り扱う店が軒を連ねる市場は、港の喧騒とはまた違う、活気に満ちていた。
あちらこちらで木材を削る鋭い音や、職人が釘を打つ小気味いい金属音が響き、切り出されたばかりの木々の香りが鼻をくすぐる。
「……すっごい!あ、あっちにはカーペットもある! カシム、見て!」
私は、繋がれた手を引いて一歩前へ出た。
――正直、今の私は無敵な気分だ。何しろ「不運デトックス」が完了しているのだ。今の私なら、この雑踏の中歩いても、足は踏まれないし、並んでいる壺一つ割らない自信がある。
「おっと、あんまり急ぐと、危ないよ。ここは重量のあるものが多いからね」
隣を歩くカシムが、繋いだ手に少しだけ力を込めて私の歩調を緩めさせる。
相変わらずの保護者面。っていうか、この男の歩き方、人混みを割るように進んでるのに、誰にもぶつからないし、裾さえ掠らせない。……バリア張ってるの?
「ところで、本当にいいの?全部、ここで買っちゃって。結構高そうだけど……」
「いいに決まっているだろ? 君の初任給を担保にした、俺からのささやかな先行投資だよ。それに……」
カシムはふっと目を細め、店に並ぶ品々を見つめた。
「空っぽのままじゃ、せっかく手に入れた『我が家』が泣くからね」
我が家。
……そう、高台にある石造りの家。
朝から始まった物件選び。正直、あんなに難航するとは思わなかった。
実際に物件を回り始めると、隣にいるこの「過保護な夫(の演技)」のこだわりは、私とは別方向に振り切っていた。
まずは、最初に見せてもらった、港を一望できる見晴らしのいいアパート。
窓を開ければ最高に気持ちいい風が入る素敵な部屋だったのに、カシムは入るなり壁を軽く叩いて、眉を寄せたのだ。
『壁が薄すぎる。これじゃ、お嬢さんが夜中に寝ぼけて俺に泣いて抱きついても、全部筒抜けになるね。却下』
『……っ、そんなことしないわよ!』
壁の厚さを気にする基準が、防音じゃなくて「私の声が漏れるかどうか」って、おかしくない?普通逆じゃないの?
次に案内された、市場のすぐ裏手にある便利な二階建ての家。
買い物にも便利そうだしいいなと思ったのに、カシムは窓の外をチラッと見ただけで、不動産屋さんに冷ややかな視線を送った。
……怖かった。不動産屋さんは泣いていいと思う。
『隣の建物からここの窓が丸見えだ。妻が着替えをしているところを、どこの馬の骨とも知れない男に覗かせる趣味は俺にはない』
着替えを覗かれる心配をしてくれるのはありがたいけど、その言い草、心配っていうより何か別の執念を感じるんだけど!?……そもそもカーテン閉めれば関係ないし!
不動産屋さんが引きつった笑いを浮かべ、最後に案内したのが、あの高台の家だった。
街の喧騒から一段高い場所にあり、周囲を石壁で囲まれた、古びているけれど手入れの行き届いた一軒家。どこか森の隠れ家を思い出させるような雰囲気。
そこへ入った瞬間、カシムはとびきり甘い笑みを浮かべた。
『いいね……ここなら、静かだ。ねえミオ、ここにしようか』
でも、悔しいかな、その笑顔に見惚れてしまったのも事実で。
私は、カシムの提案をのむ以外なかった。……いつも流されてる気がする。カシムに言ったら「気の所為だよ」って言われたけど絶対、気の所為じゃないと思う。
――そして私たちはその新居の中身を埋めるために、家具市場で買い物を始めた。
「……まずは、一番大事なものからだ」
カシムが私の手を引いて、ベッドが並ぶ店へと足を進める。
「ちょっと、カシム。一番大事なものって、まずはテーブルとか椅子とかじゃないの?」
「いいや、違う。ミオの安眠と、俺の安全だよ」
カシムは、並んだベッドの中から、どう見てもふたり用としか思えない、幅広のベッドの前で足を止めた。
「……ねえ、カシム。一応確認するけど。これ、ダブルベッドよね?」
私は引きつった笑顔で、目の前の巨大な木枠を指差した。
装飾は控えめだが、どっしりとした存在感。明らかに、私が大の字で三回寝返りを打っても余るほどの広さがある。
「そうだね。これなら君がどんなに激しく動いても、床にダイブして頭を打つ心配はないし、俺の安全も確保される」
「それ、私がカシムを蹴り飛ばさないっていう意味での安全よね!? さっきから自分本位すぎない!? 宿屋は仕方なかったけど、家なんだからベッドは二つ買えばいいじゃない!」
「ミオ、今の言葉は聞かなかったことにするよ」
カシムは悲しげに目を伏せ片手を胸に当てた。
「せっかく駆け落ちまでした新婚夫婦なのに、寝室が別だなんて不自然だろ? 大家さんや近所の人が見たらどう思うかな。『あそこの夫婦、もう冷え切ってるのかしら』なんて噂されたら、それこそ不審者として通報されかねない」
「ここの近所付き合い、そんなに過激なの!? 嘘でしょ!?」
「嘘じゃないさ。それに……」
真っ直ぐに私を見つめるカシムがふらりと距離を詰め、耳元で声を低くした。
「……夜中にまた、うなされて泣かれても困るからね。隣にいないと、慰めてあげられないでしょ?」
「……っ!」
昨日の宿屋での出来事がフラッシュバックして、顔が茹で上がる。
この男、本当に性格が悪い。弱みを握っている自覚があって、しかも一番効果的なタイミングでそれを投げつけてくる。
結局、私の抵抗はカシムの万が一のための保険という言葉に飲み込まれていった。……やっぱり気の所為じゃないと思う。
ベッドの配送手続き(もちろんカシムが即金で支払った)を終えた後、私たちはキッチングッズの並ぶエリアへと移動した。
「よし、次は調理器具ね! 今までカシムに任せっきりだったけど、新居では私も作るわよ。掃除とか洗濯だって……」
「ミオ、これはダメだ。重すぎる。こっちの軽いタイプにしよう」
私が手に取った鋳物の大きなフライパンを、カシムは後ろからひょいと取り上げ、元の棚に戻してしまった。
「えー、でもこっちの方がカッコいいし長持ちしそう……」
「ダメ。落とした時に君の足の骨が折れる。……こっちの鍋も、軽いタイプにしよう。怪我をするリスクは最小限にしたい。……それとミオ、忘れてるみたいだけど君は座って待っているのが仕事だ。」
「……ねえ、さっきから私のこと、歩く危険物か何かだと思ってない?もう今までの私とは違うのよ」
カシムは真顔で、私の頭を優しく撫でた。
「いいや。世界で一番脆い宝物だと思っているよ。だから、君の周りからは尖ったものを排除しておきたいんだ」
さらりと言ってのける言葉に、胸の奥が疼く。
演技にしてはやりすぎ。でも、こうやって徹底的に私の安全を心配する彼に、どうしても強く言い返せない自分がいる。
「……わかったわよ。じゃあ、その代わり。食器だけは、私が選んでもいい?」
「……割れにくい素材ならね」
カシムの許可を得て、私は棚の奥に見つけた「お揃いのマグカップ」を手に取った。
深い青色と、柔らかな黄色。
「これ。……夫婦なら、これくらいお揃いじゃないと変でしょ?」
やられっぱなしで悔しくなった私は、仕返しのようにそう言うと、カシムは一瞬だけ意外そうに目を見開き――それから、今までで一番優しい、そして嬉しそうな笑みを浮かべた。
「……そうだね。ミオの言う通りだ」
カシムは私の手からマグカップを受け取ると、愛おしそうにその表面をなぞった。その視線が、あまりに熱っぽくて、私は慌てて視線を逸らした。
……負けた気がする。鋼メンタルめぇぇぇ。羞恥心などきっとこの男には存在しないと確信した。




