19:保護者のお迎え
背後から響いたのは、シャンデリアの軋みなんて可愛いものだと思える、鼓膜を震わせる轟音だった。
大砲でも打ち込まれたかと思うほどの破壊音が私の背後で響く。慌てて体を捻るように振り返ると広間と廊下を繋いでいた、巨大な扉が枠ごと紙細工のように内側へと吹き飛んでいたのだ。
(今度は何!?隕石でも落ちてきたの!?いい加減にしてよ!)
「な、なんだ!? 何事だ!」
床を転がる扉の残骸。白い大理石の床が鋭く削れる。
もうもうと立ち込める砂埃と、何かが焦げた、鼻を突く嫌な臭い。
その白く霞んだ靄の中に、一人の男が立っていた。
――あ。隕石じゃなかった。でも、もっとやばいかもしれない。
その姿は、先ほどまで一緒に歩いていた時と同じ服のはずだ。でも、色々と違う。間違い探しとかそんなレベルじゃない。至るところが赤黒い液体で汚れ、彼の身体の周囲ではバチバチと火花のような青白い光が爆ぜていて、音が鳴り止まない。
なにより、彼の手にあるのは、私が欲しかったリンゴ飴なんかじゃない。
明かりを反射して、どろりと赤く染まるナイフ。同じ赤でも大間違いだ。
そこに居たのは変装を解いたカシムだった。
「——あーあ。壊れちゃった。……ごめんねお嬢さん、ちょっとノックに力が入りすぎちゃった」
……彼はノックの意味を知らないのかもしれない。
扉を吹き飛ばすそのやり方に、一瞬だけ自分の状況も忘れ現実逃避した。
彼の声はいつもの人を食ったような軽い調子。
けれど、その声には、今まで私に向けていた温度みたいなものが、欠片も含まれてなかった。
カシムがどうやってここを突き止めたのかなんて、分からない。
けれど、彼が踏み込んできた瞬間にこの部屋を満たした空気が、とんでもなく重苦しくて、物音ひとつ、身動ぎひとつさえ容易に許さないプレッシャーに包まれていることは分かる。それに……
カシムが、むちゃくちゃ怒ってる。
以前、私が料理のことでわがままを言ったときも彼からプレッシャーみたいなものを感じたけれど、その時とは全てが違う。今の空気はヤバいなんて言葉じゃ足りないくらいヤバい。
私のために来てくれたことは理解出来る。来ないでほしいとは思ってたけど、実際来てくれると、正直泣きたいくらい嬉しい。でも、それ以上に今のカシムがすっごい怖い。それはもうむちゃくちゃ怖い。語彙力が家出するレベルで。……別の意味で泣きそう。
猿轡なんかなくても、喉が引き攣ったように声が出ない。
「……貴様ぁ! よくも私の館を……!」
脂身が、脂汗を滝のように流しながら椅子から転げ落ちる。
カシムはゆっくりと、瓦礫を踏みつけて歩みを進めた。一歩、二歩。彼が近付くたびに、私を掴んでいる男たちの手がガタガタと震えだすのが伝わってきた。
(……ああ、これが。あいつらが言っていた、本当の死神なんだ)
私に見せていた、あの甘い笑みが嘘みたいに、今の彼はあまりにも私から遠い場所にいる。
「お、おい! お前ら、さっさと押さえ付けろ! 何を突っ立っている!」
床に転がった脂身が、ジタバタと短い手足を動かしながら喚き散らす。けれど、私の両腕を掴んでいる男たちは、変わらず一歩も動けないでいた。
私を掴んでいたひとりが、ついに恐怖に耐えかねたのか、尻もちをつく。
カシムが、私の数メートル先で足を止めた。彼の瞳には、人間らしい情なんて欠片も見つけられない。完全に表情が抜け落ちた人形みたいな顔つき。
「待て! 動くな死神! この女の命が惜しくないのか!?」
生き残っていた(死んでないけど)もう一人の男が我に返り私の髪を掴み上げた。無理やり引き寄せられたせいで首が変な方向に曲がり、喉元には震えるナイフが突きつけられる。
ナイフを持つ手がガタガタと酷く震えていて、そのたびに鋭い刃が何度も首に当たる。
チリッとした熱い痛みが走り、生暖かい感覚が首筋を伝う。
「お、おい! 命令だ、閣下に謝罪し、我々の軍門に降ると……っ、誓うなら命だけは助けてやっても……!」
男は裏返った声で、自分が優位だと言い聞かせるように必死に叫んでいる。
痛い。それに、怖い。助けてほしい。でも、今の彼も、後ろのパニック男も、どっちも怖すぎる……!なんならカシムの方が怖いまである。
(私を盾にするのやめてよッッ!?)
私の内心を他所にカシムの口元が三日月のように歪んだ。
「……はは」
カシムが、短く笑った。
その瞬間、彼の視線が私の首筋に固定される。
彼はゆっくりと、汚れたナイフを弄びながら、相手をゴミ溜めでも見るような目で見下した。
「お前さあ、自分が何してるか分かって言ってる? ……それ、俺のなんだけど。汚していいって、誰が言った?」
カシムが一歩、踏み出す。
喉元のナイフが、更にガチガチと不快な音を立てて震える。
「動くなと言っている……っ! 来るな、来るなああ!!」
護衛が半狂乱になって、私の首にナイフを押し当てようとした、その時。
――ギィ、ィィィィィィィィ…………ッ!!!
この世の終わりみたいな、不快で巨大な金属音が頭上から響き渡った。
(あ、忘れてた。……そっちも、まだ残ってたんだわ!)
今日一日の不運を振り返れば、ここで何も起きないはずがない。
私が上を向いた瞬間、固定を失った巨大なクリスタルの塊が、重力に従って私たちの真上から降り注いだ。
煌びやかで、凶悪な光の雨。
「なっ……!?」
「……っ!」
悲鳴を上げる間もなかった。
私を掴んでいた手が離れる。
視界が、暴力的なまでの光に埋め尽くされた。
それは宝石の雨なんて綺麗なものじゃない。一粒一粒が肌を切り裂く、ガラスの散弾だ。
床に叩きつけられる衝撃と、突き刺さる鋭い痛みを覚悟して身を縮め、ギュッと瞼を閉じた。
(……せめてカシムだけは避けて!)
耳をつんざく破砕音。周囲の言葉にもならない短い悲鳴。
(………痛くな、い?)
いつまで経っても訪れない衝撃に、恐る恐る目を開けると、そこには信じられない光景が広がっていた。
私の周囲、わずか一メートル。
そこだけが、不自然にも破片が一粒も落ちていなかった。
カシムはただ、片手をポケットに入れたまま、もう片方の手で私の肩を抱き寄せているだけ。
彼の周囲には、目に見えない強固な壁が存在しているようで、降り注ぐ凶器の破片は彼に触れることすら許されず、軌道を変えて周囲の護衛たちへとお返しと言わんばかりに配達されていた。……あ、これ前に教えてもらった遮断のやつだ。
「はは、派手に落ちたねえ。どこまで手がかかるんだろうね、君は」
彼は無造作に手を伸ばすと、私の口を塞いでいた布を、鮮やかなナイフ捌きで切り裂いた。
「……っ、カ、カシム、あんた……! 今のって前に見せてくれたやつよね、こんなこともできるの!?」
「さあ? 気合いじゃない?」
彼は冗談めかして笑うと強引に私の顎を掬い上げた。
「気合いであのおっきいのが防げるわけないでしょ!…あ。……いたっ」
「……血は止まってるみたいだね。……でも、じゃあ良いか、とはならないんだよねえ。それに……」
カシムの声が、再びスッと温度を下げた。
彼の冷たい指先が、首筋の傷をなぞり、熱を持って赤く腫れた私の頬に、そっと添えられた。
「これは、あいつかな?」
彼は私に背を向けると、シャンデリアの残骸の下で呻いている黒幕——さっきまでの威勢はどこへやら、クリスタルの下敷きになって泣き叫んでいる今にも死にそうな脂身の塊を見下ろした。
「ま、待て……! 金なら出す! 助けてくれ! 私は、私は……っ」
「静かにしてよ。豚の鳴き声って嫌いなんだ」
カシムが、ナイフを指先で一回転させる。
「勝手に触った上に傷までつけて、どうやって償ってくれるの?先ずは、その悪い指は全部バイバイしようか。安心してよ、簡単には死せないからね」
「ひっ、ひぃぃぃぃぃ!!」
(……ひぃぃぃぃ!! 私の目の前でスプラッタはやめてよ!)
あまりに淡々と、解体計画を脂身に向かって次々と吐き出す姿が、狂気じみててめっちゃ怖い。冗談じゃなさそうなのが一層怖い。
「……カシム。もういいわよ、帰りましょう。……あんなの相手にするより、美味しいもの作って」
私が慌てて彼の服の裾をギュッと握ると、カシムの身体がピクリと止まった。
そして、ふっと、いつもの意地の悪い——けれど、どこか安心する笑みを浮かべる。
「ワガママだねえ。……でも、特別に叶えてあげる。……ほら、帰るよ。お嬢さん」
カシムは私の腰を引き寄せると、瓦礫の山を、まるでレッドカーペットでも歩くような優雅さで歩き出した。




