18:死神の帰還
―――夜の街に溢れる喧騒。
光祭。それは本来なら退屈な興味の範疇外の代物だ。
ただ今回に限っては、ミオの意識をあのブレスレットから離したかった。そのための手段として光祭は都合が良かった。
だが、数歩先を歩く楽しそうなミオの背中を眺めていると、彼女を独占している悦びに支配される。
俺が選んだ、青の布地とフリルが踊るワンピース。そして、彼女の白い首筋に誂えたように馴染んでいる、あのチョーカー。
俺の手で選び、俺の金で買い、俺の好みで塗りつぶした彼女がそこにいる。その事実に、胸の奥がかつてないほどの充足感で満たされていた。
(……あぁ、本当に。なんて、良い気分なんだろうね)
気まぐれで死神の看板を捨てて手に入れた、この生活。当初は退屈で死ぬかと思ったけれど、今となってはあの時の自分を褒めてやりたい気分だ。退屈な日常に、彼女が一人混じっているだけで、不思議なほど世界が鮮やかに色づいて見える。
ミオが背中をベッタリと汚されて落ち込んでいる姿さえもたまらなく可笑しい。
(――本当にミオといると退屈しないね)
「あら、男前なお兄さん!ひとりなら私たちと遊ばない?」
「あはは、ごめんねお姉さんたち。残念ながらひとりじゃないですよ。あっちでマントを汚して泣きそうになってるハニーが怖くてね」
絡んでくる女たちの誘いを、適当にいなす。一刻も早く、戻りたいっていうのに。目の前で騒ぐ女たちが、邪魔くさくて鬱陶しい。
あの不器用なお嬢さんは、今頃ベンチで不運に打ちひしがれているだろう。真っ赤なリンゴ飴を差し出した時の、彼女の喜ぶ顔を想像し、口元がわずかに緩む。
(……さて。早く戻らないと、また何をしでかすか分かったもんじゃない)
だが、その瞬間。
祭りの最高潮を告げる合図と共に、街の灯りが一斉に落とされた。
俺もまた、一瞬だけ意識を広場の中央——魔力の胎動を始めた巨大な魔石へと逸らした。
―――暗転。数秒の静寂。
ジジッ、という小さな音がした。
魔石が輝き再び光が街を照らし出したとき、俺の視界からは、数少ない色が完全に消え失せていた。
「……ミオ?」
ベンチの上には、先程まで彼女が必死に汚れを落としていた、あのマントだけが残されていた。周囲を見渡す。笑顔を浮かべる恋人たち。走り回る子供。
平和で、退屈な空気。
だが、その中で、ミオの気配だけが、まるごと消え去っていた。
俺が立っていた場所からベンチまでは、わずか数メートル。その短い距離、ほんの数秒の空白。
それだけで、彼女が自ら消えるはずがない。
俺の口元から、薄ら寒い笑みが剥がれ落ちる。
——あぁ、そうか。
俺の日常に、土足で踏み込んでくる馬鹿がまだいるらしい。
その瞬間、周囲の空気が物理的な重さを伴って凍りつく。さっきまで俺に色目を使っていた女たちが、悲鳴を上げることさえ忘れて数歩後ずさるのが分かった。……やはり邪魔だ。
ドクン、と心臓が一度だけ強く跳ね、あとは凪のように静まり返った。
思考が急速に冷えて、周囲のノイズが消えていく。
「よりによって、彼女に手を出すなんてさ。……死ぬより辛い目に遭いたいって、全身で叫んでるようなもんだよ、それ」
閉じ込めたはずの化け物が、内側から檻を破って這い出してくる感覚。
「……せっかく、ご機嫌だったのになぁ」
自分から出た声は、予想よりも冷えきっていた。
俺は膝をつき、石畳の痕跡を確認する。
乱れた砂埃。強引に引きずられた靴の擦過痕。そして、空気中に漂う微かな、複数の男たちの体臭と、記憶にある魔力の残滓。
そして何より、チョーカーに潜ませておいた魔力の目印。それは俺自身の魔力と繋がる、死神の糸。
万が一、彼女が俺の手から離れた時の保険としてつけておいたものだが、まさかこんなにも早く、性能実験をする機会がくるとはね。
(ははっ、笑えない。……笑えるわけないだろ、こんなの)
冷静になろうとすればするほど、胃の腑から込み上げる苛立ちが、指先を冷やしていく。
北西。…… 心当たりはすぐに浮かんだ。しぶとさだけが取り柄の、過去の残骸。彼女が天人と知られて攫われた可能性はこの時点で消えた。
一歩、踏み出す。
視界を塞ぐ邪魔者を弾き飛ばし、最短距離を直線で駆け抜ける。
背後で誰かの悲鳴が聞こえたが、知ったことか。今必要なのはミオへと続く、一本の糸だけだ。
屋根へと跳び上がり、影を滑るように疾走する。月明かりを背に受け走るこの感覚は、嫌になるほど身体が覚えていた。魔力を脚に集め筋力を最大まで強化、補助を施す。重力さえ無視した速度。
街外れの街道へ続く裏道。そこには、荒事に慣れた様子の明らかに一般人ではない男たちがいた。
(……いちいち選別するのも、時間の無駄か)
彼女を攫った連中だろうと、たまたま居合わせただけの不運な無頼漢だろうと、どちらでも同じことだ。ミオへと続く最短ルート上に立ち、怪しい素振りをしている。その事実だけで、こいつらを排除するには十分。
疑わしきは、すべて片付ければいいだけだ。
「おい、貴様……ぐぁっ!?」
俺は足を止めることなく、すれ違いざまに二人の喉を切り裂いた。
「死……死神!? なぜこんなに早く——」
叫ぼうとした男の胸を、放ったナイフが狙い違わず貫く。
返り血が頬を濡らすが、どうでもいい。
館へと続く一本道。立ち塞がる障害を文字通り掃除しながら、俺はさらに加速した。
……あのミオのことだ。大人しく捕まっているなんて殊勝な真似、するはずがない。
変に意地を張って抵抗し、余計に手酷い扱いを受けていなければいいけれど。
泣かせたか。あるいは殴ったか。
もし彼女の身体にアザでも残っていたら……。
彼女が流した涙の数だけ贅肉を削ぎ落としてやる。
感覚はどこまでも冷たく、鋭利に研ぎ澄まされていく。
視界の先に、過剰な装飾を施された相変わらず悪趣味な館が見えてきた。
門番が武器に手をかけるよりも早く、ナイフを一閃。
悲鳴を上げる暇さえ与えない。会話も、交渉も、慈悲も。そんなものは、この場には必要ない。
俺の手にしたナイフが、男たちの喉笛を、心臓を、関節を、流れ作業のように処理していく。
外に配置されていた連中を、一人残らず物言わぬ肉塊に変える。死角となる二階の窓へと音もなく跳躍し、鍵を壊して素早く潜り込む。
静まり返った廊下を、滑るように進む。途中で出会った不運な使用人や兵たちも、外と同じく処理していく。チョーカーに繋がる糸がミオの居場所を指し示す。
一階廊下。突き当たりにある、一際大きな意匠を凝らした扉の先。
室内からは、男の苛立った声と、それに混じって何かが床に崩れる鈍い音が響いた。
「……ッ、……ンッ!!」
言葉にならない、くぐもった声。
―――見つけた。
扉の前に立ち、右手を翳す。
手のひらに魔力を高密度で収束させる。余波にあてられた周囲の壁に細かな亀裂が走り始めた。
俺は、強く握りしめた拳で「全力のノック」を扉へ叩き込んだ。
「さあ、帰る時間だよ」
ドォォォォォン!!!
爆発的な魔力の奔流と共に、巨大な扉を内側へ向かって粉砕した。
舞い上がる爆煙と飛び散る木片。
俺は一歩づつ確かめるようにゆっくりと室内へ踏み込んだ。慌てる必要はない。
―――どうせ一人も逃がしはしないのだから。
広間の中央。煙の向こうに、彼女を見つけた。
ミオは、両腕を屈強な男たちに掴まれ、床に跪かされていた。
口を白い布で塞がれ、震える唇で必死に何かを訴えようとしている。
そして——誰の目にも明らかなほど、無惨に赤く腫れ上がった左頬。苦痛に耐えるように丸められた小さな背中。
ああ、やっぱり。俺の予想通り、このお嬢さんは大人しく捕まってなんていられなかったらしい。
だが、押さえつけられ、傷つけられても、それでもまだその瞳は美しいままだ。
本当に、俺がついていないと駄目だね、君は。
「……あーあ。せっかくの綺麗な肌だったのに、台無しだ」
独り言は、小さく低く、誰かに拾われることもなく広間にこぼれ落ちた。
「さて。……ゴミ掃除の続きをしようか。誰のものに触れたのか、その身に刻んであげよう」




