17:絶対仕返ししてやる
男はニヤニヤと獲物を甚振る嗜虐的な笑みを浮かべる。
私がカシムの過去を知ってショック受けてるとでも? いや、驚いたけど!でも何も知らなかった訳じゃないし!勝手に盛り上がって、馬鹿にしたような笑い声をあげる男たちに、最高に不愉快な気分になった。恐怖からの震えがいつの間にか激しい怒りへと変わっていく。
もう引退したんだと言って、おどけたように笑っていたカシム。
私の理不尽な不運に巻き込まれても、いつだって助けてくれたカシム。
私のわがままを、文句を言いながらも最後には全部叶えてくれたカシム。
そんな、今の彼を——再び道具として使い潰そうとする人たちがいる。
(……ふざけんな!あいつをそんな暗い場所に連れ戻すための鎖になんて、死んでもなりたくない……!)
「安心しろ。死神が大人しく命令に従う限り、お前の命は保証してやる。……もっとも、奴がお前を見捨ててなければ、の話だがな」
カシムが私を見捨てる?
あんなに執着心が強くて、重い男が、私の不在を黙って見過ごすわけがない。
来るか来ないかなんて、疑う余地すらなかった。
今すぐその口、縫い合わせてやりたい。今は無理だけどね!いつか絶対仕返ししてやる!
カシムがいれば、何とかしてくれる。そう信じてる。けれど、私のせいでこんな連中に彼が利用されるのは御免だ。助けてほしい。でも、来ないでほしい。そんなちぐはぐな感情が嵐のように頭の中を駆け巡る。
「奴が嗅ぎつける前に、館へ急ぐぞ。あの死神を手懐ける貴重な餌だ」
正体がバレていないことは救いだけれど、何の慰めにもならない。
どれくらい時間が経ったのか……時間の感覚が麻痺してきた頃ガタン、と馬車が大きく揺れて止まった。
「おい、立て。閣下がお待ちかねだ」
男の一人が、私の足首を縛っていた縄をナイフで切った。どうせなら腕と口も解いてよ、いい加減腕痛いんだけど。
痺れて感覚のない足で、無理やり馬車から引きずり出される。連れてこられた場所は、至る所に過剰な装飾が施された趣味の悪い巨大な館だった。
(……どこよ、ここ)
金に物を言わせた成金趣味。ギラギラと光を反射する装飾が、闇夜に浮かび上がる怪物のように歪に見える。
私は縛られた腕を乱暴に引かれ、館内へと連行された。
突き飛ばされるように通された室内。高い天井からは悪趣味な——そしてとてつもなく重そうなシャンデリアが、煌々と光を放ちながら吊るされている。
広間中央。豪奢なソファに深々と腰掛けた男が、ねっとりとした視線で私を値踏みするように見てくる。男の視線に全身に鳥肌が立つ。きもい!こっち見んな!
「ほう。これが、あの死神の女か」
巨大なソファからはみ出さんばかりの、肥満体。高そうな服も、腹圧で無惨に引き伸ばされている。ボタン飛びそう。この男が、カシムを再び死神に戻そうとする黒幕。絶対そうだ。私の勘が言っている。
黒幕(断定) が顎で合図を送った。途端、私の両脇を固めていた男たちが、逃げ場を塞ぐように乱暴に腕を引き、私を脂ぎった黒幕の目の前へと跪かせる。
近づくだけで、むせかえる香水と、汗と脂の混ざった不快な匂いが鼻を突く。ちょっと、やめて!?吐くわ!
「……ふむ。死神の趣味にしては、随分と上等じゃないか」
(あ、コレ。何かすっごく嫌な予感がする)
男は、悪趣味な指輪が嵌った指先を私の顎に伸ばし、品定めするように左右に振った。その指が、首元の黒いリボンに触れる。
「……なんだ、この安物は。あの男から与えられたのか?」
男は鼻で笑い、チョーカーのトップを指先で弾いた。
「化け物風情に囲われているから、こんな安物のガラクタを着ける羽目になるのだ。私の女になるなら、こんなゴミは捨てて、もっと相応しい宝石をいくらでも飾ってやる」
(……は? ゴミ……?)
その瞬間、恐怖や吐き気を突き抜けて、頭の芯がカッと熱くなった。
あいつが、あんなに柄にもない顔をして、私の首に巻いたもの。
それをガラクタと呼んだ目の前の脂身に対して、今日一番の不快感が沸き起こる。元々なかった好感度が、今、音を立てて地の底に沈んだ。
あんたの指についてるその成金趣味の石ころより、こっちの方が一万倍価値があるわよ、この豚!
「どうだ娘、私の物になるか?あんな化け物より、私の方が女の悦ばせ方をよっぽど熟知しているぞ?」
(気安く触んな!この脂身!)
私は吐き気を堪え、精一杯の力で男の指を振り払い、拒絶を込めて睨みつけた。
その瞬間。
パァンッ!!
乾いた音が広間に響き、私の視界が火花を散らして真横に飛んだ。
頬を焼くような熱い痛み。
「……生意気な。分をわきまえろ、下賤の分際で」
男は打った方の手を汚い物でも触ったかのように振り、鼻を鳴らした。
口の中が切れたのか、鉄の味が広がる。
(……痛っ……。やってくれたわね、この豚……!)
痛みで涙が滲むけれど、それ以上に「こいつだけは絶対に許さない」という猛烈な怒りが痛みを上書きしていく。
「はっ、気が強くて結構だ。だが、その生意気な瞳が絶望に染まる時が楽しみだ」
男は再びソファへとどっしり座り直した。
「この女を私の寝室へ連れて行け。… 死神も、自分の女が私の下で喘いでる姿を見れば、少しは自分の立場を理解するだろう」
「はっ!」
(……っ、この……っ!)
冗談じゃない!こんなやつに好き勝手されるなんて絶対嫌だ。
私は、後ろ手に縛られたままの体を必死に捩り、自由な足で男の脛を蹴り飛ばそうと暴れ回った。
「んん!……んー!!」
死に物狂いで抵抗する。けれど、私の両脇を固める男たちは、まるで行く手を阻む壁のように微動だにしない。
「——大人しくしろと言っただろうが、このアマ」
ドスの利いた声と共に、拘束していた男の一人が、鬱陶しそうに私の腹部へ拳を叩き込んだ。
「……っ、げほっ……!」
肺の中の空気をすべて吐き出すような衝撃。胃の辺りが焼けるように熱くなり、喉の奥まで酸っぱいものが一気にせり上がってきた。猿ぐつわのせいで吐き出すこともできず、鼻の奥がツンと痛む。目の前がチカチカと火花を散らし、激痛で膝から崩れ落ちる。けれど、男たちは地面に倒れることさえ許さず、力任せに私の両腕を吊り上げて、ズルズルと扉へと引きずり始めた。
頬の熱がジンジンと響き、お腹には刺すような痛みが居座っている。たったこれだけの暴力で、こんなにも痛くて、視界が滲む。
でも、カシムは自分のお腹を刺した時、私なんて比べものにならないくらい、ずっと痛かったはずだ。
(……ここに来たら、また元に戻っちゃうよ……)
そんなの、絶対にダメだ。
カシムのこれまでの覚悟を汚された気がして、胸の奥がギュッと締め付けられる。
その時。
キィ……。
男たちの嘲笑に紛れて、どこからか微かな音が聞こえた。
見上げれば、シャンデリアを支えている鎖が、じわじわと、限界を迎えた音を立てて歪んでいる。
(……何で今なのよ!?もう今日のノルマは達成したってことでいいじゃない!?)
家を出てからのあれこれ。馬車での誘拐、顔を張られ、お腹を殴られた暴力——。それで十分お釣りが出るはずの不幸なのに、まだ足りないわけ!?ちょっと働き過ぎよ!
あまりのタイミングの悪さに、心の中で絶叫する。
私は、奥歯を強く噛みしめると衝撃に備えて瞼を閉じ、身を固くした。せめてこいつら全員を巻き込んでやりたい。
そう思った、次の瞬間。
ドォォォォォン!!!
背後から凄まじい爆音が響き渡った。
え!?そっち!?




