『全能』1章7話 隊列のうしろ(7)
『全能』第7話
健司は、焼け跡の端まで引きずられていった。
両腕をつかんでいるのは、二人の兵士だ。抵抗する力は、もう残っていなかった。裸足のかかとが、ガラスの地面を擦って血の筋を引いた。
引きずられながら、健司は首だけで振り返った。さっき作ったばかりの小さな塚が、兵士たちの足のあいだに見え隠れしている。誰かに踏まれないだろうか。そんなことばかりが、気になった。
「そこでいい」
ガスパールの声で、健司は地面に投げ出された。
兵士たちが輪をつくる。何人かは、焼け跡から目をそらしていた。まだ若い兵士が一人、落ち着かない様子で、隊列の後ろのほうを何度も振り返っている。
輪の内側に残ったのは、ガスパールと、兵士たちとは身なりの違う男女が四人だった。仕立てのいい外套。手入れの行き届いた髪。灰の舞う焼け跡の中で、彼らだけがひどく場違いに見えた。
「押さえておけ」
ガスパールが短く言うと、岩のような体つきの大男が、黙って地面に手をついた。
足元の土が、ぼこりと盛り上がる。土は生き物のように健司の手首と足首に絡みつき、そのまま硬い石に変わった。
仰向けのまま、健司は地面に縫いつけられた。動かせるのは、首から上だけだった。
石の枷は、ひやりと冷たかった。それでいて、思っていたほどきつくはなかった。割れた爪の先が石に触れないだけの隙間が、手首のまわりに残っていた。
ガスパールが、健司のそばにしゃがみこんだ。
「名は」
健司は、答えなかった。
「どこから来た。この村の者ではないな。その妙な身なりはなんだ」
答えなかった。
ガスパールは、小さく舌打ちをした。
「質問を変えよう。この村で、何があった。説明しろ」
説明しろ。
その言葉に、健司の喉がひくりと動いた。
ゆうべ、何度も見た文字だった。以下の項目について、説明を求めます。
研究室でも、ずっとそうだった。論文を書き、査読者に説明を求められ、何度書き直しても、わかってもらえなかった。
そして、ゆうべ。この世界で初めて、本当に説明しなければならなかったときに、自分は説明しきれなかった。その結果が、この焼け跡だ。
言えることは、ひとつしかなかった。
やったのは、自分だ。
それだけは、本当のことだった。けれど、それだけを口にすれば、この男たちの耳には、村を焼いた男の自白としか聞こえない。魔物が来たことも、助けようとしたことも、マナの値を間違えたことも、何ひとつ伝わらない。
かといって、全部を話したところで、誰が信じる。説明しろと言われて、自分は説明できなかった。ゆうべも、今も。
健司は、口を閉ざした。
ガスパールは、しばらく健司の顔を見下ろしていた。それから立ち上がり、外套の膝についた灰を払った。
「時間がない。あの小娘が嗅ぎつける前に吐かせろ。口がきける程度には残しておけ」
誰に言ったのか、健司にはわからなかった。
「隊長殿に、ゆうべの火柱のことを聞かれたら、面倒ですものね」
輪の外れから、冷ややかな女の声がした。
「見ていながら、夜明けまで動かなかったなんて」
ガスパールは答えなかった。答えないことが、答えのようだった。
かわりに、誰かが楽しそうに口笛を吹いた。
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「じゃ、おれからな」
軽い足取りで、若い男が輪の中に進み出た。袖をまくり、指の関節をぽきぽきと鳴らしている。まるで、これから球遊びでも始めるような顔だった。
男が、人差し指を立てた。指先で、青白い火花がぱちぱちと弾けている。
「ちょっと痺れるぞ」
指先が、健司の胸に触れた。
その瞬間、全身が勝手に跳ね上がった。
背中が弓なりに反り、石の枷に手首が叩きつけられる。歯ががちがちと鳴り、視界が白く弾けた。腕も、脚も、首も、ばらばらの方向に引きつれる。自分の体が、自分のものではなくなったようだった。
一瞬だった。それなのに、ひどく長く感じた。
指が離れると、体はぐったりと地面に落ちた。息が、うまく吸えない。手足の先が、じんじんと痺れている。
研究者の頭が、勝手に答えを出そうとする。電流で、筋肉が意思と関係なく縮んだのだ。心臓を通らなければ、すぐには死なない。
こんなときにまで、と健司は思った。こんなときにまで、自分の頭は説明を探している。
「おお、いい跳ねっぷり」
男は、楽しそうに笑った。
「で、何があったって?」
健司は、答えなかった。
「そうこなくっちゃ」
二度目。三度目。
数えていられたのは、そのあたりまでだった。
指先が触れるたびに、体が跳ねる。手首の皮膚が石に擦れて裂け、血がにじむ。胸に、小さな黒い焦げ跡が増えていく。
焦げたにおいがした。ゆうべ、村を包んだのと同じにおいだった。
体が跳ねるたびに、手首が石の中でずるりと滑った。
「おいロドルフ、ゆるいぞ」
若い男が、指先の火花を揺らしながら振り返った。
「跳ねるたびに、抜けそうになってる。わざとか?」
大男は、答えなかった。
「締めろ」
輪の外れから、ガスパールが短く言った。
大男は、しばらく自分の手のひらを見下ろしていた。それから、黙って地面に手をついた。
石の枷が、きしりと鳴った。手首に食い込んだ石は、もう骨に届いているようだった。
健司の顔の真上で、大男の目が、一度だけ伏せられた。
「なあガスパール、こいつ本当に人間か? 普通、三発目で泣きわめくぞ」
「知るか。吐かせろと言ったはずだ」
ガスパールは輪の外れで腕を組み、こちらを見ようともしなかった。
「やめて、セザール。灰が舞うわ」
冷ややかな女の声がした。
すらりとした女が、輪の外れで手をひらひらと振っていた。そのたびに、女の周りにだけ小さな風が渦を巻き、舞い上がった灰を押し返している。
「汚らわしい。髪についたら、どうしてくれるの」
灰。
健司は、灰の上に横たわったまま、そのひと言を聞いていた。
この人たちは、知らないのだ。この灰が、何なのかを。
「へいへい」
セザールは肩をすくめ、また指を立てた。
健司は、目を閉じた。
まぶたの裏に、ニナの顔が浮かんだ。
びゅーんって、来た。
あの子は、熱かっただろうか。怖かっただろうか。一瞬だっただろうか。それとも。
これくらいの痛みで、釣り合うはずがない。
だから、声を上げなかった。痛みから逃げようともしなかった。
頭のどこかで、冷めた声がした。
『全能』を使えば、こんな枷は簡単に外せる。この連中を振り払うことだって、きっとできる。
健司は、その考えを踏みつぶした。
使えば、また誰かが死ぬかもしれない。この輪の中にいる兵士たちも、きっと誰かの息子で、誰かの父親だ。それに、自分には逃げる資格なんてない。
痺れと、痛みと、笑い声が、交互にやってきては遠ざかる。どれだけ時間が経ったのか、わからなかった。気づけば、日がずいぶん傾いていた。
輪の中から、兵士の一人が小さく声を漏らした。
「……やりすぎじゃないか」
冷ややかな声の女が、ちらりとそちらを見た。それだけで、兵士は口をつぐみ、うつむいた。
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隊列のずっと後ろ。荷物を積んだ荷馬車の荷台で、木箱と麦の袋のあいだに、誰かが座っていた。
膝の上には、分厚い本が開かれている。古びた革の表紙。ページの余白には、細かな書き込みがびっしりと並んでいた。
ページをめくる小さな指が、ふと止まった。
風に乗って、遠くから、何かが弾けるような乾いた音が届いた。少しして、もう一度。
「隊長!」
若い兵士が、息を切らして荷馬車に駆け寄ってきた。さっき、隊列の後ろを何度も振り返っていた兵士だった。
「中隊長の方々が、生き残りの男を……あの、取り調べと言って、魔法で」
兵士は、そこで言葉を詰まらせた。
「隊長には知らせるなと、言われていて。ゆうべの火柱のときも、そうでした。でも、あれは、もう……」
本が、ぱたりと閉じられた。
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「もう、セザールさんたら。それでは、お話しになる前に心臓が止まってしまいますわ」
柔らかな声が、すぐ耳元でした。
健司がうっすら目を開けると、栗色の髪の女が、微笑みながら膝をついていた。慈しむような、優しい笑顔だった。
「では、わたくしが。苦しいでしょう。早く、楽になりましょうね」
女が、両手で健司の頬を包んだ。
その手のひらから、水があふれ出した。水は健司の頭をすっぽりと包みこみ、ゆらゆらと揺れる丸い球になった。
息が、できない。
鼻に、口に、冷たい水がなだれ込んでくる。肺が焼けるように痛む。体が勝手にのたうち、石の枷ががちがちと鳴った。水の向こうで、女が穏やかに微笑んでいるのが、歪んで見えた。
水が引く。
健司は、激しく咳き込んだ。水を吐き、空気を吸い込もうとして、また咳き込む。
「お話し、してくださる気になりました?」
健司は、答えなかった。
「あら」
女は、困ったように首をかしげた。
「では、もう一度」
水が、再び健司の頭を包んだ。
今度は、なかなか引かなかった。
胸が、内側から破裂しそうになる。手足の感覚が遠のいていく。耳の奥で、どくどくと血の流れる音だけが響いている。
真夜中の研究室。冷めたコンビニのコーヒー。ちゃぶ台の上で胸を張る、調子のいい女神。荒野で飲んだ、冷たい水。びゅーんって来た、と笑うニナ。
いろいろなものが、水の中でゆらゆらと浮かんでは、消えていく。
ああ、ここで終わるのか。
それなら、それでもいい。
意識が、水の底へ沈んでいこうとした、そのとき。
「やめなさい」
小さな声だった。
それなのに、不思議とよく通る声だった。
兵士たちの輪が、ざわりと割れた。その間を、小さな人影が駆け抜けてくる。
健司の頭を包んでいた水の球に、横から、小さな手がそっと触れた。
ぱしゃり、と音を立てて、水の球がほどけた。ただの水になって、地面に流れ落ちていく。
健司は、咳き込みながら顔を上げた。
にじんだ視界の中に、小柄な少女が立っていた。
つばの広い、黒い魔術師の帽子。そのつばの下から、葡萄酒のように深い赤紫の長い髪が、ゆるやかに波打ちながら腰まで流れ落ちている。
肩で、小さく息をしている。隊列の後ろから、ずっと走ってきたのだろう。それでも、その顔に怯えの色はひとつもなかった。
立ち上がった健司と並んでも、きっと胸のあたりまでしか届かない。百人の兵士と、身なりの違う五人に囲まれて、その姿はあまりにも小さかった。
その小さな体で、少女は真っすぐに、五人を見据えていた。
「これは、取り調べではありません。ただの暴力です」
金色の瞳だった。
薄れていく意識の中で、その金色だけが、やけにはっきりと見えた。
尋問。
何も言わない健司。
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