『全能』1章6話 名前を知らない村(6)
『全能』第6話
焼け跡に足を踏み入れると、灰が舞い上がった。
裸足の足の裏に、まだ熱が残っている。踏みしめるたびに、薄く固まった地面がぱりぱりと音を立てて割れた。
風が吹くたびに、細かな灰が顔に当たる。焦げたにおいの奥に、嗅いだことのない、甘ったるいにおいが混じっていた。何のにおいなのか、考えたくなかった。
「……誰か」
声がかすれた。
「誰か、いませんか。マルタンさん。ベルナールさん。ニナ……ミレイユ……」
返事はなかった。
健司は、焼け跡の中を歩き回った。ここが門だったはずだ。ここに柵があった。この先に、湧き水があった。けれど、目印になるものは何ひとつ残っていない。湧き水があったはずの窪みは、乾いてひび割れていた。
門のあったあたりで、黒い塊を見つけた。
いびつに固まった、金属の塊だった。細長い棒のようなものが、途中で溶けて垂れ下がり、そのまま地面にくっついている。
ティボーの槍の穂先だと、しばらくしてから気づいた。
鉄が、溶けたのだ。
足元に、白いものが転がっていた。
拾い上げようとして、指先が触れた瞬間。
それは、ほろりと崩れた。
形を保っていたのは、ほんの一瞬だけだった。白い欠片は、健司の指の間からさらさらとこぼれ落ち、灰の中に混じって、見分けがつかなくなった。
健司は、自分の手を見つめた。
指先に、白い粉がついていた。
骨だった。
研究者の頭が、また勝手に答えを出す。高温で焼かれた骨は、水分も有機物も抜けて、もろくなる。触れただけで崩れるほどに。
頭は止まらなかった。ゆうべの説明の、どこが間違っていたのか。マナの値は、どれだけ足りなかったのか。自動調整で、火力は何倍に跳ね上がったのか。この地面を溶かすには、何度必要だったのか。
「……やめろ」
健司は、その考えを振り払うように首を振った。
計算して、何になる。答えが出たところで、誰も帰ってこない。
膝から力が抜け、灰の上にへたり込んだ。
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どれくらい、そうしていたのかわからない。
日が高くなりはじめたころ、健司はのろのろと立ち上がった。
せめて、みんなを弔いたかった。それが、生き残った自分にできる、たったひとつのことだと思った。
村の真ん中だったあたりを歩いていると、四角く並んだ石が目に入った。ひびだらけで、黒く煤けている。
かまどの石だった。
アネットが、指先の火で薪に火をつけていた、あのかまど。ここが、村長の家だったのだ。
かまどのすぐそばで、灰の中の何かが光った。
膝をつき、手で灰をかき分ける。
虹色の光沢をおびた、小さなペンダントだった。
すぐそばに、同じものがもうふたつ。三つとも、手を伸ばせば届くほど近くに、寄り添うように落ちていた。
最後の瞬間、三人はかまどの前で、身を寄せ合っていたのだろうか。窓から外を見ていたニナとミレイユを、マルタンが抱きかかえて。
マルタンと、ミレイユと、ニナの。
三つとも、形を保っていた。焦げてもいない。溶けてもいない。朝の光を受けて、昨日と同じように、きらきらと七色に輝いている。
「ぜーったい、燃えないし……溶けないんだって……」
ニナの声を真似ようとして、声にならなかった。
燃えなかったのは、これだけだった。
これを身につけていた人たちは、どこにもいない。
健司は、三つのペンダントを両手で包みこみ、胸に押し当てた。金属は、ひどく冷たかった。
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ここに、墓を作ろう。
村の真ん中、あの大木があったあたり。ニナが登って、落ちて、自分が受け止めた場所。
健司は、焼けた地面に手をついた。
土をどかすくらいなら、『全能』でできる。きちんと説明すれば、通るはずだ。土を少し動かすだけなら、もしかしたら説明すらいらないかもしれない。
わかっている。
健司は、地面に向かって右手をかざした。
それだけで、指先が震えだした。息が浅くなる。心臓が、耳の奥で暴れはじめる。頭の中に、あの白い光がよみがえった。感情のない、機械的な声。確定事象、極限熱エネルギーの発生。
もし、また失敗したら。また、何か取り返しのつかないことが起きたら。周りは荒野だ。何が起こるかわからない。
健司は、右手を下ろした。
使えなかった。
『全能』どころか、体のリミッターを外すことすら、怖くてできなかった。
喉が、ひりつくように乾いていた。ゆうべ村でもらった水の革袋は、どこかへ消えていた。荒野で水を作ったときのことを思い出す。あれと同じことをすれば、喉の渇きはすぐに癒える。
それすら、できなかった。
健司は、素手で地面を掘りはじめた。
表面は、溶けた砂が固まって、薄いガラスの膜のようになっていた。拳で叩き割ると、ぎざぎざの破片が手のひらに食い込んだ。その下の土は、熱で焼き締められて、石のように硬い。
爪を立てて、かき出す。
ひと握り。また、ひと握り。
すぐに、爪が割れた。指先から血がにじみ、土と灰に混じって、黒く固まっていく。それでも、健司は手を止めなかった。
痛かった。
痛くて、よかった。
これくらいの痛みで、許されるはずがないとわかっていたから。
日差しが、容赦なく背中を焼く。汗が目に入り、視界がにじむ。何度も手が止まりかけ、そのたびに、地面に額をつけて息を整えた。
掘り進めるうちに、焼けた層の下から、色の違う土が顔を出した。しっとりと湿った、焦げ茶色の土。
昨日まで、この村の人たちが踏みしめていた土の色だった。
日が真上に来て、また傾きはじめたころ。ようやく、ひと一人が横たわれるほどの穴ができた。
健司は、焼け跡を何度も往復して、灰と、崩れかけた白い欠片を、両手ですくっては穴の底へ運んだ。誰のものかは、もうわからない。わからないまま、ひとつ残らず運ぼうとした。
最後に、三つのペンダントをそっと置いた。
土をかぶせる。両手で、少しずつ。
小さな塚ができあがると、健司は近くに転がっていた石を、その上にのせた。
何か、刻むものがあればよかった。そう思ってから、気づいた。
この村の名前すら、自分は聞いていなかった。
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塚の前に座り込んで、健司はぼんやりとそれを眺めていた。
ニナが、びゅーんって来たと笑っていた。
ミレイユが、小枝の線をにらんでから、ほんとだ、と目をまるくしていた。
マルタンが、立てるかと手を差し出してくれた。
アネットのスープは、塩気がきいていて、うまかった。
フェルナンは、賢者の話をするとき、少しだけ寂しそうに笑っていた。
ベルナールに叩かれた背中が、まだ痛い気がする。ティボーは、火を絶やすなよと笑っていた。
たった一日だった。
たった一日で、この村の人たちは、健司に居場所をくれた。
泊まっていけ、とマルタンは言ってくれた。断ったのは、自分だ。人に迷惑をかけるのが、怖かったからだ。
その怖さのおかげで、自分ひとりだけが、村の外にいた。
いつか、ちゃんと恩を返そう。ゆうべ焚き火の前で、そう決めたばかりだった。
その全部を、自分の手で焼いた。
涙が、灰で汚れた頬を伝って、ぽたぽたと塚の土に落ちた。
「ごめんなさい」
誰にも届かない声だった。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
そのとき、地面が小さく震えた。
顔を上げる。
荒野の向こうから、土煙が近づいてくる。規則正しい足音。金属の触れ合う音。馬のいななき。
槍や杖を携えた兵士の列だった。先頭には、旗がひるがえっている。
あっという間に、百人ほどの兵士が焼け跡を取り囲んだ。槍の穂先が、いっせいに健司へ向けられる。杖の先には、小さな炎や光がともっていた。
兵士たちの間から、ささやき声が漏れる。
「生き残りか」
「村ごと消えてるぞ……」
「あいつ、ひとりだけ無事なのか」
いくつもの視線が、健司に突き刺さった。
馬上から、赤い外套をまとった貴族らしい身なりの男が、焼け跡を見渡した。ガラスのように固まった地面。溶けて垂れ下がった鉄の塊。どこまでも続く灰。そして、その真ん中で、血まみれの手をして座り込んでいる、ぼろぼろの男。
男は馬を降り、ガラスの地面を靴の先で叩いた。かつん、と硬い音がした。
「砂が溶けている……。火の魔法でも、ここまではならんぞ」
男の目が、すっと細められた。
その視線が、健司の前の小さな塚に落ちる。それから、土と血で真っ黒になった健司の両手に。
「墓、か」
男は、鼻で笑った。
「殊勝なことだ。ここで何が起きたのかを、知っている者でなければ、できないことだがな」
後ろから、兵士が一人、馬を寄せてくる。
「フランベル様。隊長殿には、まだご報告を――」
「放っておけ。あの小娘が来る前に、片をつける」
男は、健司を見下ろした。
「テルトロワ王国軍、第一中隊長、ガスパール・ド・フランベルだ。ゆうべ、この方角に火柱が上がったのを見た。この村で、何があった」
健司は、口を開いた。
何も、言葉が出てこなかった。
魔物の群れが来た。火で追い払おうとした。マナの値を間違えた。どれも本当のことだった。けれど、どれひとつとして、この男に伝わる言葉にはならない気がした。
「答えろ」
ガスパールの声が、冷たく響いた。
「この村を焼いたのは、貴様か」
焼け跡にペンダント3つ。
墓を掘るのに『全能』は使えませんでした。
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