『全能』1章4話 残り時間(4)
『全能』第4話
ぱちり、と薪のはぜる音で、健司は目を覚ました。
いつの間にか、焚き火の前で眠り込んでいたらしい。火は小さくなっていたが、まだ消えてはいない。
見上げると、星が恐ろしいほど多かった。荒野の夜は、日本の夜よりずっと暗く、ずっと静かだった。
遠吠えが聞こえた。
一つではなかった。
二つ、三つ。いや、もっとだ。荒野のあちこちから、尾を引く遠吠えが重なり合い、夜の空気を震わせている。
健司は跳ね起きた。全身の筋肉が悲鳴を上げたが、構っていられなかった。
村のほうを見る。
柵の外の闇に、赤い光がびっしりと並んでいた。数十、いや、それ以上。日暮れに追い払われた二匹とは、比べものにならない。
「群れ……」
あの二匹は、様子見だったのか。
赤い光の群れが、いっせいに動いた。柵に向かって、黒い波のように押し寄せていく。
村の中から、鐘の音が鳴り響いた。誰かの悲鳴。ベルナールの怒鳴り声。
健司は、焚き火から燃えている薪を一本引き抜いた。
魔物は火を嫌う。小さな火でも、十分にひるむ。
「……っ!」
片方だけのサンダルで、健司は荒野を駆け出した。
裸足の右足に、小石が突き刺さる。太ももが引きつる。それでも、足を止めなかった。
村の灯りが近づいてくる。昼間、ボールを蹴った広場。ニナを受け止めた大木。マルタンの家の、あたたかい窓。
あそこには、自分に優しくしてくれた人たちがいる。
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村の門にたどり着いたとき、戦いはもう始まっていた。
魔物たちは低い木の柵を次々と跳び越え、村の中へなだれ込んでいく。門の内側では、ティボーが燃える槍を振り回し、ベルナールが火の玉を投げつけていた。家々の前では、村の男たちが松明を振りかざし、女たちが子供を抱えて家の奥へ逃げ込んでいく。
火を向けられた魔物は、たしかにひるむ。悲鳴を上げて跳びのく。
だが、一匹を追い払っても、その後ろから二匹、三匹と、新しい影が柵を越えてくる。
マルタンの姿も見えた。松明を両手で握りしめ、自分の家の前に立ちはだかっている。その足元では、村の男が一人、腕を押さえてうずくまっていた。袖が、黒く濡れている。
門の脇の暗がりから、一匹が健司に飛びかかってきた。
「うわっ!」
健司は、とっさに燃える薪を突き出した。炎が魔物の鼻先をかすめる。魔物は甲高く鳴いて身をよじり、闇の中へ跳び退いた。
腕がしびれる。心臓が、耳の奥で暴れている。
本当に、火を嫌がっている。
「兄ちゃん!? 何しに来た、下がってろ!」
ティボーが叫ぶ。その声をかき消すように、村の奥から子供の悲鳴が上がった。
健司は、はっと顔を上げた。
村長の家だ。
柵を越えた魔物が三匹、そのまま村長の家へ向かって走っていく。窓から、ニナとミレイユの顔がのぞいていた。
ベルナールが火の玉を投げる。一匹がひるむ。だが、残りの二匹は止まらない。手が足りない。火が足りない。
魔物は、火でひるむ。
なら、もっと大きな火があれば。
魔物の群れだけを、まとめて焼き払える火があれば。
健司は、燃える薪を握りしめた。
自分には、それができる力がある。
荒野で、水を作れた。説明すれば、通った。きちんと理屈を立てれば、世界は応えてくれた。
一瞬だけ、迷いがよぎる。この力を、戦いに使っていいのか。もし、失敗したら。
定義の開始後は、中断できません。荒野で見た、あの一行が頭をかすめた。一度念じたら、途中で降りる道はない。
そのとき、窓の向こうで、ニナが泣きながら姉にしがみつくのが見えた。魔物の一匹が、村長の家の戸口に体当たりした。板のたわむ音が、ここまで聞こえた。
迷っている時間は、なかった。
「……やるしかない」
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(魔物の群れを、火で焼け)
念じた瞬間、視界を埋め尽くすように、ウィンドウが次々と開いた。
【事象の定義を開始します:燃焼】
【以下の項目について説明を求めます】
【残り時間:5:00】
水のときとは比べものにならない数だった。対象。範囲。可燃物。酸化剤。熱の供給。燃焼の停止条件。
健司は、目の前の戦いから意識を引きはがすようにして、頭を回転させた。地球で積み上げてきた物理と化学の知識を、片っ端から『真理』へ叩き込んでいく。
燃焼の三要素。可燃物、酸素、熱。どれか一つでも欠ければ、火は燃えない。逆に言えば、三つすべてを正確に定義できれば、火は思いどおりに制御できるはずだ。
視界の端では、戦いが続いている。ティボーの燃える槍が、闇に弧を描く。誰かの悲鳴。魔物の唸り声。健司は歯を食いしばり、ウィンドウだけを見た。
「対象は、柵の内側にいる魔物の群れ。一匹ずつ座標を指定する。可燃物は魔物の体毛と体表、酸化剤は大気中の酸素。比率は、これで固定だ」
【承認:対象座標の指定】
【承認:可燃物および酸化剤の比率固定】
「熱エネルギーの供給速度は、体表温度を毎秒これだけ上げる。燃焼は、魔物を焼き尽くした瞬間に止める。停止の閾値は、与えた総熱量がここに達した時点だ」
【承認:熱エネルギー供給速度の定義】
【保留:燃焼反応の停止閾値(熱量変換率の確定後に判定)】
残り一分。
「よし……! 停止閾値も計算した。これで余計な延焼は起きない。魔物の群れだけを、ピンポイントで炭化させられるはずだ!」
時間には、まだ余裕がある。水のときより、ずっとうまくやれている。
その直後だった。
ウィンドウの中央に、見覚えのある赤い表示が割り込んできた。
【未定義変数:大気中マナ濃度に対する熱量変換率】
「……来たな」
健司は、むしろ落ち着いていた。荒野で、一度通った道だ。
マナとかいうパラメータ。水のときに決めた、あの値がある。あれで承認された。なら、同じ値でいけるはずだ。
健司は、水のときと同じ数字を入れた。
【定義値では目標火力に達しません。再定義してください】
「……足りない?」
水と火では、必要な量が違うということか。
倍にすれば、一発で届くかもしれない。だが、水のときは倍にしたら、多すぎると言われた。火で多すぎたら、どうなる。
健司は、数字を少しずつ上げていった。一割。また一割。
背後で、何かが崩れる音がした。ティボーの声が、すぐ近くで聞こえる。
「兄ちゃん、何してる! 逃げろ!」
健司には、もうその声に応える余裕がなかった。
【定義値では目標火力に達しません】
【定義値では目標火力に達しません】
【定義値では目標火力に達しません】
【残り時間:0:15】
「くそっ……どこまで上げればいいんだ!」
入力欄には、相変わらず単位すら書いていない。水と火で、どれだけ違う。十倍か、百倍か。見当すらつかない。
「単位は何だ!? ジュールか!? エルグか!? せめて、目盛りくらい教えろ!」
答えは返ってこない。カウントダウンだけが、無慈悲に減っていく。
異世界に来て、まだ一日も経っていない。魔法の理屈なんて、誰からも教わっていない。わざわざ聞くまでもないと思ったのは、自分だ。
アネットの指先にともった、あの小さな火。あのとき、ひとこと聞いていれば。
「嘘だろ、待て、キャンセルだ! 一旦止めろ――!」
【タイムアップ】
【未確定パラメータ:大気中マナ濃度に対する熱量変換率】
【目標の達成を優先し、火力を正の方向に自動調整します】
【燃焼反応の停止閾値:前提となる火力の変更により、無効】
【確定事象:極限熱エネルギーの発生】
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音が、消えた。
一瞬、世界が真っ白になった。
魔物の群れがいた場所を中心に、光がふくらんだ。それは炎というより、光そのものだった。村長の家も、ベルナールも、ティボーも、松明を掲げた村の男たちも、白い光の中に溶けていく。
次の瞬間、熱が来た。
柵の外にいた健司の体を、見えない壁のような熱風が殴りつけた。足が地面から離れる。燃える薪が手から吹き飛ぶ。視界がぐるぐると回り、背中から荒野に叩きつけられた。
息ができない。顔が焼けるように熱い。
ぼやけた視界の端で、村が燃えていた。
いや、燃えているのではない。白とも橙ともつかない炎の柱が、村のあった場所から夜空に向かって噴き上がっていた。木造の家も、草葺きの屋根も、柵も、あの大木も、すべてがその中にあった。
熱で空気が揺らぎ、夜空の星が、ぐにゃりと歪んで見えた。
ニナ。
声にならない声でその名を呼んだところで、健司の意識は途切れた。
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冷たい風で、目が覚めた。
空が、白みはじめていた。
健司は、荒野に仰向けに倒れていた。全身が痛む。顔がひりひりする。喉がからからに乾いている。
腕にも頬にも、細かな火傷ができている。片方だけ残っていたサンダルも、どこかへ消えていた。
焦げたにおいがした。
ゆっくりと体を起こす。
ゆうべまで村があった場所には、何もなかった。
黒く焼け焦げた地面が、どこまでも広がっている。ところどころから、細い煙が立ちのぼっている。家も、柵も、あの大木も、どこにもなかった。
ただ、静かだった。
鐘の音も、子供たちの笑い声も、ベルナールの怒鳴り声も、何ひとつ聞こえなかった。
健司は、ふらふらと立ち上がった。焼け跡のほうへ、一歩、また一歩と歩きだす。
近づくにつれて、地面の色が変わっていく。黒から、灰色へ。ところどころが朝日を受けて、ガラスのようにぬらりと光っていた。砂が、溶けて固まったのだ。
どれほどの熱だったのか。研究者の頭が、勝手に計算を始めようとする。健司は、それを必死で振り払った。
ぜーったい燃えないし、溶けないんだって。
得意げに胸を張ったニナの声が、耳の奥でよみがえった。
頭の中に、あの機械的な声が響いた。
【事象の実行が完了しました】
健司は、その場に膝をついた。
これが『全能』の代償です。
ブックマーク、よろしくお願いします。
2章以降は19時30分ごろ毎日更新予定です。




