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『全能』  作者: 朝霧なぎ
2章 未定義変数
38/39

『全能』2章15話 三人(38)

『全能』第38話

 

 沙汰は、三日後に下った。


 玉座の間には、四人が呼ばれていた。ルルと健司とコンラート。それに、ひげをそり、髪を後ろでひとつに束ねた、背の高い若い男。


 健司は、思わず二度見した。


 地下牢から引き出されたときとは、別人だった。鼻筋の通った、品のいい顔立ちをしている。借り物らしい騎士の上着も、妙に似合っていた。口の端だけが、あいかわらず片方、上がっている。


 両手には、赤銅色の鱗の手袋をはめていた。三日のあいだ、一度も外さなかったらしい。


 三日のあいだ、ミヒャエルは、城の客間に押しこめられていたらしい。牢よりはずっとましだが、退屈で死にそうだった、と、玉座の間の前の控えの間で、健司に向かってぼやいていた。


「おっさん、あんたは三日、何してた」


「腕が上がらなかったので、寝ていました」


「竜より、腕のほうが手ごわかったか」


 ミヒャエルは、声を殺して笑った。ルルに、肘でつつかれるまで笑っていた。


「ミヒャエル・フォン・アーベントシュタイン」


 聖王の声が、高い天井に響いた。


「はい」


 ミヒャエルは、膝をついたまま、まっすぐに顔を上げた。


「辺境伯は死んだ。家を継ぐのは、汝だ。辺境伯の位も、本来ならば汝のものとなる」


 壁ぎわの貴族たちが、小さくざわめいた。竜に剣を突き立てた騎士、と誰かがささやいた。牢から出たばかりの若造が、と別の誰かがささやいた。


「だが」


 聖王は、組んだ指をほどかなかった。


「火の国と土の国に挟まれた国境を、竜に剣を一本突き立てただけの若造に、預けるわけにはゆかぬ」


 ミヒャエルの肩が、わずかにこわばった。


「手柄が要る。誰の目にも明らかな手柄がな」


 聖王の目が、ルルと健司のほうへ動いた。


「七色の賢者と、この男について行け。余の命じるところへ行き、余の命じることを、ともに果たせ。手柄を立てたならば、そのときに、位を与えよう」


 しばらく、誰も何も言わなかった。


「……仰せのままに」


 ミヒャエルは、深く頭を下げた。下げた頭の陰で、口の端が、一度だけ、きつく結ばれたのが見えた。


「七色の賢者、ルル」


「はい」


「この者を連れて行け。手柄の立て方を、見せてやるがよい」


 一拍おいて、ルルは深く頭を下げた。


「謹んで、お受けいたします」


 人前の、ルルの声だった。けれど、頭を下げる前のほんの一瞬、ルルが小さく、えっ、という顔をしたのを、健司は見逃さなかった。


「学者は、王都に留まれ。王立の書庫で、竜の記録をまとめよ」


「……竜のことなら、いくらでも」


 コンラートは、ぶっきらぼうに頭を下げた。


「次の指令は、追って伝える」


 聖王は、玉座の上から四人を見下ろした。


「西の地のことになろう。それまでに、旅の支度を整えておけ」


 ----------------


 玉座の間を出たとたん、ミヒャエルは、大きく伸びをした。


「やれやれ。四か月ぶりに日の当たるところへ出たと思ったら、今度は荷物持ちだ」


「荷物は、自分で持ちます」


 ルルが、すかさず言った。


「じゃあ、何を持てばいい?」


「何も持たなくていいです」


「つれないなあ」


 ミヒャエルは、少しもこたえていない顔で笑った。それから、ふと、回廊の窓の外へ目をやった。


 南の空だった。


「……親父の国境だ」


 誰に言うでもない声だった。


「手柄でもなんでも、立ててやるさ。取り戻すためなら」


 健司は、何も言わなかった。言えることが、なかった。


 回廊の角で、コンラートが足を止めた。


「わしは、ここまでじゃ」


 書庫は、反対の棟にあるらしい。記録をまとめ終えたら、残りの記録を取りに、また谷へ戻るつもりだと、コンラートは言った。あいつが上の縄張りへ移るのを、この目で見届けにゃならん、とも。


「書庫に来ることがあったら、寄れ。おぬしの説明とやらを、じっくり聞かせてもらう」


 それから、健司を見上げた。


「おぬし」


「はい」


「物差しを、なくすなよ」


 健司は、自分の胸に、そっと手を当てた。


「なくしません」


 コンラートは満足そうにうなずき、それから、ミヒャエルの胸を、拳で軽く叩いた。


「坊。親父さんの剣、大事にせい」


「わかってるよ、先生」


 コンラートは、それきり振り返らずに、回廊の向こうへ歩いていった。白いひげの背中が、高い窓の光の中に、小さくなっていった。


 ----------------


「ガキどもに、顔を見せてやらねえと」


 城を出るなり、ミヒャエルが言った。


 スラムの孤児院の扉を開けたとたん、子供たちの声が、いっせいに止まった。


 五つの顔が、知らない背の高い男を見上げていた。


「……誰?」


 ノエが、コレットの陰に隠れながら言った。


 ミヒャエルは、しゃがみこんで、子供たちと目の高さを合わせた。


「よう。勇者さまが魔物の王さまをやっつける話の、続きを聞きに来たやつは、いるか」


 ジャノの目が、まん丸になった。


「……ミッシェルの、おっさん?」


「おう」


「声で、わかった」


 ジャノは、しばらくぽかんとしていた。それから、ミヒャエルの胸に、頭から突っこんだ。


「出られたのかよ! なんだよ、ひげがねえから、わかんなかったじゃねえか!」


 トマとリュカが続き、ノエがよじのぼった。ミヒャエルは、四人まとめて抱えて、床に転がった。


「どうやって出たんだよ」


「おっさんに、出してもらった」


 ミヒャエルは、床に転がったまま、健司を指さした。


 子供たちが、いっせいに健司を見た。


「おっさんが、おっさんを!?」


 ルルが、吹き出した。


 トマが、ミヒャエルの手をつついた。


「これ、なに? きらきらしてる」


「竜の鱗だ。ルル姉ちゃんが、縫ってくれた」


 ミヒャエルは、自慢げに手の甲をかざしてみせた。子供たちが、いっせいにルルを見た。


「剣を使う人のほうが、役に立つからです!」


 誰にも聞かれていないのに、ルルは言った。


 コレットだけが、ミヒャエルの前で、ちょこんと首をかしげていた。


「竜を、やっつけてきたの?」


 ミヒャエルは、少しだけ黙った。それから、コレットの頭に、大きな手をのせた。


「やっつけちゃいない。刺しただけだ。牢の中で話したのは、ちょっとだけ、話を盛ってた」


「うそつき」


「話ってのは、盛るもんなんだよ。……でもな」


 ミヒャエルは、ルルを指さした。


「竜を止めたのは、この姉ちゃんだぜ。空から、雷を落としたんだ」


「ルル姉ちゃん、すげえ!」


「すごい!」


 子供たちが、今度はルルに群がった。ルルは、真っ赤になって、健司のうしろに隠れようとした。


「ケンジさん、なんとかして」


「僕は、剣を抜いただけなので」


「ずるい!」


 かまどの前で、シスターが、静かに立ち上がった。


「おかえりなさい」


 ルルに向かって、それだけ言った。それから、ミヒャエルのほうに目を向けた。


 ミヒャエルは、すばやく立ち上がって、胸に手を当てた。


「シスター。お噂どおり、お美しい」


「わたしは、何も聞いていません」


 シスターは、表情ひとつ変えずに言った。


「ここの子供たちが、夜中に下水道へ出かけていたことも。何も聞いていませんし、何も見ていません」


 子供たちが、いっせいに目をそらした。


 ルルが、くすりと笑った。シスターの横顔も、ほんの少しだけ、ゆるんでいた。


「続きは?」


 ノエが、ミヒャエルの袖を引っぱった。


「勇者さまの話の、続き」


「続きは、これから作るんだ」


 ミヒャエルは、ノエの頭をくしゃくしゃになでた。


「手柄を立てに行く旅だからな。帰ってきたら、聞かせてやるよ。ほんとの話をな」


 ----------------


 帰りぎわ、ジャノが、健司の袖を引いた。


「おっさん。利子は」


 健司は、旅の袋から、黒パンをひとつ取り出した。ちぎって、ひと口ぶんを、ジャノの手にのせた。


「十三口目」


 ジャノは、手の中のパンを見下ろした。


「……少なくねえか」


「次に会うときに、また払うよ」


「約束じゃ、ねえんだな」


「うん。約束じゃない」


 ジャノは、ふん、と鼻を鳴らして、パンを口に放りこんだ。


 孤児院を出ると、日が傾きはじめていた。


 スラムの細い路地を、三人で並んで歩いた。


 三人、だった。


 ついこのあいだまで、ふたりだった。ルルが前を歩き、健司がそのあとをついていく。荷馬車の上でも、ブリーズの上でも、ずっとそうだった。


 今は、ミヒャエルが、ルルの隣を歩きたがって、そのたびに追い払われている。追い払われても、追い払われても、ミヒャエルは懲りなかった。三度目に追い払われたとき、ミヒャエルは、なぜか健司の隣に来た。


「おっさん。あんた、あの子の何なんだ」


「何、というのは」


「……いや、いい」


 ミヒャエルは、健司の顔をしばらく見てから、ひとりでうなずいた。何がわかったのかは、健司にはわからなかった。


「七色の賢者どのは、甘いものはお好きかい。この先に、うまい焼き菓子の屋台が」


「けっこうです」


「じゃあ、本は?」


 ルルの足が、ぴたりと止まった。


「……本?」


「この先の古本屋に、知り合いがいてね」


 ルルが、ちらりと健司を振り返った。健司は、黙って肩をすくめた。


 路地の向こうに、夕日が沈もうとしていた。


 西の空だった。


 次の指令は、西の地のことになる。聖王は、そう言った。


 健司は、自分の手のひらを、軽く握った。


 わからないことは、まだたくさんある。それでも、わかろうとする道は、もう知っている。見て、確かめる。説明して、説明してもらう。


「ケンジさん、早く!」


 ルルが、振り返って呼んだ。その隣で、ミヒャエルが、大げさに手を振っていた。


 健司は、少しだけ足を速めた。


仲間が増えました。


次回から3章になります。


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