『全能』1章22話 村の名前(22)
『全能』第22話
我が国のために、役立てる気はないか。
健司は、聖王の言葉を、すぐには飲みこめなかった。
罰を受けるつもりでいた。火をもって贖う。そのつもりで、ゆうべは目を閉じたのだ。
「……役立てる、というのは」
「各地で起きている、魔法では解けぬ揉め事がある」
聖王は、組んだ指をほどかなかった。
「消えた村。理由の知れぬ病。砂にも審問官にも見抜けぬ火。魔法使いどもが首をひねるばかりのことが、この国にはいくらでもある」
聖王は、静かに続けた。
「魔力によらぬ力なら、魔法使いには見えぬものが見えよう。それを片づけよ。余の命じるところへ行き、余の命じることを調べよ」
健司は、膝の上で拳を握った。
焼け跡の灰の匂いがよみがえった。素手で掘って築いた、小さな塚。灰の中から拾い上げた、燃えも溶けもしないペンダント。マルタンと、ミレイユと、ニナの。
「それで、あの村の人たちへの償いになりますか」
「償いになるかどうかは、汝が決めよ。余の知ったことではない」
冷たい答えだった。けれど、嘘のない答えだとも思った。
健司は、顔を上げた。
「燃やしたものは、戻りません。許してもらえるとも、思っていません」
声は、震えなかった。
「だから、これからは、燃やさずに済むほうに、この力を使いたいです。……やります」
聖王は、わずかにうなずいた。それから、扉のほうへ目をやった。
「ルル隊を、ここへ」
重い扉が開き、ルルと五人の中隊長が引き立てられてきた。
ルルは、健司の隣に膝をついた。帽子はなく、葡萄酒色の髪は、きのうのまま少し乱れていた。健司のほうを、ちらりとも見なかった。
「ルル隊は、世を騒がせた。隊は、本日をもって解く」
聖王の声が、淡々と続いた。
「中隊長どもは、火柱を見て夜明けまで動かず、余の前でそれを偽った。それぞれ辺境の守りにつけ。追って沙汰する」
ガスパールの肩が、ぴくりと動いた。それでも、顔を伏せたまま何も言わなかった。ソランジュは、唇をかんでいた。
「七色の賢者、ルル」
「はい」
「汝は隊長の任を解く。かわりに、この男とふたりで各地を回れ。この男が見たものを、余に伝えよ」
一拍おいて、ルルは深く頭を下げた。
「謹んで、お受けいたします」
いつもの、人前のルルの声だった。
「では、第一の指令を与える」
聖王が、玉座の上から二人を見下ろした。
「アーベントシュタイン領。魔物が、領地の半分を滅ぼした。辺境伯の息子が、その魔物を引き入れたと申す者もおる。かの地で何が起きたのか、その目で見て、調べてまいれ」
「陛下。ひとつだけ、お聞きしてもよろしいでしょうか」
健司は、自分でも驚くほど、すんなりと口を開いていた。
「申せ」
「あの村の、名前を」
聖王は、わずかに眉を上げた。
「東の辺境の村の名など、余は知らぬ」
平らな声だった。それきり、玉座の間が静まった。
「……シェーヌです」
隣で、小さな声がした。ルルは、前を向いたまま、健司のほうを見なかった。
「巡回の記録に、そう書いてありました」
シェーヌ。
健司は、その名前を、口の中で一度だけくり返した。
中隊長たちが、兵士に促されて玉座の間を出ていく。
すれ違いざま、ガスパールが、健司の横で足を止めた。
「……借りは、返す」
低い声だった。それが礼なのか、それとも別の意味なのか、健司にはわからなかった。ガスパールは、それきり振り返らずに扉の向こうへ消えた。
そのうしろで、ソランジュが、扉の脇の衛兵に白い手を差し出していた。
「わたくしの扇、返していただけますこと?」
最後に扉をくぐった大男が、一度だけ振り返った。ルルに向かって、小さく頭を下げたように見えた。
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玉座の間を出て、長い回廊を歩いた。
兵士たちが離れていく足音が、遠ざかる。ふたりきりになったとたん、隣で、ルルが大きく息を吐いた。
「……ばか」
「すみません」
「すみません、じゃなくて」
ルルが、立ち止まって健司をにらんだ。金色の瞳のふちが、うっすらと赤くなっていた。
「罰を受けます、って何? なんでわざわざ自分から言うの。せっかく助かったのに」
「本当のことなので」
「知ってる!」
ルルは、ぷいと顔をそむけた。
「だいたい、来ないでって思ってたのに。見つかったら、ケンジさんまで縛られるって」
「来ないで、なんて言ってましたっけ」
「言ってない! 思ってただけ!」
言ってから、ルルは自分の口を両手で押さえた。耳の先まで、みるみる赤くなっていく。
健司は、笑いをこらえるのに苦労した。
かわりに、懐から、きちんとたたんだハンカチを取り出した。
「これ、ありがとうございました。パンも」
ルルは、ハンカチを受け取りかけて、ぴたりと止まった。
「……あの子、何か言ってた?」
「隊長は、お腹いっぱいだからって、おっしゃってましたって」
「それだけ?」
「そのあと、お腹が鳴ってたって」
「あの子ったら……!」
ルルは、ハンカチをひったくるように受け取って、真っ赤な顔で健司をにらんだ。
「鳴ってないからね。聞かなかったことにして」
「はい」
健司がうなずくと、ルルはますます赤くなった。
しばらく、ふたりとも黙って歩いた。高い窓から差しこむ光が、石の床に白い四角を並べている。
「……隊長じゃ、なくなっちゃった」
ぽつりと、ルルが言った。
「各地を回れって、要するに、体のいい厄介払いよね。スラム上がりの七色の賢者なんて、王都の偉い人たちには目ざわりなんだと思う」
「すみません。僕のせいで」
「ちがうよ」
ルルは、首を振った。
「わたしが、自分で決めたことだから。……それに、各地を回るなら、その土地の本がたくさん読めるかもしれないし」
そう言って、ルルは少しだけ笑った。
それから、ふいに足を止めて、健司のほうに向き直った。
「ケンジさん」
「はい」
「……来てくれて、ありがとう」
小さな声だった。健司が何か言うより先に、ルルはくるりと背を向けて、すたすたと歩きだした。
「ほら、行くよ。シスターたちが待ってる」
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孤児院の扉を開けたとたん、小さな体が四つ、いっせいに飛びついてきた。
「ルル姉ちゃん!」
ノエが、ルルの腰にしがみついて、わんわん泣いた。トマとリュカが、両腕にぶら下がる。ジャノは、少し離れたところで腕を組んでいたが、その目も赤かった。コレットは、ルルの服の裾をつかんだまま、何も言えずにいた。
ルルは、膝をついて、ジャノまで引き寄せて、五人をまとめて抱きしめた。
「ただいま。……心配かけて、ごめんね」
かまどの前で、シスターが立ち上がった。
「おかえりなさい」
それだけだった。ルルは、子供たちを抱いたまま、うん、とうなずいた。
健司は、扉の脇で、旅の支度にと城で渡された袋を下ろした。中から、黒パンをひとつ取り出す。
「ジャノ」
「なんだよ」
「十二口。返すよ」
健司はパンをちぎって、ひと口ずつ、子供たちの手にのせていった。いち、に、とノエが泣きながら数える。十二口目は、ジャノの手の上に置いた。
ジャノは、手の中のパンを見下ろした。
「……利子がついてねえぞ」
「次に会うときに、払うよ」
ジャノは、ふん、と鼻を鳴らした。それから、パンを口に放りこんで、そっぽを向いた。
「約束じゃ、ねえからな。おっさん、できない約束はしねえもんな」
「うん。だから、約束じゃない」
健司は、笑った。
その横で、ルルが、健司の懐をじっと見ていた。
「それ」
健司が鏡を取り出すと、ルルの目がまん丸になった。
「シスターの鏡……わたしが小さいころ、にらんでたやつ」
ルルは、シスターを振り返った。
「ケンジさんに、あげたの?」
「旅には、判断に困ることがたくさんありますからね」
シスターは、穏やかに言った。ルルは、少しだけ口をとがらせた。
「……わたしには、くれなかったのに」
子供たちが、どっと笑った。
その笑い声の中で、コレットが、そっと健司の袖を引いた。
「おっさん。ほんとのこと、言ってきた?」
健司は、コレットの目をまっすぐに見て、うなずいた。
「言ってきたよ。全部」
コレットは、満足そうに笑った。ルルの笑い方に、少し似ていた。
帰りぎわ、シスターが、扉のところで健司を呼び止めた。
「最後まで、話しましたね」
「……はい」
シスターは、それ以上は何も言わなかった。ただ、健司の手を、しわの刻まれた両手で、そっと包んだ。
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翌朝、ふたりは王都の門の前に立っていた。
空は、よく晴れていた。門の向こうに、土の道がまっすぐ延びている。
「お二人とも」
声がして、振り返った。
若い兵士が、門の脇に立っていた。隊が解かれても、まだ兵士の格好をしている。新しい持ち場に向かう途中なのだと言った。
兵士は、背筋を伸ばして、ふたりに敬礼をした。
「見送りに来ました」
それから、少し照れたように笑った。
「今日は、ちゃんと見ています」
ルルが、くすりと笑った。健司も、笑って頭を下げた。
門をくぐり、しばらく歩いたところで、ルルが健司の右手首を指さした。
「それ、いつ返してくれるの」
色のあせた、赤いリボンだった。
「ちゃんと洗ってから、と思ってたんですけど」
「……ばか」
ルルは、そっぽを向いた。けれど、返せとは言わなかった。
道は、遠くまで続いていた。
健司は、懐の鏡に手を触れた。
ちゃぶ台の上で胸を張っていた、あの調子のいい女神は、今ごろどこで何をしているのだろう。あの花火を、どこかで見ていただろうか。
わからないことは、まだたくさんある。マナが何なのか。『真理』とは何なのか。なんでもできるはずのこの力が、本当は何なのか。
それでも、わかっていることと、わからないことの境目は、少しずつ見えてきた。
わかったことも、ひとつある。
シェーヌ。
あの村の名前だ。いつか、あの塚の石に刻みに戻る。誰とも、約束はしていない。自分で、そう決めた。
「ねえ、ケンジさん」
隣で、ルルが前を向いたまま言った。
「魔物が、領地の半分を滅ぼすなんて。わたし、聞いたことない」
「そうなんですか」
「領主の騎士団だって、いたはずなのに」
健司は、玉座の間で聞いた声を思い出した。
辺境伯の息子が、その魔物を引き入れたと申す者もおる。
聖王は、たしかにそう言った。迷いのない、平らな声で。
アーベントシュタイン領。そこで、何が起きたのか。
健司は、ルルと並んで、まっすぐな道を歩きだした。
名の知らぬ村に名前を付けました。
贖罪になればいいな。
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