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『全能』  作者: 朝霧なぎ
1章 リジェクト
16/28

『全能』1章16話 シスターの鏡(16)

『全能』第16話

 

 孤児院の夕食は、黒いパンがひとりにひとつと、昼の残りのスープだった。


 長い木の机に、子供たちがぎゅうぎゅうに並んで座る。健司は、机のいちばん端に座らされた。目の前には、健司のぶんのパンも置かれていた。


「おっさん、十二口な」


 ジャノが、にやにやしながら言った。


 健司は、パンを手に取った。十二口ぶん、ちぎって分けたら、手元にはほとんど残らない。


 健司がパンをちぎりはじめると、ジャノが慌てて手を振った。


「じょ、冗談だって。ほんとに分けるなよ」


「約束は、約束だろ」


「……おっさん、変なとこで真面目だよな」


 結局、子供たちはひと口ずつ受け取った。そして、受け取ったひと口を、それぞれ自分のパンにくっつけて、黙って健司の前に戻してきた。


 五つの、ちぎれたパンのかけらが、健司の皿の上に並んだ。


「……これじゃ、返したことにならないだろ」


「いいの」


 コレットが、すまして言った。


「おなかを空かせてる人がいたら、パンを半分あげるの。ルル姉ちゃんが、いつもそう言ってたから」


 健司は、皿の上のかけらを見つめた。


 シスターが、かまどの前で小さく笑ったような気がした。


「ねえ、おっさん」


 ノエが、パンを両手で抱えたまま、健司を見上げた。


「ルル姉ちゃん、元気だった? おっさんといるとき、どんなだった?」


 子供たちの手が、いっせいに止まった。五つの顔が、健司を見ていた。


 健司は、少し考えてから口を開いた。


「……僕に、自分の夕食を半分くれたんだ。お腹いっぱいだからって。そしたら、そのあとすぐに、お腹がくうって鳴って」


「あはは!」


 トマが、机を叩いて笑った。


「それで、今のは聞かなかったことにして、って。耳まで真っ赤になってた」


「ルル姉ちゃんらしい!」


「むかしから、そうなんだよな。自分のぶん、すぐ人にやっちゃうんだ」


 ジャノが、鼻の下をこすった。


 子供たちは、ひとしきり笑った。笑いながら、コレットがそっと目元をぬぐうのを、健司は見ないふりをした。


 ----------------


 子供たちが寝藁にもぐりこんで静かになると、孤児院の中は、かまどの火がはぜる音だけになった。


 シスターは、かまどの前に置いた小さな椅子に腰かけて、子供の破れた服を繕っていた。


 健司は、しばらくその背中を見ていた。


 それから、シスターの前に回って、床に膝をついた。


「シスター」


 シスターの手が、止まった。


「聞いてほしいことが、あります」


 シスターは、針を布に刺して、膝の上に置いた。


「どうぞ」


 健司は、自分の手を見下ろした。左の手首にハンカチ。右の手首に、シスターが縫ったという赤いリボン。


「あの村を焼いたのは、僕です」


 声は、震えなかった。


「わざとじゃ、ありませんでした。魔物から、村の人たちを助けようとして、火を使って。でも、うまくいかなかった。村ごと、全部、燃やしてしまった」


 かまどの火が、ぱちりとはぜた。


「僕は、そのことを、ルルさんにだけ話しました。王都へ向かう前の夜に。ルルさんは、最後まで聞いてくれました。大変だったね、って」


 シスターは、何も言わなかった。ただ、じっと健司を見ていた。


「それなのに、僕は」


 喉が、詰まった。


「王様の前で、女神に誓って、やっていませんと言いました。言うつもりなんて、なかったんです。本当のことを言うつもりでした。それなのに、口から出たのは、嘘でした」


 健司は、膝の上で拳を握りしめた。


「ルルさんは、僕の嘘を知っていました。知っていて、何も言わなかった。それどころか、僕には村を焼くほどの魔力はないって、本当のことを言ってくれた。それで、僕は放免されて、ルルさんたちが」


 それ以上は、言えなかった。


「あとから、僕がやりましたって叫びました。でも、誰も信じてくれなかった。当たり前ですよね。一度、女神の前で嘘をついた男の言葉なんか」


 健司は、床の木目を見つめた。


「ルルさんは、二日後に火あぶりになります。僕の嘘のせいで」


 長い沈黙が落ちた。


「なぜ」


 シスターが、ぽつりと言った。


「なぜ、嘘が出たのか、自分でわかりますか」


 健司は、首を振りかけて、止めた。


 わからない、と言うのは簡単だった。けれど、それでは、また何かから逃げることになる気がした。


「……怖かったんだと、思います」


 かすれた声で、健司は言った。


 城門の外で、自分にさえ言えなかった答えだった。


「火刑だと言われて。村が燃えたときの、白い光を思い出して。自分が、あの中で焼かれるところを、考えてしまって。気づいたら、口が勝手に」


 言ってしまうと、それはひどくみじめな理由だった。村の人たちは、逃げることもできずに焼かれたのに。自分は、同じ火が怖くて、嘘をついたのだ。


 シスターは、黙ってそれを聞いていた。


 かまどの火が、シスターの顔の半分を橙色に照らしていた。


「最後まで、話しましたか」


 シスターが、静かに言った。


 健司は、うなずいた。


「そうですか」


 シスターは、膝の上の繕いものに目を落とした。


「あなたの嘘で、あの子が死ぬかもしれない。それは、どんなに悔いても、消えません。わたしは、あなたを許すとは言えません。許すのは、わたしではありませんから」


 健司は、顔を上げられなかった。


「けれど」


 シスターの声が、ほんの少しだけ、やわらかくなった。


「あなたは今、本当のことを話しました。誰にも信じてもらえないとわかっていて、それでも、最後まで」


 ----------------


 シスターは立ち上がり、壁ぎわの古い木箱の中から、何かを取り出した。


 顔がやっと映るほどの、小さな手鏡だった。縁の木はすっかり擦り切れているのに、鏡の面には、傷も曇りもひとつもなかった。長いあいだ、大事に磨かれてきたのだろう。


「これを、持っていきなさい」


 シスターは、健司の手に鏡をのせた。


「嘘をつきそうになったり、判断に困ったときは、これを見て、自分の顔を見て、見つめ直しなさい」


 健司は、鏡をのぞきこんだ。


 かまどの火に照らされて、ひどい顔が映っていた。頬はこけ、目の下は黒ずみ、額には石で切れた傷が残っている。女神の前で嘘をついた男の顔だった。


「あの子も、小さいころ、よくそれをのぞいていましたよ」


 シスターが、ぽつりと言った。


「パンを盗んだと疑われて、泣きながら帰ってきた日に。やっていないと言っても誰も信じてくれないと、悔しがって。それでも、あの子は一度も、嘘でごまかそうとはしませんでした。そのかわり、この鏡を、じっとにらんでいました」


 健司は、鏡を握りしめた。


 ルルが、嘘をつかない子だった理由。その一端が、手のひらの中にあった。


 誰にも信じてもらえなくても、嘘でごまかさなかった子。その子が信じてくれた自分は、たった一度の恐怖で、嘘をついた。


 鏡の中の男が、目をそらした。


「行くのでしょう」


 シスターが、言った。


 健司は、顔を上げた。シスターは、窓の外の暗がりに目を向けていた。孤児院の裏手の、さらに奥。子供たちが、ないしょだと言っていた方角だった。


「子供たちのないしょは、たいてい、ないしょではありませんから」


 健司は、何も言えなかった。


「わたしは、何も聞いていません。何も見ていません」


 シスターは、もう一度椅子に腰を下ろし、繕いものを取り上げた。針を持つ指が、わずかに震えていた。


「どうか、気をつけて」


 ----------------


 孤児院の裏の空き地に出ると、空には細い月がかかっていた。


 草に埋もれた石の蓋の前で、健司は足を止めた。


 地下牢には、見張りがいっぱいいる。いつもは三人くらいなのに、きのうから、すげえ増えた。ジャノは、そう言っていた。


 健司は、蓋の脇にしゃがみこんで、自分の持ちものをひとつずつ確かめた。


 研究室で、新しい実験を始める前に、いつもしていたことだった。手元に何があって、何がないのか。それがわからないうちは、何も始められない。


 左の手首に、ハンカチ。右の手首に、赤いリボン。懐に、小さな手鏡。


 剣は、ない。地図も、ない。あるのは、リュカが地面に描いてくれた線の記憶だけだ。


 魔法は、フロートがひとつ。それも、円盤ひとつを胸の高さまで浮かせるのがやっとの、子供と同じくらいの力。


 それから。


 健司は、右手を見下ろした。


 説明さえできれば、なんでもできる力。


 手のひらを、蓋の上にかざしてみる。それだけで、指先が震えはじめた。白い光が、まぶたの裏で弾ける。夜空に噴き上がる炎の柱。焼け落ちていく家々。


 健司は、手を引っこめた。


 だめだ。これは、使えない。


 使い方を間違えれば、また何もかもが燃える。今度は、地下牢ごと。ルルごと。


 足りないものばかりだった。どう組み立てても、ルルのところまでたどり着ける気がしなかった。


 健司は、懐から鏡を取り出した。


 嘘をつきそうになったり、判断に困ったときは。


 月明かりの下で、鏡の中の男がこちらを見ていた。ひどい顔だった。それでも、かまどの前でのぞいたときよりは、少しだけ、まっすぐこちらを見ている気がした。


「……怖いよ」


 声に出して、言った。


 誰も聞いていない。だから、取りつくろう必要もなかった。


「行っても、何もできないかもしれない。見張りに見つかって、殺されるかもしれない。ルルさんのところまで、たどり着けないかもしれない」


 鏡の中の男は、黙っていた。


「それでも、行く」


 言い終えると、胸のつかえが、ほんの少しだけ取れた。


 せめて、自分にだけは嘘をつかない。シスターの言った意味が、少しだけわかった気がした。


 健司は、鏡を懐に戻した。


 石の蓋に手をかける。重かった。ジャノとトマが二人がかりでずらしていた蓋を、健司はひとりで、少しずつ押した。


 すき間から、ひやりとした空気が吹き上がってきた。湿った石と、下水のにおい。


 入ってすぐ、まっすぐ。水の音が大きくなったら、左。


 リュカの声を、頭の中でくり返す。


 健司は、穴の縁に足をかけて、暗闇の中へ降りていった。


シスターに本当のことを話し、鏡をもらいます。


ブックマークしてもらえると励みになります。


2章以降は19時30分ごろ毎日更新予定です。

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