『全能』1章15話 できない約束(15)
『全能』第15話
「いいか、おっさん。決まりは三つだけだ」
菜園の脇の、少しだけ開けた空き地だった。ジャノは木の円盤を指の上でくるくる回しながら、偉そうに胸を張った。
「ひとつ。手でさわったら反則。ふたつ。地面に落としたら負け。みっつ。落としたやつは、晩飯のパンをひと口ずつみんなに分ける」
「みっつめ、いつも勝手に増えるんです」
コレットが、ため息まじりに付け足した。
子供たちは、五人で大きな輪をつくった。
ジャノが円盤を宙に放る。円盤は落ちかけたところで、ふわりと止まった。ジャノが、円盤に向かって手のひらをかざしている。触れてはいない。それなのに、円盤はジャノの手のひらの少し先で、ゆらゆらと浮いていた。
「いくぞ、トマ!」
ジャノが手のひらを押し出すと、円盤がすうっと宙を滑った。速くはない。風に流される木の葉くらいの速さだった。
トマが、慌てて両手をかざす。円盤はトマの手前で一度がくんと沈み、地面すれすれで持ち直した。
「あっぶね!」
「トマ、へたくそ」
「うるせえ! ほら、リュカ!」
今度はリュカへ。リュカは身軽に回りこんで、円盤の真下に手をかざした。円盤は、まるで吸いつくようにリュカの手の上で止まった。
健司は、輪の外からその様子を見ていた。
円盤が浮いている高さは、せいぜい子供の胸くらいまでだった。押し出す力も、受け止める力も、ほんのわずかだ。それでも子供たちは、そのわずかな力だけで、円盤を落とさずに回し続けている。
健司は、空を見上げた。日は、もう高い。
あと、二日半もない。今すぐにでも、道を教えてくれと頭を下げたかった。
けれど、ジャノの顔を見ればわかる。急かせば急かすほど、この子たちは意地になって口を閉ざすだろう。どのみち、城に忍びこむなら夜だ。それまでに、聞き出せばいい。
「よし、次はおっさんの番な」
ジャノが、にやりと笑った。
「え」
「遊んでくれるって言ったろ」
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「フロートっていうの」
コレットが、健司の前に立って言った。
「軽いものを、ふわってさせる魔法。このへんの子は、みんな使えるよ。ちっちゃいころから」
「どうやるんだ」
「えっと」
コレットは、少し考えるように首をかしげた。
「おなかの下のほうに、あったかいのがあるでしょ。それを、ふわっとさせて、手のひらから、ぐって」
「ふわっとさせて、ぐっ」
「うん。ふわっとして、ぐって」
健司は、自分の手のひらを見下ろした。
なぜか、ちゃぶ台の上で胸を張っていた女神の顔が浮かんだ。あの女神なら、きっとこんなふうに説明するのだろう。ふわっとしてて、ぎゅっとしたら、ぼわっと、とか。
「おっさん、ほら」
足元に、円盤が置かれた。
健司は、円盤に向かって右手をかざした。
その瞬間、指先が震えた。
白い光。夜空に噴き上がる炎の柱。手をかざしただけで、まぶたの裏であの夜が弾ける。
健司は、思わず手を引っこめた。
「どうしたの?」
ノエが、不思議そうに顔をのぞきこんだ。
「……なんでもない」
これは、『全能』じゃない。
説明もいらない。窓も開かない。この子たちが毎日遊びに使っている、ただの小さな魔法だ。円盤ひとつ浮かせるだけの。
健司は、深く息を吸って、もう一度手をかざした。
おなかの下のほうの、あったかいもの。
目を閉じて、探してみる。何もない。いや、あるのかもしれない。わからない。ふわっと、させる。手のひらから、ぐっと。
何も起きなかった。
「ちがうちがう。力みすぎ」
「もっと、ふわっと!」
「おっさん、顔こわい」
子供たちが、口々に言う。
健司は、目を開けた。
説明では、わからない。それなら、見るしかない。
健司は、もう一度子供たちの手元を観察した。リュカが円盤を受け止めるとき、手のひらはまっすぐ円盤に向いていない。円盤の少し下、何もない空間に向けている。円盤を持ち上げるのではなく、その下の空気を、そっと押し上げているように見えた。
研究室で、何百回とくり返してきたことだった。わからないものは、よく見る。見て、真似て、ずれたところを直す。
健司は、手のひらを円盤のほんの少し下に向けた。
おなかの下の、あたたかいもの。今度は、押し出そうとしなかった。ただ、手のひらの先まで流れていくのを、待った。
円盤の縁が、かたん、と鳴った。
健司は、息を止めた。
円盤が、地面からほんのわずかに浮いていた。指一本ぶんにも満たない高さだった。ふらふらと揺れて、今にも落ちそうだった。
それでも、浮いていた。
「浮いた!」
ノエが、ぴょんと跳ねた。
「おっさん、浮いたぞ!」
「ちっちゃ!」
「でも、浮いた!」
円盤は、すぐにかたんと地面に落ちた。
健司は、自分の手のひらを見つめた。
説明は、何ひとつしていない。窓も開かなかった。誰にも、何も問われなかった。それなのに、たしかに、浮いた。
この世界に来て初めて、健司は自分の力で、魔法を使った。
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それから、どれくらい遊んだのかわからない。
健司の円盤は、何度も落ちた。受け止めようとして、真下に潜りこんでしまう。押し出そうとして、自分の足元に叩きつけてしまう。そのたびに、子供たちが腹を抱えて笑った。
「おっさん、パンひと口!」
「何口目だよ、それ」
「えっとね、七口目!」
笑い声が、空き地いっぱいに響いた。
それでも、少しずつ、わかってきた。
円盤を押し出すときは、手のひらを円盤の後ろの、少し下へ。受け止めるときは、円盤が来るよりも先に、通り道の下に手をかざしておく。力を込めるのではなく、流れてくるものを、通り道に置いておくだけ。
「おっさん、さっきより落ちなくなった」
コレットが、感心したように言った。
「先に、手を置いておくといいんだね。円盤が来るところに」
「……うん。そうみたいだ」
「へえ。おっさん、頭いいんだな」
ジャノが、つまらなそうに口をとがらせた。自分の番になると、さっきよりも勢いよく円盤を押し出した。
子供たちの笑い声の中で、気づけば、健司も笑っていた。
笑いながら、胸の奥が、きりきりと痛んだ。
荒野の村で、子供たちとボールを蹴った日のことを、思い出していた。尻もちをついた自分を見て、手を叩いて笑っていた子供たち。木から落ちてきて、自分の腕の中に飛びこんできた、小さな体。
びゅーんって、来た。
あの日は、自分が教える側だった。小枝で引いた線を、ミレイユが目をまるくしてのぞきこんでいた。
あの子たちは、もういない。自分が、焼いてしまった。
それなのに、自分はこうして、また子供たちと笑っている。
「おっさん!」
トマの声で、我に返った。円盤が、まっすぐこちらに飛んでくる。
健司は、とっさに手をかざした。手のひらを、円盤の少し下に。
円盤は、健司の胸の前で、ふわりと止まった。
「おおっ」
「とった!」
「おっさん、今のうまかった!」
子供たちの歓声の中で、健司は止まった円盤を見つめていた。
笑っていいのか、わからなかった。けれど、この子たちの前で、泣くわけにもいかなかった。
健司は、円盤をそっとノエのほうへ押し出した。
ノエが、両手でそれを受け止めて、うれしそうに笑った。
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日が、西に傾きはじめていた。
「約束だからな」
遊び疲れて座りこんだ子供たちの中で、ジャノが立ち上がった。
「ついてこいよ」
子供たちに連れていかれたのは、孤児院の裏手の、さらに奥だった。崩れかけた石垣のすき間を抜けると、草に埋もれるようにして、古い石の蓋がひとつ、地面にはまっていた。
ジャノとトマが、二人がかりで蓋をずらす。
下から、ひやりとした空気が吹き上がってきた。湿った石と、下水のにおい。子供たちの足元から漂っていた、あのにおいだった。
「昔の下水道なんだって」
コレットが、穴の縁にしゃがんで言った。
「ずっとまっすぐ行くと、お城の下まで続いてるの。いちばん奥に、鉄の格子があって、その向こうが地下牢なんだって。傭兵のおっさんは、そこの、いちばん端っこの牢屋にいるの」
「おれたち、ときどき行って、話を聞かせてもらってるんだ」
ジャノが、得意げに言った。
「シスターには、ないしょな」
「ないしょです」
コレットまでが、真剣な顔でうなずいた。
「道は、こう」
リュカが、地面に木の枝で線を引きはじめた。
「入ってすぐ、まっすぐ。水の音が大きくなったら、左。三つめの分かれ道を、右。そこから先は、天井が低くなるから、かがんで。あとは、ずっとまっすぐ」
健司は、その線を目に焼きつけた。
「でもね、おっさん」
ジャノの声から、急に威勢が消えた。
「格子の向こうは、見張りがいっぱいいるんだ。いつもは三人くらいなのに、きのうから、すげえ増えた。おれたちも、近くまで行ったけど、こわくて引き返した」
ルルたちが、運びこまれたからだ。
健司は、穴の底の暗がりを見下ろした。
道は、ある。けれど、その先には、見張りが待っている。
魔力は、子供と同じくらい。円盤ひとつ、胸の高さまで浮かせるのがやっとだ。
それでも。
健司は、自分の右手を見た。ついさっき、円盤を浮かせた手。手首に、赤いリボンを巻いた手。
「おっさん」
コレットが、健司の袖をつかんだ。さっきまでのすました顔ではなかった。
「ほんとに、行くの?」
健司は、うなずいた。
「ルル姉ちゃんのこと、助けてくれる? 約束してくれる?」
約束。
健司は、口を開きかけて、止まった。
約束ね、と笑ったルルの顔が浮かんだ。全部話しますと、うなずいた自分の声も。その約束を、自分は女神の前で破った。
「……約束は、できない」
コレットの顔が、くしゃりと歪んだ。
「でも、行く。それだけは、本当だ」
コレットは、しばらく健司の顔を見上げていた。それから、袖を握っていた手を、ゆっくりと離した。
「ありがとう」
健司は、子供たちに向き直った。
「パン、何口ぶんだったっけ」
「十二口!」
ノエが、元気よく叫んだ。
健司は、小さく笑った。
「……いつか、ちゃんと返すよ」
フロート。覚えましたね。
遊んだのも結果オーライ。
ブックマーク、よろしくお願いします。
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