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『全能』  作者: 朝霧なぎ
1章 リジェクト
15/28

『全能』1章15話 できない約束(15)

『全能』第15話

 

「いいか、おっさん。決まりは三つだけだ」


 菜園の脇の、少しだけ開けた空き地だった。ジャノは木の円盤を指の上でくるくる回しながら、偉そうに胸を張った。


「ひとつ。手でさわったら反則。ふたつ。地面に落としたら負け。みっつ。落としたやつは、晩飯のパンをひと口ずつみんなに分ける」


「みっつめ、いつも勝手に増えるんです」


 コレットが、ため息まじりに付け足した。


 子供たちは、五人で大きな輪をつくった。


 ジャノが円盤を宙に放る。円盤は落ちかけたところで、ふわりと止まった。ジャノが、円盤に向かって手のひらをかざしている。触れてはいない。それなのに、円盤はジャノの手のひらの少し先で、ゆらゆらと浮いていた。


「いくぞ、トマ!」


 ジャノが手のひらを押し出すと、円盤がすうっと宙を滑った。速くはない。風に流される木の葉くらいの速さだった。


 トマが、慌てて両手をかざす。円盤はトマの手前で一度がくんと沈み、地面すれすれで持ち直した。


「あっぶね!」


「トマ、へたくそ」


「うるせえ! ほら、リュカ!」


 今度はリュカへ。リュカは身軽に回りこんで、円盤の真下に手をかざした。円盤は、まるで吸いつくようにリュカの手の上で止まった。


 健司は、輪の外からその様子を見ていた。


 円盤が浮いている高さは、せいぜい子供の胸くらいまでだった。押し出す力も、受け止める力も、ほんのわずかだ。それでも子供たちは、そのわずかな力だけで、円盤を落とさずに回し続けている。


 健司は、空を見上げた。日は、もう高い。


 あと、二日半もない。今すぐにでも、道を教えてくれと頭を下げたかった。


 けれど、ジャノの顔を見ればわかる。急かせば急かすほど、この子たちは意地になって口を閉ざすだろう。どのみち、城に忍びこむなら夜だ。それまでに、聞き出せばいい。


「よし、次はおっさんの番な」


 ジャノが、にやりと笑った。


「え」


「遊んでくれるって言ったろ」


 ----------------


「フロートっていうの」


 コレットが、健司の前に立って言った。


「軽いものを、ふわってさせる魔法。このへんの子は、みんな使えるよ。ちっちゃいころから」


「どうやるんだ」


「えっと」


 コレットは、少し考えるように首をかしげた。


「おなかの下のほうに、あったかいのがあるでしょ。それを、ふわっとさせて、手のひらから、ぐって」


「ふわっとさせて、ぐっ」


「うん。ふわっとして、ぐって」


 健司は、自分の手のひらを見下ろした。


 なぜか、ちゃぶ台の上で胸を張っていた女神の顔が浮かんだ。あの女神なら、きっとこんなふうに説明するのだろう。ふわっとしてて、ぎゅっとしたら、ぼわっと、とか。


「おっさん、ほら」


 足元に、円盤が置かれた。


 健司は、円盤に向かって右手をかざした。


 その瞬間、指先が震えた。


 白い光。夜空に噴き上がる炎の柱。手をかざしただけで、まぶたの裏であの夜が弾ける。


 健司は、思わず手を引っこめた。


「どうしたの?」


 ノエが、不思議そうに顔をのぞきこんだ。


「……なんでもない」


 これは、『全能』じゃない。


 説明もいらない。窓も開かない。この子たちが毎日遊びに使っている、ただの小さな魔法だ。円盤ひとつ浮かせるだけの。


 健司は、深く息を吸って、もう一度手をかざした。


 おなかの下のほうの、あったかいもの。


 目を閉じて、探してみる。何もない。いや、あるのかもしれない。わからない。ふわっと、させる。手のひらから、ぐっと。


 何も起きなかった。


「ちがうちがう。力みすぎ」


「もっと、ふわっと!」


「おっさん、顔こわい」


 子供たちが、口々に言う。


 健司は、目を開けた。


 説明では、わからない。それなら、見るしかない。


 健司は、もう一度子供たちの手元を観察した。リュカが円盤を受け止めるとき、手のひらはまっすぐ円盤に向いていない。円盤の少し下、何もない空間に向けている。円盤を持ち上げるのではなく、その下の空気を、そっと押し上げているように見えた。


 研究室で、何百回とくり返してきたことだった。わからないものは、よく見る。見て、真似て、ずれたところを直す。


 健司は、手のひらを円盤のほんの少し下に向けた。


 おなかの下の、あたたかいもの。今度は、押し出そうとしなかった。ただ、手のひらの先まで流れていくのを、待った。


 円盤の縁が、かたん、と鳴った。


 健司は、息を止めた。


 円盤が、地面からほんのわずかに浮いていた。指一本ぶんにも満たない高さだった。ふらふらと揺れて、今にも落ちそうだった。


 それでも、浮いていた。


「浮いた!」


 ノエが、ぴょんと跳ねた。


「おっさん、浮いたぞ!」


「ちっちゃ!」


「でも、浮いた!」


 円盤は、すぐにかたんと地面に落ちた。


 健司は、自分の手のひらを見つめた。


 説明は、何ひとつしていない。窓も開かなかった。誰にも、何も問われなかった。それなのに、たしかに、浮いた。


 この世界に来て初めて、健司は自分の力で、魔法を使った。


 ----------------


 それから、どれくらい遊んだのかわからない。


 健司の円盤は、何度も落ちた。受け止めようとして、真下に潜りこんでしまう。押し出そうとして、自分の足元に叩きつけてしまう。そのたびに、子供たちが腹を抱えて笑った。


「おっさん、パンひと口!」


「何口目だよ、それ」


「えっとね、七口目!」


 笑い声が、空き地いっぱいに響いた。


 それでも、少しずつ、わかってきた。


 円盤を押し出すときは、手のひらを円盤の後ろの、少し下へ。受け止めるときは、円盤が来るよりも先に、通り道の下に手をかざしておく。力を込めるのではなく、流れてくるものを、通り道に置いておくだけ。


「おっさん、さっきより落ちなくなった」


 コレットが、感心したように言った。


「先に、手を置いておくといいんだね。円盤が来るところに」


「……うん。そうみたいだ」


「へえ。おっさん、頭いいんだな」


 ジャノが、つまらなそうに口をとがらせた。自分の番になると、さっきよりも勢いよく円盤を押し出した。


 子供たちの笑い声の中で、気づけば、健司も笑っていた。


 笑いながら、胸の奥が、きりきりと痛んだ。


 荒野の村で、子供たちとボールを蹴った日のことを、思い出していた。尻もちをついた自分を見て、手を叩いて笑っていた子供たち。木から落ちてきて、自分の腕の中に飛びこんできた、小さな体。


 びゅーんって、来た。


 あの日は、自分が教える側だった。小枝で引いた線を、ミレイユが目をまるくしてのぞきこんでいた。


 あの子たちは、もういない。自分が、焼いてしまった。


 それなのに、自分はこうして、また子供たちと笑っている。


「おっさん!」


 トマの声で、我に返った。円盤が、まっすぐこちらに飛んでくる。


 健司は、とっさに手をかざした。手のひらを、円盤の少し下に。


 円盤は、健司の胸の前で、ふわりと止まった。


「おおっ」


「とった!」


「おっさん、今のうまかった!」


 子供たちの歓声の中で、健司は止まった円盤を見つめていた。


 笑っていいのか、わからなかった。けれど、この子たちの前で、泣くわけにもいかなかった。


 健司は、円盤をそっとノエのほうへ押し出した。


 ノエが、両手でそれを受け止めて、うれしそうに笑った。


 ----------------


 日が、西に傾きはじめていた。


「約束だからな」


 遊び疲れて座りこんだ子供たちの中で、ジャノが立ち上がった。


「ついてこいよ」


 子供たちに連れていかれたのは、孤児院の裏手の、さらに奥だった。崩れかけた石垣のすき間を抜けると、草に埋もれるようにして、古い石の蓋がひとつ、地面にはまっていた。


 ジャノとトマが、二人がかりで蓋をずらす。


 下から、ひやりとした空気が吹き上がってきた。湿った石と、下水のにおい。子供たちの足元から漂っていた、あのにおいだった。


「昔の下水道なんだって」


 コレットが、穴の縁にしゃがんで言った。


「ずっとまっすぐ行くと、お城の下まで続いてるの。いちばん奥に、鉄の格子があって、その向こうが地下牢なんだって。傭兵のおっさんは、そこの、いちばん端っこの牢屋にいるの」


「おれたち、ときどき行って、話を聞かせてもらってるんだ」


 ジャノが、得意げに言った。


「シスターには、ないしょな」


「ないしょです」


 コレットまでが、真剣な顔でうなずいた。


「道は、こう」


 リュカが、地面に木の枝で線を引きはじめた。


「入ってすぐ、まっすぐ。水の音が大きくなったら、左。三つめの分かれ道を、右。そこから先は、天井が低くなるから、かがんで。あとは、ずっとまっすぐ」


 健司は、その線を目に焼きつけた。


「でもね、おっさん」


 ジャノの声から、急に威勢が消えた。


「格子の向こうは、見張りがいっぱいいるんだ。いつもは三人くらいなのに、きのうから、すげえ増えた。おれたちも、近くまで行ったけど、こわくて引き返した」


 ルルたちが、運びこまれたからだ。


 健司は、穴の底の暗がりを見下ろした。


 道は、ある。けれど、その先には、見張りが待っている。


 魔力は、子供と同じくらい。円盤ひとつ、胸の高さまで浮かせるのがやっとだ。


 それでも。


 健司は、自分の右手を見た。ついさっき、円盤を浮かせた手。手首に、赤いリボンを巻いた手。


「おっさん」


 コレットが、健司の袖をつかんだ。さっきまでのすました顔ではなかった。


「ほんとに、行くの?」


 健司は、うなずいた。


「ルル姉ちゃんのこと、助けてくれる? 約束してくれる?」


 約束。


 健司は、口を開きかけて、止まった。


 約束ね、と笑ったルルの顔が浮かんだ。全部話しますと、うなずいた自分の声も。その約束を、自分は女神の前で破った。


「……約束は、できない」


 コレットの顔が、くしゃりと歪んだ。


「でも、行く。それだけは、本当だ」


 コレットは、しばらく健司の顔を見上げていた。それから、袖を握っていた手を、ゆっくりと離した。


「ありがとう」


 健司は、子供たちに向き直った。


「パン、何口ぶんだったっけ」


「十二口!」


 ノエが、元気よく叫んだ。


 健司は、小さく笑った。


「……いつか、ちゃんと返すよ」


フロート。覚えましたね。


遊んだのも結果オーライ。


ブックマーク、よろしくお願いします。


2章以降は19時30分ごろ毎日更新予定です。

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