↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『全能』  作者: 朝霧なぎ
1章 リジェクト
14/28

『全能』1章14話 頼みごと(14)

『全能』第14話

 

 南へ下るにつれて、王都の顔が変わっていった。


 石畳が途切れ、踏み固められた土の道になる。道幅が狭くなり、建物と建物の隙間に、つぎはぎの板を打ちつけただけの小屋がひしめきはじめる。頭の上には、洗濯物を干した縄が何本も渡されていて、朝の光をまだらに遮っていた。


 どぶのにおいがした。煮炊きの煙と、腐りかけた野菜と、湿った藁のにおいも混じっている。


 王都の南の、スラムだった。


 軒先に座りこんだ老人が、焦点の合わない目で通りを眺めている。裸足の子供が三人、健司の横を駆け抜けていった。そのうちのひとりが、立ち止まって振り返り、健司の手元をじっと見た。何か食べ物を持っていないか、確かめる目だった。


 パンがひとつ消えると、大騒ぎになるの。


 荷馬車の上で、ルルはそう言っていた。


 健司は、路地の入り口で足を止めた。


 城のある大通りとは、まるで別の街だった。それでも、ここもたしかに同じ王都なのだ。ルルは、この路地のどこかで育った。


 井戸端で洗い物をしていた女に、孤児院の場所を尋ねた。女は健司の破れたスウェットをじろりと見て、それから黙って路地の奥を指さした。


「突き当たりを右。白い壁の、ちっちゃい建物だよ」


 礼を言って歩きだすと、背中に声が飛んできた。


「あんた、あそこに何の用だい。今日はやめときな。あそこの子が、火あぶりになるって話でね。みんな、それどころじゃないよ」


 健司は、振り返れなかった。


 ----------------


 突き当たりを右に曲がると、その建物があった。


 白い漆喰の壁は、ところどころはがれて、下の土壁がのぞいている。屋根の上に、小さな木の聖印がひとつ。扉の前には、ちっぽけな菜園があった。


 その菜園の前で、子供たちが何かをしていた。


 五人。いちばん大きな男の子でも、ニナよりいくつか上くらいだろうか。輪になってしゃがみこみ、真ん中の地面を、じっと見つめている。


 地面から、木の円盤がふわりと浮いていた。


 皿ほどの大きさの、薄い板だった。手で支えているわけでもないのに、子供たちの輪の真ん中で、くるくると回りながら、膝の高さに浮かんでいる。


 健司は、思わず足を止めた。


 糸も、風もない。それなのに、円盤はぶれることなく、同じ高さを保って回り続けている。こんな状況だというのに、研究者の頭が、どうやって浮いているのかを勝手に考えはじめていた。


 その気配に、子供たちがいっせいに振り返った。円盤が、ぽとりと地面に落ちた。


「あ、落ちた」


「おまえが急に来るからだぞ」


 いちばん大きな男の子が立ち上がり、健司をにらみつけた。日に焼けた顔に、生意気そうな目つきをしている。


「なんだよ、おっさん。ここは孤児院だぞ。食いもんなら、ないからな」


「ジャノ。お客さまに失礼でしょう」


 男の子の後ろから、女の子がぴしゃりと言った。ジャノと呼ばれた男の子が、口をとがらせる。


 健司は、乾いた唇を開いた。


「……ルルさんの、知り合いです」


 空気が、変わった。


 五人の顔から、表情が抜け落ちた。いちばん小さな男の子が、隣の女の子の服の裾をぎゅっとつかんだ。


「ルル姉ちゃんの?」


 小さな男の子が、震える声で言った。


「ねえ。ルル姉ちゃん、帰ってくる? 火あぶりになるって、ほんと?」


 健司は、答えられなかった。


 扉が、きしんで開いた。


「ノエ。泣かないの」


 出てきたのは、灰色の修道服を着た、小柄な老女だった。白いものの混じった髪を頭巾に包み、目尻に深いしわを刻んでいる。手には、木のお玉を持ったままだった。


「中にお入りなさい。ちょうど、スープが煮えたところです」


 老女は、健司の顔を見て、それから右の手首に目を落とした。


 その目が、わずかに見開かれた。


 ----------------


 孤児院の中は、外から見るよりもさらに狭かった。


 長い木の机がひとつと、壁ぎわに積み上げられた寝藁。奥のかまどで、鍋がことことと音を立てている。


 シスターは健司を机の端に座らせると、子供たちを表の菜園へ追い出した。それから、スープの椀とパンをひとつ、健司の前に置いた。


「そのリボン」


 向かいに腰を下ろして、シスターは静かに言った。


「わたしが、あの子に縫ってあげたものです。魔法学校に入る日に。襟元に結んで、よく似合うと言ったら、あの子、真っ赤になって」


 健司は、自分の右手首を見下ろした。


 色のあせた、赤いリボン。指の間でくしゃくしゃに潰れて、端がほつれかけている。


「あの子は、自分のものを人にあげる子ではありません。パンなら、いくらでも半分にしますけれど」


 シスターの目が、健司を見た。責める目ではなかった。ただ、じっと、健司の奥にあるものを見ようとしているようだった。


「あなたが、放免された方ですね」


 健司の喉が、ひくりと動いた。


 お触れは、もうスラムにまで届いているのだ。村を焼いた疑いをかけられ、魔力の砂で放免された男。その代わりに、ルルたちが死罪になった。


「……はい」


「そうですか」


 シスターは、それ以上は何も聞かなかった。


「冷めないうちに、お食べなさい」


 健司は、椀を見つめた。


 受け取れない、と思った。あの夜と同じように。自分には、そんな資格はない。


 けれど、そのとき、耳の奥で声がした。


 ご飯を食べるのに、資格なんていらないでしょう。


 だから、捨てさせないで。


 健司は、両手で椀を持ち上げた。


「……いただきます」


 スープは、あたたかかった。根菜と豆を煮込んだだけの、素朴な味だった。それなのに、塩気がちょうどよくて、体の芯までしみていく。


 スープもおいしいんだから。


 得意げに言ったルルの声を、思い出した。


 健司は、椀が空になるまで、顔を上げなかった。


 シスターは、その様子を黙って見ていた。


「あの子も、小さいころは、そうやって食べていました」


 ぽつりと、シスターが言った。


「誰にも取られないように、椀を抱えこんで。ひと口も、こぼさないように」


 人に頼みごとをするのは、昔から苦手だった。けれど、もう、迷っている時間はなかった。


「シスター」


 空の椀を置いて、健司は言った。


「ルルさんを、助けたいんです」


 シスターの手が、膝の上で小さく握られた。


「城の中に、入る方法を知りませんか。地下牢でも、どこでもいい。どんな細い道でもいいんです」


 シスターは、長いあいだ黙っていた。


 それから、ゆっくりと首を振った。


「わたしたちのような者が、お城の中のことなど、知るはずがありません」


 静かな声だった。


「知っていれば、とうに、わたしが行っています」


 シスターは、窓の外に目をやった。菜園の向こうで、子供たちの声がしている。


「あの子は、昔からそうでした。誰かがお腹を空かせていると、自分の分を差し出してしまう。誰かが疑われていると、自分のことのように怒る。……今度も、きっとそうなのでしょう」


 シスターは、それ以上は言わなかった。言わなくても、健司にはわかった。


 今度の誰かは、自分だった。


 ----------------


 孤児院の裏の、井戸の縁に腰かけて、健司はぼんやりと空を見上げていた。


 日は、もう高くなりはじめている。


 あと、二日半もない。


 城に入る道は、ない。誰も知らない。仮に入れたとして、自分に何ができる。魔力は、一般人程度。剣も使えない。


 力なら、ある。


 けれど、右手をかざそうとしただけで、指先が震えだす。白い光が、まぶたの裏で弾ける。


 健司は、膝の上で両手を握りしめた。


「おい、おっさん」


 声がして、顔を上げた。


 ジャノだった。後ろに、ほかの四人がくっついている。しっかり者らしい女の子と、さっき泣きそうになっていた小さな男の子。それに、男の子がもう二人。


「城に、忍びこみたいんだろ」


 健司は、目を見開いた。


「さっき、シスターと話してたの、聞いてた」


 ジャノは、悪びれもせずに言った。女の子が、ジャノの頭を小突く。


「コレット、いてえって」


「盗み聞きは、悪いことです」


 コレットと呼ばれた女の子は、つんとすましてから、健司に向き直った。


「でも、わたしたちも、ルル姉ちゃんを助けたいです」


 ジャノが、にやりと笑った。


「地下牢にさ、傭兵のおっさんがいるんだよ」


「傭兵?」


「うん。そいつが、すげえ話をしてくれるんだ」


「絵本みたいなお話なの」


 コレットが、ほんの少しだけ目を輝かせた。


「勇者さまが魔物の王さまをやっつけるお話とか、星の国まで旅をするお話とか」


「竜をやっつけるやつが、いちばんおもしろい」


 元気そうな男の子が、勢いこんで言った。


「ちがうよ、トマ。いちばんは、空を飛ぶお城のお話だよ」


 いちばん小さなノエが、むきになって言い返す。


「どっちでもいいだろ」


 ジャノが、二人の頭をまとめて押さえつけた。


 地下牢に、話をしてくれる傭兵がいる。


 健司は、その言葉を頭の中でくり返した。


 地下牢にいる人間から、話を聞いている。つまりこの子たちは、地下牢の誰かと、言葉を交わせる場所を知っているということだ。


 健司は、子供たちの顔を見回した。


 そのとき、ふと気づいた。子供たちの裸足の足元から、かすかに、湿った石と下水のにおいがする。路地のどぶとは違う、地面の下にこもったようなにおいだった。


「待って。どうして、地下牢にいる人のことを、君たちが知ってるんだ」


 子供たちが、顔を見合わせた。


 いちばんすばしっこそうな男の子が、にいっと口の端を上げた。


 ジャノが、腕を組んで胸を張る。


「教えてほしけりゃ」


 井戸の縁に、ジャノの足がどんと乗った。


「おれたちと、遊んでくれよ」



遊んでる暇はあったのかな……。


ブックマークしてもらえると嬉しいです。


2章以降は19時30分ごろ毎日更新予定です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。