↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『全能』  作者: 朝霧なぎ
1章 リジェクト
13/29

『全能』1章13話 三日目の昼(13)

『全能』第13話

 

 夜になっても、健司は城門の前を離れなかった。


 固く閉ざされた門扉の両脇で、松明が燃えている。槍を持った門番が二人、ときどき思い出したように健司のほうを見て、また前を向いた。追い払われないのは、相手にする価値もないと思われているからだろう。


 石畳に座りこんで、門を見上げる。


 もしかしたら、出てくるかもしれない。


 陛下が考えを改めて、隊の人たちが放免されるかもしれない。あの門が開いて、黒い帽子の小さな影が出てくるかもしれない。


 そんなはずがないことは、わかっていた。わかっていても、ここを離れられなかった。


 夜風が冷たかった。破れたスウェットの隙間から、熱を奪っていく。胸の焦げ跡が、脈を打つたびに疼いた。


 城壁の上の窓に、ぽつぽつと灯りがともっている。あのどこかに、ルルがいるのだろうか。それとも、もっと深い、灯りの届かない場所に。


 門番たちの話し声が、風に乗って聞こえてきた。


「三日後の火あぶり、見に行くか」


「百人も焼くとなりゃ、薪が足りるのかね」


 笑い声が、夜に溶けていった。


 健司は、両手を組んだ。


 祈る相手は、ひとりしか思いつかなかった。


 ちゃぶ台の上で胸を張っていた、調子のいい女神。なんでもできる力をあげる、と得意げに笑っていた顔。


 女神様。


 届くかどうかも、わからない。届いたとしても、あの女神に何ができるのかもわからない。それでも、祈らずにはいられなかった。


 どうか、あの子を。


 ルルさんを、助けてください。


 僕のせいなんです。全部、僕の。


 門の上で、松明がぱちりとはぜた。答えは、どこからも返ってこなかった。


 組んだ両手の上に、額を押しつける。右の手首で、赤いリボンが頬に触れた。


 まぶたが、重くなっていく。


 寝ちゃだめだ、と思った。その思いごと、意識がゆっくりと沈んでいった。


 ----------------


 揺れていた。


 ごとごとと、車輪が石を踏む音がする。檻の鉄格子越しに、乾いた荒野がゆっくりと流れていく。


 王都へ向かう、三日目の昼だった。


「隊長殿は、また罪人のお守りか」


 前を行く馬の上から、セザールの笑い声が降ってきた。


 檻を積んだ荷馬車の御者台には、ルルが座っていた。手綱を握る兵士の隣で、膝の上に分厚い本を広げている。


「見張りです。罪人から目を離すわけにはいきませんから」


 ルルは、本から目を上げずに答えた。セザールは鼻を鳴らして、馬を進めていった。


 蹄の音が遠ざかると、ルルはぱたんと本を閉じて、御者台からくるりと振り返った。


「行った?」


「……行きました」


「よし」


 ルルは御者台の背もたれに頬杖をついて、鉄格子の中をのぞきこんだ。手綱を握る兵士は、聞こえないふりをして前だけを見ている。檻の見張りをしてくれた、あの若い兵士だった。


「ねえ、ケンジさん。昨日の続き、聞かせて。ケンジさんのいたところでは、空を飛ぶ鉄の箱があるんでしょう」


「飛行機、ですか」


「ひこうき」


 ルルは、確かめるように繰り返した。


「それも、説明すれば動くの?」


「説明は、いらないです。そういうふうに作ってあるので」


「ふうん。説明しないと動かない力と、説明しなくても動く箱。変なの」


 ルルは、楽しそうに笑った。


 この三日、ずっとこうだった。ルルは暇さえあれば御者台に座り、健司の話を聞きたがった。日本のこと。研究のこと。論文と、査読と、なかなか通らない書類のこと。健司が話すことは、どれもルルにとっては知らないことばかりらしかった。


 査読の話をしたときだけ、ルルは珍しく眉を寄せた。


「いっしょうけんめい説明しても、わかってもらえないの? 何回も?」


「何回も、です」


「……ケンジさんのいたところも、大変なんだね」


 あの夜と同じ言葉だった。健司は、なぜかそれが少しだけうれしかった。


「ルルさんは」


 健司は、ずっと聞きたかったことを口にした。


「どうして、あの夜、ご飯を持ってきてくれたんですか」


 ルルは、少しだけ黙った。


 それから、荒野の向こうに目をやった。


「わたしね、孤児院の前に捨てられてたんだって」


 さらりとした口調だった。


「王都の南のスラムの、ちっちゃな孤児院。生まれたばかりで、布にくるまれて、扉の前に置かれてたらしいの。持ってたのは、ルイーズって名前を縫いつけた布切れ一枚だけ」


 ルルは、自分の手のひらを眺めた。


「シスターがひとりと、うるさい子たちがいっぱいいてね。みんな、いつもお腹を空かせてた。パンがひとつ消えると、大騒ぎになるの。そういうとき、真っ先に疑われるのは、だいたいわたしだった」


「どうして」


「さあ。目つきが悪かったからかな」


 ルルは、冗談めかして肩をすくめた。


「わたし、やってないって言ったんだけどね。何回言っても、だめだった。誰も聞いてくれない。言えば言うほど、嘘つきって言われる。そのうち、何も言わなくなった」


 健司は、黙って聞いていた。


 説明しようとすればするほど、言葉が出てこなくなる。その感覚を、健司は知っていた。


「でも、シスターだけは違った。わたしの話を、最後まで聞いてくれた。それで、パンを半分ちぎって、わたしにくれたの。お腹が空いてるなら、そう言いなさいって」


 ルルは、小さく笑った。


「だから、かな。お腹を空かせてる人を見ると、パンを半分あげたくなるの。それだけ」


 ----------------


「魔法は、いつから」


「十歳のとき」


 ルルは、指を折って数えた。


「孤児院の裏で、ちっちゃい子が井戸に落ちかけたの。とっさに手を伸ばしたら、水がぶわって持ち上がって、その子を押し戻しちゃった。それを、たまたま通りかかった魔法学校の先生が見てたんだって」


「それで、学校に」


「うん。スラムから魔法学校に入ったのは、わたしが初めてだったみたい」


 ルルは、膝の上の本を撫でた。古びた革の表紙。余白には、細かな書き込みがびっしりと並んでいる。


「学校の図書室がね、すごかったの。天井まで本がぎっしり詰まってて。わたし、毎日そこに通って、片っぱしから読んだ。火の本も、水の本も、雷の本も、全部。先生には、ひとつに絞りなさいって何度も言われたけど」


「絞らなかったんですか」


「だって、どれも面白かったんだもん」


 ルルは、子供みたいに口をとがらせた。


「火の本を読むと、水のことも知りたくなる。水のことがわかると、風が気になる。ひとつだけなんて、選べなかった。そしたら、全部ちょっとずつ使えるようになってた。首席で卒業できたのも、たぶん本のおかげ」


 健司は、思わず小さく笑った。


 わからないことがあると、知りたくなる。ひとつわかると、次が気になる。研究室にいたころの自分と、同じだった。


「ケンジさんも、そうでしょ」


 ルルが、健司の顔をのぞきこんだ。


「話してるとき、ときどき、すごく楽しそうな顔する。研究の話のとき」


 健司は、答えに詰まった。


 そんな顔をしていたなんて、自分では気づかなかった。あの村が燃えてから、自分が何かを楽しそうに話すことなど、もう二度とないと思っていた。


 荷馬車が、大きく揺れた。


 健司は、鉄格子をつかんだまま、しばらく黙っていた。


 それから、もうひとつ、聞きたかったことを口にした。


「ルルさんは、どうして、僕を信じてくれるんですか。僕は、村を焼いたって、自分で言ったのに」


 ルルは、すぐには答えなかった。


 荒野を渡る風が、ルルの長い髪を揺らした。葡萄酒のような赤紫が、日差しの中できらきらと光った。


「スラムでね、たくさん悪い人も見てきたの」


 静かな声だった。


「嘘をつく人。人のものを平気で盗る人。笑いながら、誰かを踏みつける人。そういう人の目は、なんとなくわかるようになった」


 ルルは、鉄格子越しに、まっすぐ健司の目を見た。


 金色の瞳だった。


「だから、あなたが本当に悪い人だとは、思えないの」


 健司は、何も言えなかった。


 喉の奥が熱くなって、言葉の代わりに、鉄格子を握る手に力がこもった。


「……あ、でも、勘違いしないでね」


 ルルが、急に慌てたように付け足した。


「村のことを許したわけじゃないよ。ちゃんと、わかるまで聞かせてもらうから。王都に着いたら、王様の前で、本当のことを全部話すんでしょう?」


「……はい」


 健司は、うなずいた。


「話します。全部」


 ルルは、満足そうに笑った。


「それでね、もし放免になったら。行くところ、ないでしょう」


 ルルは、道の先を指さした。


「王都の南のスラムに、さっき話した孤児院があるの。ルルの知り合いだって言えば、シスターがパンくらいはくれるよ。スープもおいしいんだから。アネットさんのには負けるかもしれないけど」


 健司は、目を見開いた。


 アネットの名前を、この子に話したのは、一度きりだったはずだ。


「約束ね」


 ----------------


 冷たい石の感触で、目が覚めた。


 空が、白みはじめていた。いつの間にか、城門の前の石畳に横たわって眠っていたらしい。体じゅうが、こわばって痛んだ。


 城門は、閉ざされたままだった。


 門番が、交代していた。新しい門番は、健司のほうを見もしなかった。


 誰も、出てこなかった。


 健司は、ゆっくりと体を起こした。


 約束ね。


 夢の中のルルの声が、まだ耳に残っていた。


 全部話しますと、うなずいた。その二日後に、自分は女神の前で、やっていませんと言った。


 健司は、右の手首のリボンを握りしめた。


 あと、二日。


 二日後の日没に、ルルは火に焼かれる。あの若い兵士も。隊の百人も。自分がついた嘘のせいで。


 ここで座りこんでいても、門は開かない。


 健司は、震える膝に手をついて立ち上がった。


 王都の南のスラムの、ちっちゃな孤児院。


 シスターがひとりと、うるさい子たちがいっぱい。


 ルルの知り合いだって言えば。


 パンをもらいに行くつもりはなかった。どこに行けばいいのかなんて、わからなかった。何ができるのかも、わからなかった。それでも、この王都で思い浮かぶ場所は、そこしかなかった。


 ルルが育った場所。ルルを知っている人が、いる場所。


 朝もやの中、健司は城に背を向けて、南へ歩きだした。


城門の前で一夜を過ごし、夢でルルとの会話を思い出しました。


スラムの孤児院へ向かう決心をしましたね。


ブックマーク、よろしくお願いします。


2章以降は19時30分ごろ毎日更新予定です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。