『全能』1章12話 聖王の問い(12)
『全能』第12話
「お、お待ちください、陛下」
最初に声を上げたのは、ガスパールだった。片膝をついたまま、顔だけを玉座に向けている。その額に、汗がにじんでいた。
「我らは、誓って偽りなど申しておりません。火柱を見て駆けつけたとき、焼け跡にいたのは、この男ただ一人で」
「火柱を見て、駆けつけた」
フィリベール四世が、ガスパールの言葉をなぞった。
「汝は、そう申したな。火柱は、いつ見た」
「……夜に、ございます」
「汝は、こうも申した。この者は、村の者の墓まで掘っていた、と」
聖王の目が、健司の手に落ちた。割れた爪に、黒い血がこびりついている。
「焼けて固まった土を、素手で掘ったのだ。半日はかかろう。火柱が見えるほど近くにいながら、汝らは、その墓ができるまで着かなかった。それを、駆けつけたと申したか」
ガスパールの口が、半開きのまま止まった。
壁ぎわの貴族たちが、ざわりと揺れた。さっきまで健司に向いていた視線が、潮が引くように、膝をついた五人のほうへ流れていく。誓い破り、と誰かがささやいた。
「砂は、嘘をつかぬ。この者に、村を焼く力はない」
玉座の上から、ゆっくりと声が降ってくる。怒鳴り声ではなかった。それなのに、ひと言ごとに、広間の空気が重くなっていく。
「汝らは王と女神に誓い、この者が魔法で村を滅ぼしたと述べた。それは、偽りであった。そして、あの荒野で村ひとつを消し去るだけの力を持っていた者は、汝らの隊のほかにはおらぬ」
広間が、凍りついた。
「ち、違う」
セザールが、膝をついたまま後ずさった。いつもの軽薄な笑みは、どこにもなかった。
「おれたちじゃない。おれたちに、あんなことができるもんか」
「そうよ」
ソランジュが、扇を握りしめて立ち上がった。白い指が、震えている。
「わたくしたちの力は、陛下もご存じのはず。あの砂を見たでしょう。あれだけの力を持っているのは」
ソランジュの目が、ルルに向いた。
「隊長殿よ。あの小娘しかいないわ」
「そうだ」
ガスパールが、かすれた声で続いた。
「六割の力を持つのは、隊長殿ただ一人です。あの夜、隊長殿は隊列の後ろで、ひとり荷馬車に乗っておられた。何をしていたのか、我らは誰も見ておりません」
「ええ、ええ。わたくしたちは、隊長のお言いつけに従っていただけですもの」
コラリーが、胸の前で両手を握りしめてうなずいた。
ロドルフだけが、何も言わなかった。膝をついたまま、床の一点を見つめていた。
健司は、耳を疑った。
焼け跡で、ルルを小娘と呼んで笑っていた男だった。荷物と一緒に荷台へ追いやっていた連中だった。それが今、ルルひとりにすべてを押しつけようとしている。
いや。
押しつけているのは、自分だ。
自分が嘘をついたから、ルルはここに立たされている。自分が本当のことを言っていれば、誰もルルを疑ったりしなかった。
ルルは、何も言わなかった。証人の位置に立ったまま、身じろぎもしなかった。黒い帽子のつばが、七色の光の中で、小さな影を落としていた。
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「隊の罪は、隊長の罪」
フィリベール四世が、短く言った。
「隊長の罪は、隊の罪だ。誰の手であったかは、もはや問わぬ」
玉座の上で、聖王が背筋を伸ばした。
「判決を言い渡す」
その言葉が、健司の胸を貫いた。
ルルが、裁かれる。
自分が焼いた村のことで。自分がついた嘘のせいで。
もう一回、嘘をつくのか。黙っているのか。今度もまた、口が勝手に違う言葉を吐くのか。
右の手首で、赤いリボンが揺れた。
冷めた豆のスープ。半分にちぎったパン。これは、ただの水。魔法じゃないよ。鉄格子の隙間から重ねられた、小さな手のあたたかさ。
大変だったね。
あの夜、この子は、自分の話を最後まで聞いてくれた。わからない、と言いながら。
違う。
もう、違う。
「待ってください!」
声が、出た。
今度は、喉が凍りつかなかった。
「僕が、やりました! 僕が、あの村を焼いたんです!」
広間じゅうの目が、健司に向いた。
「ルルさんは関係ない! 中隊長たちでもない! 僕なんです! 僕が、火を」
一瞬、しんと静まった。
そして、誰かが笑った。
「庇っているのだ」
壁ぎわの貴族だった。
「あの隊長を庇っているのだろう。焼け跡で拾ってもらった恩でも感じたか」
「今さら何を」
「魔法の砂時計が証明したではないか。この男には、何の力もない」
笑い声が、さざ波のように広がっていく。
「違うんです、本当に」
健司は、鎖を鳴らして身を乗り出した。両脇の兵士が、肩を押さえつける。
「僕がやったんです! 僕が!」
叫べば叫ぶほど、笑い声は大きくなった。
「見苦しいな」
「隊長に情でも移ったか」
玉座の一段下で、白ひげのクレメンスが、痛ましそうに首を振った。
「哀れな。恐ろしい目に遭って、心が乱れているのでしょう」
セウェリヌスが、冷ややかに健司を見下ろした。
「汝は先ほど、王と女神の御前で誓い、やっていないと述べた。砂も、それを示した」
乾いた声が、健司の言葉を一つずつ削ぎ落としていく。
「今の言葉がまことならば、汝は誓いを破った者だ。先ほどの言葉がまことならば、今の言葉が偽りだ。いずれにせよ、汝の言葉には、もはや何の重みもない」
健司は、口を開けたまま、動けなくなった。
何の重みもない。
そうだ。そのとおりだった。
女神の前で嘘をついたのは、自分だ。自分で、自分の言葉を殺したのだ。本当のことを言おうとした、今になって。
健司は、ルルの背中を見た。
ルルは、振り向かなかった。
ウィギリウスだけが、笑っていなかった。灰色の目が、じっと健司を見ていた。何かを見定めようとするように。けれど、その口は開かなかった。
「もうよい」
フィリベール四世が、片手を上げた。笑い声が、すっと消えた。
「タニムラ・ケンジ。汝に罪はない。放免とする。城から出せ」
「待って」
「隊長ルイーズ、ならびに、その隊の百名。中隊長五名も、むろん例外ではない。王と女神への誓いを破った罪、そして村ひとつを滅ぼした罪により、全員を死罪とする」
怒りのない声だった。むろん、のひと言だけが、かすかに軽く聞こえた。
悲鳴が上がった。ソランジュだった。ガスパールが何か叫びながら立ち上がり、衛兵に押さえつけられた。コラリーの顔から、あの穏やかな微笑みが、はがれ落ちるように消えた。セザールは、床に手をついたまま動かなかった。ロドルフは、ただ黙って目を閉じていた。
壁ぎわでは、貴族たちが顔を見合わせていた。フランベル、ブリゼール、と、五つの家の名を口の中で数えている者がいた。
「村を焼いた罪は、火をもって贖う。三日後の日没、広場にて、火刑に処す」
隊の百名。
その言葉に、健司の頭の中で、ひとつの顔が浮かんだ。
檻の前で、くるりと背を向けた若い兵士。自分は、何も見ていません。交代の時間まで、ここで星を数えています。
あの兵士も、百名のうちのひとりだった。
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ばかみたい。
ルルは、玉座を見上げたまま、そう思った。
三日後の日没。火刑。
自分の名前が呼ばれたとき、驚きはなかった。砂に手をかざしたときから、こうなることはわかっていた。
わかっていて、やった。
もう一回だけ人を信じてみよう、なんて。そんな柄にもないことを考えたら、このざまだ。
わたしだけなら、まだよかった。
隊の百人。荷馬車まで走って知らせに来てくれて、檻の前では黙って背を向けてくれた、あの子も。みんな、わたしがひとりで決めたことに、巻きこまれてしまった。
隊長なのに。名前ばかりの隊長でも、隊長なのに。
ほんと、ばかみたい。
背中のほうで、あの人の声がしている。僕がやりました、と。何度も、何度も。誰も聞いていないのに。
遅いよ。
今さら言ったって、もう誰も信じてくれない。そんなの、わたしがいちばんよく知ってる。一度でも嘘をついた人の言葉なんて、誰も聞いてくれないんだから。
それなのに、なんで、今になって。
なんで、わたしなんかのために。
胸の奥が、きゅっと痛んだ。
ばかみたい。
あの人も。
それに、わたしも。
ルルは、最後まで振り返らなかった。振り返ったら、顔に何かが出てしまいそうだった。
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城門の外へ、健司は放り出された。
両脇を抱えていた兵士が、鎖を外して手を離す。足に力が入らず、そのまま石畳に膝をついた。背後で、重たい門扉が音を立てて閉ざされた。
最後まで、何度叫んだのかわからない。僕がやりました。僕なんです。ルルさんは関係ない。喉が裂けるほど叫んで、引きずられて、誰ひとり振り向かなかった。
ルルも、振り向かなかった。
日が、傾きはじめていた。城壁の影が、長く石畳に伸びている。
通りを行き交う人々が、ちらりと健司を見て、すぐに目をそらした。誰も、足を止めなかった。昼間、檻に石を投げた人たちも、鎖を外された今の健司が誰なのか、わからないようだった。
広場のほうから、鐘の音と、張りあげた声が聞こえてきた。
「お触れである! 東の村を焼いた隊の者ども、隊長以下百と一名! 三日後の日没、中央広場にて火刑に処す!」
どよめきが起こった。火あぶりだ、と誰かが叫び、何人かが手を叩いた。
健司は、耳をふさぐこともできなかった。
ふと、自分の手を見下ろした。
鎖の痕が、赤く残っている。左の手首には、汚れたハンカチ。右の手首には、色のあせた赤いリボン。
なぜ、あのとき、はいと言えなかったのか。
答えは、たぶんわかっていた。わかっていて、まだ、自分に向かって言うことができなかった。
どうすればいい。
誰に言えば、信じてもらえる。女神の前で嘘をついた男の言葉を、いったい誰が。
力なら、ある。
そう思った瞬間、まぶたの裏で、あの白い光が弾けた。夜空に噴き上がる炎の柱。触れただけで崩れた、白い欠片。右手が、勝手に震えだした。
健司は、震える右手を左手で押さえつけた。リボンが、指の間でくしゃりと潰れた。
三日後の日没。
ちょうど、今くらいの時間だろうか。
城壁の向こうに沈んでいく夕日を、健司はただ、見つめていた。
人間は醜いですね。
健司は本当のことを叫びますが、誰も信じません。
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