『全能』1章11話 落ちる砂(11)
『全能』第11話
広間が、ざわめきに満ちていた。
「やっていない、だと」
「あれだけのことをしておいて」
「女神の御前で、よくも」
貴族たちの声が、四方から降ってくる。どれも、健司を指さしていた。
ガスパールが、ゆっくりと首を振った。
「見苦しい。焼け跡でひとり墓を掘っていた男が、今さら何を」
セザールが、喉の奥でくっくっと笑った。コラリーは、まあ、と小さく声を漏らして口元を押さえた。
健司は、床に膝をついたまま動けなかった。
やって、いません。
自分の声が、まだ耳の奥に残っていた。右の手首で、赤いリボンが小さく揺れている。それを見ないように、健司は床の石の継ぎ目だけを見つめた。
違うんです。僕がやりました。
そのひと言を言うだけでいい。わかっているのに、喉が凍りついたように動かない。
玉座の一段下で、白ひげのクレメンスが、悲しそうに目を伏せた。
「では、問う」
セウェリヌスの乾いた声が、ざわめきを切り裂いた。
「汝がやっていないのならば、誰があの村を焼いた」
健司は、答えられなかった。
「重ねて告げておく。王と女神の御前で偽りを述べた者は、誓いを破った者として裁かれる。誓い破りの罪は、村を焼いた罪よりも重い」
セウェリヌスの目が、健司を射抜いた。
「今ならば、まだ言い直すことができる」
言い直せる。
今、口を開けば。たったひと言で。
健司は、唇を動かそうとした。乾いた唇が、わずかに震えただけだった。声は、出てこなかった。
セウェリヌスは、それ以上は待たなかった。
「申し上げます」
小さな声が、広間に通った。
健司の背筋が、こわばった。
ルルだった。証人の位置から、一歩前に出ている。
言われる。
健司は、そう思った。
あの夜のことを。鉄格子越しに、自分が何を話したのかを。この子は嘘をつかない。誓いを立てた以上、聞いたことをそのまま話すだろう。それで、いい。そうされて当然だった。
健司は、目を閉じた。
「この人からは、村をひとつ滅ぼすほどの魔力を、感じません」
健司は、目を開けた。
ルルは、玉座をまっすぐに見上げていた。健司のほうは、一度も見なかった。
「砂を溶かし、鉄を溶かすほどの火を出せる魔法使いなら、近くにいれば必ずわかります。この人からは、それがまったく感じられません。わたしが感じたのは、それだけです」
それだけです、とルルは言った。
あの夜のことは、何ひとつ言わなかった。
「隊長」
玉座から、フィリベール四世の声が落ちた。
「汝は、この者を庇っているのか」
「いいえ」
ルルの答えには、ためらいがなかった。
「わたしは、感じたことを申し上げているだけです。庇うつもりなら、もっと上手な言い方をいたします」
壁ぎわの貴族の誰かが、思わず小さく吹き出した。フィリベール四世の口元が、ほんのわずかに動いたように見えた。
健司には、わからなかった。
なぜ、この子は言わないのだろう。言えば、すべてが終わるのに。自分は嘘つきとして裁かれて、それで当然なのに。
ルルの横顔からは、何も読み取れなかった。
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「隊長殿」
ガスパールが、苛立ったように声を上げた。
「魔力を隠す術など、いくらでもある。焼け跡でも、そう申し上げたはずだ」
「スラムの子は、情に厚いこと」
ソランジュが、扇の陰で薄く笑った。
「七色の賢者様の勘、ってやつか」
セザールが肩をすくめると、壁ぎわの貴族たちから、またくすくすと笑い声が漏れた。
ガスパールが、玉座に向き直って片膝をついた。
「陛下。我ら五人は、王と女神に誓って申し上げました。家の名にかけた五つの誓いと、隊長殿ひとりの勘と。どちらを重んじるべきかは、明らかかと存じます」
ほかの四人も、ガスパールに倣って膝をついた。ロドルフだけが、ほんの一拍、遅れた。
ルルは、何も言い返さなかった。ただ、玉座を見上げたまま、立っていた。
玉座の上で、フィリベール四世が、ゆっくりと指を組んだ。
「隠しているのか、いないのか」
低い声が、笑い声を押しつぶした。
「誓いの重さを比べるのは、女神のなさることだ。余のすることではない。言い合っていても、らちが明かぬ。測ればよかろう」
広間が、しんと静まった。
「ウィギリウス。計測器を」
いちばん端に立っていた若い審問官が、無言で一礼した。
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運び込まれたのは、巨大な砂時計だった。
四人がかりで台車を押して、ようやく広間の中央まで運ばれてくる。健司の背丈の倍はあった。壁ぎわの貴族たちが、身を乗り出してそれを見た。
透きとおった硝子のふくらみがふたつ、細いくびれでつながっている。上のふくらみには銀色に光る細かな砂がぎっしりと詰まっていて、その硝子には、細い線が十本、等しい間隔で刻まれていた。
ウィギリウスが、砂時計の横に立った。
「魔力計測器です。くびれに手をかざせば、その者の魔力に応じて、砂が下へ落ちます」
淡々とした声だった。
「目盛りは十。かつて、賢者の方々が手をかざしたとき、砂は一粒残らず落ちきったと伝えられています。魔法学校の首席でも、四つめの目盛りに届けば誉れとされます」
灰色の目が、ちらりとガスパールのほうへ流れた。
「人の目から魔力を隠す術は、たしかにございます。けれど、この砂からは、何ものも隠せません」
それから、灰色の目が健司を見た。
「砂は、嘘をつきません」
健司は、両脇を兵士につかまれて、砂時計の前に引き立てられた。
鎖が、じゃらりと鳴る。
「手を」
言われるままに、右手を上げた。リボンを巻いた手首が、硝子のくびれの前で小さく震えた。
硝子は、ひやりと冷たかった。手のひらの真ん中から、何かがほんのわずかに吸い出されていくような、不思議な感触があった。
砂が、動いた。
さらり、と。
ほんのひとつまみの銀色の粒が、くびれを抜けて、下のふくらみへと落ちていった。
それきりだった。
上のふくらみの砂は、ほとんど減っていない。下のふくらみの底に、薄い銀色の膜ができただけだった。
広間が、静まりかえった。
健司は、落ちた砂を見つめていた。
砂は、嘘をつかない。
たしかに、そうなのだろう。自分の魔力は、本当にこれだけしかない。この世界に生まれた人なら誰でも持っているくらいの、ほんのわずかな力。
けれど、あの夜に使ったのは、自分の魔力ではなかった。
『全能』は、この砂には映らない。
健司はそれを知っていた。知っていて、黙っていた。
「壊れている」
最初に声を上げたのは、ガスパールだった。
「そんなはずがない。その計測器は壊れている」
「そうよ、壊れているのよ」
「古い道具だからな」
中隊長たちの声に、貴族たちのざわめきが重なっていく。壊れている。壊れている。そうでなければ、おかしい。
健司は、黙っていた。
何も言わずに、ただ、自分の嘘が少しずつ本当にされていくのを、見ていた。
ふと、気づいた。
この広間で、砂に映らない力があると知っているのは、自分だけではない。
あの夜、鉄格子越しに、全部話した。女神のことも、『全能』のことも、マナのことも。よくわからない、とルルは言った。それでも、聞いてくれた。
ルルは、知っている。この砂が、すべてを映すわけではないことを。
それでも、ルルは何も言わなかった。証人の位置に立ったまま、まっすぐに前を見ていた。
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「では、壊れているかどうか、確かめましょう」
ウィギリウスの声は、少しも揺れていなかった。
「どなたか、手を」
「隊長」
玉座から、声が落ちた。
「汝が示せ」
ルルが、砂時計の前に進み出た。
健司の横を通り過ぎるとき、黒いローブの裾が、かすかに健司の膝に触れた。ルルは、こちらを見なかった。
小さな手が、硝子のくびれの前にかざされた。
次の瞬間、砂が、なだれ落ちた。
さらさらという音ではなかった。ざあっと、雨が屋根を叩くような音だった。銀色の奔流がくびれを駆け抜け、下のふくらみをみるみる満たしていく。
ひとつめの目盛り。ふたつめ。みっつめ。
誰かが、息をのむ音がした。
四つめの目盛りを、砂はやすやすと越えた。魔法学校の首席でも、届けば誉れとされる線を。
五つめ。
ガスパールの顔から、表情が消えていった。セザールの口元から、笑みが落ちた。ソランジュの扇が、宙で止まった。コラリーの胸の前で合わされていた両手が、ほどけた。
六つめ。
そこで、砂は止まった。
ルルは、静かに手を下ろした。
「……六割」
壁ぎわの貴族の誰かが、かすれた声でつぶやいた。
「七色の賢者などと……あれは、ただの呼び名では」
その先を、誰も続けなかった。
健司は、ルルの小さな背中を見つめた。
荷物と一緒に、荷台で丸くなって眠っていた少女。中隊長たちに隊長殿と呼ばれ、笑われていた少女。その少女の力は、きっと、あの五人の誰よりも上にあった。
広間は、物音ひとつしなかった。七色の硝子を通した光だけが、砂時計の中の銀色の砂を照らしていた。
健司は、中隊長たちの列を見た。
誰もが、凍りついたように砂時計を見つめていた。ただひとり、ロドルフだけが、まるで最初からわかっていたかのように、静かにルルの背中を見ていた。
計測器は、壊れていなかった。
砂は、嘘をつかない。
ならば、あの焼け跡で、村をひとつ消し去れるほどの魔法を使えたのは、誰なのか。
中隊長たちが、互いの顔を見交わした。ガスパールが何か言おうと口を開き、そのまま閉じた。セザールが、乾いた唇をなめた。
誰も、何も言わなかった。
玉座の上で、フィリベール四世が、ゆっくりと身を乗り出した。
その視線が、健司を通り過ぎた。ルルを通り過ぎた。
そして、五人の中隊長の上で、止まった。
「中隊長たち」
低い声が、高い天井に響いた。
「どういうことだ?」
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どういうことだ、という声を聞きながら、ルルは自分の手のひらを見下ろしていた。
硝子にかざしていた手には、まだかすかな痺れが残っている。
六割。
砂がどこまで落ちるかなんて、測る前からわかっていた。わかっていて、手をかざした。
砂は、あの人には村を焼く力がないことを示した。そして同時に、わたしにはそれがあることも。
陛下が次に何を考えるのか、ルルにはもうわかっていた。
……ばかみたい。
本当に、ばかみたいだと思う。
あの人は、嘘をついた。王と女神の前で、わたしの目の前で。僕がやりました、と泣いたのと同じ口で、やっていません、と言った。
それなのに、わたしはあの夜のことを言わなかった。
言えば、それで終わっていた。あの人は嘘つきとして裁かれて、わたしたちは何も疑われずに済んだ。いつものように笑われて、いつものように荷台に戻るだけだった。
でも、言えなかった。
あの話は、あの人がわたしにだけ預けた話だ。わたしが勝手に、ほかの誰かへ渡していいものじゃない。
それに。
嘘をついたあとの、あの人の顔。
真っ青になって、震えて、床に落ちた光だけを見つめていた。うまく嘘をつけた人の顔じゃなかった。自分の口から出た言葉に、自分がいちばん傷ついている顔だった。
あの顔を、ルルは知っていた。
ひとりきりで、知らない大人たちに囲まれて。何を言っても、信じてもらえなくて。説明しようとすればするほど、言葉が出てこなくなって。悪いのはおまえだと、最初から決められていて。
スラムにいたころの、自分だった。
あのころ、誰かひとりでいい、最後まで話を聞いてくれる人がいたら。
そう思ったことを、ルルはまだ覚えている。
わたしなんかに、本当のことを話してくれる人なんて、いない。最後まで裏切らずにいてくれる人なんて、いるはずがない。
わかってる。わかってるけど。
もう一回だけ。
もう一回だけ、信じてみたくなってしまった。
ばかだな、わたし。
ルルは、まだ痺れの残る手のひらを、そっと握りしめた。
砂時計で魔力が測られます。
心の中でも砂時計の砂は落ちていきます。
ブックマーク、よろしくお願いします。
2章以降は19時30分ごろ毎日更新予定です。




