『全能』1章10話 宣誓(10)
『全能』第10話
王都に着いたのは、五日後の昼だった。
その五日間のことを、健司はあとになって何度も思い出すことになる。揺れる檻の中で、鉄格子越しにルルと交わした、いくつかの言葉を。
檻を積んだ荷馬車が、城門をくぐった。
石畳の大通りの両側に、人が集まっていた。誰が言いふらしたのか、村をひとつ焼いた男が運ばれてくるという話は、隊列より先に王都に届いていたらしい。
「あれか」
「人殺し」
「火あぶりにしろ」
罵声と一緒に、小石が飛んできた。鉄格子に当たって、乾いた音を立てる。ひとつが額をかすめて、生ぬるいものが頬を伝った。
人垣の前のほうに、小さな女の子がいた。ニナと同じくらいの年だった。母親らしい女に背中を押されて、女の子は足元の石を拾い、精いっぱいの力でこちらへ投げた。
石は、檻まで届かずに、石畳を転がった。
女の子は、こわばった顔で健司をにらんでいた。村を焼く悪い人を見る目だった。
健司は、顔を伏せなかった。伏せる資格もないと思った。
左の手首には、汚れたハンカチ。右の手首には、色のあせた赤いリボン。鎖が揺れるたびに、それが視界の端でひらひらと動いた。
本当のことを話そう。
健司は、もう一度そう決めた。
あの夜、鉄格子越しにルルに話したように。王の前でも、女神の前でも、同じことを話す。僕がやりました、と。
それが、自分にできるたったひとつの償いのように思えた。
城の中庭で檻から引き出され、両脇を兵士に抱えられて長い回廊を歩かされた。
大きな扉の前で、黒い帽子の小さな背中が待っていた。
ルルは振り向かなかった。ただ、健司がすぐ後ろまで来たとき、前を向いたまま、小さく言った。
「ちゃんと、聞いてるから」
扉が、重たい音を立てて開いた。
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審判の間は、息が詰まるほど広かった。
天井は見上げるほど高く、七色の硝子をはめた窓から、色とりどりの光が床に落ちている。両側の壁ぎわには、着飾った貴族たちがずらりと並び、ひそひそと何かをささやき合っていた。
その光の真ん中に、健司は膝をつかされた。鎖が、石の床でじゃらりと鳴った。
正面の高い壇の上に、玉座があった。
そこに座る男を見た瞬間、健司は、自分が呼吸を止めていることに気づいた。
年の頃は、五十を過ぎたあたりだろうか。灰色のひげをたくわえ、深い緋色の衣をまとっている。体つきは大きくない。それなのに、男がそこに座っているだけで、広間じゅうの空気が男のほうへ傾いているように感じられた。
テルトロワ国王、フィリベール四世。人々が聖王と呼ぶ男だった。
玉座の背後の壁には、見上げるほど大きな女神の像が彫りこまれていた。七色の光が像の上を斜めに横切っていて、その顔立ちは、健司の位置からはよく見えなかった。
玉座の一段下には、白い衣をまとった三人の聖職者が並んでいた。
「審問官、クレメンス師。セウェリヌス師。ウィギリウス師」
式部官の声が、高い天井に響いた。名を呼ばれるたびに、三人はひとりずつ、わずかに頭を下げた。
いちばん端に立つ若い審問官だけが、頭を下げるあいだも、健司から目を離さなかった。
「これより、魔法裁判を執り行う」
眉間に深いしわを刻んだ痩せた審問官、セウェリヌスが、乾いた声で告げた。
「証人は、前へ」
健司の右手で、外套のすれる音がした。
ガスパールを先頭に、五人の中隊長が進み出た。旅の汚れを落とし、仕立てのいい外套で身を固めた五人は、あの焼け跡にいたときよりも、ずっと立派に見えた。
「王と女神の御前にて、真実のみを語ることを誓うか」
「誓います」
五人の声が、順に響いた。ロドルフの声だけが、ほかの四人よりも、ほんのわずかに低かった。
ガスパールが、一歩前に出た。
「申し上げます。我々は巡回の途中、東の荒野に火柱が上がるのを見ました。駆けつけたとき、村はすでに跡形もなく、砂は溶けてガラスとなり、鉄は溶けて垂れ下がっておりました。尋常の火ではありません」
ガスパールの声は、少しも揺らがなかった。
「その焼け跡に、ただ一人生き残っていたのが、この男です。この男は、村の者の墓まで掘っておりました。何が起きたのかを知る者でなければ、できぬことです」
ガスパールは、健司を見下ろした。
「この男が、魔法で村を滅ぼしました。我ら五人、王と女神に誓って、そう申し上げます」
貴族たちのささやきが、ひときわ大きくなった。コラリーが胸の前で手を合わせて痛ましそうに目を伏せ、セザールは退屈そうにあくびを噛み殺している。
健司は、何も言い返さなかった。
ガスパールの言葉に、嘘はなかった。少なくとも、いちばん大事なところには。村を焼いたのは、自分だ。
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「証人、ルイーズ。前へ」
ルルが、中隊長たちの列から少し離れた場所に進み出た。
黒いローブに、つばの広い帽子。白い襟元には、何も結ばれていない。
「王と女神の御前にて、真実のみを語ることを誓うか」
「誓います」
小さな声だった。けれど、あの焼け跡でそうだったように、広間の隅々までよく通った。
「わたしは、火が上がったとき、その場にいませんでした。見ていないことを、見たとは申し上げられません」
ルルは、まっすぐに玉座を見上げていた。
「村で何が起きたのか、この広間では、まだ誰も、この人の口から聞いていません。どうか、この人から事情をお聞きください。この人には、話さなければならないことがあります」
話さなければならないこと。
ルルは、それ以上は言わなかった。言えたはずのことを、何ひとつ言わなかった。
健司には、その意味がわかった。
あの夜の話を、ルルは自分の口からは言わないつもりなのだ。健司が、自分の口で話すのを待っている。
待つのは得意だから。
そう言った、ルルの声を思い出した。
「隊長殿は、罪人にずいぶんとお優しい」
セザールが小さくつぶやき、貴族たちの何人かが、くすくすと笑った。
玉座の上で、フィリベール四世がわずかに顎を動かした。それだけで、笑い声はぴたりとやんだ。
「隊長」
低く、よく響く声だった。
「汝は、この者が村を焼いたと思うか」
広間が、しんと静まった。
ルルは、ほんの一瞬だけ黙った。それから、玉座から目をそらさずに答えた。
「わかりません。だから、お聞きください」
フィリベール四世の目が、わずかに細められた。面白がっているのか、値踏みしているのか、健司にはわからなかった。
「よかろう。その者にも、誓わせよ」
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セウェリヌスが、健司の前に立った。
「被告人。名を名乗れ」
「……谷村、健司です」
「タニムラ・ケンジ。王と女神の御前にて、真実のみを語ることを誓うか」
舌が、ひどく重かった。
「……誓い、ます」
セウェリヌスは、表情ひとつ変えずにうなずいた。
「先に告げておく。村をひとつ焼いた罪は、火をもって贖う。罪が認められれば、汝は火刑に処される」
火刑。
その言葉が、耳の奥で鈍く響いた。
白い光。夜空に噴き上がる炎の柱。ガラスのように溶けた砂。触れただけで崩れた、白い欠片。
あの子は、熱かっただろうか。
「恐れることはない」
白ひげの老人、クレメンスが、柔らかな声で言った。
「女神は、真実を語る者を見捨てはしない。ありのままを話しなさい」
いちばん端の若い審問官、ウィギリウスの灰色の目が、じっと健司を見ていた。さっきから、一度もまばたきをしていないように見えた。
セウェリヌスが、問うた。
「タニムラ・ケンジ。汝が、この村を焼いたのか」
健司は、口を開いた。
はい、と言うつもりだった。
僕がやりました、と。あの夜、ルルに話したのと同じことを。
けれど、口を開いたとたん、喉の奥で何かがせり上がってきた。
焼ける皮膚のにおい。胸を跳ね上げる雷。頭を包む冷たい水。人垣の罵声。火あぶりにしろ。石を投げた女の子の、こわばった顔。
そして、白い光。
自分の体が、あの光の中に溶けていくところを、なぜかはっきりと思い浮かべてしまった。
息が、浅くなった。水の球に頭を包まれたときのように、喉の奥が勝手に閉じていく。吸っても吸っても、胸の底まで空気が届かない。
手首のリボンが、視界の端で揺れた。
「……やって、いません」
閉じかけた喉を、その言葉だけが、するりと抜けていった。
自分の声だった。
聞き間違いようもなく、自分の口から出た声だった。
違う。
そう言おうとしたのではない。言おうとしたのは、その反対の言葉だったはずだ。
それなのに、口はもう、閉じていた。
喉がひくついて、次の言葉が出てこない。取り消さなければ、と思うのに、舌が動かない。全身から、冷たい汗が噴き出した。
「やっていない、と申すか」
セウェリヌスの声が、遠くで聞こえた。
違うんです。
その一言が、どうしても出てこなかった。もう一度口を開けば、今度こそ本当のことを言えるはずなのに。口を開くのが、怖かった。開いたら、また違う言葉が出てくる気がした。
貴族たちが、ざわめいている。中隊長たちの誰かが、鼻で笑った。玉座の上から、重たい視線が降ってくる。
そのどれよりも、自分の右手の少し先にある、小さな黒い帽子のほうを見ることができなかった。
健司は、床に落ちた七色の光を、見つめることしかできなかった。
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ルルは、表情を変えなかった。
変えないことには、慣れていた。
まっすぐに玉座を見上げたまま、指先ひとつ動かさなかった。広間の誰ひとり、ルルの顔に何かを見つけることはできなかっただろう。
やって、いません。
その声が、耳の奥で何度も繰り返される。
あの夜、鉄格子の向こうで、この人は泣いていた。僕がやりました、と言った。この子にだけは聞いてほしかった、という顔をしていた。
あれは、何だったのだろう。
重ねた手の甲は、震えていた。泣いていた声も、ニナという名前を呼んだ声も、嘘には聞こえなかった。
だから、信じた。信じてみたいと、思ってしまった。
わかってたじゃない。
胸の奥で、誰かが小さく笑った。
わたしなんかに、本当のことを話してくれる人なんて、いない。最後まで裏切らずにいてくれる人なんて、いるはずがない。
ずっと、そうだったじゃない。
ルルは、無意識に襟元へ手をやりかけた。
そこにはもう、何も結ばれていなかった。
誰でも思ってることと違うことを言ってしまうこと。
ありますよね。
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