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番外編 クリスマスの奇跡 未来編

 クリスマスとは他世界の行事だ。

 しかし、人間界から引き上げてきた神々によって、天界十三世界にも取り入れられたその行事は、こちらの世界でも今や毎年恒例となっている。


 そんなもう珍しくもない行事で



「果竪うぅぅぅぅぅっ」

「にょほほほほほほほ」



 その日、凪帝国【皇宮】の大広場に飾られていたクリスマスツリーの飾りが全て大根になっていた。犯神はもちろん、果竪だ。色々とあって、元の世界に戻った彼女は、本来の体でこちらに来る事もあれば、時折カジュと体の中身を交代して来る事もあった。


 クリスマスツリー大根飾り事件の報告を受けた朱詩は、果竪と全力を尽くした追いかけっこを開始した。


「お前はっ」


 果竪は朱詩が投げつけるナイフを避けた。


「なんでっ」


 果竪は朱詩の放つ術をかわした。


「余計な事ばかりするんだよっ」


 朱詩のタックルは避けきれず、朱詩に足を掴まれながら綺麗に地面を滑っていった。数時間前に気合いを入れて清掃員達が掃除をしてくれていたので、それはもう綺麗に滑った。


「ぎゃああああっ!顔がっ!たいして良くもない顔が危機にっ」

「その体で言うなボケェっ」


 カジュの体を借りている分際で暴言をのたまう困ったちゃんに、朱詩は厳しくツッコミを入れた。


「筆頭書記官は良いよね!傷なんてすぐ治るし、むしろつかないしっ」

「ボクがその体質をどれだけ嫌悪してるか分かってての台詞か?ああっ?!」


 いつも蠱惑的で淫猥な空気を漂わす気怠げな佳神の紅く濡れた唇から出る暴言。朱詩の信崇者達からすれば、「空耳?!幻聴?!世界の終わり?!」と思うだろう。


 しかし、朱詩の側近ーーこの世界でも側近の元寵姫組である玲珠と柳はそんな事は思わなかった。むしろ、生温かい眼差しで彼らを見守った。


「緑には白!白には緑!素晴らしいコントラストでしょうが」

「クリスマスカラーは緑と赤だ!」

「緑と白だよ!雪のような白の中にこそ、緑のもみの木は映えるのです!」

「正直になれ、それ絶対に雪じゃなくて大根だろ、大根の白さだろ」

「凄い!言わずとも分かる仲なんだね、私達」

「分かりたくないよっ!少なくともお前とアイコンタクトで分かり合う仲なんて嫌だよ!何が悲しくてそんな仲にならなきゃならないんだよっ」


 朱詩はバンバンっと地面を激しく叩いた。そのせいで、地面の氷にヒビが入った。見た目と中身が一致しないギャップ萌え感激な力強さだった。


「だよね。筆頭書記官は小梅ちゃんと分かり合う仲になりたいけれどそれが出来ないヘタレ」

「死にさらせぇぇぇぇっ」

「にょほぉぉぉぉぉぉっ」


 頭を鷲づかみにして持ち上げられた果竪は、瀕死の金魚の様に足をばたつかせた。


「負けない!私負けない!この世界を大根で覆い尽くすまではっ」

「とっととくたばれ!」


 本気で殺りにかかっている朱詩に、ようやく玲珠と柳は慌てた様に主を宥めにかかった。いつもは冷静沈着でむしろ飄々とすらしている主の余裕の無さは新鮮さと同時に、ここまで主を動揺させられる少女に心の底から凄いと思ってしまう。


 と、そこに通りかかったのは


「果竪?!」


 余りの騒々しさに、車椅子をこぎながら様子を見に来た小梅がその光景に悲鳴を上げた。


「ふっ、やっぱり最初に名前を呼ばれるのは私」

「お前本気で五月蠅いわぁっ」


 にょぉぉぉぉぉぉっ!と更に頭に力を入れられた果竪が叫ぶ。というか、林檎を片手で握りつぶせる程の握力の朱詩の頭鷲づかみを未だに耐えている時点で、実は果竪もかなりの石頭なのかもしれない。





「あ~、本気で死ぬかと思った」

「なら朱詩を煽るのをやめなさいよ」


 危うく潰されかけた頭を両手で押さえる果竪に、やはり騒ぎを聞きつけてやってきた茨戯がツッコミを入れた。


「一大事って言うから駆けつけたアタシの中に渦巻くこの悲しさが分かる?そもそも、アタシを誰だと思ってんの?皇帝陛下直属筆頭影集団【海影】の長なのよ?それがなんだって、こんな事で」

「そうよね。クリスマスツリーに大根を飾るなんて普通の事よね!」

「そういう意味じゃないわよっ!とっとと元に戻しなさいっ」

「戻すべき場所が見つからない」


 胸を張った果竪に、少し離れた所で小梅に怒られていた朱詩の何かが切れた音を茨戯は聞いた。


「大根を外して頂戴」

「なっ?!大根とクリスマスツリーの愛溢れる仲を引き裂こうと言うの?!まさか悲恋好みっ?!」

「無機質の恋愛に興味はないわ」

「私としては、大根×クリスマスツリーがお勧めだけど」

「いいからとっとと大根外せって言ってんのよ!」



 スパパーンと、小気味よいハリセンの音が冬の空に木霊した。




「って感じで酷いんですよ、全く」

「そうですか、それは大変でしたね」


 よしよしと、果竪の頭を撫でるこの部屋の主ーー皇帝陛下。

 皇帝こと萩波は、まるでお転婆な妹を困りながらも愛しいといった兄の様な眼差しを向け、果竪の頭を優しくなで続ける。


 まるで兄妹の様な関係。


 宰相ーー明睡は、何といって良いか分からなかった。


「やっぱり皇帝陛下も大根とクリスマスツリーのコラボ押しだよね!」

「素敵だとは思いますが、今までにない物をいきなり取り入れるのは心情として難しいものがあります。少しずつ時間をかけて行なうべきかと」


 上手い言い回しだ。

 明睡は「やはり萩波は素晴らしい方だ」と心の中で大絶賛した。


「時には勢いも必要だよ」

「果竪はせっかちですね」


 そう言って優美な笑みを浮かべる萩波は、恐ろしいまでに魅力的で色っぽかった。それでいて、聖域に住まう深窓の巫女姫を思わせる気高さと気品に満ちていた。


 はっきりいって、そんな完璧な存在にくっつく果竪をお邪魔虫として見なす者達は多いがーー萩波大好きの明睡は引き離そうとはしなかった。中身さえ果竪でなければ、それはそれは望ましい光景だったから。


「ですが、そんな果竪も好きですよ」

「私も好きだよ」


 向こうの世界では自分の夫にすら告げない台詞を、こちらの萩波にはさらりと告げる果竪に明睡は何とも言えない気持ちになった。そういう台詞は自分の夫に言ってあげて欲しいと思うのは、無粋だろうか?いや、思わない。


「向こうの世界のクリスマスツリーは大根を飾るんですか?」

「凪国では飾ってる」


 正確には飾らしているだが、果竪は自らの意思で飾っているのだと信じて疑わない。


「それは素敵ですね」


 そう言ってやはり麗しい笑みを浮かべる萩波は、心優しき聖女の様だった。明睡は涙が流れそうになるのを必死に堪えた。


 その時である。

 扉が叩かれたのは。




 海国国王とその側近達の来訪を知らせる先触れから数時間後。

 海国ご一行が凪帝国の【皇宮】を訪れた。


「すっかり忘れてましたよ」

「忘れ……」


 二国間会議は、例え世間がクリスマスだろうがやる。それが仕事。


 世間がクリスマスでカップル達がキャッキャッウフフしていても、国を支える公僕達に休みはない。いや、決まっている休みはあるけれど、クリスマスが土日祝日にあたらない限りは仕事だ。


 なのに


「あ、海王陛下こんにちわ」


 凪帝国皇帝の傍には、果竪が居る。


 海国国王は暫くそんな二神を見つめた後ーー


「くたばれ!このリア充がっ」


 と、激しく凪帝国皇帝を罵った。力関係ありすぎの、しかも目上の相手にも関わらずにだ。


「なっ?!」

「くそっ!同じ、同じ独身仲間だと思ってたのにっ」


 実はこの世界、向こうの世界とは違い、国王や皇帝の正妃の座の空位率が結構高い。海国もそうだし、浩国もそうだし、泉国とか他の国もそうだ。【後宮】は持っているというのに。

 因みに、海国国王も向こうの世界同様に男妃達ばかりの【後宮】を持っている。しかし、その【後宮】が向こうの世界同様に世間で虐げられ被害にあっている男の娘達の保護施設で、保護の為に妃としているだけであるので、実際に夫婦生活はない。世間で既婚者として見られていようとも、ないもんはないのだーー特別な場合を除いては。


 だから、独身であるとのたまう海国国王。


 そしてやはり、【後宮】持ちで明燐という正妃が居る萩波も独身ではないが、本命の相手と結ばれていないという所では独身とされている。


 この世界での独身の定義は何か?と常々果竪は思うのだが、本神達やその周囲の者達が独身と言い張っているのだから、そこは突っ込まない方が良いのだろう。


「結婚すれば良いじゃん」

「良い相手が居ないんだよっ」


 果竪の最もな指摘に、海国国王陛下はそうのたまった。


「顔良し、頭良し、身分と地位良し、財産良しなのに結婚相手居ないの?」


 凪帝国には敵わずとも、海国は炎水界では大国に分類される。その王ともなれば、縁談なんて星の数ほどあるだろう。


 それは他の国の王達や皇帝達も同様だがーーそこは譲れない何かがあるらしい。


 とーー、海国国王がこちらをちらちらと見ている。美しい顔がほんのりと赤みをさしているが、それだけで凄まじい色香を放っていた。


「そ、その」

「はい?」

「あの、彼女は」


 彼女ーーそれが指し示すのは


「ああ、紅玉ちゃんなら来てないですよ」

「っーーべ、別に俺は」


 

 と言いつつ、海国国王はまるで恋に振り回される少年の様にオロオロとしていた。



 彼の心の中には、未だに紅玉のーー向こうの世界の海国国王の正妃の姿が深く刻まれているのだろう。



「……紅玉ちゃんは向こうの世界の海国国王の正妃ですよ」

「っーーそ、そんな事は分かってる!」


 この世界の海国国王には正妃は居ない。

 向こうの世界で海国国王の傍に寄り添う存在が、この世界の海国国王には居ないのだ。


 影も形も見えない。

 名前も、その存在すらも知らない。


 そんな中で、彼は出会ったのだ。


 向こうの世界の、海国国王の正妃に。

 向こうの世界の自分の傍で柔らかく微笑む彼女と、それを優しく愛おしそうに見つめる、向こうの世界の自分を見た。


 それは束の間の邂逅で。


 そして今も彼は忘れられないでいる。



 だが、それは彼だけではない。



(泉国と浩国と……色々と厄介な国は多いからなぁ)



 とりあえず、正妃がーー向こうの世界でそれぞれが妻としている女性と出会わず来ている者達が多いこの世界。


 そんな彼らが向こうの世界で自分達が既婚者でーー永遠の伴侶を得ていると知った時の、あの阿鼻叫喚は今でも忘れられない。


 というか



『向こうの世界ではちゃんと奥さん居ますよ、ベタボレの』



 と、言い放った挙げ句に



『あ、勝ち組って言うのかこれ』



 と、結論づけた果竪が実は彼らに大きな影響を与えているのだが、当の本神は全く気づかない。大切な所で鈍感な果竪だった。



「……いや、別に来てないなら良いんだ」



 海国国王は少しどころか、かなりしょんぼりとした様子で言った。その姿は、性別問わず誰しもが思わず抱きしめて慰めたいと思う程に悩ましく憂いを帯びたものだった。

 実際、海国側の面々は、そんな国王に酷く胸を締め付けられていた。



 ああ、奇跡でも起こらないものかーー



 その時、ヒュルルルルと何かが落ちてくる音が聞こえた。



「あ」



 それが、向こうの世界の海国王妃であると一番最初に気づいたのは、やはり愛のなせるワザかーーこちらの海国国王だった。





「で、本当は向こうの世界の朱詩が来る筈だったんだけど、術が失敗して紅玉ちゃんが飛ばされて」

「はい……」


 下手したら時空の狭間に飛ばされ彷徨う事になっていてもおかしくなかったが、幸いな事に行き先だけは大丈夫だった今回。

 因みにこれが失敗したのが、泉国と浩国王妃の例だ。あの時は色々と大変で、果竪もこちらの世界に突撃訪問する羽目になった。


「まあーーとりあえず無事で良かったよ。あ、無事だって連絡入れないと」


 帰るのはもう少し時間がかかるけれど、とりあえず連絡だけはしないと向こうが半狂乱になっているだろうーーと、果竪は連絡をする為にその場を離れた。そして、萩波もそれに付いていき、残されたのは海国の面々と、紅玉だけだった。


 因みに、既婚者に好意を持っている男と二神きりになんてさせないものだがーーなんだかんだ言って、果竪は海国国王が紳士である事を知っている。恋いに狂う程のバカでもない事も知っている。


 故の、寛大的処置だ。


「……えっと、皆さんも来ていたんですか?」

「あ、え、えっと」


 紅玉は、にっこりと笑って海国国王達に話しかけた。向こうの世界では逃げ回ってはいるが、こちらの世界と向こうの世界は似ているようで違う。だから、同じ神でも生きてきた歴史は違う別神だと思っている。こちらの世界の海国国王の傍には自分は居ない事には驚いたけれど、生きてきた歴史が違うのだからそういう事だってあるのだと紅玉は受け入れていた。


 紅玉にとって大切なのは、自分が生きている世界で、そちらで海国国王の傍に居る事である。


 それは紅玉自身が望んで、紅玉自身が選び取った未来だ。


 それを他の世界の紅玉に押しつけるつもりはない。それはその世界の紅玉が決めるべき問題だ。


 紅玉は、この世界の海国国王を見つめた。

 向こうの世界と同じーーいや、こちらの世界の海国国王の方がなんというか色っぽい。気怠げで淫猥で妖しい魅力を放っている。


 紅玉でさえも飲み込まれそうだけれど、向こうの世界の夫が自分の美貌と色香を激しく嫌っていて、それに相手が飲み込まれる度に落ち込んでいる事を知っている紅玉は頑張って耐えた。


「海国国王陛下がここに居るという事は、二国間会議だったんですね。ごめんなさい、そんな時にお邪魔してしまって」

「い、いや……その、貴方も、大変だったのだから」

「いえいえ、そんなにはーーただ、向こうの世界の関係者達の心労が心配ですけど」


 今頃大騒ぎになっていると思う。

 それを考えれば、紅玉の心は重い。


「……その、元気そうで良かった」

「海国国王様も。それに、四妃の皆様もお元気そうで何よりです」


 海国国王の後ろに控えていた四妃達がハッと息を呑む。


 この世界は向こうの世界とは違い、四妃達が外を歩く事を許されている。いや、外を歩く事が出来るのだ。そうして、常に王の傍に侍る彼らに紅玉は羨ましさを覚える。

 向こうの世界でも、こうやって自由に彼らが歩ける、そんな日が早く来る事を祈っている。


「海国王妃様も、お元気そうで」


 貴妃が、貴婦神の中の貴婦神といった優雅さと気高さが滴り落ちる様な動きで一礼する。あの気高き矜持の持ち主がーーと、貴妃を知る者達からすれば驚きのそれだが。他の三妃達もそれに習う。


「こちらこそ、四妃の皆様と再びお会い出来て嬉しく思います」


 紅玉も、向こうで叩き込まれた礼をする。淑やかさは足りずとも、それでもかき集めた一礼は、四妃達を圧倒した。


 だが、彼らを一番圧倒したのは、優雅さでも淑やかさでもない。


「……」


 彼らも見た。


 向こうの世界の自分達、そして男妃達と共に居る、彼女を。

 年若い、まだ少年とも言える幼い男妃が、彼女の、紅玉の腕に抱かれスヤスヤと眠る姿を。

 柔らかい声で歌われる子守歌。

 優しくゆらゆらと膝の上で眠る幼い男妃を揺らしながら、愛おしそうに見つめる彼女を。


 それは正に、彼らが理想とする母の姿だった。


 向こうの世界に居る海国王妃。

 この世界には、そんな存在は居ない。


 求めて止まない、求めても求めても得られない、存在。



 今も、自分達を優しい眼差しで見つめてくる。その眼差しは、自分達が欲しくて欲しくてたまらなかった、母のそれ。



 あの手で抱きしめて欲しい。

 あの、幼い男妃の様に。


 四妃の中で一番年若く未熟な徳妃が、耐えきれずに口にしようとしたその時だった。



「連絡ついたよ~~」



 その空気を破るように、果竪が戻ってきた。

 そして紅玉の背を押し、向こうへと連れていこうとする。


 それは余りにもあっという間で、立ち尽くす彼らに果竪が首だけこちらを向いた。


「クリスマスプレゼント」



 その言葉に、彼らは目を瞬かせた。けれど、すぐにその意味を悟る。



「分かってるさーーそんな事ぐらい」




 今日はクリスマス。

 本来ならあり得ない奇跡の起こる日。



 だからこそ、越えてはならない一線がある。



 それでも、本来ならこうやって気軽に話したり出来ない相手に会えて、話せて。



「ま、待って果竪様」



 紅玉がこちらを振り向く。



「皆様も行きましょうーー少し寒くなってきましたから」



 そう言って手を差し伸べてくれる女性の手を取りたいと願ってしまうのだけは許して欲しい。


 海国国王は、向こうの世界の自分への嫉妬を隠しながら、その手を取った。


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