Scene 37 密会に招かざる客
「なーお? 掃除終わった?」
「う、うん」
あわてて送信ボタンを押した携帯電話を、制服のポケットにねじり込む。教室のドアから顔を出した未羽が、手を振ってあたしを呼んでいた。
「なにか送ってたの?」
「ううん、迷惑メール。宣伝みたいなのだからたいしたことないよ。早く帰ろ?」
なんでもないふりを装って、手荷物を持って支度をする。定期的に送られてくる迷惑メールの中に夏希からのメッセージが混ざっていた。今日頑張れと励ましの言葉を送ってくれるなんて、やっぱり彼はやさしい。
だけど、それが本当の姿なのかどうかはあたしにはわからない。未羽が言っていた幼なじみとしての彼とあたしの知っている彼はあまりに印象が違いすぎた。降ってわいた疑問。そして、迷っている自分の気持ち。
このままでいいわけがない。迷っているまま続けるわけにはいかない。だから、夏希に会わなければいけないと思った。
「奈緒、寄り道して帰ろうよ」
「えー、だめ。買い食いばっかりしてたら太っちゃうじゃん」
「食べなきゃいいでしょう? まったく、奈緒は食いしんぼなんだから」
まだ目にふちの赤い未羽が、あたしの持っていたほうきをつかんで歩き出す。その背を追って、ひきずられるように足を前に踏み出した。
ポケットでふるえる携帯電話。内容は見なくてもわかる。会いたいといえば、あたしの知っている夏希はきっとうなずいてくれるから。
** *
「じゃあね」
「うん。気をつけてね」
電車の内側で、小さく手を振る彼女は泣いたことなど微塵も感じさせずに笑っていた。離れていくその姿が完全に見えなくなるまで目で追って、足を踏み出す。
見上げた空は薄紫。太陽が落ちていく向こう側は朱赤。あのひとが貸してくれたマフラーはかばんの奥に突っ込んだまま。この青は、もう何の意味も持たない。
「夏希!」
駅の改札を抜けて、正面の入口付近に夏希が立っていた。その表情が暗く沈んでいるように見えるのは、きっと気のせいじゃない。
「早かったね。もう学校終わったの?」
「俺は紘と違って頭よくねえの。でもって真面目じゃねえし。したがって放課後の補講は不必要なわけ」
「なにそれ? まあ、とにかく夏希に聞きたいことがあるの」
駅前の時計は五時を過ぎていた。昨日、一方的に約束していったあのひとが来るにはまだ時間がある。その前にどうしても、気持ちの整理をつけておきたかった。
「おまえ、今日はそれどころじゃねえだろ。紘との約束はどうす、」
「なんで、未羽を泣かせたの」
学生の帰宅ラッシュでごった返す駅の中、夏希はあたしの発言に目を丸くした。見る見るうちにその表情がくもって、あからさまに視線がそらされる。これじゃあ、図星もいいところだ。
「答えて。じゃないと、もう協力はできない」
目はそらさない。うつむく夏希を見据えて言葉を続ける。じんじんと痛んだのは、未羽と同じようになっているだろう赤い目。
「……な、んでだよ」
「それはこっちのセリフ」
追いつめていることはわかっていた。それでも逃がすわけにはいかなかった。力なく、駅の壁に背を預ける彼と向き合って距離を詰める。
「なんで、泣かせたりしたのよ!」
感情を抑えきれずに声を荒げていた。混雑する駅に叫びはかき消されてしまったけれど、目の前のひとにはちゃんと届いたはずだった。
あんなふうに未羽が泣いているのは見ていてつらかった。こらえるように泣き声を押し殺して、ひとり教室にいた彼女。
どうして、夏希が? だれかを傷つけたりするような、そんなひとじゃないと思っていたのに。少なくても未羽のことは、だれよりも大事に思っていると信じていたのに。
「やっぱり、泣いてたのか……」
「未羽とケンカしたっていったいなんなの? あんなに泣くなんて、」
すべてを言い終える前に、目の前に立っていたはずの夏希が崩れていった。足元から力が抜けてしまったかのように、ずるずると壁に沿って。
「なつ、き……?」
頭を抱えてしまった彼に、それ以上何も言うことができなかった。
「いつもさ、なんでかわかんねえけど、こうなるんだよ」
足元で小さな声がもれる。
泣いているのかと思うほど、弱々しい彼の声。
「なんで、こうなるんだよ……」
しゃがみこんでその顔をのぞきこめば、苦しみをかみつぶしたような表情が見えた。それは普段の無邪気で元気な彼のイメージとはまるで違うものだった。
「あそこまでやるつもりはなかった。だけど、あいつが紘のことを口にするたび頭に血が上って」
泣かせるつもりじゃなかったんだ。と訴える小さな声。うなるように、しぼりだすように、頭を抱えた腕のすきまからもれる。
「――未羽がね、」
その名前を出したとたん、夏希の体がわずかに動いた。
「昔の夏希はすごくやさしかったっていってたよ」
未羽の言葉を意識しているのがはっきりと見て取れた。夏希はほんとうに変なところで幼い。あんなにもだれかのことを考えられるのに、自分のこととなるとからっきしらしい。
「未羽を泣かすようなことはやめよう。そんなの、らしくないよ」
手を伸ばして、ぽんぽんと頭をなでた。茶色の髪は思ったよりもやわらかくて、出来の悪い弟をなぐさめている気分になる。
「あたしといっしょにいるときみたいな、やさしい夏希ならそのままで大丈夫だから」
髪をなでていた手で、こん、と頭を軽く小突いてやった。どうか不器用でどうしようもない彼の想いが、未羽にとどくようにと、願って。
「……痛ってえな」
「痛くないでしょ。それにこれは未羽を泣かしたバツだからね」
「おま、ちょっ、頭ぐしゃぐしゃにすんじゃねえよ!」
その髪をぐしゃぐしゃとなでまわしていると、夏希が顔をあげた。照れたように笑うその顔にはいつもの笑顔が戻っている。よかった、と思ったのもつかの間――
「なにしてるんだ?」
後ろから聞こえた声に、花がふるえた。




