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Scene 35 『      』




 眠れないと思っていたのに、落ちてしまったまぶたの裏で夢を見た。駅近くのあの公園、中央に立つ外灯。やわらかなひかりに揺らめくは、影。


 軋むブランコに座るあのひとと、その手をとった未羽の姿。顔を見合わせて、微笑むふたり。思わず一歩下がると、砂が音を立てた。息を飲んだ瞬間、彼女がゆっくりとその顔をこちらへと傾けた。


『奈緒の、うらぎりもの』


 あのひとが、未羽が、獣の瞳に赤をやどしてあたしを見ていた――――






** *






 いつもよりも一本早い電車の中はまばらで空席ばかりが目立った。こんなに楽に乗れるのなら、これからこの時間の電車でも悪くないかもしれない。


 振動する窓の向こうには、朝靄にけぶる街並みと目覚めたばかりの薄い青があった。今朝見た夢と昨日の出来事が、同時に頭の中で再生される。


 自分のしようとしていることは、本当に正しいことなのだろうか。あのふたりをどうにかしようとしても、無駄じゃないだろうか――迷いが泡のように生まれては、消える。昨日から、あの夢を見てから、そんなことを繰り返してばかりだった。


 すれ違う電車で、仕組まれたドラマ。

 何分の一の確立で、あたしはあのひとの視線に気づいた。


 夜の住宅地で、ちょっとした運命。

 何分の一の確立で、あたしは夏希の自転車にぶつかった。


 そして、何よりもの幸運。

 何分の一の確立で、あたしは未羽と出会って友達になった。


 奇跡も運命もありえないと思っていた。そんな場所にあふれていたもの。


 たとえばあの時間、電車に乗らなかったとしたら。

 たとえばあのとき、夏希をすきになっていたら。

 たとえばあの日に、未羽の手を振り払っていたら。


 こんな思いをしなくてすんだのだろうか。


 遠ざかる街、流れる青。

 夢の中の声が、頭を離れずにいつまでも反響していた。




 学校に到着すると、早すぎたのか校内に人の姿は見当たらなかった。凍りつくように冷えた廊下に、自分の上履きの音だけが響き渡る。


 鉛のように沈む気持ちを背負って教室へつづくドアに手をかけたそのとき、わずかなすきまから泣き声が聞こえた。


「っ、う……」


 瞬間。心臓が、壊れるかと思った。


 鼓動が頭痛を引き起こして、しぼりとられるような胸の痛みに吐き気がする。未羽だ。この中にいるのは、泣いているのは彼女だ。あたしが聞き間違えるはずがない。


『うらぎりもの』


 頭の中で反響する未羽の声。これは、あの悪夢のつづきだろうか。ぐらぐらとめまいがする。視界が揺れて手がしびれた。頭痛と吐き気が同時に襲いかかってきて、立っているのがやっとだった。


 バレた。バレてしまったんだ。何もかもが。

 あのひとをすきになってしまったこと。夏希と手を組んだこと。


 ――すべて未羽の耳に入ってしまった。


 そう思った瞬間に何かとてつもなく恐ろしいものが、足元から這い上がってきた。ぞわぞわと体を舐め回すようなそれは、しびれたこの手から持っていたカバンを奪うには充分だった。


 派手な音を立てて、廊下にぶちまけられたカバンの中身。

 しまった、と思ったときにはもう遅かった。


「……奈緒?」


 ゆっくりと開かれていく教室のドア。

 かすれた音であたしを呼ぶその声に、顔を上げることができなかった。


「どうしたの。今日は早いんだね」


 返事ができない。顔も見られない。どうして、未羽はいつもどおりなんだろう。夢のようにあたしをにらみつけて、罵ってくれればいいのに。


「もしかして、聞こえちゃった?」


 うなずきもしなかった。できなかった。泣かせたのはあたしなんでしょう。未羽を裏切って、夏希と組んで、ふたりを引き裂こうとしたあたしなんでしょう。


 いつまでも動けずにいれば、未羽が散ばったペンに手を伸ばした。か細い指に拾われて、落としたカバンの中に次々と詰められていく。


「実はね、幼なじみとケンカしちゃったの」


 刹那、空気が変わった。

 凍りついていた空気が、霧散する。


「え……?」

「もう、いやになる。昔はすごく仲良かったんだけどな」


 目の前でしゃがんでいた未羽はあたしを見上げて、笑っていた。あたしを信じきった、真っ赤な目で。そのとたん、ひざから力が抜けた。


「な、奈緒? どうしたの?」


 崩れ落ちてしまったあたしに駆け寄って、のぞき込んでくる彼女。その表情は、夢のようにあたしをにらみつけて泣いてはない。


「み、はねっ」

「え、な、なに、ちょっとどうしたの?」


 思わず抱きついて、その体を引き寄せた。甘いにおいとやわらかな髪がくすぐったくて、うれしくて涙がでた。


「……未羽、だいすき」

「う、うん? ありがと。あたし、もう大丈夫だからね?」

「うん。ごめんね……」


 抱きしめる腕に力をこめた。祈るように、この想いを口にした。

 何度でも言いたかった。声をあげて、叫ぶように。


 怖かった。

 覚悟していたつもりだったのに、揺らぐのはこんなにもあっけない。


 (秘密。)


 彼女にだけは、知られてはならない。

 この想いに、気づかれてはいけない。


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