Scene 11 カウントダウン・魔法
駅の入り口にある古びた時計は九時半を差していて、シンデレラは家に帰らなければならない時間を過ぎてしまっていた。
階段に残されるはずの置き土産はガラスの靴じゃなくて青いマフラー。それはまだあたしの首に巻きつけられたまま、ぬくもりを放っていた。
「時間、過ぎちゃいましたね。すみません」
「それは気にしなくていいから。それよりも、奈緒は時間大丈夫?」
「あ、はい。連絡入れておきましたから」
夕方と比べて人もまばらになった駅前。学生服を着ているのはあたしたちくらいで、通り過ぎる大人たちの視線が突き刺さる。早く帰らないと――そうわかっているのに、つないだままの手が離れることはなかった。
離さないのはどちら? 強くつかんでいるのは、あたし?
それとも。
「あの、マフラー、」
「いつでもかまわないよ。今日も送れないけど、気をつけて」
駅周辺の喧騒と進みつづける時計の針。今日の終わりは、すぐそこまで来ていた。
「今日は、楽しかったです」
「こちらこそ」
人差し指から順番に離れていって、からっぽの手は急激に温度を失って宙に浮く。じわりと胸に染み出すものが水かさを増して、こぽこぽと音を立てて深くなっていく。
「それじゃ」
耳に届いた声に顔を上げたけれど、もう遅かった。離れていく背中と遠のく足音になにもないてのひらが熱くなっていく。
見えなくなってしまう、いなくなってしまう。そしたらきっと、こんなふうには会えない。会えなくなったら、あの手にも触れられない。そんなのは、ぜったいにいやだ。
「あのっ!」
思わず声を上げてしまったせいで、駅前を歩く人たちの視線が集中しているのがわかった。頭が真っ白になって二の句も告げなくなって、カバンを握り締める手に力がこもる。言わなきゃ、言わなきゃ。焦りだけが先攻して、でも言葉にならない。
数歩先でこっちに向き直ったひとはあたしを見て小さく笑ったあとに、おいでおいでをするように手招きをした。その思わぬ助け舟に、焼けそうな頬を押さえて彼のもとへ駆け寄る。
ああ、またやってしまった。恥ずかしい。
これじゃ、駅のホームで叫んだあのときと同じだ。
「どうした?」
その傍らへ駆け寄ると意地悪な笑みを浮かべた彼に指を掴まれた。考えは冷えていくのに気持ちは加熱して、押さえきれないものがあふれていく。
息を吸った。吐いて、吸い込んで、前を見た。
形にならない言葉に力を込めて、放つ。
「あ、あの、明日も会えますか? その、マ、マフラーとか! 返さなきゃいけないと、思って……」
つま先からのぼりつめる熱に焦がされていく頬。明日もあさっても、その先も会いたい。このマフラーを理由にしてもかまわない。ただのさよならじゃ、あたしたちはまたすれ違うだけに戻ってしまう。それが何よりも怖くて。
約束が欲しかった。彼に会うための理由が欲しかった。
「明日も、会いたいんです」
あたしはきっと、あなたのことがすきだから。だから明日も会いたい。
胸に灯る星がほのかに色づいて、芽吹いたものを花ひらかせていく。そんな音が聞こえる。彼へ向かって熱をおびて、かすかにひかってふるえながら。
「奈緒」
呼ばれた名前はあたしのものじゃないみたいだった。すきなひとに呼ばれる音は、他の誰とも違う響きを持っている。ずっと前を見据えていたのに答えを聞くのが怖くて、うつむいてしまった。目線に並ぶ汚れたローファーと夜の黒に重なる影。
掴まれていた指が離されて、外気に全身の熱が奪われていく。ほんのわずかな、数秒だと思える時間が長くてどうにかなりそうだった。目を閉じて冷えていく指先を握りこむ。おとずれた静寂、目の前のひとの呼吸だけが聞こえた。
「俺もだよ。俺も、きみに会いたい」
耳に入った音に顔を上げると、てのひらが頭にのせられた。ぐしゃぐしゃと乱暴に髪を撫でられたと思ったら、今度は丁寧に長い指が髪をすいていく。
しらなかった。こんなにもうれしい気持ち。
「明日は少し遅くなると思うから、駅の中で待っていて」
「……っ!」
目を細めた彼が耳元に顔を寄せてきた。耳がじんじんと痛むくらい、熱かった。
「じ、じゃあ、帰りま、す!」
溶け出しそうな耳を押さえて走り出した。暗闇の中、ほのかな外灯の明かりと寒空に散る星の群れ。白い息の向こうにかすんでは瞬いて、すごくきれいだと思えた。
明日も会いたかった。そう思っていたのはあたしだけじゃなかった。
それがこんなにも、うれしくてたまらない。
走る速度を緩めて、荒くなった呼吸を静めて、火照った頬を押さえた。
思わずにやけそうになる顔をつまんで、深呼吸をした。
(……あ、連絡先、聞けばよかった)
ふと頭をよぎったものに、吸い込んだ息を吐き出し損ねる。
待ち合わせをするならアドレスを聞いておいたほうが便利だし、できればメールだってしたい。欲張りになっているのを自覚しながらそれでも足は駅へと向き直る。
さっき別れたばかりなのに、もう彼に会いたいと願う自分がいる。まだ近くにいるかもしれない。追いかけてきたあたしの姿を見て、また笑ってくれるかもしれない。それだけでばかみたいに胸がはずんだ。




