暗殺者ウミウシ女
深い海の底には、光の届かない墓場がある。
沈没船の墓場。
何百年も前に嵐で沈んだ商船。
大砲を積んだ軍艦。
金貨を抱えたまま海に呑まれた帆船。
そこには、人間の欲望と夢の残骸が、静かに眠っていた。
その沈没船のひとつ。
朽ちた木製の甲板の上を、ひとりの女怪人が歩いていた。
鮮やかな模様を持つ、ウミウシを思わせる身体。
背中にはひらひらとした外套膜のような飾り。
細く妖しい目。
カイサーンの暗殺者、怪人海牛女である。
彼女は沈没船の船長室へ入り、錆びた箱を開けた。
中には、古い剣が眠っていた。
中世ヨーロッパの騎士が使っていたような、十字の鍔を持つ長剣。
長い年月を海底で過ごしたはずなのに、刃は不気味なほど鋭さを保っている。
怪人海牛女はそれを手に取り、静かに笑った。
「人間は面白いわ。殺し合うための道具にまで、美しさを求めるのですもの」
彼女は昔から、人間に興味があった。
地上へ上がったことはなくとも、沈没船から人間の品々を拾い集めていた。
金貨。
宝石。
鏡。
香水瓶。
衣服の残骸。
そして、剣。
人間は愚かで、醜く、欲深い。
けれど、ときに美しいものを作る。
怪人海牛女はそう考えていた。
その背後に、黒い泡が立つ。
クラーケンの声が響いた。
「ウミウシ女」
「はい、クラーケン様」
「ダイフゴーを抹殺せよ。あの者たちは地上侵攻の最大の障害だ」
ウミウシ女は剣を胸の前に掲げた。
「承知しました。海の皇帝にして地球の支配者、クラーケン様の御命令、必ず果たしましょう」
黒い水が彼女の身体を包む。
次の瞬間、ウミウシ女の姿は変わった。
怪人の姿は消え、そこに立っていたのは、妖艶な美女だった。
長い髪。
白い肌。
人間離れした美貌。
そして、目を引く露出の高い服装。
ウミウシ女は微笑んだ。
「人間の男は、まず疑似餌で罠にかかる」
*
地上。
昼下がりの街角。
ウミウシ女は人間の美女に擬態して、ゆっくりと歩いていた。
通り過ぎる男たちが、思わず振り返る。
「すげえ美人……」
「モデルかな?」
「声かけてみろよ」
怪人海牛女は、その視線を楽しむように微笑んだ。
人間は単純だ。
美しいものを見れば近づきたがる。
危険なものだとは思わない。
その時、不良風の男たち五人組が近づいてきた。
「お姉さん、一人?」
「どこ行くの?」
「俺たちと遊ぼうぜ」
怪人海牛女は足を止めた。
「遊び?」
「そうそう。いい場所知ってるからさ」
男たちは彼女を取り囲み、人目の少ない裏路地へ誘い込もうとした。
怪人海牛女は拒まなかった。
むしろ、面白そうに笑った。
「いいわ。人間の遊びを教えて」
数分後。
裏路地から、短い悲鳴が五つ上がった。
そして、沈黙。
怪人海牛女は何事もなかったように路地から出てきた。
人間が生み出した美しい剣で愚かな人間を切り刻むと、再び背中の色鮮やかなヒレの中に剣を隠した。
彼女は振り返りもせずに言った。
「人間の遊びは、つまらないわね」
路地の奥には、惨殺された男たちが転がっていた。
もはや動く者はいない。
怪人海牛女は剣をひと振りして、刃を払った。
「次は、ダイフゴー」
*
その頃、ダイフゴーの五人と蟹女は、街中を歩いていた。
前回の原宿騒動以来、蟹女は少しだけ外に出ることを許されるようになっていた。
もちろん監視つきである。
首輪と看板は外されたが、完全な自由ではない。
今日も、豊たちは蟹女を連れて、街で簡単な買い物をしていた。
「カニ、カニィ」
蟹女は店先の魚屋を見て、嬉しそうに鳴いた。
真珠が微笑む。
「蟹女様、お魚がお好きなのですね」
「カニ!」
怜音が笑った。
「分かりやすいな」
守は端末を見ながら言う。
「最近の行動記録から見ても、食事への反応は明確だ。カニ語解読の初歩資料にはなる」
瑠璃は腕を組んでいた。
「食べ物に反応しているだけではありませんの」
それでも、以前のように蟹女を強く拒絶してはいなかった。
豊はその様子を見て、少しだけ安心していた。
その時、通りの先に一人の美女が立っているのが見えた。
怪人海牛女である。
彼女は道の中央で立ち止まり、ダイフゴーたちを待っていた。
「見つけたわ」
豊が足を止める。
「誰だ」
怪人海牛女は背中にヒダに隠していた剣を抜いた。
その瞬間、人間の擬態が剥がれ落ちる。
白い肌は海の毒を思わせる色に変わり、背中にはウミウシのヒダが広がる。
妖艶な美女の姿は、毒々しくも美しい怪人の姿へ変わった。
周囲の人々が悲鳴を上げて逃げ出す。
「怪人だ!」
「逃げろ!」
怪人海牛女は剣を構えた。
「海の皇帝にして地球の支配者、クラーケン様の命により、富轟戦隊ダイフゴーを抹殺する」
蟹女が低く鳴いた。
「カニィ……」
彼女は本能で感じ取っていた。
この相手は、今までの怪人とは違う。
戦闘員を率いて暴れる怪人ではない。
最初から殺すためだけに来た暗殺者だ。
怪人海牛女は剣を軽く振った。
ただそれだけだった。
だが次の瞬間、道ばたの街路樹が斜めに切断されて倒れた。
さらに、駐車していた車の車体が、音もなく上下にずれた。
切断されたのである。
豊たちは息をのんだ。
怜音が低く言う。
「おいおい、冗談じゃないぜ」
守が端末を見た。
「斬撃波が見えない。剣速が計測不能だ」
瑠璃が顔を強ばらせる。
「普通の怪人ではありませんわ」
豊は変身ブレスを掲げた。
「迷っている暇はない。変身だ!」
五人は叫んだ。
「富轟チェンジ!」
「ダイフゴー!」
赤、青、黒、黄、桃の光が弾ける。
「巨万の勇気! フゴーレッド!」
「相場を制する知略! フゴーブルー!」
「漆黒の旋律! フゴーブラック!」
「気高き黄金の誇り! フゴーイエロー!」
「奉仕の真心! フゴーピンク!」
五人が並び立つ。
「富轟戦隊!」
「ダイフゴー!」
ウミウシ女は微笑んだ。
「名乗りは終わり? では、死になさい」
*
フゴーレッドが二丁拳銃を撃つ。
「レッド・ミリオンショット!」
光弾が連射される。
しかしウミウシ女は、剣をひと振りするだけで弾丸をすべて切り払った。
「遅い」
フゴーブルーが大砲銃を構える。
「ブルー・マーケットキャノン!」
巨大な光弾が放たれる。
怪人海牛女は一歩横へ動き、剣の腹で光弾を逸らした。
ビルの壁に光弾がぶつかり、爆発する。
フゴーブラックが飛び込む。
「ブラック・ロックアックス!」
ギターアックスの斬撃が迫る。
怪人海牛女は剣で受け流し、逆にブラックの足元を切り払った。
「うおっ!」
ブラックは転がって距離を取る。
フゴーイエローの矢が飛ぶ。
「イエロー・ゴールドアロー!」
フゴーピンクも同時に走った。
「ピンクサーベル!」
だが、怪人海牛女は二人の攻撃を同時にさばいた。
矢は切り落とされ、ピンクサーベルは弾かれる。
「きゃっ!」
ピンクが後退する。
怪人海牛女は退屈そうに言った。
「この程度でクラーケン様に逆らっていたの?」
五人は完全に押されていた。
今までの怪人なら、五人の連携で崩せた。
だが、怪人海牛女は違う。
剣の間合いに入っただけで命が危ない。
その時、ウミウシ女の目が蟹女へ向いた。
「そういえば、そこにいたわね。地上人に飼われた蟹」
「カニ……」
「死ね、蟹女」
ウミウシ女は剣を水平に構えた。
刃に黒い粘液のような光がまとわりつく。
「秘剣フイ・フィフタヴァーニエ」
次の瞬間、剣が消えたように見えた。
蟹女は横へ跳んだ。
「カニィ!」
彼女がいた場所の背後の建物に、無数の斬撃が突き刺さった。
壁がひび割れ、窓ガラスが砕ける。
蟹女はさらに横へ跳ぶ。
怪人海牛女は容赦なく連撃を放った。
蟹女は横歩きで、ぎりぎりのところをかわし続ける。
その背後の建物には、まるで機関砲で掃射されたような斬撃の跡が並んでいく。
最後の一撃が突き刺さった瞬間、建物の外壁が大きく崩れ落ちた。
ダイフゴーの五人は、その威力を見て動けなくなった。
レッドがつぶやく。
「なんて威力だ……」
ブルーも冷静さを失っていた。
「直撃すれば、フゴースーツでも耐えられる保証がない」
ブラックが苦笑する。
「完全に腰が引けてるな、俺たち」
怪人海牛女は剣を構え直した。
「逃げるのが上手いわね」
蟹女は鋏を構えた。
「カニィ……!」
そこには、いつもの怯えた蟹女はいなかった。
檻の中で餌を食べるマスコットでもない、仲間を守る本物の戦士だった。
怪人海牛女と蟹女が、向かい合う。
周囲の音が消えた。
ダイフゴーの五人も、手を出せなかった。
これは、二人だけの戦いだった。
怪人海牛女は剣を頭上に掲げた。
切先を、蟹女の顔へ向ける。
「面白いわ。ならば、暗殺者の剣を正面から受けてみなさい」
全身の力が、刃に集まる。
「怒りの攻撃、ツォルンハウ!」
剣が振り下ろされた。
速い。
狙いは蟹女の顔面。
だが、蟹女の目は刃を捕らえていた。
ただの怪人なら見えない一撃。
だが、蟹女には見えた。
「カニィィィ」(蟹鋏剪断)
その叫びは、人間にはただの鳴き声に聞こえた。
だが、蟹女にとっては技の名だった。
蟹女の鋏が、剣の刃を正確に挟み込んだ。
次の瞬間。
バッキィィン!
硬い金属が折れる甲高い破裂音が、街中に響き渡った。
怪人海牛女の剣が、真っ二つに折れた。
「なっ……!」
初めて、ウミウシ女の顔から余裕が消えた。
蟹女は、その一瞬を見逃さなかった。
大きな鋏に全身の力を込める。
「カニィィィ」(必殺蟹鋏轟撃)
渾身の一撃が、怪人海牛女の胴を打ち抜いた。
ウミウシ女の身体が宙に浮いた。
そのまま反対車線に停まっていた車のフロントガラスへ叩きつけられる。
ガラスが砕け、車体が大きくひしゃげた。
怪人海牛女は動かない。
折れた剣が地面に落ちる。
次の瞬間、ひしゃげた車が爆発炎上した。
黒い炎の中で、怪人海牛女の身体は灰となって崩れていく。
深海の方角から、クラーケンの声が一瞬だけ響いた。
「海の悪魔よ……」
だが、黒い霧は集まらなかった。
怪人海牛女の身体は、完全に灰になっていた。
剣と共に、暗殺者の魂は燃え尽きていた。
海の悪魔の力でも、復活させる器が残っていなかったのである。
炎が消える。
そこには、折れた剣の鍔だけが残っていた。
*
沈黙。
ダイフゴーの五人は、蟹女を見ていた。
蟹女は鋏を掲げ、誇らしげに胸を張っていた。
「カニ!」
レッドが小さく言った。
「……強いな」
ブルーが眼鏡の奥で目を見開く。
「戦闘能力評価を全面的に修正する必要がある」
ブラックが笑おうとして、少し失敗した。
「今まで、なんで檻に入っててくれたんだよ……」
イエローは顔を引きつらせながら言った。
「本気を出したら、わたくしたちより強いのではありませんこと?」
ピンクは蟹女に駆け寄った。
「蟹女様、お怪我は!」
「カニィ!」
蟹女は平気そうに鋏を鳴らした。
そして、ふふん、とでも言いたげに五人を見回す。
「カニ、カニィ」
たぶん、褒めろと言っている。
豊は少し困ったように言った。
「よくやった、蟹女」
「カニ!」
蟹女はさらに得意げに胸を張った。
その姿を見て、五人は一歩だけ後ろへ下がった。
誇らしげな蟹女。
腰が引けたダイフゴー。
その奇妙な光景に、ようやく街の人々が遠巻きに拍手を送り始めた。
「怪物が……助けてくれた?」
「あの蟹、強いぞ!」
「ダイフゴーの仲間なのか?」
蟹女は人々の声を聞き、首をかしげた。
「カニ?」
真珠が優しく言った。
「皆さん、蟹女様を褒めているのです」
蟹女の目が輝いた。
「カニィ!」
彼女は嬉しそうに鋏を振った。
周囲の人々が少しだけ後ずさった。
瑠璃が小声で言う。
「蟹女。喜ぶのはよろしいですけれど、鋏を振るのはおやめなさい。怖いですわ」
「カニ……」
蟹女はしょんぼりと鋏を下げた。
だが、すぐまた胸を張った。
今日、彼女は初めて、ダイフゴーを守った。
守られる怪物ではなく、守る仲間として。
*
海底、カイサーン城。
クラーケンは玉座で沈黙していた。
烏賊王子が静かに頭を下げる。
「海牛女が敗れました」
「知っている」
クラーケンの声は低かった。
「海の悪魔の力でも復活できぬほど、完全に滅ぼされた」
烏賊王子の表情が険しくなる。
「蟹女の力、想定以上です」
クラーケンは触手を玉座に絡ませた。
「あれはただの逃亡者ではない。やはり、放置してはならぬ存在だ」
暗い水の中で、クラーケンの目が不気味に光った。
「ダイフゴーだけではない。蟹女もまた、我らの障害となる」
*
ダイフゴー基地。
その夜、蟹女はいつもの檻の前に座っていた。
ただし、扉は開いている。
完全に自由ではないが、以前のように閉じ込められてはいなかった。
真珠が皿を持ってきた。
「蟹女様。今日は特別に大間のマグロでございます」
「カニィ!」
蟹女は嬉しそうに皿を受け取る。
豊が腕を組んで言った。
「今日の功績だ」
守が端末を見ながら続ける。
「暗殺者ウミウシ女を単独撃破。戦術的価値は非常に高い」
怜音が笑う。
「これから蟹女先輩って呼ぶか?」
「カニ?」
瑠璃は少しだけ警戒しながらも、真面目に言った。
「見直しましたわ。ほんの少しだけ」
蟹女は得意げに胸を張る。
「カニ、カニィ!」
豊は苦笑した。
「ただし、調子に乗るな」
蟹女はさらに威張る。
「カニ!」
ダイフゴーの五人は、そろって一歩下がった。
真珠だけが笑っていた。
「蟹女様、皆様が少し怖がっております」
「カニィ?」
蟹女は首をかしげる。
その姿は、いつものマスコットの蟹女だった。
だが五人は、今日の戦いを忘れられない。
折れた剣。
吹き飛ばされた暗殺者。
爆発炎上する車。
そして、誇らしげに鋏を掲げた蟹女。
ダイフゴーは知った。
蟹女はただ守られる存在ではない。
本気を出せば、誰よりも恐ろしい味方なのだ。




