表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/29

婚約破棄

 海宝瑠璃は、いなくなった。

 正確には、海宝瑠璃という人間は姿を消し、怪人ラピスラズリとなってカイサーンの新幹部になった。


 だが、世間はそんな事情を簡単には飲み込めない。


 街を破壊し、怪我人も出た。


 普通の人間なら、建造物損壊、器物損壊、傷害、業務妨害、そのほか山ほど罪名が並ぶ。

 問題は、それをやったのが「闇堕ちして怪人になった御令嬢」だったことだ。


 警察も頭を抱えた。


 検察も頭を抱えた。


 裁判所も頭を抱えた。


 瑠璃と怪人ラピスラズリは同一人物なのか?

 大地の悪魔に取り憑かれた瑠璃に責任能力はあるのか?


 前例など、もちろんない。

 テレビのワイドショーは連日騒いだ。


『名門令嬢、怪人化!?』


『婚約者は若き財閥総帥!』


『怪人に刑事責任を問えるのか?』


 海宝家の対応は早かった。


 瑠璃を勘当した。

 名門の家を守るため、怪人になった娘との関係を絶った。

 そして金城財閥との関係悪化を防ぐため。


 さらに金城財閥の幹部たちも、豊本人の意思を待たずに動いた。

『金城が海宝瑠璃氏との婚約関係を解消したことを公示した』


 婚約破棄。


 それは、新聞にも載った。

 金城邸の朝食の席に、その新聞が広げられている。

 豊は、無言で記事を見ていた。


 花園真珠(はなぞのましろ)は、紅茶を注ぐ手を止めていた。


 ソフィア・アレクセーエヴナはパンにバターを塗りながら顔をしかめる。


「ひどいな」


 豊が顔を上げる。


「何がだ」


「怪人になった途端、家も婚約者も切り捨てる。まあ、街を壊したのは事実だが」


 財前守は冷静に眼鏡を押し上げる。

「法的には極めて複雑だ。瑠璃本人の意思、怪人化後の意識、大地の悪魔による干渉。責任能力の認定が困難すぎる」


 京極怜音は新聞を覗き込んで言った。

「怪人裁判か。ロックだな」


 真珠が小さくつぶやく。

「瑠璃様……」その声は震えていた。


 リュビィは不安そうに真珠を見る。

「真珠、また泣きそう」


 真珠は首を振る。

「大丈夫です」


 だが、大丈夫ではなかった。

 瑠璃が闇に堕ちた原因。

 それは、自分だ。

 真珠はそう思っていた。


 豊に想いを告げられた。


 拒んだ。


 拒んだはずなのに、心は揺れた。


 一夜の過ちで一線を越えてしまった。


 けれど、真珠の心にははっきり残っている。


 瑠璃はそれを知った。


 だから心が壊れ、怪人になった。


 真珠は紅茶のポットを置き、深く頭を下げた。


「申し訳ございません。少し、失礼いたします」


 豊が立ち上がった。


「真珠」


 真珠は振り返らない。

「お仕事に戻ります」そう言って、食堂を出ていった。


     *


 真珠は廊下を一人で歩いていた。

 メイドとして、背筋は伸びている。

 だが、表情を崩さない顔は苦しそうだった。

 胸の奥で、何度も同じ言葉が回る。


 自分のせい。


 自分が悪い。


 あの夜、拒みきれなかったから。

 豊を好きだという気持ちを、完全に封印できなかったから。


「これは、メイドの仕事です」真珠は自分に言い聞かせるように小さく呟いた。


「坊ちゃまに求められたから、ご奉仕しただけです。恋愛ではありません。恋愛では……」


 言葉にすればするほど、嘘になる。


 豊のことが好きだ。


 ずっと好きだった。


 だから苦しい。


 だから認められない。


 瑠璃がああなった今、自分が代わりの恋人になる事など、許されるはずがない。


 廊下の角で、ソフィアが待っていた。


「真珠」


 真珠はびくりとする。


「ソフィア……」


「また自分を責めてる顔だ」


「そんなことは」


「してる」


 ソフィアは壁にもたれ、腕を組んだ。


「お前は分かりやすい。漁村なら網より先に顔で魚が逃げる」


「どういう意味ですか」


「全部顔に出てるって意味だ」


 真珠は目を伏せた。


「……わたくしが、瑠璃様を傷つけました」


「それを言うなら、豊も傷つけた。瑠璃自身も自分を傷つけた。大地の悪魔も悪い。クラーケンも悪い。お前一人のせいにするには、関係者が多すぎる」


「でも」


「でもじゃない」


 ソフィアは真珠の頭に手を置いた。


 乱暴だが、温かい手だった。


「お前はまず、自分が豊を好きだって認めろ」


 真珠は顔を真っ赤にした。


「そ、それは……」


「違うのか?」


「わたくしはメイドです」


「答えになってない」


「坊ちゃまに仕える者で」


「それも答えになってない」


「……今は、答えられません」


 ソフィアはため息をついた。


「面倒くさい妹だ」


 真珠は俯いた。


「申し訳ございません」


「謝るな。余計面倒くさい」


     *


 その頃。


 京極怜音は、金城邸の別の廊下を歩いていた。


 いつも通り、髪は決まっている。


 服も黒で統一されている。


 だが、顔の左頬に、くっきり赤い手形がついていた。


 豊と守がそれを見て足を止める。


「怜音」


「何だ?」


「その顔、どうした」


 怜音は何でもない顔で言った。


「女に叩かれた」


 守が即座に言う。


「日常的にありそうだな」


「おい」


 豊は呆れた。


「今度は何をした」


「美女軍団の一人に言われたんだよ。『怜音様、私だけを愛して』ってな」


「それで?」


「断った」


「珍しくまともだな」


 怜音は肩をすくめる。


「ファンと恋人は違う。俺はファンを大事にするが、恋人扱いはしない」


 守は淡々と言う。


「つまり、周囲にはべらせてはいるが、明確な一線は引いていると」


「そういうことだ」


 豊は少し見直しかけた。


 だが怜音は、すぐに軽い調子で続ける。


「まあ、モテ男は辛いってことだな」


 豊は見直すのをやめた。


「やっぱり軽いな」


 そこへリュビィが通りかかり、怜音の頬を見る。


「ブラック、顔に手!」


「愛の傷だ」


「痛そう」


「痛い」


 真珠とソフィアも合流した。


 ソフィアは怜音の手形を見て言う。


「何をした」


「何もしてない」


「何もしてない男は、そんな見事な手形をつけて歩かない」


「ひどいな」


 守は冷静に補足する。


「怜音に関しては、何もしていなくても叩かれる確率は比較的高い」


「お前ら、俺をどう見てるんだ」


 全員が黙った。


「黙るな」


     *


 金城邸の応接室。


 豊は、珍しく怜音を呼び止めた。


「怜音。少し相談がある」


 怜音は驚いた顔をする。


「お前が俺に恋愛相談か?」


「まだ何も言ってない」


「顔に書いてある」


 豊は渋い顔をした。


「……真珠のことだ」


「やっぱりな」


 怜音はソファに腰を下ろし、妙に得意げに足を組んだ。


「聞こうじゃないか。モテ男の先輩として」


 豊は少し迷った。


 真珠と一線を越えたことは言えない。


 少なくとも、軽い調子の怜音には絶対に言えない。


 だから、言葉を選んだ。


「俺は真珠が好きだ。プロポーズもした。だが真珠は、身分違いだとか、瑠璃のことがあるとか言って受け入れない」


 怜音はうなずいた。


「なるほど」


「どうすればいい」


 怜音はしばらく真面目な顔をしていた。


 そして、言った。


「真珠は愛人二十八号でいいだろ。難しく考えるな」


 応接室の空気が凍った。


 豊が固まる。


 扉の外で聞いていたソフィアが、静かに入ってきた。


「今、何て言った」


 怜音は振り返る。


「いや、冗談――」


 ばちん。


 乾いた音が響いた。


 怜音の右頬に、見事な赤い手形がついた。


 左頬には先ほどの手形。


 右頬にはソフィアの手形。


 左右対称である。


 リュビィが覗き込んで言った。


「ブラック、顔が完成した」


 守が端末を向ける。


「左右のバランスが非常に良い」


「撮るな!」


 ソフィアは怜音を睨む。


「次に妹を愛人番号で呼んだら、海に沈める」


 怜音は両頬を押さえながら言った。


「はい……」


 豊は頭を抱えた。


「相談相手を間違えた」


     *


 次に豊が向かったのは、財前守の研究室だった。


 巨大なモニター。


 株価チャート。


 敵反応の分析図。


 そして、山のような資料。


 守は端末を操作しながら言った。


「恋愛相談なら不適任だ」


 豊はまだ何も言っていない。


「なぜ分かる」


「現在のお前の悩みは、八割方それだ」


 豊は椅子に座る。


「真珠のことだ」


「だろうな」


「俺はどうすればいい」


 守はキーボードを打ちながら答えた。


「恋愛には興味がない」


「即答か」


「私は金融、分析、戦闘システムには関心がある。だが恋愛は変数が多すぎる。合理性も低い」


「お前、人生楽しいか?」


「効率的ではある」


「楽しいか聞いてるんだ」


 守は少し考えた。


「市場が想定通りに動くと楽しい」


「もういい」


 豊は立ち上がった。


 守は最後に言った。


「ただし、一つだけ言える」


「何だ」


「真珠に嘘をつかせ続けるのは、長期的に見て悪手だ」


 豊は動きを止めた。


 守は画面を見たまま続ける。


「彼女は自分の感情を職務に置き換えて処理している。限界が来る」


 豊は何も言えなかった。


     *


 最後に豊が向かったのは、地下基地の奥だった。


 水木博士の研究室。


 富轟システムの開発に関わった、白衣の老科学者である。


 髪はぼさぼさ。


 目の下には隈。


 机の上には部品、設計図、カップ麺、謎の基板。


 水木博士は機械の腕を調整しながら言った。


「恋愛相談かね」


 豊は疲れた顔で言った。


「みんな、なぜ分かる」


「若者の悩みはだいたい恋と金と進路じゃ。君は金も進路も持っておる」


「……真珠のことです」


 水木博士は真剣な顔でうなずいた。


「わしはこの歳まで独身じゃ」


「知っています」


「機械が恋人じゃ」


「はい」


「したがって、何も分からん」


 豊は天井を見た。


「なぜ相談に乗ろうとしたんですか」


「雰囲気じゃ」


「ありがとうございました」


 豊は静かに研究室を出た。


 背後で水木博士が叫ぶ。


「ただし、機械も人間も、無理な負荷をかけ続ければ壊れるぞ!」


 豊は足を止めた。


 今日は、役に立たない人間ほど最後に大事なことを言う日らしい。


     *


 夕方。


 金城邸の庭。


 豊は真珠を呼び出した。


 空は赤く染まり、庭の木々が影を落としている。


 真珠はメイド服のまま、少し距離を取って立っていた。


「坊ちゃま。ご用件は」


「その呼び方をやめてほしい」


 真珠は目を伏せる。


「申し訳ございません」


「謝らないでくれ」


 豊は苦しそうに言った。


「俺はお前をメイドとして見られない。もう無理だ」


 真珠は唇を噛む。


「わたくしは、金城家のメイドです」


「それは仕事だ。お前の全部じゃない」


「ですが」


「真珠」


 豊は一歩近づく。


「俺は、お前を愛している」


 真珠の肩が震えた。


 その言葉は嬉しい。


 嬉しいから、苦しい。


「……今は、受け入れられません」


 豊は静かに聞いた。


「瑠璃のことがあるからか」


「はい」


 真珠は顔を上げた。


 目には涙が浮かんでいる。


「瑠璃様は、わたくしたちのせいで闇に落ちました。もちろん、大地の悪魔やカイサーンのせいでもあります。でも、きっかけは……」


 それ以上は言えなかった。


 言葉にしてはいけない夜のこと。


 豊も分かっていた。


「俺のせいだ」


「いいえ。わたくしもです」


 真珠は胸元で手を握りしめた。


「わたくしは何度も、自分に言い聞かせました。これはメイドの仕事。坊ちゃまにご奉仕しているだけ。恋愛ではない、と」


 豊は苦しそうに顔を歪めた。


「そんな言い方をしないでくれ」


「でも、そう思わなければ、立っていられなかったのです」


 真珠の涙がこぼれる。


「本当は、坊ちゃまが好きです。ずっと、好きでした」


 豊は息をのんだ。


 真珠は続けた。


「でも、今すぐ恋人にはなれません。瑠璃様をあのままにして、わたくしだけが幸せになることはできません」


 庭の茂みの向こうで、ソフィアが静かに聞いていた。


 隠れているつもりはない。


 ただ、妹を守るために近くにいた。


 豊は真珠の前で立ち止まった。


「じゃあ、どうすればいい」


 真珠は涙を拭いた。


「瑠璃様を人間に戻してください」


 豊は目を見開く。


「瑠璃を」


「はい。瑠璃様を取り戻すまで、わたくしは恋人にはなれません」


 ソフィアが茂みの向こうから歩いてきた。


「私も、それがいいと思う」


 真珠が驚く。


「ソフィア」


 ソフィアは豊を見る。


「豊。お前が真剣なら、まず責任を取れ。真珠にじゃない。瑠璃にもだ」


 豊はうなずいた。


「ああ」


「瑠璃を人間に戻す。それまで、真珠との関係は今のまま。無理に進めるな」


 豊は真珠を見る。


「今のまま、というのは」


 真珠は少し顔を赤くして、けれどはっきり言った。


「メイドと主人です」


 ソフィアが眉をひそめる。


「本当にそれでいいのか?」


 真珠は静かに答える。


「今は、それが一番正しいと思います」


 豊は少しだけ笑った。


「分かった。今は、それでいい」


 真珠は深く頭を下げる。


「ありがとうございます、坊ちゃま」


「豊でいい」


 真珠は少し迷ってから、小さく言った。


「……豊様」


 豊は目を細めた。


「一歩前進だな」


 ソフィアは腕を組む。


「調子に乗るな。真珠を泣かせたら海に沈めるって約束は生きてる」


「分かってる」


     *


 その夜。


 カイサーン城。


 怪人ラピスラズリは、水晶の鏡で金城邸を見ていた。


 豊と真珠が、庭で向き合っている。


 ソフィアが二人を見守っている。


 そして、豊の口が動く。


『瑠璃を取り戻す』


 ラピスラズリは、静かに笑った。


「取り戻す?」


 青い結晶の指が、鏡に触れる。


「誰が、誰を取り戻すというのです」


 鏡に亀裂が走る。


「海宝瑠璃はもういません。いるのは、怪人ラピスラズリだけですわ」


 だが、その声の奥に、ほんのわずかな震えがあった。


 大地の悪魔が囁く。


「迷うな。憎め。壊せ。奪われる前に、奪え」


 海の悪魔の黒い泡が揺れる。


「沈めよ。愛も、罪も、婚約も、すべて海の底へ」


 クラーケンが玉座で笑う。


「ラピスラズリよ。お前の怨念はまだ深くなる。次の怪人には、さらに強い力を与えられるだろう」


 ラピスラズリは優雅に一礼した。


「お任せください、クラーケン様」


 しかし、彼女の瞳には怒りだけではなく、消え残った悲しみも宿っていた。


     *


 金城邸。


 翌朝の食堂。


 怜音が両頬に赤い手形をつけたまま、パンを食べていた。


 リュビィがじっと見つめる。


「ブラック、まだ手形ある」


「男の勲章だ」


 ソフィアが言う。


「もう一つ増やすか?」


「遠慮します」


 守が新聞を折りたたむ。


「婚約破棄の報道はさらに拡大している。だが金城財閥としての対応は既に完了している」


 豊は静かに言った。


「婚約がどうなろうと、俺たちのやることは変わらない」


 真珠が紅茶を注ぐ。


「瑠璃様を、お救いする」


 ソフィアがうなずく。


「それから、真珠のこともはっきりさせる」


 真珠が赤くなる。


「ソフィア!」


 怜音が笑う。


「青春だな」


 ソフィアが睨む。


「愛人二十八号」


 怜音は黙った。


 全員が少しだけ笑った。


 重い問題は何も解決していない。


 瑠璃はまだ怪人ラピスラズリのまま。


 カイサーンはますます強くなっている。


 豊と真珠の関係も、答えが出たわけではない。


 それでも、今は一つだけ決めた。


 瑠璃を人間に戻す。


 それまで、前へ進みすぎない。


 止まりすぎもしない。


 富轟戦隊ダイフゴーは、複雑すぎる恋と責任を抱えたまま、次の戦いへ向かうのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ