13.人に優しくなれるとき
「名前教えてくれませんか? ずっと貴女と呼ぶのもあれなので」
「じゃあ、刹那って呼んで」
「セツナ、刹那主義とかの刹那ですか?」
「そう」
「良い名前ですね。本名ですか?」
「どうだろうね」
「どうだろうねって言うの好きですね」
「どうだろうね」
「・・・・・・」
「どうだろうね」
「ぶっ壊れました?」
「・・・・・・」
「ボケた後に黙るの怖いんでやめてください」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・トロッコ問題で頑なに第三の選択肢を選ぼうとする奴って何なんですかね?」
「別によくない?」
「最初に第三の選択肢を選ぶのは構わないんですが、二択から選んでって念押しされたのにもかかわらず、頑なに第三の選択肢を選ぼうとする奴っているじゃないですか」
「いるね」
「二択から選んでと念押しするような人は、二択のうちのどちらかを犠牲にしないといけない状況で、どういう基準でどちらを選ぶのかという道徳的価値観が知りたいから聞いている、という事が普通は分かると思うのですが、何を考えて、頑なに第三の選択肢を選ぼうとするのか不思議で仕方ありません」
「時々いるよね。会話が出来ない人」
「いますね。勿論、答えたくない質問に対して意図的にズレた回答をする場合もありますが、そういう事じゃないと伝えてみても、それが伝わらない人がいるんですよね」
「伝えてみても、伝わらない、って言葉だけ聞くと意味わかんないね」
「トロッコ問題って、実際にトロッコに乗っている時にどうするかという質問と、トロッコ自体はただの舞台装置で、二択のうちのどちらを選ぶのかという心理的な質問、の二つのパターンがあると思うんですよね。それで、相手が知りたがっている方に合わせて回答するのが一般的なのですが、頑なに第三の選択肢を選ぼうとする人は、実際にトロッコに乗っている時にどうするかという一つのパターンしか想定出来ず、そういう事じゃないと伝えても、理解が出来ないんですよね」
「何かで、IQが違いすぎると会話が出来なくなるみたいな話は聞いた事あるね。うろ覚えだけど、IQの低い人は、AよりBの方が好きと言った時に、Aを馬鹿にされたと感じることがあるらしい」
「えぇ。それが本当だとしたら、会話が出来ないのも納得です。AなんかよりはBの方がまだマシ、とか、AごときがBと張り合うな、とか言われたら、Aを馬鹿にされてると感じてもおかしくはないんですけどね。・・・・・・ただ、IQが低い事自体は別にその人の責任ではないと思うので、そういう風な受け取り方をする人もいるんだという理解をしてあげることが必要な気がします。・・・・・・さっきの、頑なに第三の選択肢を選ぼうとする人に対しての文句は無かったことにしてください」
「なんか、相手の立場になって物事を考えることが出来た時、人は人に優しくなれるのかもね」
「そうかもしれませんね」
「それと、心に余裕がある時も人に優しくなれる気がする」
「そうだと思います。何かの映画で、私だってお金持ちになれば人に優しく出来る、という言葉を聞いた時、正に真理だなと感じましたし。まあ、お金があれば心に余裕が生まれますから」
「お金があっても、それに満足出来ない人は、心に余裕は生まれないと思うけどね」
「終わりのない向上心を持っている人はそうかもしれませんね。年収1,000万を達成したとしても、次は2,000万、3,000万、と終わりの見えない幸せを求めていき、結局、いつになっても幸せになれないし心に余裕も生まれない、なんて事になりそうです」
「幸せは求めれば求めるほど遠ざかるものだからね」
「今ある幸せに気付くのが1番簡単ですよね」
「当たり前にあるものを幸せと認識するのは意外と難しいけどね」
「同様に、当たり前にある不幸を認識するのも難しいですよね」
「不幸は認識しないほうが幸せかもしれないけどね。ネットが普及したことで幸せ度が下がった国もあった気がするし」
「ネットが普及したことで幸せ度が下がる、ですか。人と比べたことで、自分が不幸かもしれないと気付いてしまったのかもしれませんね。それが本当の不幸であるというのに」
「なんか、世の中が便利になっていく一方で、人々の幸せ度合いは常に停滞してる気がする」
「いつになれば人は幸せになれるんですかね」
「幸せを追い求めている時のほうが幸せだって思い込んで、不幸を幸福に置き換えて、これからも逞しく生きていくんじゃない?」
「・・・・・・そうかもしれませんね」




