しいと年末
時は2020年。今年も今日を入れてあと3日である。
KISのオンラインライブも先日終了し、しいは仕事納めの1日にすべく自室で画面と睨み合っていた。
どうせしいは年中無休状態だしと思って、昨日は仕事をするふりをしてオンラインでチェス対決をしていた。そしたら雛子ちゃんに「真面目にやれえ!」とゲンコツをくらって余計にやる気を無くして、まあそれはダラダラとやっていたら、昨日のうちに仕事が終わらなかった。そういうわけで今日は至極真面目なのだ。
「そういえばしいちゃん、再来週修学旅行だよね。準備できてるの?」
「へ?」
雛子ちゃんは年末の大掃除だとか言って、私の部屋に居座っている。今はクッションラグに寝っ転がってコタツでみかんを頬張っているところだ。
「何、『へ?』って。もしかして何も準備してないの?」
「あ、いや。ううん?ちゃんとしてるよ?」
「ふーん。どうしたの、ぼーっとして」
そう言って雛子ちゃんが覗き込んできた。しいの指はキーボードのホームポジションに置かれたまま止まってしまっている。なんだか決まりが悪くなってカップに手を伸ばしたけど、ほのかにオレンジの香りがするだけで中身は空っぽだった。
「何でもない何でもなーい」
「そう?」
オレンジティーのおかわりをねだると雛子ちゃんは床に直置きされているポットからお湯を注いで持ってきてくれた。去年まではお互いこの時期になると実家に帰省していたから、年末にこうやって二人で過ごすのは新鮮でちょっぴり気恥ずかしい。
そんなしいのことは意に介さずといった様子で、雛子ちゃんはポットの水を補充するとかで鼻歌混じりに部屋を出て行った。そんな雛子ちゃんは、リビングか自分の部屋で過ごせばいいのに、昨日ありったけのティーバッグとお茶請けを持ってしいの部屋にやって来た。いや、案外寂しがりやなのかもしれない。
ひと段落ついてコタツに潜り込むと、タイミングよく京ちゃんから連絡が入った。今年は夏休みの3人旅も無かったし、アリスも国に帰れないから、良かったら家に遊びに来ないかと言うのだ。ちなみに京ちゃんは東京の高層マンションに親御さんと離れて暮らしている。京ちゃん曰く実家は田舎の大地主らしい。前に家出したのかと聞いてみたことがあるけど、そうでもないらしく、教育方針だとか何だとか言っていた。
「って話になってるんだけど、行ってもいい?」
そう聞くと、雛子ちゃんは膨れっ面になって「行けば」と言ってそっぽを向いてしまった。もうこれはお土産をたくさん買ってくるしかあるまい。
急いで準備をして特急に乗り込んだ。例年ならば人でごった返して動けないほど混んでいるはずなのに、あっさり指定席まで取れてしまった。感染対策なのか経費削減なのか知らないけど、車内販売は無いからなというアナウンスがしつこく流れている。
まだ発車まで時間があるので、一度下車してコンビニにお菓子やらジュースやらを買い足しに行く。そのついでに、お土産に真堕町名物の真堕饅頭も買うことにした。ちなみにこの真堕饅頭、それはそれは甘ったるいりんご餡の饅頭である。そして、何をとち狂っているのか知らないが12個のうち必ず1個は“アタリ”の激辛ワサビ餡が入っているらしい。おまけに抽選で10名に12個全てがワサビ餡の真打饅頭が当たるとくる。やはりこの町の人たちはどこかズレていると思う。まあ、私はそのズレにアリスがピッタリくるんじゃないかなあと見越してるんだけど。
「あの、もしかして、というか絶対しいさんですよね?」
ちょうど発車した頃、男の子と言うには大きいけど男の人と言うには若い……とにかく男が声をかけてきた。癖のついた毛は似合わないキャップから飛び出し、メガネに黒いマスクと三段構えで怪しさの塊でしかない。はて、こんな知り合いなんていただろうか。
「あ、すいません。オレ、青島アズミって言います。去年は校舎一緒だったんですけど挨拶する機会が無くて。KISのことも大好きで、毎回ライブ行かせてもらってて、あ、こないだのオンラインライブも見ました!すごかったです!興奮しました!」
なんかすごいスピードで言葉が右から左に通り抜けていって、ハテナしかなかった。
「いつも父がお世話になってます。去年父がしいさんに仕えてるってこと知ったんですけど、聞いてもしいさんのこと全然教えてくれなくて」
父?仕える?誰だ……
「すいません、もう一回名前聞いてもいいですか?」
「アズミです!明るいに澄みわたるで明澄です!」
「じゃなくて、苗字のほう」
「青島ですか?」
なんで疑問形。て、青島?あの青島?青島隆ニの青島?まじで?父なの?お父さんなの?パパなの?どういう?
もっとハテナな顔の私に、自称青島の子どもも困惑しているようだ。
「えっと、すいません。人違いでしたか?」
「あ、いや、合ってますけど、青島に……じゃなくって青島さん?くん?に子どもがいるって初めて知って」
「言ってなかったんですね!納得です。あ、そろそろ着くんでサインもらっていいですか」
華麗に色紙とペンを取り出すから感動していたら「いつ会ってもいいように準備しているんです」と言っていた。誰に会う設定なのそれ。青島なんとか君はヤマタノオソジロ駅で降りていった。
*
東京に着くと雪がちらついていた。右を見ても左を見ても残業やらイルミネーションやらで光に溢れている。電車を乗り継いで京ちゃんの部屋に着くとアリスも一緒に出迎えてくれた。濃厚なバターの香りが鼻腔をくすぐる。もうクリスマスは終わったのに、クッキーにケーキに、チキンまで焼いているらしい。
「井野ちゃん、髪切った?」
「お、気つくの早いねえ。さすがしいちゃん!」
「聞いてよ。アリスったら、ここに着いてすぐ『髪切りたいねぇ』って言ってさ。美容院まで連れて行かされたのよ」
「あはは。さすが井野ちゃん」
ご飯を食べてお風呂に入っていたら、あっという間に時間が過ぎていった。カーペットの上にはトランプやらウノやら色々なカードが散らばっていて、机の上に空いているスペースはひとつも無い。絶対あとでカードが何枚か足りないって大騒ぎすることになると思う。3人分の部屋はあったけど、みんなで川の字になって寝たいという話になって、布団を敷いてリビングで寝ることになった。
「それで、京ちゃんは彼氏できたの?」
やっぱり女子でパジャマパーティーと言えば恋バナ!洗いざらい聞き出してやるう!
「ぜんっぜん。相変わらず。そういうしいちゃんはどうなのよ」
「えー、何で私の話になるの?井野ちゃんは?」
「アリスは自分の話よりしいちゃんの話が聞きたいんだね!」
くっ!いい感じに話ずらしたのに戻された。まあいい。私が喋ればみんなも喋ってくれるに100ペリカ!
「んーとね、この間『一緒に、あっちに移住しようか』って言われたんだけど」
「何それ。移住ってどこに?ていうか付き合ってるの?」
「たぶん海外?全然まだ付き合ってないけど……」
他の惑星とは言えまい。まあ、日本とそれ以外って考えたら外国も宇宙も海外だと思う。
「え、しいちゃんの好きな人って日本に住んでるんだよね。それで付き合ってないけど一緒に海外で住もうって意味不明じゃん」
「こら!京ちゃん、話は最後まで聞くだね!」
「あ、ごめんなさい。それで、何て返事したの?」
「うん、まあ、急だったからはぐらかしちゃって。あっちはハーフだから多分住むところとか仕事とかは大丈夫だと思うんだけど」
「しいちゃん、借金の紙にサインしちゃダメだよ?」
「アリス、たぶんしいちゃんはそこは大丈夫だと思うわよ」
「えー、なにー『そこは』ってー。そこ以外は大丈夫じゃないのー?」
途端、3人同時に吹き出した。
「あははっもう、京ちゃんったら。あ、そういえばお土産買ってきたんだった」
リュックの底から真堕饅頭を取り出す。
「じゃーん!真堕町名物の真堕饅頭!」
「また夜にそんなの出してきて、太っても知らないわよ?」
「見て!京ちゃん!アタリでワサビ餡饅頭だって!しいちゃん、開けていい?」
「いいともいいとも。井野ちゃんならノってくれると思ってた」
「分かってるね、さすがしいちゃん!」
アリスは丁寧に包装紙を剥がし、12個の饅頭に目を凝らしてワサビ餡を引き当てようと奮起している。
「それにしても、生まれも育ちも全く違う私たちがあのキモプロデューサーにスカウトされてここでこうして会えてるって、結構すごいことだよね」
「たしかに、そうだよね。キモプロデューサーのおかげっていうのが癪に触るけど、すごい奇跡だよね」
キモプロデューサー、名前出てこない……何だったっけ?
「もう、2人ともキモキモ言わないだね!久留米プロデューサーでしょ?久留米!」
「「そうそう」」
どうやら京ちゃんも名前を忘れていたらしい。
「さ、夜更かしは乙女の大敵だよ!そろそろ寝よう」
そう言って京ちゃんは電気を消しに行く。
アリスは豆電球がないと寝れないとか言ってたけど、私は以外と暗闇が心地よかった。
*
「ほら行こう、しいちゃん」
優しい声が髪を撫でる。山の方をもう一度振り返って、ぜうす先生の腕を取った。
「やっぱり心配?」
「うん。雛子ちゃんは笑って送り出してくれたけど……」
暗いトンネルにカツカツコツコツと2人の足音が反響する。
「きっと、みんな分かってくれるよ」
「うん……」
開けた視界の奥に顎髭ダンディーと金髪爆乳の姿が見えた。たくさんの光が空洞を照らしている。ぜうす先生に手を引かれて甲板を進むと足元には底の見えない大きな大きな虚空が顔を出す。2人は手を握って……
身を投げた。
目が覚めると、不意に涙が零れ落ちた。まだ京ちゃんもアリスも寝ていて、空も暗いままだった。秒針が時を進めてくれるおかげでまだ自分は生きていると分かるけど、この夢が真か偽りかと反芻するだけで胸が苦しくなる。どうしてこんな夢を見たんだろう。ぜうす先生が夢の中で会いにきたのか、それとも私の願望か。神の戯れか何かの啓示か。何にしても、幸せなはずの一つの運命がとても怖くて、でもとても羨ましくて、言い訳のできない恋心を、いや愛を、奥歯で、喉で、胸で、背中で、指の先で、五臓六腑で、組織で、細胞で、しいの全てを以って噛み締めた。
*
次の日の朝、何も無かったかのように笑い、手を振った。せっかくの機会だがこの社会情勢である。観光はせずおとなしく帰路に着くしかあるまい。結局雪は積もらず、水たまりを作るだけだった。
家に帰ると、青島がリビングでピザを頬張っていた。
「あ、姫さん!ご無沙汰です」
雛子ちゃんが玄関に置きっぱなしの大量のお土産を取りに駆けていく。
「青島、もしかして隠し子とかいる?」
「いや別に隠してないですよ。あれ、姫さんには言ってませんでしたっけ?ていうか、何で姫さんが知ってんすか」
「何でかなー。何でだろうねー」
「何すか、気になるじゃないですか」
うーん、ここで素直に教えたら面白くないよなあ。
「雛子ちゃんとの事を教えてくれたら、こっちも話す気になるかもなー」
敢えて青島を下から上まで吟味し見回す。
「何すか、もう、あざといですよ。雛子さんに喋っちゃダメって言われてるんですから、喋らないですからね」
青島は人差し指を立ててメトロノームみたいに左右に振っている。
「ふーん、喋っちゃダメって言われてるってことは、あんなことやこんなこともしてるのかなー。あーんなこととか、こーんなこととか……」
「ちょ、何想像してんすか。そんな、何もしてないですって」
「ふーん、私がライブでいなかった日とかー、昨日とかー、ここに来て何をしてたのかなー?」
あんなことやこんなことを想像してか、青島の耳は赤くなっている。ふむふむ。あんなことやこんなことはしている、と。まあ、IZUMOに聞けば一発で分かることだけど、そんなのは品がない。やっぱり手を繋いだり、キスをしたり、はたまたその先……なんていうのは当人の口から聞いてこそというものだ。
「ま、いいや。息子さんとは電車であったんだよ。あっちから声かけてきたの。子どもいること雛子ちゃんに言ってないなら早く言っておきなよ?あ、プロポーズするときは手伝うからね」
今か今かと待っている乙女を見るのも飽きたもので、そろそろ彼らにはゴールインしてほしいなーと思っている。雛子ちゃんもあと少しで二十歳だし、歳の差って言っても男は精神年齢が実年齢より低いって言うし、どっちもしいにとっては大切な人だから上手くいってほしい。そして、一端を担った者として見届けるというのもしいの立派な役目であろう。最大の助力は惜しまないつもりだ。
昼からは大掃除を敢行することにした。もう思い切って2階にキッチンでも作ろうかなと思ってオーブンやら冷蔵庫やらも注文してきたけど、届くのは年が明けてかららしい。
『神楽剣志から着信です』
びっくりしたあ。何の前触れもなく急にIZUMOがそうやって言うから、反射で身震いしてしまった。それにしてもここ最近何かしてるときに横槍入ること多くない?
「もしもし?」
「もしもし。俺だけど」
「うん?オレオレ詐欺かな?」
「違う違うっ!神楽剣志だよ!」
「分かってる分かってる。それで、どんな御用で?」
トランペットの音が聞こえる。こんな昼間っから、バーにでもいるんだろうか。
「んー、別に用ってわけでもないんだけど」
絶対嘘だ。ぜうす先生が用も無いのに電話してきたことなんて一度もない。……と思う。
「用がないなら切るよ?」
「この間のことなんだけど」
ほらやっぱりあった。
「んー?こないだのことって、下着見たことならもう怒ってないよ?」
「それは本当にごめん」
「うん、それで?」
「移住しようって言ったこと、覚えてる?」
そりゃあもちろん覚えてますとも。
「それで、返事を聞きたくて」
ほう。んー、まあでもさ、そこはもうちょっと何か説明を尽くしてくれるものじゃない?わかるよ?安易に情報は流しちゃいけないものだし、返事聞いてからって思ってるのかもしれないっていうのも分かる。私よりいっぱい考えてるだろうってことも分かるよ。でもさ。
「私、ぜうす先生のこと好きだし愛してるけど、でもだからって、好きだから愛してるからっていう理由だけでハイ着いていきますって尻尾振って言うほど尻軽くないよ」
「あ……」
おっと。ちょっと今のは言い方が悪かったかな?
「そう……だよね。ごめん」
「うん」
「ごめん、また連絡する」
そう来ますか。いいよ全然。待つからね。私はぜうす先生と結婚したい女、高梨依鶴なのだから!……ってカッコつけてみるけど、うん、なんかちょっと振ったみたいな雰囲気になってるよね。あとでフォロー入れなきゃ。
「良いお年を」
「あ、うん。良いお年を」
先に電話を切ったのはあっちだった。
さて、どうなりますことやら。大掃除終わるかな。
「ふんふふーん」
「何、しいちゃん、良いことでもあったの?」
ご飯をよそっていると雛子ちゃんがそう聞いてきた。
「別にー?」
「どうしたんですか姫さん。やけにテンション高いですけど。怖いっすよ」
「どういうことー?しいのどこに怖い要素があるのー?」
「ほらほら2人とも喧嘩してないで。食べよう」
今日は雛子ちゃん特製、土鍋鯛めしである。
「いただきます」
「いただきます」
「いただきまーす」
ゆく年くる年、行き違い、泡沫、空蝉、有為転変、今日も全てどこかでつながっている。
京ちゃんって京優姫って名前だけど、しいちゃんもアリスも京ちゃんって呼ぶから優姫って名前が役に立ってない気がします。アリスの方は、なんか最初に「井野ちゃん」って呼んでしまって、アリスには苗字じゃなくて良いし呼び捨てで良いよって言われてるけど今さら恥ずかしいし井野ちゃん呼びが定着してしまってどうしようもないしいちゃんです。
青島の息子の明澄くんは閑話で出てきた厨二ボーイです。ちょっと成長したかな。
父の方の青島はのらりくらりという感じで、まだまだ時間がかかりそうなにおいがぷんぷんします。まあ雛子ちゃんまだ大学生だし。はて、両親に挨拶行ってるんでしょうか。
なんて色々考えてたらすぐ年が明けてしまいますね。
皆さん良いお年を。




