閑話 五人囃子雛子と告白
しいちゃんがお見舞いに行ったちょっと後ぐらいのお話です。
涼しげに風に揺れる白いヒマワリを見ながら、私、五人囃子雛子は一人寂しく紅茶を啜っている。クーラーに頑張ってもらいながら飲む温かい紅茶は私の心を落ち着かせてくれる……はずなのだけれど。
なんだか落ち着かない。
そんな私の心に合わせたように、空に雲が集まってくる。このままいけば雨が降りそうだ。洗濯物を入れていると、やっぱり予想が当たってポツポツと降ってきた。
しいちゃんはなんだかよく分からないけれど学校のことが忙しいみたいで最近は部屋に篭りっきりだし、青島くんはここ数日夏休みを貰ってどこかに行っている。去年もそうだったけど、どこに行くのか聞いてもちゃんと答えてくれなかった。最初は実家に帰るんだろうと思っていたのだけれど、そうではないのだと微妙な口ぶりではぐらかされたし、はっきり言わないのがなんとも気に入らない。電話では今日帰ると言ってたけど、そもそも真堕町に帰ってくる話なのか家に帰ってくる話なのかも分からないし。本当に適当で困る。
これは気分転換が必要だ。そう、私の大好きな、お掃除が!
生乾きの物は吊って、乾いていたものは畳んでしまう。早速自室に戻ると掃除用の服に着替えた。この高校のときのジャージは動きやすくて重宝している。まあ、恥ずかしいから一人のときしか着ないのだけれど。
それで、今日は地下の整理整頓をすることにした。もちろんこの家の管理を任されている者として埃や汚れは一切残さず綺麗にしているけど、私としては、掃除は不十分なことはあっても過剰なことはないと思っている。ああウズウズする。そこに誰か人がいたら言いたい!「任せてください!この家の『キレイ』はこの五人囃子雛子が守ります!」と。
いつも青島くんが使っている客室や水回りの掃除を終えて食糧庫の整理をしていたら、しいちゃんが呼びにきた。どうやらとっくに日が落ちているらしい。
「今日のご飯は?」
「まだ決まってないけど何がいい?んー、でも青島くんが来るかもわからないし、どうしようかしら」
ジャガイモを手に取って吟味していたら、しいちゃんの後ろの方からガタリと音がした。顔を上げるとしいちゃんがよく分からない顔をしている。
「何言ってるの、雛子ちゃん。さっきから青島、そこにいるじゃん」
そう言ったしいちゃんの指差す方には、しっかりと青島くんの姿があった。
「えっと、雛子さん?」
「ひぇ?」
「ぷっ、雛子ちゃんっ、しいは先にっ戻ってるねっふふっ」
しいちゃんは笑いを堪えながら戻っていった。いつもなら怒っているところだけど、青島くんがいるならそんなことはできない。これは後で拳骨が必要だな。
「コスプレですか?」
青島くんは、不意にそう言った。
「え?」
視線を落とせば紺の布地が見える。それに、下ろしていたら邪魔だったから髪の毛もくくっている。そうだった。体操服……ポニテ……コスプレ……いやいや、コスプレじゃないし。
「もう、何言ってるのかしら?掃除のために着替えただけだから。家の中でコスプレなんてするわけないでしょ」
そう言って青島くんにジャガイモを押し付けると、青島くんの背中を押して出口へ急いだ。暗くてよく見えないけど、大きな背中を包むスーツの手触りが、そう、このカッコつけてるのかつけてないのかよく分からないソフトな感じがとても良い。こういうところが青島くんらしいというか何というか。
「その。似合ってますよ」
「もう、何言ってんの。早く行かないとしいちゃんにからかわれちゃうよ?今日も泊まって行くんだよね」
「あ、はい。今日はカレーですか?」
青島くんは立ち止まって、こっちを見ずにそう言った。折れて曲がった両腕を伸ばして青島くんを進ませようとしたのに、誤って手は肩の上へ……滑ってそのまま背中に胸からダイブしてしまった。
「ふぇ」
しまった。本当にゼロ距離で密着している。全身で接地……というか、スローで撮ったボールが地面に落ちる瞬間みたいな……まあ言わずもがな。うん、これは無かったことにしようと思う。そーっと後ろに離れると、間髪入れずに青島くんの肩を叩いた。
「残念。今日は肉じゃがです」
「お、いいですね。好きですよ」
何が好きかって、そりゃあ肉じゃがが、なんだろうけど。いいなあ肉じゃが。「好きだ」ってそんなにも簡単に言ってもらえて。
「最近、暑くてかなわないですよね」
「分かるわあ。しいちゃんの手なんか握るとひんやりしてて気持ちいいのよ。たまにしか握らせてもらえないんだけどね」
そんな他愛のない、いや私にとっては他愛ないなんてことは全くないけど、とりあえず話をしながらキッチンに到着すると青島くんはジャガイモを置いて「ハイ」と手を差し出した。しいちゃんと違って大きくて、でも、ひんやり……
「え、そうじゃなくて」
「え?」
気づかないうちに、手を合わせてしまっていた。慌てて引っ込めたけど、これは失敗。
「今日はお料理手伝おうかなと思って、玉ねぎとかニンジンとか取ってくださいって意味だったんすけど」
「そ、そうよね。ごめんなさい。その、さっき手の話をしてたから。冷たそうだなって、思って。はいどうぞ」
その食材を難無く受け取って、青島くんは手を洗うついでにそれらの土も落としている。それぞれ皮を剥いて乱切りにしたのを炒めてお水とお砂糖でグツグツ煮込む。みりんを入れて味見をしていたとき、青島くんは再び口を開いた。
「それで、どうだったんですか?」
「何がー?」
「手、冷たかったですか?」
て、つめたかったですか?……あ。手冷たかったですか?、か。
「うん。気持ちよかったわよ」
「そうですか。それは良かったです」
およ?今何か変なことを言ったような?いや、考えるのはよそう。もう、考えるのは放棄だ放棄。
十分に味を染み込ませて、主役のジャガイモに糸こんにゃく、豚肉にニンジンにエンドウに玉ねぎがゴロゴロ入った特製肉じゃがの出来上がりである。久しぶりに3人で囲む食卓は賑やかで微笑ましかった。
「そういえば、雛子ちゃん。この間、取引先のおじさんに一泊二日のディナー招待ペアチケット貰ったんだけど、いる?明後日までなんだけどさ、私、忙しくていらないから」
そう言うしいちゃんは夕飯後の緑茶を啜りながら、青島くんに取引先のおじさんの気持ち悪さを語っている。
「しいちゃん。嫌味?」
「なんの話?」
しいちゃんはこてりと首を傾けて何のことか分からないという風な顔をしている。
「そのディナーの話よ。私に一緒に行く人、いると思う?」
「えええ、逆にいないの?高校のときの友達とか、普通にいるでしょ」
「この時期に、ねえ。サナは実家に帰ってるし、夕日は北海道だからなあ……」
うーんと唸っていると、しいちゃんは悪巧みをしている顔で寄ってきた。
「ねえ、二人で行けばいいじゃん」
「誰と?」
「そりゃあもちろん、青島と!」
しいちゃんが指差した先にはやはり青島くんがいる。
「え、と。青島くんと?」
「そうだよ?二人とも暇でしょ?いいじゃん、二人で行けば?」
青島くんと、ディナー。青島くんと、一泊二日。アリか?うーん、ナシ……ではない。ナシ寄りの、アリ。
「俺じゃご不満ですか?」
余計なことを考えていたら、嫌がっていると思われたらしい。全然そんなことないから!
「ううん、そんなことないよ。ナシ寄りのアリだから」
「じゃあ決まりだね。はいどうぞ」
チケットを手に握り込まされると、そのツルツルした感触と若干の手汗でなんとも言えない気分になった。その間にしいちゃんはお茶を飲み干して颯爽と自室の方へ戻って行く。7時になって一気にライトアップされた中庭のヒマワリが、風に揺れていた。
「場所、聞いてなかったですけど何処ですか?」
そう言われればしいちゃんから何も聞いていなかった。いやでも、手の中には夜景の写真が印刷されたチケットがある。
「えっと、アーチェ?なんて読むの、これ」
青島くんはフランス語でノアの方舟という意味なのだと教えてくれた。ふと隣を見ると思った以上に顔が近くてびっくりした。整えられた髪はその流れに沿って後ろへ流れ、固め損なったのであろう毛が軽やかに弾んでいる。正直、かっこいいと思う。いや別に面食いじゃないんだけどね。
「へえ、東京ですか。姫さん最近東京の人なんかと会ってたかなあ……」
「ほら、このあいだライブ行ってたし、そこでじゃない?どうする?電車で行く?いや、車の方が安いかな」
顔を見つめていたのを誤魔化すようにスマホへ目をやると、サナから明後日どこかへ遊びに行こうというメッセージが入っていた。これは断らねば。
「自分が車出しますよ」
「お願いするわ」
軽く時間や持ち物をすり合わせて、その日はそれぞれ部屋に別れた。
実は、青島くんの車に乗るのは初めてだったりする。幾度となくこの家に駐められてきたモスグリーンの軽に、ようやく今日乗れると思うとなんだか感慨深い。ああほら、こうやって何気なく助手席のドアを開けてくれるところとか、紳士でいいよね。
「何の曲がいいですか?」
「今流行ってるドライフルーツって曲、聞いたことある?」
「無いです」
「じゃあそれにしよう」
曲が終わるくらいで高速に乗った。ああ、ほんとにすごいいい曲だと思う。この切ない感じ。やっぱり好きだよーっていうこの感じ。なんならもう一回聞きたかった。いやもう違う曲勝手に流れてるから無理なんだけどさ?
「雛子さん」
「んー?」
「このまま行って大丈夫ですよね?」
「もちろん!」
私は満面の笑みで答えたけれど、青島くんはなんだか浮かない顔をしているように見えた。本当は私と行くの、嫌だったのかな……
あっという間と言えばあっという間で、休憩も何回か挟んで大体4時間ほどで東京に到着した。目的地まではまだ20~30分かかるらしい。
「青島くん、ツリーってどっちの方向かわかる?」
「墨田区だから、あっちのほうじゃないですか」
青島くんが指差した方角の空を見上げてみたけれど、向こうのほうは雲がかかっていてよく分からなかった。
「まだ時間ありますけど?」
「いいんじゃないかしら?」
そんなで勢いに乗って金ピカのエレベーターで展望デッキに上がったけれど、やっぱり上空も曇っていて残念な感じだった。せっかく全然人がいないっていうのに、なんてもったいないんだろう。
おい晴れやがれー!私も「今から晴れるよ」とか言ってみようかなあ。いやだめだ、それは中学生のセリフだ。違う違う。青島くんがトイレに行っている間に眉間に皺を寄せて雲が遠ざかっていく様子をイメージして手をかざすと、しつこかった雨雲は逃げ出すように散って行った。ほんともう、神様の意地悪なんて吹き飛ばしちゃうんだから!
これでよし……と思ったのに、トイレから戻った青島くんはまたもやよく分からない顔をしていた。うーん、お腹の調子が悪いのかな?
「どうしたの?」
「いや、晴れたんですね」
「そうね、運が良いわ」
会話も手短に、足取り軽くエレベーターに乗って展望回廊へ向かうと、それはそれは晴れやかな空が広がっていた。
「すごいわね」
下を見ると川を走るボートなんて爪の先ほどしかなくて、電車や車なんかも可愛かった。回廊を進んでいくと中にへこんでいて両の壁が鏡になっている場所があった。
「見て!ここで写真が撮れるみたいよ」
「雛子さん!」
「ひゃっ」
急に大声で呼ばれて変な声をあげてしまった。恐る恐る振り返ってみると、ひざまづいている青島くんがいる。
「雛子さん。この青島隆二と、付き合ってもらえませんか?」
青島くんは下を向いて手を差し出している。いや、これを取らない手はないでしょ。え、そういうことだよね?にぎにぎしてってことだよね?にぎにぎって今のちょっとキモかったな。いやでも、にぎにぎするもん!
「よろしく、お願いします」
パッと青島くんが顔を上げると、そこには喜びを隠せないというような、晴れやかな笑みが広がっていた。
「よ……かったー」
「っしゃー」と拳を振り上げ、青島くんは喜んでいる。
「雛子さん」
「ん?」
「大好きですっ」
不意に青島くんが抱きついてきて、倒れそうになってしまった。今日から、青島くんが彼氏。青島くんが、彼氏なんだ……最高じゃん!しいちゃんありがとう。もう、嬉しさが大爆発して、地球全部晴れになるくらい晴れ渡った。
それから、車でいろんなところを巡って、日が沈んだ頃にレストランに着いた。貸し切りで広いフロアに二人、街明かりを眺めつつ食べるフランス料理は格別に美味しかった。
そのままホテル部屋に案内されたけど、バーもゲームセンターも全部無料だって言うから飲んで遊んで楽しみまくった。
「もう、今日は振られるなって思ったんですよ」
「なんでよ。すごーく私ドキドキしてたのに、青島くんはそんなこと考えてたの?」
「だって、ほら。行くときに、最初に何の曲流しますかって聞いたじゃないですか。『ドライフルーツ』って、失恋ソングだったし。自分もしやこれ振られるんじゃないかって思って」
「そんなことでー?」
頬を赤く染めた青島くんは、グラスを揺らしながら頷いた。
「いや、それだけじゃないですよ?そもそも行く前からナシよりのアリって言われてましたし。ツリーに行ったときも曇ってて、頑張って告白するセリフ考えてたのに、トイレから出たら晴れてるんですもん。こりゃもうダメだと思って、もう半分くらいヤケくそでした」
「なにそれ、素直で青島くんらしいなって思ったのに。私の感動返してー」
「雛子さん」
お酒のせいかもしれないけど、すごく青島くんがカッコよく見える。
「好きです。付き合ってください」
「もちろん。喜んで」
トランペットの鳴り止んだその合間、甘い葡萄の味で優しく満たされていた。
実は青島くん、タワーもホテルも貸し切りにしてたみたいですね。感染予防はバッチリです。
みんなでコロナ乗り越えようー!




