しいと出会い(1)
2月も半分が過ぎたある日、しい達は珍しくリビングでおやつの時間をとっていた。
「そういえばさあ、しいちゃんと神楽先生っていつ出会ったんだっけ?」
「2年前の秋の宿泊学習でしょ。青島が海外出張行ってたときの」
「え、そうだったの?」
「雛子ちゃんは知らないでしょ。迎えにきた運転手が『危ないので車に縛り付けておきました』って言ってたもん。その時にいたんだけどね」
「もう、私は気が気じゃなかったっていうのに」
そう。これは高梨依鶴と神楽剣志が出会った日のこと。ちょうどこの町ができた日の話である。
――約2年と4ヶ月ほど前のこと――
「しいちゃーん」
そんな呼びかけがしいの意識を徐々に覚醒させる。
「んー。今どこー?」
「サービスエリアで休憩中。そろそろ出発するよ?ここ出てちょっと行ったら高速出るし、きっとすぐ着くわ」
雛子の声に応えるようにサイドブレーキレバーが下ろされ、シフトレバーが操作されるのと同時にDの文字が光る。そうして車はサービスエリアを後にした。
「んー」
今日は遠足の日。なのだが、しいは別行動だ。
みんなはなんとか岳にある中腹のロープウェイの駅から山頂まで登山するらしいが、そんなのしいは直ぐに音を上げるに決まっている。というわけで、しいは途中まで登山組について行って、違うロープウェイに乗り換えて山頂まで行き、ちゃっかり合流するという計画なのだ。
勿論しいは遠足の出発式など出るはずもなく、昨日の午前中からグースカと眠っていた。
「あと何分ー?」
「お昼頃には着くかと」
起きかけのしいにそう答えるのは、お父様の運転手である。
青島はというと、なかなか成果を出さない海外班に喝を入れるため、1週間ほどの海外出張に行っている。雛子ちゃんはまだ運転免許証を持っていない。結果的に、宿泊学習に行くと言っただけでSPをつけるとか騒ぎ出す心配性な父に甘えさせてもらっているというわけだ。ちなみに、SPのことはなんとか説得して諦めてもらった。
「とにかく急いで?もし集合に間に合わなかったら、しいはお父様に頼んであなたをクビにしてもらわなきゃいけなくなっちゃう」
しいの言葉に運転手の口角は自然と上がるが、目だけはしっかり彼の気持ちを代弁している。運転手の目は鏡越しにしいを睨みつけていたのだ。そして目線はすぐに進行方向へ戻される。
実家にはしいを快く思わない者はたくさんいた。
使用人たちからすれば、しいは母親と血が繋がっていない(父と血が繋がっているのかも聞かされていないが)何処の子とも知れない童である。そんな童が自分を育ててくれるありがたい人物にいつも喧嘩腰であれば、家の雰囲気を悪くする害虫として見る他ない。
そして、この運転手もそんな使用人の1人なのだ。当然しいはそんなことなど微塵も気にしていないのだが。
車はカーブを通過し減速、インターチェンジで国道へ出た。ここまでは良かったのだが。
「ちょっとー!何してんのー!ねえぇっ運転っ手!」
現在、車は右に左に高速でドリフト走行している。しい達を待っていたのは何百メートルも続く急カーブだった。
「しっかりアシストグリップに掴まっていてください」
「アシストグリップってなにー!」
「あるでしょう。あなたの右上に。掴まるやつです。そんなこともわからないんですか」
「説明へたくそ!このつり革の車バージョンみたいなやつ?もうすでに掴まってるし!」
「アシストグリップです」
「何でそんなに余裕なの!てか普通に走って!」
車はカーレースでもしているんじゃないかと感じられるほどの速さで数多のカーブを越えていった。
「もう無理!吐きそう!ねえ、止まってよ!とまってええぇぇ!」
「はい。止まります」
そういって運転手は車を急停止させた。
「到着です。ここから2分ほどでロープウェイ乗り場に到着します。ゴンドラに乗ってから中腹の駅までは10分程でしょうか。こちらと温度差がありますので体温調節にはお気を付けください」
“普通の”運転手のような口調で眼鏡を拭きながら喋るこの男は、本当にクビにされたいらしい。
「ほらほら、しいちゃん。あったかくして?きっと山頂は冷えるわ」
そういって雛子は予備のコートやカイロ、ホットレモンのペットボトルをリュックに詰め込む。
雛子ちゃんは何ともないのか。本当に強いな。
「雛子ちゃん、心配だからってついて来ないでね?」
「わかったわかった。行ってらっしゃい」
「行ってきます」
しいは車を降り、とりあえず山の方へ歩き出す。そしてリュックの左ポケットに入っているプリントを取り出した。
きっと、しいのような生徒がたくさんいるのだろう。注意事項が印刷された登山者用プリントの裏には、丁寧に非登山者用の注意事項も印刷されていた。ロープウェイ乗り場前広場(白鯨珈琲店前)に13時集合と記載してある。引率は……神楽先生。服装は登山に適した格好、小遣いは3000円までと。どうやら、ロープウェイで中腹まで行くのは同じらしいが、ロープウェイを乗り換えて時間短縮するぶん2時間ほど遅い集合時間になっているらしい。
しいは運転手の予告通り2分ほどでロープウェイ乗り場前広場に到着した。今は12時25分。流石にこの時間に集まっている生徒はいないだろう。しいは近くにあるベンチを陣取ってノートパソコンを開き、仕事を始める。
ようやく集中し始めたという頃。
「うっわー、カッコつけてる女子がいる」
「もしかして俺らの学校の生徒じゃね?」
「ふっふっふ」
そんな会話が聞こえた。
顔を上げると、半袖と長ズボンのダサい格好な上に腰に上着の長袖を巻いてダサさを増幅させている謎男子一号と、半袖を着ないでシャツの上に長袖を羽織り、前を開け放っている謎男子二号と、長袖長ズボン長靴の完全防備でタレが滴る焼き鳥を10本ほど両手に持った謎男子三号がいた。
「ねえねえ、パソコンでなーにしてんんのっ」
「俺らめっちゃナンパうまくね?」
「ふっふっふ」
できるだけ関わりたくないという思いから、しいはその後の男子の発言も無視していたが、しいのパソコンを取り上げようとしてそれを掴む男子二号の手には思わず反応して叩いてしまった。
「え、今のやば」
「これ暴力事件じゃね?」
「ふっふっふ」
「何言ってんの?どう考えたって今のは正当防衛じゃん。あんまりしつこいと誰だっけ?引率の先生に言いつけるよ?」
「ちっ、今回は見逃してやる」
「次はナンパされてよね?」
「ふっふっふ」
負け惜しみのような台詞を吐いて男子たちは近くのトイレに引っ込んでいった。
この学校は大丈夫なのかと心配になる民度の低さ。どんな教育したらこの歳でナンパとかできるんだ……としいは思いつつも、明朝に打ち上げたロケットに関する報告書をチェックするために再びパソコンに目を戻す。
言われたら完璧にできる技術を持っているくせに、しいのチームのメンバーは何をどうやってもしいに意見を求めたがる。本当はできるのに、できないフリをしているのかもしれない。毎回意見を求めてくるところだけ見れば無能なのだが、いつも120%の結果を出してから卑屈な文章を並べるところがなんとも言えない。それをどうにかするために青島を副リーダーにしたのに……なんて考えていてもどうにもならないので放っておこう。まあ、あのチームは似たものの寄せ集めなのでしいも他のメンバーとそう変わらないのかもしれないのだが。
話が横道に逸れて、道草を食っている間に時間は迫ってきたようで、しいはパソコンをカバンに仕舞い、集合の白鯨珈琲店に向かっていた。
*
珈琲店の前ではしいに加え先ほどの男子3人、それからミニスカ金髪ポニーテルと、スキーウェアを起きていて目が見えないほど長い前髪の中性的な女子(さっきパステルピンクのハンカチを出していたのでそう判断した)が店の方を向いて待っていた。統一感がなく、一人を除いてたとえ移動手段がロープウェイでも今から山頂まで行くとは思えない薄着集団がここにいる。
程なくしてパンパンになったビジネスリュックを担いだスーツ姿の男性が持ち帰り用のコーヒーカップを持って出てきた。
「おまたせ。あ、全員揃ったかな?いや、永峰君がまだだね。みんな五分前行動とかすごいじゃん。その調子で相良さんは髪を黒く染めて清潔感出して服の着こなしがちゃんとできれば良いんだけどなあ」
「ペチャクチャうるせえ」と金髪ポニテが小声で文句を言っていたが、先生には聞こえていないようだった。
5分ほど過ぎた頃、例の永峰君はやってきた。
「お、やーっと来た」
「永峰氏今日も遅刻じゃね?」
「ふっふっふ」
「いつも着ているジャンパーがありませんでした」
「まじか、それで遅刻したのか」
「でも去年より早くね?」
「ふっふっふ」
「確か去年は集合時間より1時間半遅刻してました」
男子3人組とパステルピンクちゃんは息の合った会話で永峰くんを会話に引き込んでいる。一見、全く方向性が違うように見えるが、うまく噛み合っているようだ。
「じゃあ、行こうか。ロープウェイ」
先生の声で生徒たちはロープウェイ乗り場へ向かう。どういうわけか知らないがすでに話を通してあるらしく、迷路のように続くロープウェイ待ちの列の横を素通りできた。
ゴンドラの定員は7人らしいが、中学生でちっちゃいのやら華奢なのやらが多かったため、8人でも乗せてもらえた。
この狭いゴンドラで、一体うちの学校は何時間かけて全員を中腹の駅まで移動させたのだろうか。
ゴンドラ内は都会の快速電車と同じように座席が進行方向と平行なロングシート式で、扉側に女子3人、その反対側に男子4人プラス先生という具合で座った。皆登山はしないにしろ、着替えなどの荷物を出来る限り詰め込んだ大型リュックを持っていて、しいに限ってはパソコンなどの電子機器を持ち運ぶ用に別の鞄を持っていたので若干手狭だった。
「あなたの荷物、邪魔なのでどっかやってください」
そう言ったのはしいの目の前に座っている永峰君だ。
「おい、その言い方じゃこの女ブチギレるって」
「永峰氏怖いもの知らずじゃね?」
「ふっふっふ」
しいは男子に構うのも面倒になって、素直に足元に置いていた鞄を膝の上に載せた。ちょうどその時、非常用に隠し持っていたスマホが振動しているのに気がついた。雛子ちゃんか青島が電話してきたときしかスマホが振動しないように設定してあったし、余程大事な連絡でない限り夜に確認するからパソコンにメールしておくようにと言ってある。
ということは、余程大事な連絡なのだろう。
「先生、緊急の連絡がきたので電話に出てもいいですか」
「どうぞ?」
もちろん許可が出なくても電話に出るつもりだったが、迷いもせずに答える先生に驚いた。
「おい先生、うちの学校はスマホ持ち込み禁止だぞ?そんなのでいいのか」
「いいんだよ、相良さん。彼女がこんな真剣な顔なんだからきっと何かあるんだよ」
そんな会話を聞きながら、しいは取り出したスマホに手早く15桁の暗証番号を入力していく。
「あ、やっと出た。姫さん、今どこですか?」
電話の相手は青島だった。
「なんで居場所なんて聞くの?」
「いや、ちょっとトラブルが」
「は?任せてくださいとか言ったくせに?トラブル?ふざけてるのかなあ、しいの部下は」
「ちょっと待ってくださいこれは俺らのせいじゃなくて」
「うっわ。私たちはお父様の会社の名前を背負って今回の仕事やってるんだよ?しかも、このプロジェクトの出来が私のチームが会社として独立できるかどうかを決めるの。そこんとこ、ちゃんと分かってるよね?」
「分かってます分かってます!ちゃんと俺らは一切悪くないって証拠もあるんです」
「その言葉、本当じゃなかったら責任取って一生タダ働きしてもらうからね」
『ひえっ』とかいう声が聞こえなかったわけではないが、青島がわざとオーバーなリアクションをする性格なのは知っているから無視する。
「姫さん、よく聞いてください」
「早く言ってよ。別にオーディオ設定にしてみんなに聞いてもらってもいいんだよ?まあ、元々私が喋ってるのは丸聞こえだけどね」
「姫さん、本当に状況が状況なんでそれはやめてください」
「あーはいはい。で?」
「俺らが打ち上げた衛星が地球に向かってます」
「それがどうしたの?」
「4時間半から5時間後に、その衛星が日本に墜落します」
「「「「「「はああああああああ?」」」」」」
「ふっふっふ」
どうやらオーディオ設定にしなくても青島の声はみんなに丸聞こえだったようで、ゴンドラ内に6人の驚きの声と謎男子三号の奇怪な笑い声が響き、それから間も無く永峰君の無言の圧も相まって狭い密室には不安の思念が立ち込めていた。
お久しぶりです。お待たせしてすいません。




