神楽としい(2-1)
正午のニュースが始まって数分。
「――同センターは、今後1ヶ月以内に大きな地震が起こる危険性があるとして、事前に十分な食料を備蓄し防災グッズを買うなどして地震に備えるようにという内容をホームページに掲載し、今日午後3時からの記者会見で注意喚起する予定です。――」
雛子さんが地震を感知してからとっくに1ヶ月以上経っている。しいちゃんは真堕町内の革新技術開発総合医療センターに転院し、上墨先生と治療に励んでいるらしい。
結構前に青島から聞いた話では、しいちゃんの症状(二十四時きっちり寝ないと激しい頭痛に襲われて吐き気を催すもの)は多少マシになっても完治はしないとか。鍵?が足りないとかで、とりあえずの治療計画を立案中だと聞いている。
なんて、職員室(教育相談部)のテレビを見ながら思い出していた。
「神楽先生。次の授業、何ですか?」
「ああ、嶋君か。係変わったの?」
「はい。昨日は挨拶に伺えなくてすみませんでした」
「いやいや、全然いいよ。明日の授業は……とりあえず世界地図って書いといてくれるかな」
嶋君は不思議そうな顔でこちらを見ている。
「しまたかー!授業遅れるぞー」
同級生らしき生徒が頭だけ覗かせて彼を呼んでいる。嶋君は「失礼しました」と丁寧にお辞儀をして出て行った。
「神楽先生、社会科じゃないのに世界地図使うんですか?」
向かいの席の若干老け顔の先生もテレビを見ながらコーヒーを啜っている。この人は附属高校の方の三年の学年主任で、教育相談部にいることはあまりないが(高校と棟が違うので、高校棟の大職員室にいることの方が多い)今日は進路説明会があるからこっちにいるらしい。
「明日は流石に生徒たちもバテるかなと思いまして。授業に余裕もあるので……たまには遊びも必要でしょう」
「ああ、そうですね。それより、今日の進路説明会。第1講義室変更になったって聞きましたけど、あんなだだっ広い所でやる必要あるんですか?保護者だってそんなに来ないでしょう」
「ある会社から届きまくってる物資を第2講義室と第3講義室に収容してるので、第1講義室しか使えないんですよ。まあ、可能性としては大型地震で大半の生徒たちが帰宅困難になるってこともなくもないので、ここが経由地になってて助かってますけど」
「すでに何人か学校で寝泊まりしてますしね。最近じゃあ台風も馬鹿にできない」
もちろん『ある会社』というのはしいちゃんの会社であるイズモのことだ。毎週月曜日と水曜日に色々運ばれてくるが、この学校のために運ばれてくる物資はわずかで、ここを経由して関東各地に運ばれていくらしい。
台風の後に地震が来たりなんかしたらひとたまりもないし、まだ生活に不自由がある人もたくさんいるだろう。早く被災された人たちに日常が戻ってきてほしい。
「そろそろ準備に行ってきますね。神楽先生も地震に気をつけて」
そう言って向かいの席の先生は教育相談部を出て行った。テレビが12時10分を告げる。それと同時に、休み時間終了のチャイムが鳴った。次の時間は学年集会だったことを思い出し、急いで自分のクラスに戻る事にした。
「神楽先生」
学年集会が開かれる講堂に移動するため、生徒達の列の後ろを歩いている最中。浜口先生に呼び止められた。
「浜口先生」
とだけ言ったが、その後話すべき言葉は見当たらない。構わず浜口先生は話しだした。
「依鶴さん、今日退院するそうですよ。家庭訪問して打ち合わせとか諸々する予定なんですけど、一緒に行きません?」
なんで俺が誘われてるんだ?
「いや……」
「あ、都合が悪いなら別の日にしますよ?」
俺に合わせるスタイルなのか。
「いえ、今日で大丈夫ですよ。何時に行きます?」
「私今日の下校指導の当番なんですけど、あちらも荷物の片付けとかあると思うんで、とりあえず7時に出る予定です。どうせ一回学校帰ってくるし、私車出しますよ」
「あ、じゃあお願いします」
また、この間みたいにベットに並べられたり夢の世界に連れていかれたりしたらたまったもんじゃない。浜口先生の車で行けばなんとか帰らせてくれるだろうなんて、希望的観測に過ぎないけど、対策しないよりましだ。
「放課後。6時45分ごろに教育相談部集合でいいですか?」
「はい。それで大丈夫です」
かくして、俺のしいちゃん宅訪問が決定した。
*
辺りから夕飯の匂いが漂う頃。予定よりも早く2人はしいの家に着いた。
「ごめんなさい。さっきからしいちゃん体調悪くて。少し待ってもらってもいいかしら?」
出迎えてくれた雛子さんは浜口先生と俺を引き離し、俺を謎の廊下へ案内した。いつもはリビングの奥の階段を下ってすぐの応接室かその奥のしいちゃんの部屋に案内されるのだが、今日はその階段を上った。白いひまわりが描かれた絵画や美術品が並ぶ廊下の先に、この家らしくないシンプルな白い扉が1つ。ただ、シルバーで細い円柱が伸びているだけの、無機質なレバーハンドルがついていた。
「ここは?」
「私も滅多にこっちからは入らないんだけど、しいちゃんがこっちに案内してあげてって。あ、羽間愚地先生みたいに花瓶割ったら流石にしいちゃんも怒るだろうから気をつけてね?」
今なんか変な当て字が見えた気が……まあいいか。
「しいちゃん。入るよ?」
返事はない。仕方なく音が鳴らないようにドアを押すと、「ピピっ」と音がした。
『照合――顔認証中......完了。神楽剣志様――
権限確認――全てのサービスをご利用いただけます――
制限確認――制限なし。全て記録をご覧いただけます――
この部屋の利用を許可されました』
聞き覚えのある声が流れると、ぱっと電気がつき、浮遊する画面がたくさん現れた。
「なんだこれ」
ニュースやらおもしろ動画やら、色々なジャンルの画像が漂っている。画面に触れようとすると、一瞬で机に置いてあるモニタの方へ吸い込まれていった。
机には付箋のついた書類の山々とコーヒーの跡が残るコップが何個か放置されていて、ノートパソコンもいくつか開きっぱなしになっている。パステルカラーのオフィスチェアに腰掛けると、一番大きいディスプレイにログイン画面が現れた。
「あの、しいちゃん?これ、どうすればいいの?」
『マスターは現在準備中です。ガイドを実行しますか?』
この家のIZUMOは堅いなあ。
「あ、はい」
そう答えると勝手にログインされ、画面に広々とデータが展開された。
「えっと、IZUMO、バラエティ、世界情勢、年間登校計画……ん、育自日記?誤字かな」
育自日記というのを見ようと思い手を伸ばしたがマウスがない。
「あのー、しいちゃんの家のIZUMOさん?」
『はい。“元祖”IZUMOです』
「ああ、うん。元祖さん?マウスがないんだけど?しいちゃんはいつもどうやって操作してるの?」
『口頭にて指示を頂ければ円滑に操作できます』
どうやって口頭で指示すればいいのかそもそもわかんないんだけどな。
「こらこらIZUMO、ぜうす先生に意地悪言っちゃダメだよ。マウス、あるでしょ?」
振り返ると、そこにはしいちゃんがいた。
『なんらかの障害により搬出できません』
「ああ、はいはい。片付いてなくてすいませんでしたぁ」
そう言ってしいちゃんは自然に俺の膝の上に座り、机の上を片付け始めた。
「なんか、お父さんの仕事場で仕事の邪魔してる娘みたい」
なんて言うもんだから、おかしくて笑ってしまった。しばらくして円形の板が引っ込んで、マウスを乗せてまた上がってきた。凄いな。
「何が見たいんだったっけ?」
しいちゃんが退いてくれる気配はない。
「育自日記?ってやつ。誤字?」
「ううん。お母様が私に残してくれた育児日記に、『もしお母さんがいなくなったら自分でこの続きを書きなさい』って書いてあったから、ずーっと書き続けてるの。すごくない?」
それで育自なのか。当て字の才能があるんじゃないかと思う。マウスを動かしていないのに、カーソルが『育自日記』をクリックした。年月日と時間が記されたデータがずらっと並んでいる。
「いつのがいい?」
「いつでも?」
しいちゃんはデスクの上にあった俺の手を自分の膝の上に持ってきて、指を触ったりして遊んでいる。
「んー。じゃあこうしよう。IZUMO、適当にいくつか選んで」
『了解しました』
一瞬で20件ほどに絞られ提示された。
「じゃあ、一番最近のやつ。7月12日?」
「だってさ。IZUMO」
『了解しました。2019年7月12日。0時18分』
「ちょっとIZUMO!読み上げないでよ」
『いつも通りにしただけですが......』
しいちゃんの耳はリンゴのように赤く染まっていた。
「もう、空気ぐらい読んでよ」
なぜか俺の手で顔を覆っている。
「やっぱり恥ずかしくて無理だあ。ねえぜうす先生。なんでも見ていいから、ぐちはまとの話終わるまで待っててくれる?会うの100万年ぶりくらいだしいっぱい話したい」
「ああ、うん。何かあるの?」
「うん。ううん……うん。別に何か悩みがあるとかそう言うんじゃないけど、ないんだけど……」
しいちゃんは急に立ち上がって、後ろの扉に駆け寄っていく。
「うん。わかったよ」
「ありがとう!じゃあ、また後で」
そのまましいちゃんはこっちを振り向くことなく、部屋の外に出て行った。
『読み上げますか?』
「いや、いいよ」
“7月12日。木曜日。 課題:ねえ。”
課題が“ねえ。”ってどうなの?
まあ、いいか。とりあえず読み進めよう。
『誰か、言ってよ。認めてよ。
あのね、わかんないの。
頑張ってるとか、ちゃんとやれてるとかさ、ここがダメ、どこが足りない……とか、好き、きらい、うざい。ちゃんと言ってくれなきゃわかんない‼︎
なんで誰も言ってくれないの?私なんていらないの?邪魔?邪魔ならそう言ってよ。示してよ。私って、ただそこにいるだけの人なの?
苦しいじゃん。何も言われないっていやじゃん。怖いじゃん。ありがとう。ごめん。好きだよって。私はちゃんと言ってるよ。
ねえ、私はさ。生まれてこなくてよかったの?死んでもいいの?誰か、誰でもいいから言って。
無視とか、そういうのをされてるわけじゃない。ただ、みんな無関心で。私なんか話す価値ないって、そんな顔してる気がする。自意識過剰かな、っても思うけど。
いつか、見つけてほしい。あわれむような目で見るでもなくて、私が一番、してほしいこと、してほしい。
そんな人、いないかもね。自分を理解してるの、自分だけかもしれないし。今までが天国だったのかもしれない。けどさ、いつか再び会う日まで、毎日楽しいって思って。これでもう満足だって。
そうやって幸せに死ねるまで、もうちょっとだけがんばろうと思うんだ。』
どういうこと?何があったの?
『追記。またあの夢を見た。』
最後はそれで締めくくられていた。
あの夢ってなんだよ。ほんとに何があったんだ?
「IZUMO、俺に出来ることって何かな。何でもいいんだ。しいちゃんのために出来ること。何があるだろう」
『神楽様がマスターと愛し合えば全てうまくいきます』
「そういうのじゃなくて……」
そういうのじゃなくって、なんだろう。
「あの夢ってやつ、どんな夢かわかる?」
『いいえ』
「しいちゃん……」
胃がぐうっと声を上げる。
『雛子様がキッチンにてハヤシライスを作っておられます』
「きっと俺の分も作ってるんだろうなあ」
『その通りです』
やっぱりね。どうせしいちゃんに話聞かなきゃだし、キッチンに行くか。
「あ、元祖さん。君が選んだやつだけで良いから、俺のパソコンに送ってもらうことってできる?履歴とか残さずに」
『ここから家の外に送る情報と入る情報は全て履歴が残るので少々困難があります』
と言いながらも、IZUMOはカーソルの先をグルグルさせて方法を考えている。
「大丈夫。一応ノートパソコン持ってきたから。またあとでここに持ってくれば良いかな?」
『お願いします』
俺はしいちゃんの部屋を出て雛子さんがいるであろうキッチンへ向かった。
投稿遅くなってすみません




