神楽としい(1)
“ガンッ”
青島はどうしても、沸々とこみ上がる怒りをぶつけずにはいられなかった。そんな彼は壁にめり込ませた拳に対して痛覚と加減を忘れさせていた。
「くっそうぜえ」
時は2019年。8月の第5木曜日。
都内の某病院にて。
しいは一時は人工呼吸器を必要としていたが、管の類も首より上の部分は取り外されてただ深い眠りに身を投じている。3時間前に集中治療室から一般病棟に移ったばかりだ。
「どうして目を覚まさねえんだ!もう8月も終わるってのに。それに、姫さんはやっと……楽しんで!お前が!お前さえ……」
そんな独り言を、開けられたドアのすぐそばにいる男に聞こえるように言い放った。
――自分への怒りも煮立ってるってのに、“お前さえ”なんて言葉が出て来て、馬鹿か俺は。“お前さえ”の先は“いなければ良かったのに”なんだろうが……そんなこと言ってどうにかなるわけじゃねえのにな――
そんな困惑も外に追いやり、依鶴を見やる。何をしても目を覚まさないお姫様は、自分が触ればすぐ壊れてしまうような植物か人形の類に見えた。
「なんでこうなったんだ」
「オレが……」
「お前には聞いてねえ」
今日ここに来て初めて言葉を発した男――神楽剣志――は一歩踏み出し病室の中に入ってくる。
「そこにでも座ってな。姫さんの今後の予定について電話してくるから、なんかあったら電話してくれ。姫さんに指一本触れんじゃねえぞ」
いま、会話でもしてしまえば、この怒りを神楽に向けてしまいそうだった。
「もしもし。久留米プロデューサー……」
もしかしたら神楽が後を追って走ってくるかもしれないなんて考えて電話中のフリをしていた。通りがかりに男性看護師に睨まれ、その後ろからやってきたもう1人の太っちょの看護師には声を掛けられた。
「あ、依鶴ちゃんとこのお兄さん?電話は非常階段か2階の休憩所でお願いしますよ?もう!」
なんだ、師長かよ。
(この師長にはしいが真堕町に引っ越す前からお世話になっていて、師長がいるからこんな町から何時間もかかる都内の病院に入院している。)
「うっせえ。今から階段行くんだよ。信子おばちゃん、姫さんのこと頼んだぞ」
信子おばちゃんが何か言いたげな顔でこっちを見つめてくる。
「なんだよ」
「帰りにレモンティーでも買ってこれば?依鶴ちゃん、好きでしょ?」
「目覚めねえ限り飲めねえのにか」
「気持ちよ。気持ち」
「はあ」
信子おばちゃんはドタバタと歩いて行って、さっき睨まれた、ハーフのような顔立ちの男性看護師にあれこれ言っていた。
*
「これからどうするの?しいちゃん。目、覚まさないと俺と過ごすこの時間も終わっちゃうよ?」
「あら、意外と先生、カッコつけ屋さんなのね」
「こんなことで起きるかはわからないですけど、しいちゃんだったら飛び起きたりしそうだなって思って」
確かにそうかもしれない、と頷く雛子さんの横に、電話から帰ってきた様子の青島が並ぶ。
「キザなセリフを吐いてる余裕があんなら姫さんの王子様にでもなってキスの一つでもしやがれ」
「そんなの私が認めるわけないでしょ?それより青島くん。何買ってきたの?それ」
青島の右手には、大きなレジ袋が握られていた。黄色系統の何かが入れられていることは理解できたが、ぱっと見で中身が何なのか見分けることはできなかった。
「ああ、これね。信子おばちゃんがレモンティー買って来いって言うから買ってきたんだよ。まあ、姫さんのお友達とかが見舞いに来た時に飲むかも知れねえなと思って」
「青島くんが人の言うことを真面目に聞くなんて珍しいじゃない。相当疲れてるんでしょ?車で寝てたら?」
「でも、神楽が何しでかすかわかんねえし」
平然と聞こえるように言うなよ……
「転院の相談は6時からだし、ね?それまでよ」
「でも」
「察しろや青島ァ……ね?」
一瞬、雛子さんの顔が修羅……いや、鬼のような形相になって、それからいつものほんわかした笑顔に戻った。
「はいはいわーかったよ」
青島はそう言ってレモンティーの入った袋をそのまま冷蔵庫に突っ込み、病室を出て行った。
「ごめんなさい。ちょっと脅すように言わないと、言うこと聞いてくれなくて。歳も結構離れてるし。全然、暴力団とかそういう団体と関わり合いとかないから。しいちゃんも真っ当に育ってるし」
「あ、いや。別に気にしてませんよ。それに、雛子さんと青島……青島さんは、親しい間柄でしょう?恋仲にはそれぞれの特徴というか、独特なコミュニケーションがあるものですから」
「ぷっ。私と青島くんが恋仲?ないない。ないったら。先生って面白いこと言うのね」
「あ、そうなんですか。てっきり、社長であり娘のような存在を手放すわけにはいかないと躍起になってるー、みたいな感じなのかと」
少ししてから雛子さんが吹き出した。
「あははっふーっふっふっふっははぁっぷくはっくふふふっはぁっ……ぷくっふっははっこんなにっはははっ笑ったのっはあっ久しぶりかもっうはははっあーお腹痛い。笑いすぎて涙出そう」
そんなに俺が言ったこと面白かったかな?
「でも、青島くんは私のこと多少気にしてるかもしれないわよ?親に大学行けーって家に押しかけられた時も青島くんが助けてくれたし。ねえ、先生。青島くんに私のことどう思ってるか聞いといてよ。ふふっ」
「それはちょっと。それより、しいちゃん転院するんですか?」
さっきはさらっと流したけど、雛子さんと青島の会話で確かに“転院”というワードを耳にした。
「ええ。まだそうと決まったわけではないのだけれど。ここで出来ることはもう無いだろうし……」
ここで出来ることはもう無いって、しいちゃん、そんなに悪いのか?見えなくもないけど。
「無いだろうし?」
「あんまり行き来してると家の住所を特定されてしまうかもしれないでしょ。それで、あまり気は進まないのだけれど、他の首都近辺の病院か、しいちゃんのお父様が運営している大病院に転院しようって話になっているの」
誰に家の住所特定されたら困るんだろうなあ。
「それなら、革新技術開発総合医療センターがいいと思うんですけど。ほら、五月に真堕町にできた」
「ああ、そういえばあそこも大きい病院ね。言い訳には丁度いい……じゃないですこほん。でも、家から近すぎじゃないかしら?」
「革新技術開発とか言ってるし……あと、上墨先生を頼ればどうにかなると思います」
「上墨先生って?」
「所属病院を転々としながら原因がよくわからない病気について研究してる先生です。ついこないだ総合医療センターに来て。すんごい日焼けしててマッチョなんですけど、趣味が薬の調合で、根っからの薬草好きなんですよ。ちなみに、俺の昔の彼女も先生のおかげで病気が治ったんです」
「それで、交流があると」
「はい」
「神楽先生が言うなら調べてみようかしら」
「上墨先生って結構すごい人で、昔の彼女は結構いろんな病院をたらい回しにされてたんですけど、先生と猫で遊んでたら治ったんですよ。すごくないですか?」
あれは、うん。本当に遊んだだけで、ちゃんと治療してくれたのか分かんなくて最初は闇医者かと思ったけど。頭撫でてやらなくても寝れるようになっていったし。あの頃は毎日びっくりしたなあ。
「それは……そういう治療法なのかしら?」
「いや?患者さんによっては針治療をしたり手術したり、色々みたいですよ?」
「じゃあ、ちょっと困ったわね」
「へ?」
「たぶんその人、しいちゃんと同じ系統の人なのよ。意識せずに能力使っちゃう系の人。秘術じゃなくって魔法とか魔術とか、もしくは催眠術、占い系かもわからないけど。そうなると、ふたりが出会ってしまったらどっちかが能力を使えなくなっちゃうのよ。だから、それを防ぐための大円陣を描く場所とか特殊な塗料とかが必要で……」
なんかよくわかんない謎な言葉がいっぱい。
魔法?魔術?大円陣ってあの厨二かつ根暗よりのリケジョが描くやつ?
「魔法とか魔術とか、あと大円陣とか。今、厨二っぽいって思ったでしょ」
「そんなことないです全然。全く……いや、ちょっとは。真面目な顔で仰るし、さっき笑ったばっかりだから?ではないか。その、信じてないわけじゃないんですけど、見たことないですし?」
世界って何でできてるんだろうね、しいちゃん。ほんとに、不思議がいっぱいだよ。
「って言ってもねえ。私の力はあんまり怪奇的なやつじゃなくって、それこそ天気とか地形ちょこっと弄るとか、大層なやつじゃないし……」
そう言う雛子さんだが、ビクッと身震いした。
「偶然だ……先生、あと1週間くらいで地震くるよ。地震は流石にお金で防げないから、逃げるよ」
「へ?」
「感知しちゃうの。そういうのも力の一種なの。ヘリで町に帰るよ。ほら急いで!青島くんに任せても最低でも退院まで1日2日はかかるでしょう。その間にも上墨先生と面談したり塗料と場所を手に入れたり、やることはいっぱいある」
たしかに。でもなんで俺も一緒に町に帰るんだ?
「そんなの決まってるでしょ。まだどこが震源がわかんないんだから、学校に来る子たちの安全をどうにか守らないと。下手したらこの地震、死人出る。私、雫流ちゃんに日本帰ってこないように連絡してくるわ」
たしかに、来週には夏休みが終わった子ども達が登校してくる。そんな……俺に、何かできることは。何もないんじゃ?ていうか心読んだよね今。やっぱり秘術って本当にあるのかな。もうどうなってるの?しいちゃん!しいちゃん!しいちゃん!しいちゃんちゃん!高梨依鶴!しい!たかなしいづるう!ちゃんしい!しいちゃん!しいちゃん……
「いやいや、俺混乱しまくってるじゃん。なんでしいちゃんのこと心で呼んでんの?落ち着けーすーはーヒック!しゃっくり出てヒック出てきたヒック!どうすればいいんだっヒャック!だったっけ」
もう自分でも半分何を言っているかわからなくなっていた。とにかく。自分にできることはしないと。例えば……
「もう、しいちゃんのせいだからね」
おでこにそっとキスをする。流石に唇は犯罪だからね。
「えっと。王子様のキス?で目覚めないの?」
「……ぜうす先生?きすしてくれるの?」
しいちゃんの目は未だに薄くしか開かないが、意識は取り戻したらしい。ていうか、挿管とかされてたでしょ。何で喋れるの……って、あれか。秘術か。魔術か。魔法か。納得。
「もうしたよ?しいちゃん」
「あのね、おでこのはデコチュウだから、きすじゃないんだよ?これ、しいの法則」
しいの法則って。そんなのあるの?
「ほらあ。はやくきすしないと、大地の神様が怒って大地震起こしちゃうよ?」
そんなの決まってるでしょ。不可抗力でも無理だよ。だって、教師と生徒なんだから。
「ねえ、いいじゃん。ぜうす先生に、神楽剣志に初キスを捧げた中学生にキスのひとつやふたつくらい」
しいちゃんの腕と唇が迫ってくる。俺みたいなのとキスしたって……
「それ思うの反則!もう!あとで大地の神様が納得しなくてもしいは知らないから!んっ」
長い、合間があった。
間近にあった鼻と鼻が離れていく。
「おい!」
突然放たれた怒声によってしいは身震いする。それが、自分から出た声だと理解するのにさほど時間はかからなかった。怒りというか落胆というか、どろっとした感情が一瞬堤防を越えかけた。その一滴が偶然堤防を越え、跳ね、怒声となったのだ。
「いくら地震が治るとしても、それはダメだ」
今度は冷静に、落ち着いて言った。
「それは、ダメだ」
しいちゃんの顔は、見れなかった。
「青島さんがしいちゃんのためにレモンティー買ってきたって。冷蔵庫に入ってる」
「うん」
「じゃあ。真堕町に帰るから」
「うん」
席を立って病室を出ようとしたところで、呼び止められた。
「ぜうす先生。もし、私が死んだら悲しんでくれる?」
何だよその質問。
「言わなくても、わかるだろ」
『わからないから聞いてるのに』と確かにそう聞こえたが、様子を伺う看護師を一瞥して、振り返らずにそのまま帰った。
さっき、密着の直前に差し入れた手――正確にいえば、手のひら――に、まだしいちゃんの柔らかい唇の感触が残っている。
*
数日後、青島から電話があった。しいちゃんから電話がくるかもしれないと思って留守電設定にしていたのもあって、電話はすぐ切れたが留守番が残った。
最初に何かを殴るような音が聞こえて、それから青島らしくない疲れ気味の声が聞こえてきた。
『クッソうぜえ。何があったか知らんが。姫さんが毎日ぜうすぜうすって、ふざけんなよ。毎晩俺をテメエの代わりにして泣いて!テメエのせいでこっちは姫さんの濡れ枕だよ!クソが』
ただ愚痴が言いたかったのかどうにかしてほしいのか知らないけど、しいちゃんが俺を電話で呼ばないなら行かなくてもいいってことだし。別に担任でもないし。そんな言い訳をしながら電気を消し、布団をかぶる。
――今日もしいちゃん、泣いてんのかな――
――いや、それは俺とは関係ないはずだ――
そんな一人問答は日付が変わる頃まで続いた。
いつもギリギリですみません。




