■第九十五話 世界管理株式会社の社長が、俺の顔をしていた
世界管理株式会社の本社は、雲の上に建っていた。
白い床、白い壁、窓の外には人間界と魔界の町が小さく見える。
まるで世界そのものが、陳列棚に並べられた商品だった。
受付の天使が一礼した。
「勇者ジーク様。代表取締役がお待ちです」
「俺が来ることまで予測済みってわけか」
エリナは名刺を確かめた。
「会社の代表者名が、あなたと同じです」
「偶然だろ」
会議室の扉が開いた。
長机の向こうに立っていた男は、俺と同じ顔だった。
髪の跳ね方も右手の古傷も、鏡を見ているように同じ。
「世界管理株式会社、代表取締役のジークです」
「偶然じゃなかった!」
聖剣が震えた。
『勇者よ、どちらを斬ればよいのです?』
「どっちも斬るな! 特に俺を!」
もう一人のジークは表情を変えず、空中に数字を浮かべた。
「あなたが魔王軍株式会社を率いてから、戦争被害は減りました。雇用も増えています」
「それはどうも」
「しかし、経営効率は低い。休暇、補償、公開監査。費用がかかりすぎます」
「人が働くための費用だろ」
「世界全体を管理するなら、損失は最小化すべきです」
赤い点が地図に現れた。
魔界の鉱山、人間王国の港、そして俺の故郷。
「統廃合対象の村です。住民を移転させれば、三年で費用を回収できます」
「住民には説明したのか?」
「承諾率を下げる情報は、先に提示しません」
「それ、説明じゃなくて誘導だろ!」
エリナが書類を指した。
「居住者同意欄が空白です。世界設立基本契約には、住民の自由を優先する条項があります」
「その条項は削除を提案しています」ともう一人の俺。
「勝手に消すな!」
ゼルガディスが地図の赤い点を見つめていた。
「我も昔、効率を理由に村を焼いた。補給路を短くするためだ」
「今はどう思う?」
「焼かれた側に、効率の良さを説明する言葉はない」
俺はもう一人の自分を見た。
「現場へ行こう。数字の正しさを、住んでいる人に確かめてもらう」
「非効率です」
「じゃあ非効率な社長に付き合ってくれ」
翌朝、移転対象の村へ向かった。
診療所の裏には赤い杭が打たれていた。
寝たきりの老人を運ぶには橋を渡る必要がある。
だが橋は昨冬から補修中だった。
「書類には徒歩十五分とあります」と医師。
「担架なら二時間です。雨が降れば通れません」
もう一人の俺は経路図を見つめた。
「橋の通行不能情報が反映されていません」
「情報がないんじゃない。誰にも聞かなかったんだ」
老人は俺たちを見比べて笑った。
「どっちが本物でもいい。橋を渡れないことは変わらん」
その言葉に、俺は返事ができなかった。
村の集会所では、移転賛成の若者と反対の老人が言い争っていた。
「この村には仕事がない。移転した方がいい!」
「先祖の墓を捨てろと言うのか!」
「墓だけで飯は食えないだろ!」
俺は仲裁しようとして、エリナに袖を引かれた。
「勇者様が結論を出す前に、最後まで聞いてください」
若者は新しい町の職場を求めていた。
老人は病院へ通う足と、墓を守る約束を心配していた。
どちらも、数字だけでは片づかない。
もう一人の俺が質問した。
「希望者だけ先に移転した場合、残る住民の医療費はどうなりますか?」
俺は驚いた。
初めて、彼が費用以外の言葉を使った。
「一律移転より費用は増えます。しかし、拒否権を認めるなら再計算が必要です」
「やればできるじゃないか」
「あなたと同じ顔で褒められるのは、不快です」
「俺も同感だよ!」
診療所では、薬を待つ患者が番号で呼ばれていた。
「名前が分からないと、治療歴を取り違えます」と看護師。
エリナは窓口で患者の名前を聞き、番号と照合した。
もう一人の俺は、統廃合計画の書類を伏せた。
「私の計算には、移転できない患者の人数が入っていません」
「じゃあ、今日から入れよう」
「計算を変えると、計画は赤字になります」
「赤字だから人を消していい理由にはならない」
帰り際、村の子供が俺たちの後を追ってきた。
「勇者様が二人なら、どっちが村を守ってくれるの?」
もう一人の俺は即座に答えた。
「最適な管理主体が責任を負います」
子供は首をかしげた。
「それ、誰?」
俺も答えられなかった。
今の仕組みでは、管理会社が決めた移転先の責任者と、元の村の責任者が互いに押し付け合うかもしれない。
エリナが契約書を開く。
「移転前の医療費は旧管理者、移転後の住宅費は新管理者。ですが、移動中の事故は誰の責任とも書かれていません」
「空白なら、俺たちが埋めよう」
もう一人の俺がペンを取った。
「移転を承諾した人に限り、移動期間中の費用を共同で負担する。拒否した人の生活支援は打ち切らない」
「お前、今、赤字になる条項を書いたぞ」
「知っています。ですが、空欄のままでは計算そのものが成立しません」
初めて彼の言葉に、人の顔が浮かんだ気がした。
老人は最後に、移転先の町の地図を求めた。
「行かないと決めたわけじゃない。知らない場所へ黙って運ばれるのが嫌なんだ」
もう一人の俺は初めて、説明会の日程を自分から提案した。
俺は賛成も反対も急がせず、村の掲示板に日付だけを貼った。
帰りの会議室で、俺たちは暫定方針をまとめた。
住民の聴聞、移転拒否の記録、独立監査、診療所の移動手段の確保。
決定権は俺一人にも、もう一人の俺一人にも渡さない。
吉岡が議事録を読み上げた。
「反対意見は全文添付。未回答事項には期限と責任者を設定いたします」
「面倒な仕組みですね」ともう一人の俺。
「面倒だから必要なんだ」と俺。
彼は俺より整った字で、書類に署名した。
会議が終わりかけたとき、エリナが古い議事録を見つけた。
「社長。これを見てください」
そこには、俺が勇者として旅をしていた頃の決断が、日時も言葉遣いもそのまま記されていた。
「この議事録、誰が書いた?」
もう一人の俺は、机の端に置かれた名簿を隠した。
「世界の運用には、過去の意思決定の学習が必要です」
「俺の記憶まで帳簿にしたのか?」
返事はなかった。
俺は初めて、彼の右手の傷を見直した。
形は同じでも、あの痛みを知っているのか。
聖剣が小さく言った。
『勇者よ。
顔を盗むだけなら、鏡でもできます』
「じゃあ何を盗まれた?」
『あなたが、誰を助けるか決めてきた理由です』
会議室の白い壁が、急に冷たく見えた。




