■第九十三話 魔王城の地下から、世界の設立契約書が出てきた
魔王城の地下三階で、備品倉庫の改修中に図面にない階段が見つかった。
「図面より三歩、位置がずれております」と吉岡。
階段の先には石で塞がれた扉があった。
新しい石には魔王軍の紋章、古い石には三つの輪が刻まれている。
元魔王ゼルガディスはその紋章を見るなり黙り込んだ。
父から代々受け継いだ初代魔王の継承印と、扉の古い紋章が一致していたからだ。
その印は代々の継承記録にも載っていたが、古い装置が現在の法的な相続権まで保証するわけではない。
「幼い頃、父から近づくなと言われた場所だ。開けば魔王の権威が揺らぐ、と」
「だから放置したのか?」
「……知っていながら確かめなかった。言い訳はせぬ」
扉には三つの手形があった。
羽を持つ者、角を持つ者、そして飾りのない小さな手。
俺が聖剣で継ぎ目を探ると、石壁に文字が浮かぶ。
『創業者、管理者、居住者の三者合意』
「俺と元魔王だけで開けるわけにはいかないな」
エリナはうなずいた。
「居住者の代表を管理者だけで指名しては、同意の意味がありません。人間界、魔界、神界に通知し、公開の立会人を募りましょう」
翌日、三界の書記官と監査官に加え、公開募集に応じたオークの労働組合長、王国の商人、港の漁師、少年を含む住民の立会人が集まった。
今回は開扉を見届ける一時的な立会人であり、管理権の移管を決める正式な住民代表とは別だ。
「子どもまで呼ぶのか」と神界の監査官。
「世界に住んでいるのは大人だけじゃない」と俺は答えた。
三つの手形は、開扉に必要な創業者・管理者・居住者の同意を確かめる古い認証装置だった。
まずゼルガディスが継承印をかざす。
創業者側の手形が光った。
「それで創業者の権利まで証明されたのか?」と俺。
「いいえ。今確認できたのは、この扉を開ける資格だけです」とエリナ。
次に神界の監査官が、現行管理者の評議会から今回の調査に限って与えられた委任状を示した。
立会人たちが権限と期限を確認すると、監査官は管理者側の手形に触れた。
最後に、一時立会人たちが相談して港の漁師を選んだ。
漁師が居住者側の手形に触れる。
「これで世界の管理権まで移るのか?」
「移りません。契約書が本物かどうかも、これから調べる必要があります」とエリナ。
三つの手形が淡く光り、石の封印が静かにほどけた。
これは扉を開くための一時的な同意であり、世界の管理権移管に同意したことにはならない。
中には財宝も兵器もない。
円形の部屋と、中央に置かれた一冊の古い契約書だけだった。
表紙には『三界共同設立契約』とある。
人間界の書記官が眉をひそめた。
「偽造かもしれません」
神界の監査官は封印を求め、魔界側は持ち帰って調べたいと言い出す。
「誰か一人に預ければ、都合の悪い条項を隠したと疑われる」とエリナ。
原本はその場で封印し、三界の書記官・監査官と、公開募集で集まった一時立会人の見守る中で複写を作ることになった。
鍵は別々の保管者が持つ。
俺が発見者として立会記録に署名すると、隣には空欄の鑑定人署名欄があった。
「こっちは誰が署名するんだ?」
「中立の鑑定人でございます。ジーク様は発見の当事者ですから、鑑定の結論には関われません」と吉岡。
「勇者の印も役に立たないのか……」
「信用は印章より手続きでございます」
後日、中立の鑑定人が三界から一人ずつ到着した。
硝子板越しに原本を照らすと、古い文字が浮かび上がる。
鑑定中の契約書には、次のように記されていた。
真正性と法的効力の確定は、まだ先だ。
第一条。
世界の維持は、居住者の生命と自由を優先する。
第二条。
管理者は、居住者の同意なく自然現象を停止してはならない。
第三条。
居住者の継続意思を確認せず、世界の運行を終了してはならない。
設立目的を失った場合、管理権は居住者へ移る。
ただし移管の具体的な手続きは、居住者の代表を含む協議によって定める。
「神界が星を停止させた件は、第二条に触れるんじゃないか?」
「付属規程で許されていたはずです」と監査官。
しかし、その規程の失効日を記した別紙には署名がなかった。
「有効か無効か、今は決められません」と鑑定人。
さらに第三条の直下には、原文の一部とも後世の追記とも判定できない、削り取られた一文の痕跡が残っていた。
鑑定人は判読できた文字を仮の復元案として記録し、条文としての効力は保留した。
『代表者不在の場合、居住者の同意をもって代える』――ただし、この読みが正しいかどうかも、まだ確定していない。
俺は思わず契約書を覗き込んだ。
「誰が住民を代表して署名したんだ?」
吉岡が保存箱の名簿をめくる。
最後の一枚だけが抜き取られていた。
契約書の余白には、もう一つの注意書きがある。
『居住者代表は、管理者が指名してはならない』
「初代魔王が剣で机を叩いた跡だ。わしが子供のころ、聞かされた」とゼルガディスが傷を指した。
「証言は記録します。でも、それだけで本物とは断定できません」とエリナ。
扉を守ってきた老人が、震える声で言った。
「これが見つかれば、また戦争が始まると思っていた」
俺は老人の前にしゃがんだ。
「一人で秘密を背負わせない。公開できる範囲も、三界と住民で決める」
そのとき、鑑定人が裏表紙の小さな文字を指さした。
『終了時の異議申立人――居住者代表』
ゼルガディスが古い筆跡を見て、声を落とした。
「この署名の主に心当たりがある。古い記録が正しければ、まだ生きているはずだ」
「誰なんだ?」
「確かめる前に名前を広めれば、本人を危険にさらす。わしが直接、消息を調べよう」
俺は聖剣の柄に手を置いた。
『契約が古いから正しいとは限りません』と聖剣が静かに言う。
そのとおりだ。
世界を作った者がいたとしても、今そこで暮らす人々を所有できるわけではない。
俺たちは名簿の欠落と署名者の所在を正式な調査事項として記録した。
ゼルガディスが消息を調べ、中立の鑑定人が裏付けを取る。
本人の同意が得られるまで氏名を伏せると決め、原本を封印した。
剣では切れない問題だった。
だからこそ、誰にも勝手に終わらせないと決めた。




