■第九十話 羽を失った天使が、魔王軍に履歴書を持ってきた
履歴書の職歴欄には、神界営業部勤務とだけ書かれていた。
名前はセラフィ。
背中には羽の根元だけが残っている。
「神界を辞めたら、住む場所まで失うとは思いませんでした」
彼女は無料サービスの不当な請求を報告し、解雇されたという。
吉岡が履歴書を見た。
「営業経験は豊富です。しかし顧客への説明義務を果たしたか、確認が必要です」
「その件なら、私の失敗です」とセラフィ。
「知らなかったでは済まないことを、ようやく知りました」
エリナは採用試験の課題を出した。
「以前あなたが販売した契約を、今度は利用者が理解できる言葉で説明してください」
セラフィは長い沈黙のあと、紙を一枚取り出した。
『無料ではありません』
その一行から書き始めたのを見て、俺は面接を続けることにした。
「羽がなくても働けるかって? うちには、腕のないゴーレムもいるぞ」
「それは安心していい例なんでしょうか」
「本人に聞いたら、むしろ誇ってた」
面接の最後に、セラフィは一枚の契約書を差し出した。
以前の「無料サービス」の説明文を、自分の言葉で書き直したものだ。
代金の欄には金貨ではなく、祈りに費やす時間と解約時の条件が大きく記されている。
吉岡は厳しい顔で尋ねた。
「売上目標に届かなくても、この説明を続けますか」
セラフィは羽のない背中を伸ばした。
「届かなければ、売り方を変えます。説明を削るのではなく」
続く実地の採用試験では、本人の同意を得て参加した利用者への対応を見た。
吉岡が立ち会い、請求書の個人情報は本人が開示を認めた範囲に限った。
利用者は神界から誤った請求書を受け取り、何度もたらい回しにされていた。
「私に取り消す権限はありません。吉岡さん、正式な受付をお願いできますか。担当窓口から三日以内に経過をお知らせできるよう、必要な資料を整理します」
吉岡は試験官として本人の同意を再確認し、受付簿に記入して相談番号を発行した。
セラフィは逃げずに答えた。
試験官の吉岡が小さくうなずく。
「過去を隠さず、今できる仕事を示した。それが採用判断の材料になります」
試験終了後、本人から預かった資料を返し、吉岡とエリナの評価を確認してから、俺は採用通知に署名した。
ただし最初の仕事は、かつて彼女が契約させた人々への謝罪と返金請求の支援だった。
魔王軍は相談と書類の取り次ぎを担い、実際の返金義務は契約した神界の事業者にある。
採用通知を受け取ったセラフィは、すぐには笑わなかった。
「以前、私が契約させた人々の前に立ってもいいのでしょうか」
「許すかどうかは相手が決める」と俺。
「でも説明と返金の責任からは逃げないでほしい」
エリナは彼女の初任務を苦情窓口の補助とし、住居の確保は採用の成績とは別に支援すると決めた。
採用が決まった夜、セラフィは宿の鏡に背中を向けていた。
羽のあった場所に残る傷を、指先で確かめる。
「羽があれば、神界へ戻れると思っていました」
廊下から声をかけた俺に、彼女は振り返らずに言った。
「でも、戻ったらまた『無料』と言わされるのでしょうね」
「明日からは、自分の言葉で説明してくれ」
「断られたら?」
「断る権利を守るのも仕事だ」
しばらくして扉が開いた。
セラフィは新しい名札を手にしていた。
肩書きは営業ではなく、相談窓口の補助担当。
数字より先に、相手の話を聞く役目だ。
翌朝、セラフィは古い広告から『無料』という文字を剥がした。
窓口に現れた最初の客は、彼女の顔を見て帰ろうとした。
セラフィは引き止めず、頭を下げた。
「説明を省いて契約させました。申し訳ありません。神界の事業者へ返金を求める手順と、請求先の窓口をお伝えします」
客は長く黙ったあと、ようやく椅子へ戻った。
その日の売上はゼロ。
吉岡は報告書に『苦情受付一件、返金請求支援開始』と記した。
「数字が減りましたね」とセラフィ。
「嘘の契約が減るなら、いい数字だ」と俺は答えた。
元魔王ゼルガディスが廊下から顔を出した。
「わしも最初は皿洗いだった。地上で働くのは難しいぞ」
「元魔王の経験談が役立つ日が来るとはな!」
セラフィは初めて小さく笑った。




