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魔王軍が株式会社になったので、勇者が株主総会で魔王を追放した  作者: レモンティー


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■第八十二話 天使の無料サービスを使ったら、魂に請求書が届いた

母親が持ち込んだ請求書には、金貨の欄がなかった。

代わりに書かれていたのは、【記憶三日分・回収済】。

「息子が、私の名前を忘れたんです」

椅子に座る少年は、母親が呼びかけても顔を上げない。

昨日まで一緒に食べた夕飯も、飼い犬の名前も思い出せないという。

「無料の記憶保存サービスを解約しただけなのに……」

エリナが規約を読む。

「解約時に未払い分を記憶で精算する、とあります。しかも利用開始時には表示されない条項です」

「後出しで魂を取るな!」

聖剣が震えた。

『斬りますか、契約書を』

「斬ったら証拠がなくなる!」

神界クラウドの窓口は、魔王城の屋上に臨時設置されていた。

雲の形をした受付台の向こうで、天使ミカが青ざめている。

「未成年の記憶回収は、規定で禁止されているはずです」

「なら戻してくれ」

「回収した記憶は第三保管庫へ転送済みで、私の権限では触れません」

「その保管庫の責任者は?」

「本日休暇です」

「魂を預かって休暇に入るな!」

吉岡が控えめに咳をした。

「社長。休暇そのものを責めると、労働改革が逆戻りします」

「……代行者を置かない制度を責める!」

「その表現なら適切です」

エリナは窓口の記録を調べた。

利用者は少年だけではない。

診療所が預けた患者台帳、学校の出席記録、商会の請求書。

無料期間が終わるたびに、少しずつ利用者の大切な情報が担保に変わっていた。

「全部の利用を止めればいいんじゃないか?」

「病院が今すぐ使えなくなると、治療歴が消えます。先に写しを確保しましょう」

俺たちは手分けした。

吉岡は紙の帳簿を配り、エリナは魔法記録の複写権を交渉し、俺は患者たちの話を聞く。

一人の老兵は、自分の戦友の名前を預けていた。

「忘れたくないから保存したのに、支払えないなら返さないと言われた」

俺は剣の柄から手を離した。

敵を倒すより、取り戻すべきものが多すぎる。

ミカは神界本部への問い合わせ文を三度書き直した。

「こんな告発をしたら、私の評価は下がります」

「何もしなかったら?」と母親が聞く。

ミカは少年を見た。

「……この子の明日が減ります」

彼女は署名した。

規定違反を認め、回収停止と第三保管庫の開示を求める正式な申立書だった。

だが返答は一行。

【本人確認不能につき返還不可】。

「記憶を奪って本人確認できないって、どういう冗談だ!」

エリナが静かに言う。

「本人が覚えていないことを理由にするなら、第三者の記録で証明します」

母親は少年の日記を持ってきた。

飼い犬の絵、食卓の絵、そして母親の名前。

学校の教師も出席簿を持参した。

パン屋は昨日の買い物の控えを差し出した。

「こんなものまで証拠になるのか?」

「一枚では弱くても、独立した記録が一致すれば強い」とエリナ。

吉岡が証拠の写しを三組作る。

「一組は家族へ、一組は裁定所へ、一組は会社で保管します」

「原本は?」

「母親に返します。大切な記録を取り返すために、私たちがまた取り上げてはいけません」

裁定の準備中、思わぬ人物が証人として現れた。

先日、夜学で契約を断られたセラフィだった。

「神界商事の販売員として、説明の仕方に問題があったと証言します」

ミカが目を見開く。

「別部門のあなたが関われば、責任を問われます」

「私も、無料という言葉を使いました。知らなかったでは済みません」

二人の天使はしばらく見つめ合い、同じ書面に署名した。

俺は不思議な気分だった。

神界の社員はみんな冷たいと思い込んでいた。

だが、悪い仕組みの中でも、正しいことをしようとする者はいる。

「お前たちの会社、内部告発の窓口はあるのか?」

「ございます」とミカ。

「ただし担当部署は契約審査部です」

「お前の部署じゃないか!」

「だからこそ、改善が必要なのです」

エリナは二人に、証言の控えをそれぞれ渡した。

「会社へ提出した記録だけでは、後から消されるかもしれません。手元にも残してください」

少年の母親は裁定所の外で、震える手で弁当を開いた。

中には丸いパンが二つ。

「昨日まで、この子は焼きたてのパンが大好きでした。でも今は、匂いを嗅いでも何も言わないんです」

俺は少年の隣に座った。

「俺も昔、旅の途中で大事な約束を忘れたことがある」

「思い出した?」

「相手に怒られて、やっとな」

少年が少し笑った。

「じゃあ僕も、怒られたら思い出せる?」

「怒らなくていい。お母さんは、待ってくれてる」

母親は顔を覆った。

俺は自分の軽口が、少しだけ役に立ったことに安堵した。

裁定が始まる前、エリナは俺へ注意した。

「感情だけで勝てる相手ではありません。未成年者保護規定、説明義務、証拠保全。この三点から外れないでください」

「分かった。聖剣は抜かない」

『私は何のために来たのでしょう』

「証拠の箱を運ぶためだ」

『伝説の聖剣に荷運びをさせるとは』

「前はお前も、勇者の荷物を運ぶのが嫌だって言ってたろ」

『それは……否定しません』

神界の裁定官が降りてきたのは、二日後だった。

金色の秤を掲げ、規約の文字だけを読み上げる。

「解約時の精算は適法と記載されている」

「契約時に見せていない条項だ」とエリナ。

「神界の様式に従っている」

「様式が間違っていれば、誰が直すんですか?」

裁定官は口を閉じた。

ミカが自分の職員証を卓上に置く。

「私が手続きの欠陥を報告します。少年の記憶は未成年者保護規定の対象です」

「君の昇進は消えるぞ」

「昇進は、また働けば取り戻せます。でもこの子の昨日は一度きりです」

裁定官は回収停止を命じた。

第三保管庫から小さな光の球が運ばれ、少年の胸へ戻される。

保管庫は本人確認を求めたが、少年の記憶を奪った側が本人確認不能を理由に返還を拒む矛盾を、エリナは第三者の証言で覆した。

母親が呼びかけた。

「私の名前は?」

少年はしばらく考え、「……母さん」とだけ答えた。

母親は泣き笑いした。

だが医師が検査すると、三日分のうち一部が戻っていない。

「全部戻ったわけじゃないんだな」

「保管庫の移送記録を追います」とミカ。

「もう『期限切れ』では済ませません」

帰り道、少年が俺に尋ねた。

「僕が忘れた昨日って、もうないの?」

俺は答えを探した。

「思い出せない昨日はある。でも、今日のことはこれから作れる」

少年は母親の手を握った。

「じゃあ今日は、犬と遊んだことを日記に書く」

エリナが微笑む。

「その日記は、どこのクラウドにも預けなくていいですよ」

「紙なら燃えるぞ」と聖剣。

「お前が火事から守れ!」

『初めて剣らしい仕事を頼まれました』

翌朝、病院から緊急連絡が届いた。

患者の名前が、神界の台帳から消えているという。

俺は少年の日記を思い出した。

誰かの記録を消すことは、その人の存在まで消したことにはならない。

「病院へ行こう。今度は患者の名前を取り戻す」

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