■第八話 勇者、魔王を一度も斬らずに倒す
第一号議案。
【取締役ゼルガディスの解任】
採決が始まった。
吉岡が議場に向かって告げる。
「議決権行使の結果を集計いたします」
魔王は腕を組んでいた。
「フハハハハ!」
不敵な笑い声。
「勇者よ! 残念だったな!」
「……何がだ?」
「我は四十パーセントの株式を保有している!」
「知っている」
「貴様らが多少の株式を集めたところで、我を追放することなどできぬ!」
俺はエリナを見た。
エリナは静かにうなずいた。
「……大丈夫です」
「本当か?」
「はい。暗黒銀行の財務審査は通過しています」
「……よし」
やがて、吉岡が集計結果を受け取った。
会場が静まり返る。
「それでは、採決結果を発表いたします」
魔王が笑った。
「さあ、我の勝利を宣言するがよい!」
吉岡は書類を見た。
そして、震える声で読み上げた。
「議決権総数、八百万個。普通株式一株につき一個の議決権があり、今回は全議決権が行使されています」
「賛成、四百八十万個」
「反対、三百二十万個」
沈黙。
吉岡は内訳を確認した。
年金基金二十パーセント、従業員持株会十五パーセント、暗黒銀行十パーセント。
その他の株主からは、勇者株式会社名義の五千票と俺個人名義の二票を含む、合計百二十万個――全体の十五パーセントに当たる賛成票が、委任状と当日投票で集まっていた。
エリナが示した戦後復興事業の収益予測と軍需依存からの転換計画が、彼らの判断を後押ししたのだ。
勇者株式会社の五千票は俺が法人代表者として、個人の二票は個人株主として、それぞれ別の投票用紙で行使していた。
魔王の四十パーセントは反対に投じられたが、すべての議決権が行使された結果、賛成が上回った。
「賛成率、六十パーセント」
吉岡は深く息を吸った。
「よって……」
魔王の笑顔が消えた。
「第一号議案、可決されました」
会場が爆発した。
「うおおおおお!」
「やったぞ!」
「魔王が解任された!」
「週休二日!」
「残業代!」
「有給休暇!」
魔族たちが歓声を上げた。
俺は拳を握った。
「……勝った」
エリナが微笑んだ。
「おめでとうございます、ジーク様」
「……ああ」
俺は魔王を見た。
魔王ゼルガディス。
世界最強の存在。
数百年間、人類を恐怖に陥れた男。
その魔王が、呆然と立ち尽くしていた。
「……馬鹿な」
魔王は震えていた。
「我が……敗れた?」
俺は静かに答えた。
「ああ」
「剣も使わず……」
「ああ」
「魔法も使わず……」
「ああ」
「紙切れで……我を倒したというのか?」
「株主の議決権だ」
勝ち誇るつもりだったのに、声は思いのほか静かだった。
魔王は膝をついた。
「……そんな馬鹿な」
俺は少しだけ笑った。
「時代は変わったんだろ?」
魔王は顔を上げた。
「……何?」
「これからは、資本の時代なんだろ?」
「…………」
魔王は何も言わなかった。
第一号議案は可決された。
だが、総会はまだ終わっていなかった。
吉岡が壇上に立った。
「続きまして、第二号議案に移ります」
「……第二号議案?」
俺は首をかしげた。
吉岡が読み上げる。
「新任取締役選任の件」
エリナが微笑んだ。
「ジーク様。おめでとうございます」
「……何が?」
「あなたが、次の社長候補です」
「…………」
俺は固まった。
「……は?」
吉岡が続ける。
「新任取締役候補、勇者ジーク様」
採決の結果、第二号議案も可決された。
第二号議案まで終わったところで、会場の隅からすすり泣く声が聞こえた。
さっきまで俺を応援していたオークの隊長だ。
握り締めた紙には、戦死した部下の名前が並んでいる。
「どうした?」
「嬉しいんです。でも、あいつらには休日をやれなかった」
俺はその紙を受け取れなかった。
そこには俺が討伐した部隊の名前もあったからだ。
「……俺も、戦場で多くの命を奪った」
隊長は顔を上げた。
「知っています。だからこそ、勇者様に言ってほしいんです。これで終わりだと」
俺は壇上の魔王を見た。
ゼルガディスは敗北した顔で、空になった議長席を見つめている。
「終わりにするには、まだ仕事がある」
「何を?」
「遺族の補償と、戦争を続けなくても食べられる仕事だ」
エリナが近づいてきた。
「補償も雇用も、口約束では終わらせません。具体策は就任後の計画にまとめましょう」
「ああ。あいつらの名前を、帳簿の数字だけにはしない」
聖剣が鞘の中から声を上げた。
『ついでに我にも有給を!』
「お前は剣だろ!」
『戦場で振り回された年数を計算してみろ!』
隊長が思わず吹き出した。
俺も笑った。
笑えることが、少しだけ救いだった。
吉岡は続ける。
「株主総会の終了後、新たな取締役会を開きます。そこでジーク様を代表取締役に選定する予定です」
「つまり、まだ社長に決まったわけじゃないんだな?」
「はい。順序を守って決定いたします」
会場が沸いた。
「勇者社長!」
「勇者社長!」
「勇者社長!」
「ちょっと待て!」
俺は叫んだ。
「俺は魔王を倒したかっただけだぞ!」
エリナが静かに答えた。
「ですから、倒しました」
「そうだけど!」
「次は、会社を経営してください」
「何で!?」
「株主の皆様が期待しています」
「俺、経営なんて分からないぞ!」
吉岡が微笑んだ。
「ご安心ください」
「……何が?」
「弊社には優秀な経営陣がおります」
「……そうなのか?」
「はい」
吉岡は一枚の資料を差し出した。
【魔王軍株式会社 経営状況】
年間売上:金貨三千万枚。
年間損失:金貨一千万枚。
累積赤字:金貨一億枚。
有利子負債:金貨二億枚。
従業員:十二万人。
未払い残業代:金貨五千万枚。
「…………」
俺は震える手で資料を見た。
「……これが、次の社長に渡される帳簿か」
数字は資料で見ていた。
それでも、何から手をつければいいのか見当もつかなかった。
株主総会が閉会すると、新たに選任された取締役たちは隣室へ移った。
そこで最初の取締役会が開かれ、俺は正式に代表取締役に選ばれた。
こうして俺は、聖剣も魔法も使わず、株主総会の決議によって魔王を解任し、その会社の社長になった。
五年間の旅は終わったと思った。
だが、本当の苦労はここからだった。
吉岡が深々と頭を下げた。
「新社長、よろしくお願いいたします」
「待て待て待て!」
俺は後ずさった。
「あの借金二億枚、今度は俺が返済計画を立てるのか!?」
「はい」
「未払い残業代五千万枚も、俺が社長として支払い計画を立てるのか!?」
「はい」
「十二万人の従業員!?」
「はい」
「こんな会社、どうやって経営するんだよ!」
エリナが笑った。
「大丈夫です」
「何が大丈夫なんだ!」
「勇者様なら、きっと世界を救えます」
「……世界?」
「はい」
エリナは静かに言った。
「まずは、魔王軍株式会社の倒産を防ぐところからです」
「…………」
俺は天井を見上げた。
五年間。
魔王を倒すために旅をした。
何度も死にかけた。
数え切れない魔物を倒した。
そして、ついに魔王を追放した。
その結果……
俺は、世界最大級のブラック企業の社長になった。
「……魔王を倒すより、難しくないか?」
吉岡が答えた。
「はい。前社長も同じことをおっしゃっていました」
「…………」
取締役会を終え、俺たちが先ほどの総会会場へ戻ると、入口から声がした。
「勇者よ」
振り向くと、解任された魔王ゼルガディスが立っていた。
「……魔王?」
魔王はゆっくり近づいてきた。
そして、俺の肩に手を置いた。
「……頑張れよ」
「…………」
「我はもう、責任を負わなくてよいのだな?」
「……ああ」
魔王は満面の笑みを浮かべた。
「では、長年の夢だった世界一周旅行に出かけるとしよう!」
「ちょっと待て!」
魔王は振り返らなかった。
「さらばだ、勇者よ!」
そして、六枚の翼を広げて飛び去った。
俺は議場に残っていたバルクを見た。
彼が握りしめた休暇届を、忘れるわけにはいかなかった。
解任に賛成した票は、俺への無条件の信任ではない。
エリナは、改革案への反対意見も記録して公開すると約束した。
魔王を倒すのと、会社を引き受けるのは、同じことではない。
俺はエリナから受け取った白紙の事業計画書を握り、勝利の後も逃げないと決めた。
残された俺。
十二万人の従業員。
金貨二億枚の借金。
そして、山のような未払い残業代。
吉岡が静かに尋ねた。
「社長。最初の経営方針をお願いいたします」
俺はしばらく考えた。
そして、言った。
「……まず、戦争をやめよう」
吉岡は手元の書類を一枚めくった。
「新社長。緊急の確認事項がございます」
「もう!?」
「本日付で出兵を中止した場合、帰還兵の宿泊所が足りません」
「じゃあ城の空き部屋を開けよう」
「魔王様の私室も含みますが」
「旅行中の本人に確認が取れるまでは、私室を使わないでくれ」
吉岡はすぐに魔王の私室の鍵を預かる担当者へ連絡した。
「私物の確認が済むまで、部屋は開放しないように」
「そうしてくれ。追い出したからって、勝手に荷物まで捨てるわけにはいかない」
俺は初めて、世界を変えるのが勝利の瞬間ではなく、その次の日からなのだと知った。
吉岡がうなずいた。
「承知いたしました」
「それから、週休二日制だ」
「承知いたしました」
「残業代も払う」
「承知いたしました」
「それと、有給休暇も制度として整えよう。誰も休めない会社にはしたくない」
「承知いたしました。取得手続きと交代勤務の計画を作成いたします」
「……あと」
俺は深く息を吸った。
「俺にも休みをくれ」
吉岡は笑顔で答えた。
「社長の休暇規程は、まだ作成中でございます」
「魔王よりブラックじゃねえかああああ!」
魔王城に、勇者の絶叫が響き渡った。
こうして世界は、魔王の恐怖から解放された。
代わりに誕生したのは……
世界初の、勇者が経営する魔王軍株式会社だった。
そして翌朝。
俺の机には、十二万人分の有給休暇希望届が積まれていた。
各部隊では以前から休暇希望者の名簿を作っていたらしい。
昨夜の発表を受け、事務担当がその名簿をもとに希望届を一斉に作成し、転送魔法で本社へ送ったのだ。
「……十二万人全員が、休暇を希望してるのか?」
吉岡が笑顔で答えた。
「はい。ただし希望日はそれぞれ異なります。一部の部隊では、昨日の発表を『明日から休める』という意味に取り違えたようです」
「制度を作るって言っただけだぞ! 十二万人が同じ日に休んだら会社が止まる!」
「希望届の受け付けと、正式な休暇の承認は別でございます。制度を整え、部署ごとに交代表を作りましょう」
「最初の仕事が休暇の調整かよ!」
吉岡は涼しい顔で、十二万枚分の希望届を運ぶ台車を廊下へ呼んだ。




