■第七十二話 元魔王が保証人になっていたので、借金が山より高くなった
魔王ホールディングス本社の受付で、ゼルガディスが入館を断られていた。
「我は元魔王だぞ!」
「存じております。ですが、ご本人確認書類がありません」
「顔を見ろ!」
「顔写真付きの証明書をお願いします」
かつて魔界を震え上がらせた男が、受付の列の最後尾に並び直した。
俺は笑いかけて、エリナに肘をつねられた。
「社長も他人事ではありません」
会議室で差し出されたのは、金貨五億枚の連帯保証契約だった。
ゼルガディスの署名が、羊皮紙の末尾に堂々と残っている。
「これ、お前が書いたのか?」
「署名を求められた。部下が、魔王の威光が必要だと言うのでな」
「本文は?」
「小さい字は苦手だ」
「苦手で五億枚に署名するな!」
吉岡が契約の条項を指で追った。
「ただし、ここには条件があります。保証対象は『封印門の復旧工事に実際に支出した額』。上限が五億枚で、請求額そのものではありません」
「なら工事の領収書を出させればいい」
「領収書の保管先が、昨日見つかった灰冠財団の倉庫です」とエリナ。
昨日の紙束が、今度は元魔王の首に巻きついてきた。
ゼルガディスは初めて黙り込んだ。
窓の外には、自分が建てさせた巨大な銅像が見える。
像の建設費より、保証契約の方がはるかに高い。
「我が払えぬなら、部下の給与を差し押さえると書いてあるのか」
「そこは争えます。でも先に、誰が何を保証したのか確かめましょう」
俺は署名の横に押された印を見た。
魔王の印とは別に、見知らぬ小さな商会印があった。
「この印の持ち主を探す。五億枚の正体は、まだ決まってない」
請求書の一番上には、金貨五億枚と大書されていた。
だが、その下の内訳欄はほとんど空白だった。
「五億って、いくらだ?」と俺。
「魔王城を何十回も建て直せる額です」とエリナ。
「城を壊すのは得意だが、建て直す方は苦手だな」
ゼルガディスは冗談に笑わなかった。
契約書の署名をじっと見つめている。
「我は部下を守るつもりだった。封印門が壊れれば、魔界に魔物があふれると聞かされた」
「工事は実際にあったのか?」
「門は直した。だが、費用までは見ておらぬ」
エリナが三枚の書類を並べた。
契約、工事完了証、請求書。
工事完了証には門の修理責任者の印があるが、請求書には灰冠財団の代理人の印しかない。
「保証は上限額です。請求する側には、支出を証明する責任があります」
「なら証明させればいい」と俺。
「その間にも財団は、保証人の財産を差し押さえる仮処分を申し立てられます」
ゼルガディスが身を乗り出した。
「我の銅像を差し押さえるがよい!」
「銅像は会社の所有物です」と吉岡。
「我の顔なのに!」
「顔の使用許諾契約は確認できますが、所有権は別です」
「魔王が自分の顔で稼げぬ時代になったのか!」
エリナは頭を抱えた。
その日の午後、封印門の村へ向かった。
山道は雪解けの水でぬかるみ、馬車の車輪が何度も沈んだ。
門の前には石工たちが暮らす小さな集落がある。
「修理をした親方を探している」と俺が告げると、村長は一冊の作業日誌を持ってきた。
「親方は三年前に亡くなりました。でも、うちの娘が記録をつけていました」
日誌には、石材の数、運んだ日、職人の名前がびっしり並んでいた。
娘は今、村の学校で算術を教えているという。
「請求書の金額と比べたいんだ」とエリナ。
娘は首をかしげた。
「五億枚? それは門を直す金額ではありません。山を一つ買っても余ります」
「証言してもらえるか」
「できます。ただし、村の人に迷惑がかからないなら」
「何か脅されているのか?」
彼女は日誌の最後の頁を開いた。
工事完了の日付の横に、後から書き足された文字がある。
【追加工事・魔力障壁全面更新】
「こんな工事はしていません。父は最後の日、門が無事に閉じたと言って帰ってきたんです」
追加工事の欄だけ、筆跡が違った。
ゼルガディスは石門に手を当てた。
「我はこの門を守るために、多くの兵を失った。修理の名で金を盗んだ者がいるなら、許せぬ」
「許さないのはいい。でも、先に証拠を守ろう」と俺。
日誌の写しを三通作り、村と審判所と会社に分けて保管した。
原本は娘の手元に残した。
帰り道、村長が小さな袋を差し出した。
中には工事で使った石の欠片が入っている。
「親方が、魔力障壁の石だと言っていました。鑑定すれば、どこを直したか分かるかもしれません」
エリナは袋を受け取る前に確認した。
「これを証拠として預かってもいいですか。返却の期限も書きます」
村長は驚いた顔をした。
「昔の魔王軍は、必要なものは黙って持っていきました」
「今の会社は、借りたものを返すところから始めています」とエリナ。
その夜、差し押さえの申立書が届いた。
対象には、ゼルガディスの個人財産だけでなく、魔王軍株式会社の給与口座まで含まれていた。
「個人保証と会社の口座は別だろ!」
「その通りです」とエリナ。
「だから異議を申し立てます。でも、裁判所の判断まで資金が凍る可能性があります」
吉岡が給与支払日を指で示した。
残り四日。
ゼルガディスは長く黙ったあと、自分の王冠を机に置いた。
「これを売れ。少しでも足しにせよ」
「お前の財産を勝手に会社の金にするな」と俺は言葉を選んだ。
「まずは不当な請求を止める。社員の給料は別の手段で守る」
「我は、また何もできぬのか」
「できる。あの署名をした理由を、法廷で自分の言葉で話してくれ」
ゼルガディスは王冠を持ち上げた。
「我が無知であったこともか」
「それが一番大事だ」
翌朝、エリナは保証額の争いと給与口座の保全を分けた申立書を提出した。
石工の娘の証言も添えた。
受付の職員が書類をめくり、最後の頁で顔を上げた。
「元魔王ご本人の陳述書ですね」
そこには、短い一文があった。
【私は、読まずに署名した。
だからこそ、今度は最後まで読む】
俺は思わず笑った。
「お前にしては、いい文章だ」
「吉岡に三度直された」
「そこは言わなくていい!」
まだ五億枚の請求は消えていない。
それでも、空白だった内訳欄に、初めて反論できる事実が並び始めた。
ゼルガディスは王冠をかぶらず、陳述書の控えを胸にしまった。
かつて命令書を読むことすらしなかった男が、今は一文字ずつ自分の責任を確かめている。
吉岡は報告書の最後に未解決の欄を作った。
綺麗な結論より、その空欄が次の仕事を教えてくれた。
調査の途中で、ゼルガディスは自分の古い署名を何度も書いた。
「同じように書けない」と彼は呟く。
「二十年前と今で筆跡が違うのは普通です」とエリナ。
「だから印章だけで偽造と断定はできません」
吉岡は契約時の立会人と支出記録の照合を提案した。
「偽物なら助かると思ったのに」と元魔王。
「本物でも、実際の支出を超える請求は認めない」と俺。
ゼルガディスは署名の練習をやめ、領収書の束を開いた。
受付の女性は元魔王を見上げても怯えなかった。
「保証契約は名前だけでなく、本人の意思を確認するものです」
ゼルガディスは古い印章を取り出したが、その縁には欠けた傷があった。
エリナが別の契約書を並べると、欠けの位置が一致しない。
「誰かが陛下の名を使った可能性があります」
元魔王は怒鳴るのをやめ、書類を一枚ずつ読み始めた。
今度の戦いでは、威圧は証拠にならない。




