■第七十話 聖剣が勇者を解任しようとして、労働審判が開かれた
聖剣が俺を訴えた。
魔界労働審判所の掲示板に、でかでかと俺の名前が貼られている。
【申立人:聖剣/相手方:勇者ジーク】
「武器が労働審判を申し立てるなよ!」
『武器としての尊厳を守るためです』
審判官のゴブリンは眼鏡を直した。
「申立人は、長期間にわたり本来業務を与えられず、技能維持の機会を失ったと主張しています」
『最後に斬ったのは、倉庫の縄です』
「便利だっただろ!」
『私は伝説の聖剣だぞ!』
エリナは双方の主張を紙に整理した。
戦闘を再開すればいいわけではない。
平和になったからこそ、剣の役割がなくなった。
審判官が尋ねる。
「申立人は、何を望みますか」
聖剣はしばらく黙った。
『必要とされたい。
役立たずとして倉庫に置かれるのは嫌だ』
俺は初めて、剣の不満が戦闘への渇望だけではないと気づいた。
「だったら、救助訓練の指導役はどうだ。岩を割る技術は災害でも使える」
『刃を振るう意味があるなら、考えてやる』
審判官は和解案に『本人の同意を要する』と書き添えた。
「本人って剣だけどな」
『異議あり!』
審判官は聖剣に尋ねた。
「あなたが望むのは解任ですか、それとも働き方の変更ですか」
聖剣はいつもの大声を出さなかった。
『勇者が危険な場所へ行くたび、私は抜かれます。
相談されたことは一度もありません』。
俺は剣の柄を見た。
仲間だと呼びながら、道具として扱っていたのは俺かもしれない。
裁判の勝敗より先に、俺は聖剣が断れる条件を紙に書き始めた。
聖剣は解任通知を読み終えると、しばらく黙った。
『役職を失えば、意見も言えぬのか』。
「そんな会社にはしない」と俺は答えた。
吉岡が会議規則に一行を加える。
役職の有無にかかわらず、安全上の異議は記録する。
「社長が来たぞ」
誰かがそう言うと、集まった人々の視線が一斉にこちらを向いた。
歓迎する者もいれば、露骨に顔を背ける者もいる。
魔王軍株式会社の看板は、ある人には仕事をくれる会社の名前であり、別の人には故郷を焼いた軍隊の名前でもあった。
「今日は演説に来たんじゃない。困っていることを教えてほしい」
最初に口を開いたのは聖剣エクスカリバーだった。
「それなら、都合の悪いことから聞いてください」
「望むところだ。最近は都合の悪い報告しか来ない」
「笑い事ではありません」
「俺も笑いたくて笑ってるわけじゃないんだよ」
現場の机に並んだ記録を見て、俺は事態の輪郭をようやく理解した。
聖剣は戦闘業務を与えられず技能維持に不安を抱いていた。
一枚の紙の上では短い説明で済む。
だが、ここではそれが明日の食事や、子供の学費や、年老いた親の薬代につながっている。
「何人が影響を受けている?」
「数え方によって違います。直接困る人だけでなく、取引先まで含めれば倍以上です」
「正確な数字を出してくれ。多いから無理だと諦めるためじゃない。誰を先に助けるか決めるためだ」
聖剣エクスカリバーは意外そうな顔をした。
「前の魔王様は、まず敵を倒せとおっしゃいました」
「俺も前はそうだった。敵を倒せば全部終わると思ってた」
「今は違うんですか?」
「敵を倒しても、請求書は残るって学んだ」
そこだけは、誰も反論しなかった。
審判所の廊下には、剣を背負った冒険者たちが列を作っていた。
俺たちの騒ぎを聞きつけたらしい。
「聖剣が訴えたって本当ですか」
「俺も斧に訴えられますかね」
「斧に聞いてくれ」
エリナは冗談に付き合わず、審判官に尋ねた。
「技能維持の機会というのは、何をもって判断しますか。戦争が終わったからといって、無理に斬る相手を作るわけにはいきません」
審判官は机に置かれた木片を指した。
「申立人には、切断以外の技能もあると聞いています。例えば、魔力の流れを感知できるとか」
『それはできる。
だが、それは斬るための感覚だ』
「では、崩れかけた橋の魔力の亀裂も分かるのか?」と俺。
『分かる。
昨日、お前が渡った橋にもひびがあった』
「昨日言えよ!」
『お前は私を荷物のひも切りにしか使わなかった!』
審判官が木槌を打った。
「双方、昨日の橋の件は別途、安全管理担当に報告してください」
審判は一度休廷となった。
俺は廊下で聖剣を鞘から抜き、窓の光にかざした。
刃は昔と変わらず鋭い。
変わったのは、俺の方だった。
「お前と魔王城に突っ込んだとき、俺は戦いが終われば全部よくなると思ってた」
『覚えている。
お前は毎晩、刃を磨いてくれた』
「今は磨くのも吉岡に任せきりだ」
『吉岡の磨き方は丁寧だ。
だが、私はお前に選ばれた剣だ』
胸に小さな痛みが走った。
会社のために剣を使わなくなったのは正しい。
けれど、正しさを言い訳にして、相棒の声を聞かなくなっていた。
午後、鉱山の救助隊長が証人として入室した。
数日前、崩落した坑道から三人を救い出したという男だ。
「岩を切る魔法はあります。ですが、普通の刃では支柱まで壊してしまう。亀裂だけ見分けられる道具があれば助かります」
『私なら、岩の中の魔力を読める』
聖剣の声が急に真剣になった。
「ただし」と隊長は続けた。
「現場は泥だらけだ。英雄の剣として飾られることはない。命令系統にも従ってもらう」
『泥は構わん。
だが、命令系統とは誰のことだ』
「現場責任者だ。俺より強いかどうかは関係ない」
『……面白い。
初めて私に、勇者以外の上司ができるのか』
「いや、俺の立場は?」
エリナが即答した。
「会社の代表者です。剣の直属上司ではありません」
「ついに聖剣にも組織図で負けた!」
審判官は救助隊への試験配属を提案した。
週二回の訓練、危険作業には聖剣自身の同意、刃の手入れは専門の鍛冶師が担当。
戦場への派遣は認めない。
『待て。
試験配属の期間は?』
「まず三十日です」とエリナ。
『三十日で私の価値を測れるのか』
「測るのは価値じゃない。仕事の相性だ」と俺は言葉を選んだ。
聖剣はしばらく黙り、それから小さく笑った。
『お前も少しは、社長らしくなったな』
「褒めてるのか?」
『戦士としては退化した』
「余計な一言が多い!」
翌朝、訓練場に着いた俺たちは、救助隊の若い隊員が岩の前で立ち尽くしているのを見た。
亀裂の向こうに人形が置かれ、岩を大きく崩せば失格になる。
『右に三寸。
そこに魔力の継ぎ目がある』
隊員は半信半疑で刃を構えた。
聖剣が示した一点を切ると、岩は音もなく二つに割れ、人形には砂一粒かからなかった。
隊員の歓声に、聖剣は誇らしげに輝いた。
『どうだ、ジーク。
私はまだ役に立つ』
「ああ。昔よりずっとな」
『……それは言いすぎだ』
俺は笑って、救助隊長の差し出した配置表に署名した。
そこには『聖剣エクスカリバー・救助技術顧問』とある。
一番下の備考欄には、吉岡の字でこう書かれていた。
【本人の希望により、縄切り業務は原則禁止】
「原則ってことは、緊急時には切るんだな」
『緊急時だけだぞ!』
審判の記録には和解成立と記された。
俺は勝ったわけでも、負けたわけでもない。
ただ、長く隣にいた相棒の望みを、ようやく聞けたのだった。




