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魔王軍が株式会社になったので、勇者が株主総会で魔王を追放した  作者: レモンティー


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■第六十話 魔界の金融危機が収まった夜、元魔王が契約書を破り捨てた

灰冠財団の使者は、灰色の仮面を着けた人間だった。

「勇者ジーク社長。貴社の経営改革には敬意を表します」

「なら、正面から話そう。何が目的だ?」

「魔界の資産を、効率よく再配置することです」

エリナが尋ねた。

「黒曜投資組合の最終出資者ですか?」

使者は否定しなかった。

「関係する投資先の一つです」

「鉱山事故の部品発注にも関わっているのか?」

「調査中の事項については、お答えできません」

俺は机を叩きかけ、手を止めた。

怒鳴っても証拠は増えない。

「では、公開できる範囲で聞く。病院や倉庫を売った後、そこに住む人はどうなる?」

「市場が最適な用途を決めます」

「市場は、病気の子供の名前を知ってるのか?」

使者は初めて言葉を詰まらせた。

その夜、監督当局が黒曜投資組合の一部取引について調査を開始したと発表した。

銀行騒動の怪文書の作成経路にも、関連する業者が浮かび上がった。

ただし、責任の所在はまだ確定していない。

暗黒銀行では、共同監査の結果が公表された。

不良債権への引当てを積み増し、決済資金を確保する計画も示された。

預金者の列は短くなったが、まだ消えてはいない。

銀行は日々の支払い状況と監査の進捗を掲示し、取引先にも説明を続けることになった。

「一日で信用が戻るわけじゃないな」と俺。

「戻るかどうかも、これからの仕事次第です」とエリナ。

バルガスが俺に言った。

「助かった。だが、銀行は一度信用を失えば取り戻すのに時間がかかる」

「会社も同じだ」

「……勇者が銀行家のようなことを言うようになったな」

「褒めてるのか?」

「半分はな」

翌朝、俺は魔王ホールディングスへ向かった。

会議室には、ゼルガディスの署名が入った契約書が三冊積まれていた。

「三冊もあるのか?」

「本契約、追加覚書、議決権委任状です」と法務担当のペトラ。

元魔王は腕を組んだ。

「我は一枚にしか署名した覚えがない」

「残り二枚にも署名があります」

「……魔王の筆跡を真似たのか!」

ペトラは首を振った。

「いえ、同じ日に三回署名しています。こちらは受付の記録です」

「記憶力まで敵に買収されたのかよ!」

ゼルガディスが顔をしかめた。

「契約書は長い。戦場なら相手の陣形を一目で見抜けたというのに」

「契約書は敵陣じゃありません」とエリナ。

ペトラは条項を一つずつ読み上げた。

議決権の委任、一定期間の売却制限、買収が成立した場合の役職保証。

だが最も厄介なのは、黒曜投資組合に対する保証義務だった。

「つまり、紙を破っても借金は消えない?」

「消えません」

「魔法で燃やしたら?」と元魔王。

「消えません」

「魔王の命令で無効にしたら?」

「もっと消えません」

俺は笑いかけて、笑えなくなった。

契約書の裏側には、旧戦争債務の処理に関する条項がある。

「これ、被害を受けた村への補償金はどうなる?」

ペトラが指を止めた。

「債務整理の対象に含まれる可能性があります。債権者ごとの確認が必要です」

ゼルガディスは黙り込んだ。

「我は、賠償を終わらせると約束された。だが、金を払わずに終わらせるとは聞いていない」

「聞かなかったんだろ」と俺。

「……そうだ」

その一言に、以前の魔王なら決して認めなかった重さがあった。

エリナは契約を無効と決めつけず、解除条件と相手方の義務違反を調べるよう指示した。

ペトラは黒曜への照会書を作り、吉岡は旧債務の台帳を運んできた。

「社長、倉庫から追加資料が七箱届きました」

「七箱!?」

「前魔王様の治世は長かったので」

「長生きの弊害が書類で来た!」

ゼルガディスは一箱を開けた。

古い補償申請書の上に、小さな手形が押してある。

「これは……北境の村だ」

「覚えてるのか?」

「焼いた村の名は忘れたことがない。忘れたふりをしていただけだ」

部屋が静かになった。

「勇者。契約を取り消すだけでは、我の責任は消えぬのだな」

「そうだ。村への補償も、社員の給料も、契約書を燃やせば終わる話じゃない」

ゼルガディスは補償申請書の小さな手形を見つめた。

「昔、我は剣で奪った。今度は紙で奪おうとしていたのか」

「まだ誰の責任か決まっていません」とペトラが言った。

「黒曜側の説明と、契約の成立過程を調べます。解除できるかどうかも、その後です」

「……では、これをどうすればよい?」

元魔王は署名済み契約書の写しを一枚持ち上げた。

黒曜へ議決権を委ねる条項に、自分の名前がある。

「破っても契約は消えませんよ」とエリナ。

「分かっておる」

ゼルガディスは紙を二つに裂いた。

乾いた音が会議室に響いた。

「それでも、我が黒曜の言いなりになるつもりはないと、自分に示したかった」

「だからって証拠を破くな!」

「写しだ。原本はペトラに預けた」

俺は思わず黙った。

「……お前、少し賢くなったな」

「魔王を馬鹿扱いするでない!」

「さっきまで契約書を読まずに三冊署名してたじゃないか!」

ペトラは原本を封印袋に収めた。

「明日、相手方へ正式な照会書を送ります。交渉中も支払義務の有無を慎重に確認します。勝手に支払いを止めないでください」

「承知した」とゼルガディス。

「魔王が弁護士の指示を聞いてる……」

聖剣が感慨深げに呟いた。

『世界の終わりでしょうか』

「むしろ始まりだろ」

元魔王は七箱の補償台帳を抱えた。

「まずは、我が焼いた村の名を一つずつ読み直す。もう、忘れたふりはせぬ」

俺は一箱を持った。

「全部一人で運ぶな。社員の仕事まで奪うなよ」

「では半分持て、勇者」

「半分って四箱かよ!」

吉岡がすかさず台車を押してきた。

「運搬費は経費で処理いたします」

「そこだけは完璧なんだな!」

三日後、北境の村から返事が届いた。

補償台帳に残っていた小さな手形の持ち主、その孫からだった。

『謝罪の言葉だけでは橋は直りません。

ですが、調査をするなら村の帳簿も貸します』

ゼルガディスは質問の多い返書を何度も読み返した。

「我を許したとは、どこにも書いておらぬな」

「許してもらうために払うんじゃない。壊したものを直すためだ」

元魔王は頷き、筆を取った。

だが、最初の一行を書くまでにずいぶん時間がかかった。

「何を悩んでる?」

「魔王として、何と書けばよいのか」

「魔王としてじゃない。約束を破った本人として書けばいい」

元魔王は黙って頷き、補償記録の照合、橋の現状調査、支払計画の再提示を約束した。

調べてもいない金額を軽々しく書かなかった。

「地味な返事だな」と俺。

「派手な言葉では橋は直らぬ」

俺は思わず笑った。

「お前、今すごくまともなこと言ったぞ」

「失礼な勇者だ!」

エリナは封筒を閉じた。

「契約の調査と村への補償は別々に進めます。どちらも放置しません」

帰り道、暗黒銀行の前を通った。

数日前まで通りを埋めていた預金者の列は、今は入口の外に十人ほど。

それでも窓口の職員は一人ずつ顔を見て、支払予定と問い合わせ先を説明していた。

「もう大丈夫なんですか」と俺はバルガスに聞いた。

「いいや。今日払えたからといって、来週も払えると信じてもらえるとは限らん」

「じゃあ、どうする」

「毎週、決済資金と監査の進捗を掲示する。問題が出れば隠さず知らせる。それを続けるだけだ」

「地味だな」

「信用を取り戻す仕事に、派手な魔法はない」

俺は北境の村への返信の控えを握り直した。

橋の修理も銀行の信用も、明日一日では終わらない。

だから約束を日付と担当者のいる仕事に変えるのだ。

だが、灰冠財団は姿を消していない。

黒曜投資組合も、公開買付けを撤回していない。

その日の夕刻、王国の商会長グレゴールから連絡が入った。

『勇者殿。

灰冠財団が、人間界でも企業を買い始めました』

「どこを?」

『港、穀物倉庫、そして魔界との交易路です』

俺は地図を広げた。

黒い印が、国境を越えて増えていく。

「……次は人間界か」

吉岡が地図に赤い印をつけた。

北境の橋、王国の港、魔界の穀物倉庫。

灰冠財団が関わる取引は、国境を挟んで一本の線になった。

「……これは会社を買う話じゃない。食料も薬も運ぶ道を、丸ごと握るつもりだ」

エリナが地図の余白に、まだ独立している運送組合と共同倉庫を書き込んだ。

「押さえられていない道もあります。そこを先に確保しましょう」

「契約の期限は?」

「王国側の港湾使用権は三日後に入札です」

三日。

剣で戦うには長いが、契約で道を守るには短い。

聖剣が鞘の中で身じろぎした。

『では、いよいよ私の出番ですか?』

「あるぞ。護送隊の安全確認を頼む。俺は商会長に会ってくる」

『契約書は斬らなくてよいのですね』

「斬ったら入札に負ける!」

橋の調査依頼を地図に重ねた。

人をつなぐ橋も、国境を越える交易路も、守る理由は同じだ。

「吉岡、王国行きの馬車を手配しろ。三日後までに、買収を阻むための資金と議決権の見通しを示す」

会議が終わった後、吉岡は議事録の最後に一行を加えた。

『反対した者の理由も保存すること』。

俺が首をかしげると、彼は言った。

「勝った側の記録だけでは、次に同じ間違いをいたします」

魔王を解任した日の議事録を思い出し、俺はその一行に署名した。

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