■第五十八話 不良債権を買い集める謎の投資家が、魔界を値札だらけにした
鉱山の崩落と、黒曜投資組合の名前。
二つを結ぶ契約書は見つかったが、まだ不正を証明するものではなかった。
「規格外の部品を売った業者が、黒曜の関連会社です」とエリナ。
「じゃあ犯人だろ!」
「因果関係を調べなければなりません。部品の強度試験も必要です」
俺は唸った。
「剣なら敵を見つければ終わりなのに」
『その通りです』
「賛成するな!」
調査の間にも、黒曜投資組合は資産を買い続けた。
鉱山の債権、倉庫の抵当権、輸送船の所有権。
買い付けられた建物には、黒い札が貼られていった。
【売却検討資産】
【担保評価中】
【再開発予定】
「魔界が値札だらけだ」と吉岡が呟いた。
俺たちは倉庫街を歩いた。
荷車を引くゴブリンが、黒い札を見上げていた。
「ここも売られるんですか?」
「まだ決まってない」と俺はそう答えた。
翌朝、俺は債権売買市場へ向かった。
黒い札を剥がそうとした少年の手を、見張りのガーゴイルがつかんだ。
「それは債権者の財産表示だ」
「ここ、僕の学校だよ!」
少年の足元には、閉鎖予定と書かれた木札が落ちていた。
学校の建物を担保にして借りた金が、黒曜投資組合に売られたのだ。
俺はガーゴイルの手を離させた。
「札を貼るのは勝手だ。でも子どもを脅す権利まで買ったのか?」
「命令通りに働いているだけです」と見張りは答えた。
村長フィオが校舎から出てきた。
彼女は黒い札を見て、怒るより先に疲れた顔をした。
「借金をしたのは村です。橋が流されたとき、建て直す金が必要でした。返済も続けています」
「なのに学校を売る?」
「債権の持ち主が変わって、期限前の一括返済を要求されました」
エリナが契約書を読み込んだ。
「期限の利益を失う条件が書かれています。ただし、支払いが遅れた証拠はありません」
「なら無効か?」
「まだ断定できません。通知の送達記録を調べます」
校舎の鐘が鳴った。
授業を終えた子どもたちが、札を避けながら帰っていく。
俺は黒曜の代理人に面会を求めた。
現れたのは、磨いた靴を履いた男だった。
書類の角までぴったり揃えている。
「勇者社長。債権は売買できる商品です」
「学校も商品か?」
「担保です。感情で評価は変わりません」
「じゃあ、その学校が閉じたら誰が困るか、帳簿に書いてあるか?」
「書いておりません」
「だったら帳簿が足りない」
男は初めて顔をしかめた。
エリナが机に二枚の紙を並べた。
一枚は村の返済記録。
もう一枚は黒曜の督促状。
「この日付、変です。督促状の発送日は、債権を買い取る前になっています」
代理人の指が止まった。
「事務上の誤記でしょう」
「誤記なら原本を確認させてください」
「守秘義務があります」
「監督当局には提出できますよね」
俺は聖剣の柄を握ったが、抜かなかった。
エリナの方がずっと鋭い。
その場で学校の売却が止まったわけではない。
ただ、手続きに疑義があるとして執行を一時停止する申し立てが受理された。
フィオは深く頭を下げた。
「学校を救ってくれたんですね」
「まだだ。時間を買っただけだ」
「時間があれば、村で返済計画を立て直せます」
帰り際、少年が俺に聞いた。
「勇者って、悪い人を剣で倒すんじゃないの?」
「そう思ってた。でも今日は、日付を比べただけだ」
「すごく地味だね」
「俺もそう思う!」
少年は笑い、黒い札の横に紙を貼った。
【明日も授業があります】。
その文字だけは、どんな値札より大きく見えた。
エリナは橋の契約書を確認した。
「維持管理費を負担する契約なら、通行料を取る余地はあります。ただし住民の生活道路であることを無視した料金設定は争えます」
「つまり、橋を守るには橋の値段だけじゃ足りないのか」
「誰が使い、何のために必要かも調べます」
俺は橋の上で立ち止まった。
子どもたちが学校帰りに駆けていく。
荷車と歩行者がすれ違う狭い石橋だ。
「ここを通る人間の数を数えよう。数字で見せてやる」
「勇者が橋で交通量調査ですか」と吉岡。
「剣より鉛筆の方が役に立つ日もある!」
『私の出番は?』
「交通整理だ!」
聖剣は不満そうに光ったが、子どもたちには大人気だった。
「売られたら、俺たちはどこで働けばいいんでしょう」
その問いには、誰もすぐに答えられなかった。
エリナは黒曜の買付記録を並べた。
「安くなった債権を買い、担保を処分する。合法的な取引もあります。でも、資産の価値を下げるために虚偽の噂を流したなら別です」
「証拠は?」
「銀行騒動の怪文書と、関連会社の発注記録を照合しています」
そこへ弁護士から面会の申し出が届いた。
黒曜投資組合の代理人だ。
「勇者社長。資産の売買は自由な経済活動です」
「知ってる。だが、生活に必要な施設まで一度に売れば、街が止まる」
「投資家は利益を求めるものです」
「利益を求めるのは悪くない。でも嘘で値段を動かしたら駄目だろ」
弁護士は微笑んだ。
「証明できますか?」
「これからだ」
面会後、エリナは監督当局に調査資料を提出した。
俺たちも取引先と協力し、倉庫や病院の運営が急に止まらないよう代替契約を用意した。
夜、元魔王ゼルガディスが訪ねてきた。
「勇者。黒曜の者たちは、我にこう言った。『会社を取り戻せば、魔界は昔の栄光を取り戻す』とな」
「昔の栄光って、何だ?」
「……玉座と、六枚の翼と、皆が我を恐れる日々だ」
「それ、社員には関係ないだろ」
元魔王は黙った。
「お前が旅行してる間、社員は働いてた。子供を育てて、家を建てて、戦争しない仕事を覚えた。それを全部戻す気か?」
魔王は窓の外を見た。
城下町では、人間と魔族の子供が同じ広場で遊んでいた。
「……我の知らぬ魔界になったな」
「悪いことか?」
「分からぬ」
投資家が値札を貼った倉庫には、避難民向けの食料が積まれていた。
俺は債権者に救援物資の所有者と保管契約を示すよう求めた。
「救援物資は、担保の処分と切り離して扱うべきだ」
相手は笑ったが、倉庫番は黙って鍵を守った。
監督当局へ送る資料の束に、倉庫番の証言も加えた。
「鍵を渡せば、救援物資まで持っていかれると思った」
彼の手はまだ震えていた。
エリナは証言を丁寧に封じた。
数字にされる前の暮らしを、証拠として残すために。
エリナは資金の流れを三色の線で分けた。
黒曜が買った債権、灰冠財団からの送金、鉱山の部品業者との取引。
線は交わるが、それだけで事故の犯人とは言えない。
「疑いと証拠を混ぜない」
俺はその言葉を帳簿の余白に書いた。
パン屋の主人が、止めていた窯に火を入れた。
「借金は返す。だから働く場所だけは残してくれ」
エリナは返済計画を一枚ずつ確認し、担保の範囲を争う準備を進めた。
すべての店を救えるわけではない。
だが債権を買った者が、そこにある暮らしまで買ったわけではない。
俺は窯から立つ煙を見上げた。
「明日のパンは焼けるか?」
「粉が届けばな」と主人。
「なら、物流部に確認する。返済の話と、明日の商売の話は分けて考えよう」
主人は窯の扉を閉め、初めて少し笑った。
契約書に書かれた数字の向こうに、朝食を待つ人がいる。
そのことを忘れず、俺は次の交渉へ向かった。
そのとき、吉岡が駆け込んだ。
封の切られた資料を握る手が震えている。
「社長! 監督当局から連絡です!」
「どうした!」
「黒曜投資組合の資金の一部が、魔界外の匿名口座から送られていました!」
「誰だ?」
「まだ不明です。ただし送金先の記録に、同じ名前が何度も出ています」
吉岡は紙を広げた。
【灰冠財団】
エリナが呟いた。
「鉱山の債権、病院の倉庫、輸送船……別々に見えた取引の背後に、同じ名前がある」
エリナは窓の外の街道を見た。
「これは、単なる買収では終わらないかもしれません」




