■第五十七話 魔界最大の鉱山が閉鎖され、銀行の金庫が空になりかけた
魔界北部の黒鉄鉱山から、緊急連絡が入った。
『坑道が崩落しました! 作業員が取り残されています!』
俺は聖剣をつかんで立ち上がった。
「救助隊を集めろ!」
エリナも立ち上がる。
「社長。安全確認と避難を優先してください。二次崩落の危険があります」
「分かってる!」
現場には粉塵が舞っていた。
坑道の入口は岩で塞がれ、家族たちが祈るように待っている。
俺は剣を抜きかけた。
『ようやく私の出番ですね!』
「斬って崩れたら大惨事だ。まず専門家だ!」
ドワーフのガンドルが図面を広げた。
「古い坑道が多い。無理に壊せば全部落ちる」
「じゃあどうする?」
「隣の換気坑から入る。ゴーレムで支えを作るんだ」
救助は丸一日かかった。
閉じ込められた作業員は全員救出されたが、鉱山の操業再開には長い時間が必要だと分かった。
翌朝、暗黒銀行の頭取バルガスも現地へ駆けつけた。
銀行への影響を調べるという。
俺はまず鉱山の避難所へ向かった。
避難所の入り口には、泥のついた安全帽が四十七個並んでいた。
持ち主の名前が白墨で書かれている。
最後の一個だけ、名前が消えかけていた。
「救助されたのに、どうして帽子を置いてある?」
坑夫長ベックは俺の手を押しとどめた。
「まだ帰ってない者がいるんです。身体は戻った。でも坑道に戻れない。自分の判断で仲間を危険にさらしたと思い込んでる」
奥の寝台に若いドワーフが座っていた。
崩落前、支柱の異音を聞いたのは彼だったという。
「止めろって言ったんです。でも、出荷が遅れれば給料が出ないって……」
「誰がそう言った?」
「誰も。みんな知ってました」
その答えが一番苦しかった。
危険を知らせても仕事を止められない。
命と給料を同じ天秤に載せたのは、現場の誰でもない。
俺は外に出て、ガンドルが拾った折れた支柱を見た。
表面だけが新しく、芯には古いひびが入っている。
「この支柱、規格書と違うな」
「そうだ。安い代用品に変えられた。だが、誰が許可したか、帳簿が消えてる」
「事故の前から?」
「昨夜、事務所の棚が荒らされていた」
俺は剣を抜きかけた。
エクスカリバーが嬉しそうに震える。
『証拠隠滅犯を斬りますか!』
「犯人が分からないのに何を斬るんだ」
『棚などいかがでしょう』
「棚は被害者だ!」
エリナが到着すると、最初に賃金台帳を求めた。
「事故の原因究明とは別に、休業中の給与を確保します。操業停止は作業員の責任ではありません」
「金は?」とバルガスが尋ねる。
「会社の緊急資金と保険金の前払い交渉です。ただし銀行の預金を勝手に使うわけにはいきません」
バルガスは鼻を鳴らした。
「勇者が人助けのために銀行を破綻させたら、わしの名誉はどうなる」
「お前の名誉より預金者の金が大事だろ」
「……そこは否定できん」
ベックが一枚の古い図面を出した。
崩れた場所だけ、補強工事の印が二重になっている。
「工事は完了したと報告された。でも実際には半分しか終わっていない」
「残りの費用は?」
「請求済みです」
エリナの顔が変わった。
事故の原因と資金の流れが、一本の線でつながり始めていた。
俺は若い坑夫の前に戻った。
「警告したことを、記録に残してくれ。お前のせいじゃないと証明するためじゃない。次に同じ声を聞き逃さないためだ」
彼は震える手でペンを握った。
「……名前も書いていいですか」
「もちろん」
その夜、避難所の帽子が一つだけ持ち帰られた。
明日からまた働けるという意味ではない。
自分の声を、会社が初めて聞いたという意味だった。
救助の最後、坑道の奥から二度目の地鳴りが響いた。
「支柱がずれる! 全員退避!」
俺は聖剣を抜きかけた。
岩を斬れば道は開く。
だが砕けた岩が、奥で待つ坑夫に降り注ぐかもしれない。
「斬るな!」とガンドルが叫んだ。
「右の梁を支えろ。救助隊が通る三十秒だけでいい!」
俺は剣を鞘に戻し、肩で梁を受けた。
腕が痺れ、足元の土が沈む。
「あと二人!」
「急げ!」
最後の坑夫が担架に乗せられ、救助隊長が手を上げた。
俺は合図を待って梁を離し、出口へ転がり出た。
崩れた土砂が、さっきまで俺たちのいた場所を塞いだ。
「……斬らなくて正解だったな」
『私もそう思います』と聖剣が答えた。
救助隊長が名簿を読み上げる。
取り残された四十七人は全員、地上に戻った。
ただし負傷者の治療と原因調査はこれからだ。
担架に乗せられた鉱夫が俺の袖をつかんだ。
「仲間を置いてきてないか」
俺は名簿を開き、四十七人の名前を一人ずつ読み上げた。
最後の名を聞くと、鉱夫はようやく目を閉じた。
その隣で家族が泣いていた。
助かった喜びと、明日から働けるのかという不安が同じ顔に浮かんでいた。
翌朝、俺は坑道の入口に立った。
新しい支柱が運び込まれていたが、ガンドルは受領印を押さない。
救助が終わっても、鉱山の時計は動き出さない。
俺は再開の約束より先に、安全調査の責任者と日程を公表した。
「何でだ?」
「前の事故も、書類の上では検査済みだった。今度は俺が実物を確かめる」
「一日遅れるぞ」
「一日で済むなら安い」
俺は頷いた。
工期を縮めることより、二度と帽子を並べさせないことが先だ。
ベックは坑夫たちの前で安全点検の担当を募集した。
誰も手を挙げない。
責任を押しつけられると思っているのだ。
「点検で止めた時間も給料は出す」とエリナが告げると、ようやく三人が立った。
「それを最初に言ってくださいよ、社長」
「……俺も学んでるところだ。次はもっと早く伝える」
俺が答えると、坑夫たちは初めて小さく笑った。
点検の説明が終わると、救助された若い坑夫が俺を呼び止めた。
「社長。危ないって言ったことを記録に残したら、今度は仕事を失うんじゃないですか」
ガンドルが首を振った。
「止める権限がない者に、止めなかった責任を負わせるな」
エリナは安全規程の草案を開いた。
「危険の申告を理由に不利益な扱いをしないこと。点検中の賃金を保証すること。再開には独立検査を必要とすること。この三つを明記します」
「紙だけじゃ駄目だ」とガンドル。
「現場の人にも点検に参加してもらう」と俺。
若い坑夫はしばらく黙っていた。
「……それなら俺も手伝いたいです」
「怖くないのか?」
「怖いですよ。だから次は、怖いって言える場所にしたい」
吉岡は署名欄を差し出した。
坑夫長、監督者、経営側の三者が名を記した。
責任を一人に押しつけないための、最初の共同署名だった。
病院への輸送を終えたあと、エリナは鉱山の融資契約を広げた。
「担保を処分されれば、救助路も閉ざされます」
俺は救助隊の報告書を横に置いた。
人を助けることと、明日も助けられる道を守ること。
二つを別々に扱う余裕はなかった。
バルガスは現場の掲示を見て、重い声で言った。
「鉱山の返済が止まれば、暗黒銀行の預金者にも影響が出る。支援は必要だが、無制限には貸せん」
「じゃあ、どうすればいい?」
エリナが工程表を示した。
「保険金の前払い、代替業務への配置、安全検査の三つを分けて進めます。銀行には再建可能性を判断する時間をください」
「時間にも金利は付くぞ」とバルガス。
「命に利息を付けるなよ」と俺。
「命ではない。借金にだ」
一方、魔石の供給が減り、発電所と病院への燃料配送にも遅れが出始めた。
物流部は備蓄を病院へ優先配分し、別の鉱山に追加出荷を頼んだ。
「この事故は坑道の中だけで終わらないんだな」
「だからこそ、原因を曖昧にして再開してはいけません」とエリナ。
そこへ病院からの伝令が駆け込んだ。
「社長! 備蓄の魔石は今夜までです。代替便が遅れれば、治療室の保温設備が止まります!」
俺は閉鎖した坑道を振り返った。
安全を犠牲に再開するわけにはいかない。
だが、待っているだけでも命が危ない。
「吉岡、代替鉱山の出荷時刻を確認しろ。エリナ、病院への優先便を手配する。俺は運送組合と交渉する」
『岩を斬れば早いのでは?』と聖剣。
「今必要なのは、岩を斬ることじゃない。今夜までに魔石を届けることだ」
運送組合長は首を振った。
「夜間便には護衛と追加の御者がいる。料金も倍だ」
「見積書をくれ。病院に必要な量だけ先に運ぶ。残りは明朝でいい」
「事故が起きたら誰が責任を持つ?」
「俺が無理を命じたことにはしない。御者が危険だと判断したら止められる条件にしてくれ」
組合長は荷車を指した。
「護衛二人と予備の車輪が要る。それでも峠の風が強ければ引き返すぞ」
「分かった。病院には到着見込みと、遅れた場合の節約運転を連絡してくれ」
御者が安全を確認して出発し、俺たちは夜通し伝令を待った。
深夜、病院から短い連絡が届いた。
『保温設備、継続運転を確認』。
そこへエリナが別の紙を置いた。
「輸送は間に合いました。でも鉱山の休業で返済が止まり、債権が売りに出されています」
「助けたばかりの鉱山を、今度は誰かが買うのか?」
「鉱山だけではありません。担保になっている倉庫や輸送船もです」
病院は守れた。
だが明日、運ぶ道そのものが他人の手に渡るかもしれない。




