■第五十四話 黒曜投資組合の正体を調べたら、社員が一人もいなかった
「会社なのに、従業員が一人もいない?」
吉岡の報告に、俺は首をかしげた。
「はい。黒曜投資組合は、投資契約を束ねるための組織でございます。常勤の従業員は確認できません」
「誰が動かしてるんだ?」
「代理人の法律事務所です」
エリナが説明した。
「組織に従業員がいないこと自体は珍しくありません。問題は、資金の出し手と最終的な意思決定者が見えないことです」
俺たちは王都の法律事務所を訪れた。
応接室には、顔色一つ変えない悪魔の弁護士が座っていた。
「黒曜投資組合についてお尋ねですね」
「そうだ。誰の金で、何を買ってる?」
「守秘義務がございます」
「じゃあ、何なら教えられる?」
「守秘義務があることです」
「それは今聞いた!」
弁護士は契約書を差し出した。
「投資組合へのお問い合わせは、所定の様式でお願いします」
用紙は百二十枚あった。
「魔王城の書類より多いぞ!」
翌朝、俺たちは王都登記局に向かった。
石造りの廊下には、法人の名前を刻んだ札が天井まで並んでいる。
「黒曜投資組合はどこだ?」
受付の登記官ハルクは、分厚い台帳を指した。
「組合の住所はこちらです。ただし、その住所で営業しているのは法律事務所です」
「じゃあ金を出してる奴の住所は?」
「組合の出資者は、別の法人を通じて参加しています」
ハルクは札を三枚、机の上に置いた。
【黒曜投資組合】→【黒曜資産管理】→【西方港湾開発】
「港の会社が魔王軍を買うのか?」
「それも確定していません」とエリナ。
「登記簿は持分のつながりを示しますが、誰が指示しているかまでは分からない」
俺は机を叩きかけた。
「だったら、どこへ行けば分かる!」
「叩く前に、閲覧料をお支払いください」とハルク。
「今、机に怒ったんじゃない!」
「机の修繕費も有料です」
吉岡が横から金貨を差し出した。
「社長の破壊衝動に備え、経費を確保しております」
「そんな予算を作るな!」
閲覧室で一日かけて契約をたどると、奇妙な事実が見つかった。
西方港湾開発が保有する倉庫の一つに、魔王軍の救援物資が保管されていたのだ。
「ここは、国境閉鎖のときに薬を通した港だろう」
「はい」とエリナ。
「しかも倉庫の賃料が、先月から三倍になっています」
俺はその港を知っていた。
王国の子どもに薬を届けるため、守備隊長ハインツと交渉した場所だ。
「会社を買う前に、輸送路の首を絞めてるのか」
「断定はできません。値上げには別の理由があるかもしれません」
「じゃあ聞きに行こう」
港では、荷役のオークたちが桟橋に座り込んでいた。
倉庫の扉には新しい錠が掛かっている。
「社長! 薬箱が出せないんです!」
荷役長が鍵を掲げた。
「昨日までこの鍵で開いたのに、今朝から管理会社が変わったと言われて」
扉の前には、黒い帽子の代理人が立っていた。
「賃料の追加保証金が入金されるまで、搬出は認められません」
「薬が腐るぞ!」
「契約上の保管品ですので」
聖剣が唸った。
『鍵だけなら切れますよ』
「切るな。中の薬まで差し押さえられたら困る」
エリナは契約書を受け取り、細かい文字を追った。
「搬出停止の対象は、新規に預け入れた荷物だけです。旧契約の救援物資には適用されません」
代理人の表情がわずかに変わった。
「……解釈の問題です」
「では、倉庫の検査官に同席していただきましょう。薬の保管温度も確認が必要です」
吉岡がすでに検査官を連れてきていた。
「お呼びになると思いまして」
「お前、仕事が早すぎないか?」
「社長の剣が抜かれる前に終わらせたいので」
検査官が書面を確認し、旧契約分の搬出を認めた。
荷役長たちが歓声を上げる。
だが代理人は立ち去る際、俺にだけ聞こえる声で言った。
「今日は薬で済みました。次は株主総会です」
「脅しのつもりか?」
「ご忠告です。買い手は一人ではありません」
従業員がゼロでも、契約書には署名する者がいる。
俺は登記簿の住所だけでなく、実際に指示を出した人物を追うことにした。
社長室に戻ると、ハルクから追加の登記情報が届いていた。
黒曜資産管理の役員名簿に、最近退任した人物の名がある。
「これ、ゼルガディスの新会社の顧問じゃないか?」
エリナが眉を寄せた。
「名前は一致します。ただし、同一人物か確認が必要です」
「本人に聞くか」
「契約書を読んでいない方に聞いて、答えが出るでしょうか」
「……それが一番怖い」
俺たちは元魔王への連絡を頼んだ。
敵の正体はまだ見えない。
だが、黒曜が銀行の噂だけでなく、港の契約や株式取得を組み合わせて動いている可能性が見えてきた。
「次に何をする?」と吉岡。
「証拠を集める。疑いだけで誰かを犯人にしたら、今度は俺たちが信用を失う」
エリナは小さく頷いた。
「勇者様らしくない、慎重な判断ですね」
「褒めてるのか?」
「かなり」
『私の出番は?』と聖剣。
「今日は倉庫の扉を切らなかった。それが一番の功績だ」
『剣としての評価基準がおかしい!』
法律事務所の受付に置かれた花瓶には、差出人のない白い花があった。
吉岡が花の下から古い名刺を見つける。
「この弁護士、先月まで王国の港湾会社にいました」
エリナは首を振った。
「転職しただけでは証拠になりません」
そこで俺たちは取引記録の開示を正式に請求した。
数日後に届いたのは黒塗りだらけの書類だったが、一つだけ消されていない日付があった。
鉱山の設備契約が変更された日だった。
吉岡は名簿の空欄を指で押さえた。
「誰が指示したか分からない会社が、誰の人生を変えるかは分かるんですね」
俺は頷いた。
「だから名前のない相手を追うだけじゃ足りない。名前のある人に会いに行こう」
吉岡は公開された送金記録と契約変更の受付印を机に並べた。
「設備契約の変更日と、送金の指示日が同じです。ただし送金先の管理者は伏せられています」
「偶然かもしれない」と俺。
「だから相手を決めつけず、原本と口座の管理権限を確認します」とエリナ。
吉岡は頷いた。
「従業員がいなくても、金の足跡は残るんですね」
翌日、俺たちは再び法律事務所を訪れた。
弁護士が書類を押し戻した。
「こちらは標準様式です」
エリナは落ち着いて言った。
「開示義務のある項目について、正式に照会します。市場操作の疑いは監督当局にも報告します」
「何だ、すぐ斬れないのか」と俺。
『斬りましょうか』と聖剣。
「お前は黙ってろ」
数日後、監督当局から回答が届いた。
黒曜投資組合は複数の出資者を持ち、買い集めた資産を担保にさらに借り入れを行っていた。
「借金で買収するのか?」
「そういう手法自体はあります。ただし、値下がりすると危険です」とエリナ。
その晩、元魔王ゼルガディスが社長室に突然現れた。
南国の土産らしい巨大な貝殻を抱えている。
「勇者よ! 我の新会社の評価額が上がったぞ!」
「社員一人なのに?」
「一人ではない! 我と、経理を担当するサキュバスがいる!」
「二人じゃないか!」
「さらに、顧問が三人!」
「五人!」
ゼルガディスは胸を張った。
「大企業への第一歩だ!」
エリナが尋ねた。
「黒曜投資組合との関係をご存じですか?」
魔王の顔から笑みが消えた。
「……出資者だ」
「出資契約書は読みましたか?」
「もちろんだ!」
「内容を説明してください」
「……長かった」
「それは内容ではありません」
魔王は貝殻を抱え直した。
「我は社長だぞ! 細かいことは部下が……」
「部下は二人ですよね?」
「……一人だ。経理の者は昨日辞めた」
俺は額を押さえた。
「元魔王、お前また会社を潰す気か」
帰り際、魔王は小声で言った。
「勇者。我に魔王軍を取り戻せると囁いた者がいる。顔は見ていない。契約書だけが届いた」
「その契約書を持ってこい。今度は俺たちが読む」
「破ればよいのではないか?」
「破っても約束は消えない。だから、相手が何を約束させたか確かめるんだ」
ゼルガディスは貝殻を床に置いた。
「……分かった。明朝、原本を持参する」
エリナは登記簿を閉じた。
「名義人と、実際に指示を出した者は違います。出資者を調べるだけでは足りません」
「なら、会社を守る票を集める。株を売るか迷っている人の話を聞こう」
株券の向こうには、顔のない投資家だけでなく、暮らしを守ろうとする株主がいる。
俺は翌朝の訪問先を手帳に書き始めた。
翌朝、ゼルガディスが持参した契約書には、署名欄が二つあった。
一つは元魔王の名。
もう一つは空欄だ。
「誰がここへ署名する予定だった?」とエリナ。
「紹介者が、後で埋めると言った」
「それは駄目です。相手も条件も分からない契約には応じないでください」
俺は元魔王を見た。
あいつは剣を向けられたときより気まずそうに目をそらした。
「……取り戻したかったのは会社ではない。皆が余を必要とした頃のことだ」
「だったら、今必要とされる仕事を探そう。株主を脅すことじゃなくてな」




