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魔王軍が株式会社になったので、勇者が株主総会で魔王を追放した  作者: レモンティー


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■第五十三話 千年生きるリッチが、年金を一括で引き出そうとした

銀行騒動が収まりかけたころ、魔界年金基金の理事長が社長室にやってきた。

ボーン・グランデはいつになく険しい顔をしている。

「勇者社長。年金基金の資金をすべて現金化したい」

「全部!?」

「銀行が危ないという噂が広がっておる。守りを固めねば」

エリナが首を振った。

「一斉に売却すれば市場価格が下がり、基金自身が損をします」

「では、どうしろと!」

俺は理事長の骨ばった手を見た。

「本当に守りたいのは、金貨か? 年金を受け取る人たちの暮らしか?」

理事長は黙った。

基金の窓口には、長い列ができていた。

スケルトンの夫婦が、老後の住宅費を相談している。

千年勤めたゴーストが、退職後に世界旅行をしたいと話している。

「……死なないのに、退職するのか」

「働き続けるにも限度はあるのです」とエリナ。

理事長は窓口の椅子に座り、加入者の話を聞いた。

「毎月いくら必要なのだ?」

「薬代は?」

「住む場所は確保できているか?」

俺は小声で言った。

「初めて年金の仕事をしてるみたいだな」

「千二百年やっておる!」

「だったら最初から聞けよ!」

最初は数字ばかり尋ねていたが、やがて質問が変わった。

翌朝、基金の窓口には、受給者ではなく銀行員が三人並んでいた。

全員、黒い封筒を持っている。

「理事長。昨日までの売却注文は取り消しでよろしいですね」

「……そうしたい。しかし、現金が必要な加入者を待たせるわけにはいかん」

ボーン・グランデの骨の指が、机の上でかすかに震えた。

エリナが封筒を一通ずつ開く。

「これは株式の買付提案。こちらは基金の借入契約。そして三通目は、給付停止を求める通知です」

「同じ日に三つも来たのか?」

「送り主の代理人が同じです。黒曜投資組合の名前があります」

「給付停止の通知まで、あいつらが出せるのか?」

「正式な命令ではありません。契約の条項を根拠に、停止を求める意見書です」とエリナ。

「意見書を命令みたいに見せたのか」

ボーンは封筒を握りつぶしかけ、思い直して机に戻した。

「ならば、受給者の前で三通とも読み上げる。わしが怖がって隠せば、あやつらの思う壺じゃ」

理事長の青い眼火が細くなった。

「わしの基金を、戦場にするつもりか」

そのとき、窓口の向こうから杖をつくスケルトンが進み出た。

胸には百年前の軍章が光っている。

「理事長。わしの支給日を延ばしてもよい。ただ、隣の部屋の子を先にしてくれ」

「子?」

「戦で親を亡くしたゴブリンの娘だ。遺族給付で学校へ通っている」

理事長は台帳を開いた。

娘の名前は見つかったが、支払い区分には『確認待ち』と赤字があった。

「何を確認するんだ」

「親の死亡証明です」と職員が答える。

「戦死者名簿に載ってるだろう」

「旧魔王軍の記録と新会社の記録で、名前の綴りが違うんです」

「百年前の亡霊に、いまさら書き直しを頼むのか!」

聖剣が鞘から小声で言った。

『その亡霊、私が斬った可能性がありますね』

「いま一番言わなくていいことを言うな!」

エリナは二冊の台帳を並べた。

戦死者の名と遺族の名の間に、古い印章が一つだけ共通していた。

「同一人物と確認できます。給付停止の理由にはなりません」

「だが、基金の現金が……」と理事長。

「全員の将来分を今日払う必要はありません。向こう三か月の給付額を先に確保し、残りの資産は売却を急がない。まず資金の期限を合わせましょう」

俺は黒板に三本の線を引いた。

【今日必要な金】【三か月以内の金】【十年後に備える金】

「勇者の剣より雑な図だな」と理事長。

「剣で線を引いたら黒板が割れるぞ」

「そういう意味ではない」

職員が支払い予定を集計した。

全資産を売らなくても、近い給付に充てる現金は確保できる。

問題は取り付けの噂が続けば、さらに多くの加入者が一括支払いを求めることだった。

「発表しましょう」とエリナ。

「基金の資産と、次の支給日を。保証できない利回りは約束しません」

理事長は黙って聞いていたが、やがて席を立った。

「わしが窓口で説明する」

「理事長ご自身が?」

「千二百年、台帳ばかり見ておった。たまには相手の顔を見ても罰は当たるまい」

「全部を現金にすれば安心なのか」と俺は聞いた。

理事長は返答を探し、長い指で受給者名簿を押さえた。

最初の質問は容赦なかった。

「本当に来月も受け取れますか?」

「今ある資金と予定から、来月分は支払える。だが将来の制度改革は必要じゃ」

「じゃあ百年後は?」

「百年後のことを、今日だけで決めるのはやめる」

会場がざわめいた。

俺も驚いた。

千年生きた理事長が、初めて『分からない』と口にしたのだ。

会議後、ゴブリンの少女が小さな封筒を持ってきた。

中には、父親が残した給料明細が一枚。

「これ、もう捨てていいですか。お父さんが帰ってくると思って、ずっと持ってたんです」

理事長は受け取らなかった。

「持っておきなさい。給付のためではない。お父さんが働いた証じゃ」

少女が頷くのを見て、俺は自分の二株を買った日のことを思い出した。

紙切れ一枚にも、誰かの暮らしがぶら下がっている。

理事長が最後に言った。

「わしはずっと、金を減らさないことが仕事だと思っていた。だが、支給日に窓口が閉まっていたら、数字がどれほど立派でも意味がない」

俺は頷いた。

帳簿を守ることと、人を守ること。

その順番を間違えないのが、これからの基金の仕事なのだ。

その説明会では、若いリッチも手を上げた。

「長生きする人のために、今働く人の負担だけ増えるのは困ります」

ボーン理事長は怒鳴りかけたが、隣の老スケルトンが先に答えた。

「わしらも若い頃、同じことを言った」

エリナは給付額と積立額を年代別に示した。

誰かを悪者にすれば簡単だ。

けれど、骨の指で表を追う二人を見て、俺は簡単な答えを口にできなくなった。

説明会の出口で、杖をついた年金受給者がボーンに声をかけた。

「わしらの金を守るために、わしらの声も聞いてくれ」

ボーンは深く頭を下げた。

「次の理事会には、受給者の席を設ける」

俺はその約束を議事録に書き加えた。

緊急貸付には、返済できない人をさらに追い詰める危険がある。

エリナは給付の前借りと無利息の生活資金を分け、審査に相談員を同席させた。

「困っている人を借金で縛らないためです」

俺は制度の名前より、窓口に座る人間の顔を覚えておこうと思った。

説明会で、年金を受け取る老リッチが手を挙げた。

「高く売れるなら売ればいい。しかし、売った金をどこに置くのじゃ?」

理事長は答えられなかった。

エリナが分散運用と支払準備金の案を黒板に書く。

今すぐ現金が必要な分と、十年後に必要な分は同じではない。

「千年先まで生きるつもりで、明日の暮らしを忘れていた」と理事長は呟いた。

採決は翌週に延期された。

急いで売らないことも、一つの決定だった。

エリナは基金の運用を三つに分ける案を出した。

近い支払いに必要な現金、数年先の支払いを支える安全資産、長期の運用資産だ。

「一度に全部を売る必要はありません。支払い予定に合わせて備えればいいんです」

「……老後が無限なのに、予定を立てられるのか?」

「無限の未来を一度に払うわけではありません。毎年、実際の加入者と給付額を見直します」

理事長は目の奥の青い炎を揺らした。

「我らは死なない。だから、いつまでも同じ制度でよいと思っていた」

「変えていいんだよ」と俺は言葉を選んだ。

「生き方が変わるなら、制度も変わる」

そのとき、窓口で話を聞いた老スケルトンが再び訪ねてきた。

「理事長、わしの給付が止まると、孫と暮らす家の家賃が払えん。だが、若い連中の掛金を無理に増やしてまで守れとは言わん」

ボーン理事長は帳簿を引き寄せた。

「次の三か月に支払うべき額を、ここに書いてくれ。わしが最初に見るのは株価ではなく、この数字にする」

エリナが直近の給付予定と手元資金を照合する。

全額を売却しなくても当面の支払いは確保できるが、次の四半期には再検討が必要だった。

「今夜だけ助かればいいわけじゃないんだな」と俺。

「そうじゃ。明日も、その先も、約束した金を払うのが仕事じゃ」

理事長は加入者代表と若い拠出者を交えた検証会を開くと約束した。

基金は緊急売却を取りやめ、監査結果を待つと発表した。

市場は少し落ち着いた。

ところが理事長は帰り際に、厚い書類を差し出した。

「ところで勇者社長。年金受給開始年齢を二百歳から三百歳に引き上げる案はどう思う?」

「いきなり百年延ばすな!」

「では二百五十歳」

「値切り交渉じゃないんだぞ!」

エリナが淡々と言った。

「制度変更には加入者への説明と移行措置が必要です」

理事長はうなだれた。

「年金改革は魔王討伐より難しいのう」

「ようやく分かったか」

その夜、基金から新しい報告が届いた。

黒曜投資組合が、年金基金の保有株式を高値で買い取りたいと申し出ていた。

対象は、魔王軍株式会社の株式二十パーセント。

「……買収の本命は、こっちか」

俺は株主名簿を開いた。

年金を受け取る者たちの生活を守るための株が、買収の足場にされようとしている。

「基金に、売却を決める前の説明会を頼もう」

エリナが頷く。

「数字だけでなく、売った後に何が起こるかも示しましょう」

敵の狙いが見えたからといって、相手の株を奪い返せるわけではない。

まずは選ぶ人が、何を選ぶのか知ることだ。

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