■第五十一話 元魔王が会社を作ったので、勇者の株価が暴落した
魔王城の朝は、書類をめくる音で始まる。
今日は吉岡が机に額をぶつける音だった。
「社長! 株価が二割下落しました!」
「昨日、過去最高益を発表したばかりだぞ!」
「元魔王ゼルガディス様が新会社を設立されました」
エリナが新聞を広げる。
【魔王ホールディングス設立。
魔王軍株式会社の株式取得を検討】
「検討しただけで二割? あいつ、まだ一株も買ってないんだろ?」
「投資家は『検討』という言葉の裏にある資金を恐れます」
新聞の写真には、花柄のシャツを着たゼルガディスが写っていた。
南国の浜辺で、金色の杯を掲げている。
「遊んでるじゃないか!」
「本人は世界経済視察と称しています」
そこへ映像通信がつながった。
『フハハハ! 勇者よ。
資本の力を知ったか!』
「お前の服装からは何も学べないぞ」
『我は豪華客船で各国の富豪と語らった。
彼らは剣を抜かずに港を買い、船を動かす』
「それは確かにすごいな」
『ゆえに我も買う。
まずは貴様の会社だ!』
「そこに戻るのかよ!」
通信が切れたあと、エリナが眉を寄せた。
「笑っている場合ではありません。採用を予定していた工場が三つ、増資の延期を決めました」
「新会社が本当に何を買うつもりなのか、確かめないといけないな」
「推測だけで株主を安心させることはできません」とエリナ。
「じゃあ数字を出す。工場の資金繰りも、雇用も、隠さずに」
俺は新聞を畳んだ。
敵が誰かより、社員に何を説明できるかが先だった。
「株価が下がると、働く人の予定まで変わるのか」
「設備を買うための資金が集まらなくなるからです」
俺は取引所へ向かった。
掲示板の前では、二人のオークが言い争っていた。
「売れ! 魔王が戻ればまた戦争だ!」
「売れるか! この株は娘の学費なんだ!」
片方のオークは、労働組合の集会で会った夜勤兵だった。
「勇者社長、元魔王が戻るって本当ですか」
「戻りたいと言っている。戻せるかどうかは別だ」
「じゃあ、安心していいんですか」
俺は言葉に詰まった。
大丈夫だと言い切る根拠はない。
その横で、若いゴブリンが売却伝票を握りしめていた。
「俺、先月入社したばかりなんです。社員持株会に入れば会社の仲間になれるって。でも下がるなら、もう……」
「いくら買った?」
「給料の半月分です」
「生活費まで株に入れたのか」
「先輩が『勇者社長の会社なら大丈夫』って」
胸が痛んだ。
俺が知らないところで、俺の名前が保証書になっていた。
「すまない。俺の会社でも株は下がる。絶対に儲かるとは言えない」
「じゃあ、どうすれば」
「まず生活に必要な金を残してくれ。会社のことは、会社が説明する」
掲示板の前にいた人々がこちらを向いた。
「説明って、何を?」
「ゼルガディスが何株買ったか。うちの借金と現金がどうなっているか。新工場の計画は止まるのか。それを隠さず出す」
「社長、株価がさらに下がるかもしれませんよ」と吉岡。
「隠して上がった株価より、知ったうえで持てる株のほうがいい」
エリナが小さく頷いた。
ゼルガディスの新会社の看板を見たとき、俺は笑ってしまった。
だが採用欄には、かつて解雇された兵士たちの名前が並んでいた。
競争相手だからといって、すべてを敵と呼ぶ必要はない。
俺は看板の前で、しばらく考えた。
新会社の設立を聞いた鍛冶場の見習いが、俺を呼び止めた。
「社長が替わったら、安全講習はなくなりますか」
株価の下落より、その問いの方が胸に刺さった。
「まだ何も決まってない。でも講習を続ける契約は作れる」
エリナは早速、会社の予算とは別に安全基準を公開する準備を始めた。
競争相手が増えても、事故を減らす知恵まで囲い込む必要はない。
見習いは少し安心した顔で炉に戻った。
見習いの一人が帰り際に聞いた。
「社長、明日も炉を点けていいんですか」
俺は承認書を指で叩いた。
「安全確認が済んだらな。仕事があるって、俺の口約束だけじゃ足りないから」
彼は初めて少し笑った。
元魔王の新会社を笑う気にはなれなかった。
そこに集まる社員にも、給料を受け取る家族がいる。
その日の午後、臨時説明会は満席になった。
俺は聖剣を壇上の端に置いた。
警備担当が青ざめる。
「使わない。今日は質問に答えるために来た」
エリナが数字を示す。
「当社の営業利益は黒字です。運転資金も直近の支払いを賄えます。ただし新工場の設備投資には外部資金が必要です」
「元魔王の買収を防ぐために、会社が自分の株を全部買えば?」
「それでは工場の建設費がなくなります」とエリナ。
「じゃあ社長がゼルガディスを倒せば!」
「株主を剣で倒したら、俺が一番危険な社長になるだろ!」
笑いが起きた。
しかし前列の職人は笑わなかった。
「新工場がなくなれば、うちの鍛冶場の注文も消えます。説明だけで腹は膨れません」
「その通りだ」
俺は予定表を掲げた。
「資金が足りないなら、まず既存の設備を共同利用する。ガンドルの工房にも協力を頼む。採用を全部止めるのではなく、仕事を分ける方法を探す」
元魔王の新会社が値下げを始めた日、社員たちは不安そうに俺を見た。
俺は「相手が誰でも同じだ」と答え、品質と保証で競う方針を確認した。
ゼルガディスからは「甘い」とだけ書かれた手紙が届いた。
「そんなことで買収を防げるのか?」
「防げるとは言わない。でも買収騒ぎを理由に、働く人を放り出すつもりもない」
その日の午後、ガンドルの鍛冶場に行くと、見習いたちが古い炉を囲んでいた。
「新工場の機械が来るまで、こいつを直して使う」とガンドル。
「直せるのか?」
「直せるさ。ただし安全装置が足りん。昔の魔王軍は、怪我人が出たら補充すればいいと思っていたからな」
俺は炉の扉を覗き込んだ。
蝶番は錆び、熱を逃がす管には亀裂が走っている。
「これで操業したら、また誰かが怪我をする」
「だから新しい部品を待ってる。焦って動かせば、結局損をするんだ」
職人の一人が小さな紙を差し出した。
そこには見習いたちの名前と、仕事を教える順番が書いてあった。
「社長、俺たちにできるのは、機械が来るまで腕を磨くことです。でも、株価が下がったら、俺たちの雇用もなくなるんですか」
もう一人の見習いが俯いた。
「親父には、会社の株なんか買うなと言われました。俺は仕事が好きなのに、株が怖くて眠れません」
俺は二人に椅子を勧めた。
「株価が下がったことと、明日の給料が払えないことは同じじゃない。けど、絶対大丈夫だと嘘も言えない。工房の受注と資金の見通しを、エリナと一緒に公開する」
「給料は必要だ。訓練も仕事のうちだからな」
「そんな余裕があるのか?」
「余裕はない。だからエリナと相談する。できない約束はしない」
俺がそう言うと、ガンドルは煤だらけの顔で笑った。
「昔のお前なら『任せろ』って剣を振って終わりだったな」
「今は振ったら炉が壊れる」
「成長したじゃないか」
夕方、エリナが訓練費の案を持ってきた。
設備投資の一部を延期し、事故防止の部品と見習いの賃金に回すという。
「株主には怒られそうだな」
「怒る人はいます。でも、事故が起きればもっと高くつきます」
俺は承認欄に署名した。
株価はまだ戻らない。
それでも、炉の前にいた見習いたちの明日は少しだけ確かなものになった。
翌日の説明会の終わりに、一通の封書が届いた。
差出人は魔王ホールディングス。
【当社は魔王軍株式会社の議決権五パーセント相当を取得した】
「検討じゃなかったのか!」
吉岡が封筒の裏を見た。
「さらに、元魔王様から伝言です。『株主総会では席を最前列にせよ』」
「ただの目立ちたがりじゃないか!」
だがエリナは笑わなかった。
「五パーセントなら、単なる噂ではありません。誰が売ったのか、資金の出どころはどこか。確認が必要です」
夜、取引所を出ると、あの若いゴブリンが待っていた。
「俺、今日は売るのをやめました」
「無理して持たなくていいぞ」
「はい。でも説明を聞いて、自分で決めました。明日から工場の見習いに行きます」
俺は頷いた。
株価を元に戻す魔法はない。
それでも、明日の仕事を一つ守ることはできる。
城へ戻る途中、聖剣が囁いた。
『魔王との再戦ですね』
「ああ。今度は相手も株券を持っている」
『剣の出番は?』
「ない。お前は説明会の受付でもしてくれ」
『聖剣に整理券を配らせる勇者は史上初です!』
「誇っていいぞ」
そのとき吉岡が駆け込んできた。
「社長、暗黒銀行の窓口に預金者の列ができています!」
エリナの顔色が変わった。
株式市場の不安が、ついに銀行へ飛び火したのだ。
俺は承認したばかりの書類を置き、二人とともに城を飛び出した。




