■第四十八話 勇者が人間王国の議会で演説したら、魔王扱いされた
王国議会の門で、俺は三度も身分証を見せた。
「元勇者ジーク。現在は魔王軍株式会社の代表取締役……?」
衛兵が書類を裏返す。
「勇者なのか、魔王なのか、はっきりしてくれ」
「俺も毎朝それを考えてる」
「武器の持ち込みは禁止だ」
腰の聖剣が不満そうに鳴った。
『私を傘立てに預けるおつもりですか』
「議会の決まりだ。おとなしくしてろ」
『かつて王を救った聖剣に、番号札の三十七番を渡すとは』
衛兵は顔色一つ変えず、札を鞘に結びつけた。
エリナが隣で資料を抱え直す。
「社長。今日の目的は昨日の国境閉鎖について、医薬品の通行を恒久的に認めてもらうことです。議員と口論することではありません」
「分かってる」
「先ほど『国境を開けないなら門を買う』と仰いました」
「冗談だよ」
「議会では冗談が議事録に残ります」
怖いことを言うな。
議場に入ると、議員たちの視線が一斉に集まった。
議長の横には通商大臣の代理、さらに国境守備隊長ハインツが立っていた。
昨日、鎖を巻いた門の前で薬を通した男だ。
「魔王軍の代表に発言を許すべきではない!」
最前列の議員が机を叩いた。
「我が国の市場を侵略し、今度は議会まで乗っ取るつもりか!」
「今日は市場の話ではありません。病院の話です」
傍聴席の端には、魔王軍との戦争で家を失った人々が座っていた。
俺の会社を信用しろと言っても、すぐに頷けるはずがない。
俺は用意していた「魔界との友好」を語る演説原稿を伏せ、代わりに薬箱の受領書を一枚だけ演壇に置いた。
「詭弁だ! 魔王め!」
議場がざわめいた。
俺は演壇の前で足を止めた。
傍聴席の老人が、胸元で焼け焦げた家の鍵を握っていた。
俺は反論を飲み込み、用意した演説原稿を伏せた。
「まず、薬が届かなかったら誰が困るかを話します」
魔王と呼ばれたのは初めてじゃない。
それでも、人間の議員から言われると妙な気分だった。
「俺は昔、魔王を倒すために剣を握りました」
ざわめきが少し静まる。
「今は、魔族の会社で働いています。だから信用できないと言われるのは分かります。でも、昨日の夜、門の前で待っていたのは兵士じゃない。熱を出した子供の薬でした」
エリナが一枚目の資料を議員席へ配る。
そこには輸送日時、薬の数量、受領した病院の署名が並んでいた。
「この箱は昨日、国境を越えました。ハインツ隊長の判断です」
「軍規違反を美談にするな!」
別の議員が立ち上がる。
ハインツは一歩前に出た。
「命令違反の責任は私が取ります。ただ、荷を止めれば患者が危険だと、現場で確認しました」
「魔族に買収されたのではないか」
「買収されたのなら、私の給料はもう少し高いはずです」
議場の後ろで誰かが吹き出した。
俺は思わずハインツを見た。
こんな冗談を言う男だったのか。
議長が木槌を鳴らす。
「静粛に。代表、続けたまえ」
そのとき傍聴席から、杖をついた老人が立ち上がった。
「息子が国境の病院で働いております。薬が遅れた日の夜、患者の家族が廊下で待っていたと聞きました」
議長が制止しかけると、老人は頭を下げた。
「規則を破るつもりはありません。ただ、議員の皆様には、門の向こうにも同じ国の人間がいると知っていただきたい」
議場の空気が変わった。
俺は老人に礼をした。
声を上げる勇気は、剣を振る勇気とは違う。
「その薬で、戦争で死んだ者は戻るのか!」
反対派の議員が立ち上がった。
胸には戦死した息子の肖像があった。
「戻りません」と俺は答えた。
「俺が勇者だった頃の勝利でも、失われた命は戻りませんでした。だから今、次の家族に同じ知らせを届けたくないんです」
「綺麗事で軍需工場の職は守れん!」
「その通りです。工場を閉めるだけでは平和になりません」
エリナが転業計画を差し出した。
軍用の布を織っていた職人が、病院用の包帯と輸送袋を作る試案だ。
設備転換の費用も、王国側の負担を一方的に増やさないよう記載してある。
「私の選挙区の職人を、勝手に転業させる気か」と若い議員。
「いいえ。職人本人に設計段階から参加してもらいたい。断られたら、別の案を考えます」
議員は書類を受け取り、顔をしかめた。
「演説より先に、こういう数字を出せ」
「次からはそうします」
笑いは起きなかった。
だが、反対派の机から書類を払い落とす者もいなかった。
議場を出ると、あの議員が廊下で立ち止まっていた。
「息子は戻らない。それでも、次の子どもが同じ目に遭わずに済むなら」
俺は何も言えず、ただ頭を下げた。
議決より重い約束が、そこに残った。
「魔王」と書かれた張り紙を剥がそうとすると、老人が俺の手を止めた。
「怒っているのは名前じゃない。話を聞かれなかったことだ」
俺は張り紙をそのままにして、広場に机を運んだ。
剣を置く場所ではなく、意見を書いてもらう場所にするためだった。
「国境を閉じれば、魔界の商人も困ります。でも、もっと困るのは、今その薬を必要としている王国の人たちです」
「では魔王軍の品を無条件で通せと?」
「いいえ。検査してください。成分も数量も、王国側の担当者に見せます。不正があれば止めてください。ただし、止めた理由と期限を記録してほしい」
「期限?」
「調査の名目で何週間も倉庫に置かれたら、薬は役に立ちません」
エリナが二枚目を掲げた。
【共同検査・緊急医薬品優先通行・記録の相互公開】
三つだけの提案だった。
休憩時間、廊下で年配の議員に呼び止められた。
「君は人間なのに、なぜ魔族の利益を守る」
「会社の社員ですから」
「人間としての誇りはないのか」
返事に迷った。
誇りという言葉で剣を握っていた頃の自分が、胸の奥にいた。
「あります。だから、人間の子供が薬を受け取れるようにしたいんです」
議員は黙った。
「魔族にも子供はいます。そっちも同じです」
「きれいごとだ」
「そうかもしれません。でも、昨日はそのきれいごとで一箱届きました」
廊下の端でエリナが小さく頷いた。
再開した議会では、商会側の代表が質問に立った。
「検査を共同で行うなら費用は誰が負担する。王国の税金か?」
「輸送業者が手数料を負担し、王国と魔界で同じ帳簿を見ます」
「帳簿の改竄は?」
「双方が写しを保管します。違う数字が出たら、そこで止めて調べればいい」
「随分と事務的な勇者だな」
「最近、剣より伝票を持つ時間の方が長いんです」
今度は議員席のあちこちで笑いが起きた。
だが、反対派の議員は笑わなかった。
「緊急医薬品という名目で武器を運ぶ可能性は?」
「封印を破って確認してください。運送記録も公開します」
「魔王軍が約束を破ったら?」
俺は一呼吸置いた。
「契約を打ち切ってください。そして俺を呼んでください。責任者は俺です」
エリナが一瞬だけこちらを見た。
勝手に重い約束をしたのは分かっている。
でも、責任の所在が曖昧な契約では、昨日の門はまた閉まる。
採決の結果、三か月間の試験通行が認められた。
賛成は僅差だった。
恒久化には実績が必要だという。
「試験期間中は、週に一度の報告が必要だそうです」
エリナが新しい用紙を見せる。
「報告書が増えるのか……」
「社長。剣を振らずに勝った代金だと思ってください」
「ずいぶん高いな。しかも紙代までかかる」
「完全な勝利ではありませんね」
議場を出るとエリナが言った。
「三か月で証明しろってことだろ。分かりやすい」
ハインツが門の外で待っていた。
「昨日の病院から連絡が来た。薬は間に合ったそうだ」
俺は肩の力を抜いた。
「よかった」
「ただし、今度は王国側の商人が騒いでいる。共同検査の手数料を誰が取るかでな」
「……また会議か」
「会議だ。しかも商会長グレゴールが、直接お前に会いたいと言っている」
その名を聞いて、エリナが資料を抱える腕に力を込めた。
昨日の国境で薬を通すために協力した、あの商会長だ。
「商売の話か?」
「最後の契約書を持ってくるそうだ」
聖剣が傘立てから戻され、得意げに鳴った。
『ようやく決闘ですね』
「契約書と戦うな!」
三十七番の札を外しながら、俺は短く息を吐いた。
戦争を止めるより、戦争の後始末の方がずっと忙しい。
門の外では、さっきの若い議員が待っていた。
「織物職人の代表を、次の共同検査の協議に同席させたい。医薬品の袋を作る仕事なら、話だけは聞くそうだ」
「歓迎します。契約は本人が納得してからです」
議員は小さくうなずき、立ち去った。
「演説だけじゃ動かなかった人が、数字と仕事の話なら聞いてくれるんだな」と俺。
「その数字を毎週報告するのが、社長の次のお仕事です」とエリナ。
聖剣がため息をつく。
『次の敵は報告書ですか』。
「ああ。しかも三か月分だ!」




