■第四十四話 人間王国の商人が魔界の株を買い始めた日、魔族がざわついた
魔王城の前に、百人ほどの魔族が集まっていた。
手にしているのは剣でも槍でもない。
株券だった。
「勇者社長! 魔王軍が人間に買われるって本当か!」
「俺たちの会社を返せ!」
「いや、まだ誰にも売ってないぞ!」
俺が答えると、群衆の最後尾で老ゴブリンが一枚の紙を掲げた。
「今朝、商人が来た。これを三倍の値段で買うと言ったんじゃ」
紙には『魔王軍株式会社 一株』とある。
角は擦り切れ、何度も折り直した跡があった。
「なぜ売らなかったんです?」
「息子が戦争で死んだとき、給料の代わりに渡された。あいつがここで働いた証なんじゃ」
俺は言葉を失った。
そこへエリナが駆けつけた。
「社長、証券取引所で王国商会の買い注文が急増しています。仲介名義を分けていますが、資金の出どころは同じです」
「グレゴールか」
「まだ断定できません。ただし、売買そのものは合法です」
合法。
その言葉で安心できる状況ではなかった。
魔界証券取引所は、戦場より騒がしかった。
掲示板の前で小鬼たちが叫び、奥の窓口では骸骨が指を一本ずつ折って売買数量を数えている。
「指が足りません!」
「自分の肋骨を使うな! 会計が混乱する!」
俺は受付に頼み、取引の記録を見せてもらった。
昨日まで百株単位だった買い注文が、今朝から千株単位に膨らんでいる。
しかも買い手の名前は六つに分かれていた。
「これだけ買えば、会社を乗っ取れるのか?」
エリナは首を横に振った。
「今日の数量だけでは無理です。ですが、株主総会で経営方針を左右できるほど集まれば話は別です」
「俺だって株を集めて魔王を追放したんだ。相手に同じことをするなとは言えないな」
「その通りです」
容赦がない。
取引所の隅にいた若い魔族が口を開いた。
「でも人間が株主になったら、魔族を解雇するんでしょう?」
「誰がそう言った?」
「昨日から街中で噂になってます。王国の商人が工場を閉めるって」
俺はエリナを見た。
「買い付けと一緒に噂も広がっているのか」
「安く売らせるための工作かもしれません。証拠はありませんが」
証拠のない相手を悪人と決めつけるわけにはいかない。
それでも、黙って見ているわけにもいかなかった。
老ゴブリンの持つ株券には、戦死した息子の名前があった。
「これを売れば孫の薬代になる。でも売ったら、あいつの働いた証までなくなる気がしてな」
エリナは株券を丁寧に戻した。
「売却しても、働いた事実は消えません。けれど今すぐ決める必要もありません」
俺たちは医療費の相談窓口を紹介した。
翌週、老人は株券を持ったまま薬を受け取れたという。
株価だけ見ていたら、見落とす一人だった。
「なるほど。あなたの会計責任者は、公平という名の刃物を持っている」
「私の武器は算盤です」
「算盤の方が怖いな」
俺とグレゴールの声が重なった。
株を買うことは、魔界の未来に口を出すことでもある。
俺は出資者の国籍より、議決権の使い方を問うた。
午後、グレゴール本人が魔王城に現れた。
「勇者殿。市場経済を導入したのはあなたでしょう。人間の投資だけ拒むのですか?」
「拒まない。ただ、何のために買っているのか聞きたい」
「利益のためです。商人にほかの理由が必要ですか?」
「それだけなら、堂々と名乗ればいい」
グレゴールの笑みが少し薄れた。
「投資家には匿名を望む者もいます」
「それも分かる。でも工場が閉鎖されるという噂が流れている。あなたの商会は関係しているのか?」
「知らない噂の責任まで負えません」
嘘か本当か、俺には見抜けなかった。
そこでエリナが帳簿を置いた。
「では、提案があります。大口株主の保有状況を全員に同じ条件で開示し、今後の重要な経営方針は事前に説明する制度を設けます」
「私だけを狙い撃ちにするのですか?」
「いいえ。勇者社長の保有株も公開します」
「えっ、俺も?」
「当然です」
グレゴールが初めて声を出して笑った。
説明会の準備には思ったより時間がかかった。
大口株主の持ち株だけを公表すれば、小さな株主は自分の取引まで見張られると思うかもしれない。
エリナは開示する情報の範囲を決め、個人の住所や家族の事情は伏せた。
「公平と、何でもさらすことは違うんだな」
「はい。説明責任を果たすために、守るべき情報もあります」
吉岡は会場に人間用と魔族用の入口を二つ作ろうとした。
「入口は一つでいい。株主総会だろ」
「では椅子の大きさは?」
「ドラゴンだけ別に考えよう!」
翌朝、同じ入口から入った人間と魔族は、互いの顔を見てぎこちなく会釈した。
説明会の朝、取引所から速報が入った。
【六つの仲介名義による買付け、合計で議決権の九パーセントに到達】
「九パーセントなら、まだ大丈夫だろ?」
「単独では過半数に届きません。ただし、ほかの株主と協調すれば取締役の選任に影響します」
エリナは俺の前に二つの書類を置いた。
ひとつは買付けに関する質問状、もうひとつは従業員の雇用状況を説明する資料だ。
「相手を排除するための書類じゃないんだな」
「はい。誰が株主になっても、議論を同じ土俵に乗せるためです」
翌日、公開説明会を開いた。
俺は最初に、自分が株を買い集めて社長になった経緯を話した。
従業員代表の席から「株主が変わったら、明日から俺たちの職場はどうなる」と声が上がった。
エリナは議決権と雇用契約の違いを説明した。
俺は雇用条件を一方的に変更しないことと、取締役会に従業員の声を届ける窓口を設けることを提案した。
「だから、人間が株を持つことを悪いとは言わない。ただ、会社をどう変えたいのか、株主にも社員にも説明してほしい」
そのとき、王国商会の代理人が立ち上がった。
「人間の株主だけに追加の質問状を送るのは差別では?」
広間の空気が固まった。
確かに俺たちは、相手が人間だから疑っているように見える。
「質問状は大口の買い手全員に送る。魔族の年金基金にも、俺自身にも同じ基準を当てる」
「社長自身にも?」
「俺がまた株を買い集めて社長の椅子を守ろうとしたら、真っ先に疑ってくれ」
エリナが素早く書き留めた。
「議決権に影響する大口保有の状況と、会社への提案内容を公平に開示する。個人の住所や家族情報は出さない。これを取締役会へ諮ります」
「つまり、人間を締め出さないのか」と若い魔族。
「締め出したら、俺が社長になれた理由まで否定するだろ」
若い魔族は反論しかけて、口を閉じた。
老ゴブリンが立ち上がった。
「わしの一株は、誰のものになるんじゃ?」
「あなたが売らなければ、あなたのものです」
「売ったら?」
「買った人のものです。でも、息子さんがここで働いた記録は消さない。株券と記録は別です」
エリナがうなずいた。
「会社の古い雇用台帳を保存する事業を始めます。株の売買に関係なく」
老人は長く黙っていた。
「……それなら、株を持っている理由が一つ増えたな」
説明会が終わると、魔族の若い職人が人間商人に歩み寄った。
「株を買うなら、うちの炉を見てからにしてくれ。数字だけで値踏みされたくない」
商人は一瞬戸惑ったが、頭を下げた。
「明朝、案内していただけますか。帳簿だけでは分からないことがありそうです」
俺は二人の間に割り込まなかった。
会社を変えるのは、社長の言葉だけじゃない。
その後、何人かの株主は売り、何人かは買い増した。
株価は上がったり下がったりした。
俺には相変わらず、数字の動きが魔法陣より難しかった。
だが一つだけ分かった。
「社長、どうしました?」
「俺は魔王を追放するために株を買った。でも今は、誰かが追放されない会社にしたいんだ」
エリナは少し考えてから言った。
「それは経営方針として、もう少し具体的に書いてください」
「感動する場面じゃないのか!」
「議事録には感動も記載できます。ただし決議にはなりません」
吉岡が真顔で筆を構えた。
そのとき、取引所から新しい知らせが届いた。
王国の投資家だけでなく、魔界の年金基金まで株を買い増しているという。
「ボーン理事長が?」
「はい。次の株主総会で、配当を要求するそうです」
取引所の前で魔族の若者が聞いた。
「人間が大株主になったら、俺たちの仕事はなくなるのか」
俺は即答できなかった。
だからこそ、株主の国籍ではなく、雇用と安全に関わる決定を誰が監督するか、次の総会の議題に加えた。
俺は椅子に沈んだ。
株主総会が、また戦場になる。




