■第三十九話 王国の大臣が賄賂を要求したので、勇者が全部公開した
王国の通商省から届いた封筒には、輸入許可証が入っていなかった。
代わりに小さな紙が一枚。
『手続き円滑化のため、金貨五百枚を別途用意されたし』
「……これ、何の手数料だ?」
「正式な料金表にはありません」とエリナ。
「なら、なぜ請求される?」
「正式ではないからでしょう」
それを賄賂という。
輸入許可が止まれば、魔界で作った医療器具が王国の病院へ届かない。
吉岡が届け先の一覧を広げた。
「北部の病院では、今週中に滅菌器が必要です」
「急いで大臣に会おう」
通商大臣ロドルフの執務室は、俺が倒したどの魔王の部屋より豪華だった。
「勇者殿。商売には潤滑油が必要なのですよ」
大臣は金色の杯を回した。
「機械なら油を差す。でも許可証に油は要らないだろ」
「比喩です」
「なら金貨も比喩にしてくれ」
大臣は笑わなかった。
「支払わなければ、検査に数か月かかることもあります」
「検査項目を見せてください」
「内部資料です」
「必要な検査なら受けます」
「勇者殿は融通が利かない」
「融通を利かせるのに五百枚も要るなら、関節が金でできてるんだな」
隣で吉岡が咳き込んだ。
帰り道、エリナが静かに言った。
「払えば器具は届きます。払わなければ患者が困ります」
「払うのは嫌だ」
「私もです。でも、正しさだけでは滅菌器は動きません」
俺は足を止めた。
勇者だった頃なら、悪い大臣を殴って終わりだ。
だが、その後の許可証に誰が判を押す?
病院を訪ねると、院長が壊れかけた器具を磨いていた。
「新しい器具は、いつ来ますか」
「……まだ分かりません」
「正直で結構。でも、患者は待ってくれません」
院長は俺に手袋を渡した。
「だったら、今日できる仕事を手伝ってください」
俺は一日、器具の洗浄を手伝った。
剣を握るより細かい作業だった。
途中で手袋を破り、院長に怒られた。
「世界を救った手でも、清潔とは限らない!」
「はい!」
夜、会社へ戻ると吉岡が提案書を置いた。
「王国の議会には、行政文書の公開請求制度があります」
「使えるのか?」
「大臣の裁量で隠せる部分もあります。ただし、こちらが受け取った紙は当社の文書です」
エリナが頷いた。
「賄賂の要求を公表できます。でも、証拠を揃えないと名誉毀損で訴えられます」
俺は告発文を書き始めたが、エリナに止められた。
「無関係な窓口職員まで疑われます。人物、日時、証拠を分けてください」
怒りに任せて役所全体を悪者にするのは簡単だ。
俺は書き直した。
翌朝、匿名の職員から追加資料が届いた。
声を上げた人を守れる公開にしなければならない。
翌日、俺たちは通商省へ正式な質問状を出した。
手数料の根拠、検査基準、許可までの日数。
回答期限も書いた。
三日後、届いた返事は一行だった。
『回答の必要なし』
「すごいな。こんな短い書類で人を怒らせられるのか」
「社長、怒る前に写しを取ってください」
公開説明会には、商人、病院関係者、記者、そして王国の役人が集まった。
俺は壇上に三枚の紙を並べた。
金貨五百枚の要求書、正式な料金表、回答拒否の通知。
「この三つを、誰でも見られるようにします」
記者が手を挙げた。
「大臣が犯罪者だと断定するのですか?」
「断定しない。調べるのは王国の監察官だ。俺たちは、受け取った事実を示す」
「勇者が大臣を脅している!」と声が上がった。
振り向くとロドルフの側近が立っていた。
「脅すなら剣を持ってきた。今日は紙だけだ」
「その紙が国家の威信を傷つける!」
「傷つけたのは、紙に書いた人じゃないのか」
告発を決めた夜、俺は証拠の写しを三か所に預け、協力者の名前を伏せた。
「名前が出れば家族が危ない」と訴えた職員の声が耳に残っていた。
怒りだけで公表すれば、守るべき人まで危険にさらす。
会場の後ろから、小さな商店の主人が立った。
「私も同じ金を求められました。でも払えず、店を閉めました」
別の商人が続いた。
「うちは払った。だから今まで黙っていた」
二人は互いに顔を見た。
片方は払えず、片方は払ってしまった。
どちらも同じ制度に苦しめられていた。
王国監察官の女性が壇上へ進んだ。
「資料を預かります。証言者の保護も必要です」
「許可証は?」と俺。
「審査は止めません。担当を交代させ、公開された基準で進めます」
その言葉を聞いて、病院の院長がようやく肩を落とした。
賄賂の記録を公開すると、無関係な役人まで石を投げられた。
俺は広場に立ち、疑惑と確認済みの事実を分けて読み上げた。
「怒りで人を裁くなら、魔王のやり方と同じだ」
証拠を持つ職員が一人、前へ出た。
彼の証言で不正な許認可の流れが明らかになり、再審査が始まった。
取引を止められていた小工房には、暫定許可が出た。
告発して終わりではない。
止まった仕事を戻すまでが俺たちの責任だった。
数日後、滅菌器は正式な検査を通過した。
手数料は料金表どおり。
大臣については調査が始まったが、結論はまだ出ていない。
監察官からは、告発に協力した職員の氏名を伏せて事情聴取を行うと通知が来た。
俺はその書面を工場へ回し、職人たちに経過を伝えた。
公表は終点ではない。
報復を受ける人がいないか、次の許可証が滞らないか。
確かめる仕事が残っていた。
「勝ったんですか?」と吉岡。
「まだ分からない。でも、次に同じ紙が届いたら、誰かが声を上げられる」
エリナが新しい経費精算書を差し出した。
「社長、公開説明会の費用です」
「必要経費だろ」
「はい。ただし『怒りに任せた巨大看板』は却下します」
「目立つと思ったんだが」
「文字が『賄賂、ダメ、絶対』だけでした」
「分かりやすいだろ!」
「証拠が載っていません」
俺は看板の注文書を破った。
正しいことをするにも、書類の作り方があるらしい。
翌週、病院から礼状が届いた。
滅菌器は無事に動き始め、院長は『次は手袋を破らずに働けるよう訓練してください』と書いていた。
「礼状なのに叱られてるぞ」
「それだけ現場に覚えられたということです」と吉岡。
俺は礼状を机にしまった。
大臣の調査がどう終わるかは分からない。
それでも、書類一枚が患者の命に届くことだけは忘れたくなかった。
ところが、公開説明会の翌朝、魔界の工場へ匿名の手紙が届いた。
『これ以上騒げば、王国との取引を全部止める』
工場長は青ざめた。
「社長、うちは王国向けの注文で持っているんです。正義のために社員の給料が払えなくなったら?」
「俺が責任を取る」
「社長の給料を削っても、百人分にはなりませんよ」
その通りだった。
俺はすぐに別の販路を探すよう指示したが、エリナに止められた。
「急いで安売りすると、今度は自社の職人が苦しみます。まず、止まった場合に何週間給料を払えるか計算しましょう」
数字は厳しかった。
だからこそ、俺たちは職人たちに隠さず説明した。
「脅迫の手紙が来た。でも、まだ取引は止まっていない。最悪の場合の備えを作る」
年長の職人が手を挙げた。
「勇者様。俺たちに黙って正義の戦いを始めないでくれ。一緒に考えるから」
胸が痛んだ。
俺はまた、一人で悪者を倒すつもりになっていたのだ。
工場には夜遅くまで灯りがつき、職人たちが納期の調整案を持ち寄った。
翌朝、工場長は社員に納期の見通しと取引先の分散案を説明した。
俺が一人で正義を振りかざすより、彼ら自身が決められることを増やす方が大事だった。
「社長、次の会議にも職人を呼んでください」と年長の職人が言った。
「もちろんだ」
賄賂を拒んだ代償は消えない。
だからこそ、その代償を誰か一人に背負わせるつもりはなかった。




