■第三十七話 人間の職人とドワーフが、一本のネジで三日間も喧嘩した
共同工場の入口には、貼り紙が三枚あった。
『人間式ネジ使用禁止』
『ドワーフ式ネジ持込禁止』
そして最後に、乱暴な字で『勇者立入禁止』。
「最後のは何だ!」
「社長が来ると話が大きくなるからです」と吉岡。
入る前から俺の立場が危うい。
工場では耕運機が二十台、車輪を外されたまま並んでいた。
出荷先の農家は春の種まきを待っている。
人間の職人イザークとドワーフの親方ガンドルが、一本のネジを挟んで睨み合っていた。
「こいつが寸法を勝手に変えた!」
「変えたのはお前の物差しだ!」
「物差しに罪を着せるな!」
「ネジに罪を着せるな!」
「二人ともネジを擁護し始めたぞ……」
俺が呟くと、聖剣が囁いた。
『物にも労働組合が必要な時代ですから』
「お前は黙ってろ!」
試作機の前で人間の職人が工具を置いた。
「俺のネジが使われなければ、師匠に顔向けできない」ドワーフも同じことを言った。
俺は二人に規格の優劣ではなく、壊れた時に誰が修理するかを尋ねた。
三日間の口論は、ようやく実験になった。
試験を始めるとき、二人は初めて互いの工具を借りた。
事情を聞くと、人間側の図面は一寸を十等分する方式で、ドワーフ側は鍛冶場で使う古い目盛りを基準にしていた。
数字は同じ『六』でも、太さが微妙に違う。
「少し削れば入るだろ?」
俺が言った瞬間、二人が同時に叫んだ。
「「強度が落ちる!」」
そこだけ息が合うのか。
イザークは手の甲を見せた。
傷だらけだった。
「以前、合わないネジを無理に締めて車輪が外れた。弟子が腕を折ったんだ」
ガンドルも声を落とした。
「俺の弟子は、戦場で緩んだ留め具のせいで帰らなかった。だから妥協できん」
二人とも意地を張っているだけではなかった。
俺は工具を机に置いた。
「なら、どちらかの規格に合わせる話はやめよう。安全に動く規格を、一緒に作れないか」
「新しい物差しから作るのか?」
「必要なら」
ガンドルは鼻を鳴らした。
「勇者は金が無限にあると思ってる」
「エリナには絶対に言うなよ、その台詞」
会議室に持ち込まれたのは、二種類のネジと、三種類の測定器だった。
エリナが試験費用を計算する。
「規格統一には治具の交換が必要です。工場を止める日数も増えます」
「止めずに直せないのか?」
「社長。動かない機械を動いていることにする会計処理はありません」
「知ってるよ!」
吉岡が挙手した。
「倉庫に残っている旧規格の部品はどうしましょう。捨てるには惜しい量です」
イザークは人間側の機械なら使えると言い、ガンドルはドワーフ側の補修用に残すと言った。
「では型番を分けて保管しよう。新しい機械には混ぜない」
「それでは倉庫が狭くなります」と吉岡。
「何か捨てられる物は?」
吉岡が無言で俺の社長室の家具一覧を差し出した。
「なぜ俺の机が候補に入ってるんだ!」
翌朝、試験台の前に二人の弟子が並んだ。
人間の少年ルカと、ドワーフの少女ミナだ。
二人は師匠たちの口論に巻き込まれ、三日間ろくに仕事を教わっていなかった。
「今日は君たちに組み立ててもらう」
俺が言うと、ガンドルが眉を吊り上げた。
「未熟者に試験を任せる気か?」
「だから監督が必要なんだろ」
二人の師匠は渋々、作業台の両側に立った。
ルカがネジを手に取り、ミナが測定器を当てる。
「これ、目盛りの線が太すぎませんか?」
ミナの一言に全員が固まった。
古い測定器の目盛りは、長年の摩耗でずれていた。
規格の違いに加え、測定器自体にも誤差があったのだ。
「……俺の物差しが悪かったのか」とイザーク。
「いや、俺の方も点検していない」とガンドル。
三日間の大喧嘩の原因が、二本の古い物差し。
俺は額を押さえた。
「最初に物差しを比べればよかったな」
「社長が最初に来ていたら、もっと大喧嘩になってましたよ」と吉岡。
「それは余計だ!」
試験はそこで終わらなかった。
新しい基準器を作り、同じ図面を別々の工場に渡す。
出来上がった部品を交換し、誰が組み立てても安全に動くか確かめる。
一度目は失敗した。
締め付けが強すぎて、ネジ山が潰れた。
二度目は緩すぎた。
三度目でようやく車輪が滑らかに回った。
「合格だ!」
ルカが叫ぶと、ミナが小さく拳を上げた。
ガンドルは黙って車輪を回し、イザークは測定結果を紙に書いた。
「これを標準にしよう。ただし旧型の修理方法も残す」
「互いの工場に、検査に行けるようにしたい」とイザーク。
「監視か?」
「違う。間違いを先に見つけるためだ」
ガンドルは少し考え、手を差し出した。
「じゃあ最初の検査は、お前が来い」
握手をした瞬間、二人の手についた油が混ざった。
新規格が決まったとき、ルカが古い図面を捨てようとした。
「捨てるな」とガンドルが止めた。
「古い機械の修理には必要だ」
イザークも三十年前の図面を持ち寄った。
吉岡は旧規格の部品と修理可能な村を台帳に記し、両工房の共同検査を提案した。
「委員長はどちらに?」
二人は同時に相手を指さした。
「「こいつだ!」」
「仲がいいじゃないか」
「「よくない!」」
二人とも笑っていた。
試験に合格しても、二人の弟子は浮かない顔をしていた。
「師匠たちがまた喧嘩したら、僕らはどちらの図面を使えばいいんですか」
ルカの問いに、ガンドルは口を開きかけて閉じた。
イザークが新しい基準器を作業台の中央へ置く。
「俺の言葉じゃなく、この数値を見ろ。違えば測り直せ」
「数値だって間違うぞ」とガンドル。
「だから二人で確かめるんだ」
ガンドルは試験で曲がったネジを持ち上げた。
「失敗した数字も残せ。成功したものだけ並べたら、弟子がまた同じ間違いをする」
イザークは反論せず、検査記録の欄を一つ増やした。
二人の弟子が初めて同じ図面に署名した。
職人の誇りを守るのは、相手を負かすことではないらしい。
出荷を再開した日、農家から礼状が届いた。
『今年も畑を耕せます。
ネジ一本で春を失うところでした』
俺はそれを工場の掲示板に貼った。
エリナが新しい費用表を持ってくる。
「標準化で当面の利益は減ります。でも不良品の交換費は下がる見込みです」
「よかった。みんな得をするな」
「社長の机を倉庫に移す計画も不要になりました」
「まだ検討してたのか!」
そこへガンドルとイザークが駆け込んできた。
「社長、二人で共同検査の当番表を作った!」
「俺の机を倉庫に移す相談じゃないだろうな?」
「そっちは吉岡に任せた」とガンドル。
「任せるな!」
初めて共通規格のネジが出荷された日、イザークは師匠の古い物差しを持ってきた。
「捨てないのか」とガンドル。
「捨てない。これで覚えた技術もある。ただ、みんなに使わせる規格は別だ」
ガンドルは自分の定規をその隣に置いた。
二本は目盛りがわずかに違う。
「工房の壁に掛けておけ。次に喧嘩した奴が、先に測るようにな」
俺は二人に握手を勧めた。
「手は汚れてる」と二人は同時に答えた。
「息だけはぴったりだな!」
帰り際、ガンドルが不良品の箱を指さした。
「これ、捨てるのか」
俺は首を振った。
「次の職人が同じ失敗をしないように残そう」
イザークが箱の横に測定表を貼り、二人は無言で数字を見比べた。
喧嘩は終わらないだろう。
それでも次に言い争うときは、机の上に同じ定規がある。




