■第三十四話 魔界で初めて学校を作ったら、ドラゴンの子供が校舎を食べた
校舎の建築費を確認していた俺のところへ、吉岡が飛び込んできた。
手には請求書ではなく、歯形のついた木片が握られていた。
「社長。学校が食べられました」
「……誰に?」
「生徒です」
吉岡が駆け込んできたのは、俺がようやく朝食のパンに手を伸ばした瞬間だった。
「学校で給食を食べてる、じゃなくて?」
「校舎そのものを、です」
パンを皿に戻した。
魔王軍株式会社が設立した異種族合同学校。
ゴブリン、オーク、人間、ドラゴンの子供たちが同じ教室で学ぶ、魔界初の試みだ。
開校三日目にして、校舎が半分なくなったらしい。
「半分!?」
「正確には東棟の柱三本、机六脚、扉一枚です」
「半分じゃないだろ!」
「現場の教師が『気持ちとしては半分』と」
現場へ行くと、教師フィオナが木くずだらけの廊下で腕を組んでいた。
「来ましたね、社長。説明をお願いします」
「俺が?」
「校舎の設計を承認したのは会社です」
その通りだった。
教室の奥では、幼竜のルルが小さな翼を畳み、しょんぼりしていた。
口元には、明らかに木のささくれが付いている。
「ルル。どうして柱を食べた?」
「おいしかったから」
理由があまりに簡潔だった。
「朝ご飯は?」
「食べた」
「足りなかった?」
「違う。歯がむずむずする」
フィオナが一枚の紙を見せた。
竜族の保護者から届いた、入学前の注意事項だった。
『幼竜は生え替わりの時期に硬いものを噛みます。
石材か専用の噛み木を用意してください』
「書いてあるじゃないか!」
「提出しました」
吉岡が青ざめる。
「入学書類の『備考』に分類されておりました。備考は予算審査の対象外で……」
「備考って便利な言葉だな。重大なことを全部隠せる」
俺はルルに向き直った。
「叱られると思った?」
「うん。前の村では、物を壊したら追い出された」
小さな爪が床を引っかいた。
教室の隅ではゴブリンの少年ピートが、割れた机の前で教科書を抱えていた。
「僕、ここで字を覚えたかったんだ」
ルルが顔を上げる。
「ごめん」
「謝っても机は戻らないよ」
ピートの言葉は正しかった。
ルルの事情も正しかった。
勇者の頃なら、悪者を一人決めれば済んだ。
だが今は、どちらも悪者にしたくない。
「まず、食べられない校舎にしよう」
「石造りにしますか?」と吉岡。
「石でも噛む子がいるんだろ」
「ええ。竜族は鉱石も好みます」
「建物の材料を全部おやつにするな!」
聖剣が鞘の中から呟いた。
『私は食べられませんよね』
「試すな。絶対に試すな」
エリナは修繕見積もりを机に広げた。
「全面建て替えは無理です。教育費を三年分使い切ります」
「じゃあ、子供を追い出す?」
「それを選ぶなら、学校を作った意味がありません」
彼女は予算表の端に小さく印を付けた。
「ただし、修理費を減らす方法はあります。竜族の親に協力を求めましょう」
翌日、ルルの母親がやってきた。
大きすぎて校門を通れず、門の外から首だけを差し込んでいる。
「うちの子が柱を?」
「はい」
「申し訳ない。代わりに山から噛み石を運びます」
竜族が選ぶ噛み石は、壊れにくく、欠けても危険の少ない種類だという。
「それ、最初から学校に置けたのでは?」
「人間の学校に石を持ち込んではいけないと思っていました」
フィオナが額を押さえた。
子供が校舎をかじった理由を聞くと、教師は困った顔をした。
「空腹だったそうです」
俺は修理費より先に給食の時間を確かめた。
「人間の学校じゃありません。みんなの学校です」
その一言で、門の外の巨竜が少しだけ目を細めた。
ガンドルが噛み石を固定する台を作り、ゴブリンの大工たちが柱に金属の保護板を巻いた。
オークの親たちは机を補修した。
ルルには、壊した机の修理を手伝ってもらうことにした。
「罰?」
「違う。自分の教室を自分で直すんだ」
ルルは大きく頷いたものの、釘を一本つまむだけで三回落とした。
校舎を食べた子竜は、建材に混じった甘い鉱石を餌だと思っていた。
教師は怒鳴る代わりに、食べられない印をつけた。
俺は建築業者に材料の変更を頼んだ。
「子どもに合わせる学校って、こういうことか」
「難しい」
「俺も社長の仕事は難しい」
「社長も釘、落とす?」
「書類なら毎日落とす」
ピートが笑った。
午後、二人は同じ机の脚を押さえた。
ルルが板を支え、ピートが釘を打つ。
「力を入れすぎ!」
「ごめん!」
「でも、さっきより上手だよ」
フィオナはその様子を見て、授業予定を書き換えた。
『一時間目 読み書き』
『二時間目 算数』
『三時間目 種族の違いを知る』
「これを毎週やるんですか?」と俺。
「毎日です。違いを知るのに、週一回では足りません」
校舎の修理が終わる頃、ルルが一枚の紙を差し出した。
大きく、曲がった字で書いてある。
『がっこうは たべません』
「立派な目標だ」
その下には、ピートの字が続いていた。
『でも おなかがすいたら せんせいにいう』
二人で決めた教室の約束らしい。
俺はその紙を校長室に貼るよう頼んだ。
帰り際、フィオナが言った。
「社長。校舎は直せました。でも次は、翼のある子の体育と、夜目の利く子の照明です」
「まだ問題が?」
「学校ですから。毎日、新しい問題が起きます」
彼女は笑っていた。
以前なら、問題が起きない場所を平和と呼んでいた。
今は違う。
問題が起きても、誰かを追い出さずに解決できる場所。
それを作るために、俺たちは会社を始めたのだ。
魔王城へ戻ると、吉岡が新しい申請書を差し出した。
ドラゴンの子が校舎の壁をかじったと聞き、俺は頭を抱えた。
教師は笑わなかった。
「この子の大きさに合う机がありません」
壊れた壁を直すだけではなく、違う種族が学べる学校を作り直す必要があった。
「社長。ルルさんの母親から、噛み石の定期納入契約の提案です」
「いいじゃないか」
「ただし、納品先は全校です」
「他の学校にも幼竜が?」
「いいえ。大人のドラゴンも会議中に机を噛むそうです」
俺はそっと、自分の机を見た。
『社長。
私を噛むのだけはやめてくださいね』
「噛まないよ!」
聖剣の心配は、相変わらず方向がおかしかった。
翌朝、フィオナからもう一通の報告が届いた。
『人間の子供が、ルルの噛み石を勝手に持ち帰りました』
「今度は人間が石を食べるのか?」
「違います。珍しいので宝物にしたそうです」
学校へ行くと、ピートが小さな袋を抱えていた。
「家に持って帰って、お母さんに見せたかったんだ」
「でも、ルルが困るだろ」
「うん。返す」
ルルは袋を受け取ると、石を二つ並べた。
「こっちは学校。こっちはピート」
「くれるの?」
「噛まないでね」
「噛まないよ!」
二人が笑い、フィオナも笑った。
エリナは新しい予算項目を追加した。
『教材費……異種族の生活用品を知るための見本』
「噛み石が教材になるとはな」
「子供にとっては、知らないものすべてが教材です」
俺は報告書の最後に、承認印を押した。
ただし一つ、条件を付けた。
『備考欄も必ず読むこと』
学校の修繕が終わると、ドラゴンの子は自分の歯形が残った柱の前で立ち止まった。
「ここ、ぼくが壊した」
先生は頷き、補修に使った木片を渡した。
「だから、直し方も覚えよう」
翌日、子供は誰より早く掃除に来た。
吉岡はその紙を見て、深々と頭を下げた。
「社長。備考欄に『備考欄も必ず読むこと』と書いてよろしいでしょうか」
「そこは本文に書け!」




