■第二十六話 魔王軍の魔石発電所が、初めて人間の村に明かりを届けた
村長マルタの手紙には、数字が一つだけ書かれていた。
『夜に文字を読める子供は、村に三人です』
「三人?」
俺は読み返した。
吉岡が頷く。
「蝋燭が高いんです。村では日没後、学校を閉めています」
魔界の発電所には余った魔力がある。
それなら灯りを送ればいい。
最初は、そう考えた。
ところがエリナは首を振った。
「送電線を山越えさせる費用をご存じですか?」
「……高いのか?」
「社長の給料百年分です」
「俺の給料、そんなに高かったか?」
『そちらが気になるんですか』
聖剣に呆れられた。
俺は机の上の収益予測を閉じた。
村へ行き、誰がどんな夜を過ごしているのかを見てから決めよう。
山村へ着いたのは夕方だった。
小さな学校の窓から、蝋燭の光が漏れている。
子供たちは一つの机を囲み、顔を寄せて文字を読んでいた。
「もっと離れて座らないと、目が疲れるぞ」
俺が言うと、教師が苦笑した。
「離れると字が見えないんです」
教室の隅には、蝋燭の煤で黒くなった壁があった。
村長マルタは俺に頭を下げなかった。
「勇者様。明かりをくださるならありがたい。でも、村を借金漬けにはしないでください」
「そんなつもりは」
「前にも商人が来ました。立派な井戸を作ると言って、使うたびに料金を取ったんです」
井戸の話は第六話の銀行融資を思い出させた。
便利なものほど、返済ができなくなると暮らしを縛る。
「村の負担は、先に全部示す。払えない契約は結ばない」
「口約束は信用しません」
「その通りだ。吉岡、書面にしてくれ」
吉岡はすでに筆を持っていた。
「村長の署名欄も用意しています」
「準備がいいな」
「社長が口約束を増やすので」
返す言葉がなかった。
発電所の技師たちは、三つの案を持ってきた。
山越えの送電線を引く案。
小さな魔石発電機を村に置く案。
夜だけ蓄えた魔力を使う案。
「どれが一番いい?」
俺が尋ねると、若い技師が困った顔をした。
「何を優先するかで違います」
「子供が本を読めることだ」
「それなら三番目が安いです。でも、蓄えた魔力が尽きると消えます」
「途中で消えたら危ないな」
「学校と診療所だけ、先に使うなら大丈夫です」
マルタが腕を組んだ。
「家には引かないのですか」
「最初は公共施設だけです。使った量と故障の回数を記録してから、広げるか決めます」
「村人の家は後回し?」
「不公平だと思う人はいるだろう。でも、最初から全戸に配って料金が払えなくなる方が怖い」
教師が口を開いた。
「診療所に明かりがあれば、夜の出産で助かる人がいます」
教室が静かになった。
マルタは長い沈黙の後、頷いた。
「では、学校と診療所から。村の集会で決めます」
集会には村人がほぼ全員集まった。
「魔族の会社を信用できるのか!」
最初に立ち上がった老人の声が響く。
「昔、うちの畑を焼いたのは魔王軍だぞ!」
俺は否定しなかった。
「その通りです。だから、信用してくださいとは言いません。契約を見て判断してください」
エリナが費用の内訳を黒板に書いた。
魔石の交換費、機械の修理費、村が払う月額、会社が負担する初期費用。
「値上げはあるのか?」
「ある場合は事前に説明します。勝手には変えません」
「払えない家は?」
「今回は家への供給はありません。学校と診療所は村の共同費から。払えない年は供給を止める前に協議します」
老人は鼻を鳴らした。
「うまい話に聞こえる」
「うまい話じゃない。俺たちも利益が出なければ続けられない」
俺が言うと、逆に何人かが顔を上げた。
「正直だな」
「エリナに嘘をつくと怒られるので」
「社長、私がいなくても嘘は駄目です」
村人たちが笑った。
笑いが収まると、マルタが議案を読み上げた。
賛成は全員ではなかった。
それでも、反対した者の意見を記録したうえで、試験導入が決まった。
明かりがついた家の窓から、老女が手を振った。
発電量の数字だけでは、この光景は説明できない。
工事は予定より遅れた。
魔石の接続部が合わず、技師が三度やり直した。
「魔界規格と王国規格が違います!」
「ネジ一本で戦争になりそうだな」
『戦争よりネジの方が厄介です』
「本当にそう思えてきた」
ようやく完成した夕方、村人が学校に集まった。
技師がスイッチを押す。
何も起きない。
もう一度押す。
やはり暗い。
「……故障か?」
技師の額に汗が浮かんだ。
「蓄電器に魔力が入っていません」
「誰が入れる担当だった?」
吉岡が帳簿を開いた。
「発電所は『設置側が充填する』、設置側は『発電所が充填する』と思っていたようです」
「責任の押し付け合いか!」
「いえ、書類上は双方とも責任者になっています」
「余計に悪い!」
村人たちの視線が痛かった。
俺はマルタに頭を下げた。
「今夜は無理かもしれません。約束を守れなくて申し訳ない」
マルタは腕を組んだまま答えた。
「失敗したなら、直せばいい。隠す方が困ります」
その言葉が胸に残った。
明かりが灯った夜、村の老婆は窓を閉めた。
「敵の魔法を家に入れるな」と息子に言う。
翌朝、発電所の技師が料金表と安全装置を持って説明に来た。
老婆は最後に小さく言った。
「孫が夜に字を読めるなら、一灯だけ試そう」
翌日の夕方、蓄電器が満たされた。
今度は教師がスイッチを押した。
教室の天井に、小さな白い光が灯る。
子供たちが一斉に顔を上げた。
「星が部屋に入ってきた!」
誰かが叫んだ。
俺は笑いそうになって、やめた。
窓の外では、老人が腕を組んだまま光を見つめている。
「……まぶしいな」
「明るさは調整できます」
教師がつまみを回すと、光は柔らかくなった。
子供の一人が机に本を広げた。
昼間なら当たり前の動作だった。
けれど、その子は一文字ずつ、確かめるように指で追っていた。
「夜なのに、続きが読める」
それだけのことが、こんなに嬉しいのか。
俺は窓の外へ出た。
戦争のとき、俺は魔王城の灯りを消すために旅をした。
今は、消えない灯りを作るために働いている。
初めて灯った村の明かりの下で、老人が請求書を見つめていた。
「来月も払えるかな」
発電所の完成を祝うだけでは足りない。
俺は村長と料金表を開き、最低限の明かりを守る仕組みを考えた。
翌朝、エリナが報告した。
「試験導入は成功です。ただし、運転費の一部はまだ会社負担です」
「分かってる。料金と修理体制を整えよう」
「それから、夜行性の魔族から苦情が来ています」
「なんで?」
「学校の光がまぶしくて、近くの洞窟で眠れないそうです」
『光を届けたら、今度は闇の権利ですね』
「また新しい部署が必要なのか……」
俺は苦笑しながら、村長マルタに手紙を書いた。
『灯りの位置を直します。
費用はこちらで持ちます』
平和な仕事には、終わりがない。
けれど教室の窓に灯った小さな光を思えば、悪い仕事ではなかった。
灯りがついて三日目、教師から新しい相談が来た。
子供たちが嬉しくて夜遅くまで本を読み、朝の畑仕事で居眠りするという。
「せっかく明るくなったのに、困ったな」
「明るいからこそ、使う時間を決めたいんです」
教師は学校の時計を指した。
「日が暮れてから二時間だけ、みんなで読む時間にします。残りの魔力は診療所へ」
村長マルタも賛成した。
「明かりは無限じゃない。大事に使うことを子供たちに教えましょう」
俺はその提案を会社へ持ち帰った。
エリナはすぐに言った。
「使い方を現地で決められるなら、設備を押しつけることにもなりません」
「最初からそうすればよかったな」
「社長はいつも、作ってから使い方を考えますから」
『勇者時代から変わりませんね』
「お前たち、少しは褒めてくれ!」
村から最後に届いたのは請求書ではなく、子供たちの作文だった。
『夜に読んだ本を、明日友だちに話します』。
俺はその一行をエリナに見せた。
「売上には載らないな」
「載せなくても、なくならない成果です」
机の灯りの下で、俺はしばらくその紙を眺めていた。




