■第二十二話 人間王国の巨大商会が、魔王軍との取引を全部止めようとした
王都から届いた封筒は、やけに分厚かった。
取引が止まれば困るのは社長だけではない。
荷車を待つ村も困る。
「社長。王国の商人に魔界製品の不買を迫り、国境倉庫を封鎖という報告が入っております」
吉岡が書類を差し出した。
俺は一行目を読んで、思わず眉をひそめた。
「……王都商業連合会長グレゴールが関わっているのか?」
「はい。すでに関係部署が集まっております」
魔王を倒す旅では、敵の居場所さえ分かればよかった。
だが会社では、誰かを倒しても帳簿の数字は一つも改善しない。
「エリナを呼んでくれ。事情を聞こう」
国境の荷運び人たちからも、賃金が止まったという知らせが来ていた。
吉岡の集計では、出荷待ちの荷車は四十七台。
日雇いの御者は荷を運ばなければ賃金を受け取れず、宿代だけが積み上がっている。
村の診療所では薬草が三日分を切り、孤児院は冬用毛布の到着を待っていた。
「会社の売上が減る、だけじゃ済まないな」
「はい。今夜の食費に困る人が出ています」と吉岡。
誰が損をしているのか、現場で確かめなければならない。
国境へ着くと、荷馬車が街道を塞いでいた。
農具の刃には布が巻かれ、穀物袋には雨よけの油紙が掛けられている。
倉庫の扉には、王都商業連合の赤い封印が貼られていた。
「誰の命令で閉めた?」
「会長のグレゴール様です」
倉庫番の男は鍵を握ったまま震えていた。
「魔界の商品を扱う商人には、今後の融資をしないと通知が来まして」
「取引をやめるのは商人の自由だろ。でも、倉庫まで閉めるのか」
エリナが契約書を調べる。
倉庫の建物は連合の所有だが、預けられた商品は商人のものだった。
契約には引き取りの権利がある。
「封鎖は契約違反です。ただし訴訟をしている間に穀物が傷みます」
俺は並んでいる荷馬車を一台ずつ見た。
荷台には農具だけでなく、毛布、乾燥薬草、冬支度のための木炭もある。
若い女商人が言った。
「うちは王都の孤児院へ毛布を届ける約束なんです。連合に逆らえば、来月の店の仕入れが止まります」
「じゃあ、誰も逆らえないじゃないか」
「それが狙いでしょうね」とエリナ。
グレゴールとの面会は、国境の宿屋の食堂で行われた。
立派な服を着た男は、茶を一口飲んでから俺を見た。
「勇者ジーク。戦争が終わった途端、魔王軍が安い品物を売り始めた。王国の商人が何十年もかけて築いた流通網を、半年で奪うつもりか」
「奪うつもりはない。売ってるだけだ」
「値段が半分なら、同じことだ」
エリナが帳簿を開いた。
「安い理由は輸送路の短縮と製造工程の改善です。補助金で赤字販売しているわけではありません」
「数字は嘘をつける」
「では、監査を受け入れます。そちらも倉庫の封鎖命令を公開してください」
グレゴールは茶碗を置いた。
「ずいぶん強気だな」
「昔なら剣を抜いてた」と俺。
「いまは?」
「契約書を読む。正直、こっちの方が疲れる」
男は初めて口元を緩めたが、封鎖の解除には応じなかった。
宿を出ると、女商人が待っていた。
「会長は悪人だと決めつけないでください。昔、飢饉のときに食料を集めてくれた人なんです」
「じゃあ、どうして今はこんなことを?」
「自分が守ってきた仕組みが壊れるのが怖いんだと思います」
俺は魔王ゼルガディスの顔を思い出した。
王座を失うのが怖いのは、魔王だけではない。
翌朝、吉岡が国境の広場に机を並べた。
倉庫を通さずに商人同士が直接受け渡しできるよう、臨時の取引所を作るためだ。
「許可は取ったのか?」
「広場の使用許可は町長から。通行税も払っています。倉庫契約には触れません」
「倉庫にある荷と、これから届く荷は分けよう。緊急保全で出せるものは所有者立会い、今後の荷は臨時取引所へ。御者の賃金は契約先に支払いを求め、立て替える分は会社の上限を決めて記録する」
「支払いの根拠が残れば、あとで清算できます」とエリナ。
「吉岡、お前が一番勇者らしいな」
「恐縮です。私はゴブリンですので」
返品の箱を開けると、壊れていない農具にまで「取扱禁止」の紙が貼られていた。
俺はその紙を剥がさず、取引所の机に置いた。
何を売るかだけでなく、誰が売ることを禁じたのかも、商人たち自身に見てもらうためだ。
最初に来たのは王国の鍛冶屋だった。
魔界製の農具を手に取り、刃の硬さを確かめる。
「こんな値段で売られたら、俺の仕事がなくなる」
「修理はできるか?」と俺。
「できるさ。だが、よその品を直すだけじゃ商売にならん」
エリナが提案した。
「販売店が修理を請け負い、部品は魔界から供給する契約にしませんか。保証期間の修理代も明記します」
鍛冶屋は鼻を鳴らした。
「図面を隠したら承知しねえぞ」
「公開できる部分は公開する。秘密の部分は契約で決める」
「勇者にしては話が分かるな」
「勇者だった頃は、刃こぼれした剣を放っておいたけどな」
聖剣が鞘から抗議した。
『その話を他人にしないでください』
取引停止の通知を受けた村の商人は、倉庫の薬を見せた。
「魔界産でも、これを待つ患者がいる」
俺たちは国境を越える品目ごとに代替経路を確保した。
商会長との交渉は、商品の値段ではなく患者の期限から始まった。
昼には、三軒の商人が試験販売に参加した。
一方で、連合からの圧力を恐れて帰る者もいた。
俺は引き留めなかった。
取引する自由には、取引しない自由も含まれる。
夕方、倉庫番が俺たちを呼び止めた。
封印された扉の下から、麦の粒がこぼれていた。
「中で袋が破れています。このままだと虫が湧く」
エリナは預かり主の商人たちを集め、立会いのもとで扉を開ける手続きを始めた。
グレゴールにも使者を出す。
返事は来なかったが、契約書に定められた緊急保全の条件は満たしていた。
扉を開けると、湿った穀物の匂いがした。
倉庫番は真っ先に窓を開け、商人たちは袋を運び出す。
女商人は毛布の箱を抱えた。
「これなら、孤児院に間に合います」
俺は頷いた。
大きな商会を倒したわけではない。
けれど、一枚の封印の向こうにいた人々を外へ出せた。
数日後、グレゴールから抗議文が届いた。
末尾には、臨時取引所の売上と修理契約について詳しい質問が並んでいた。
「興味はあるらしいな」と俺。
「競争相手の仕組みを調べているのでしょう」とエリナ。
「じゃあ、答えよう。秘密にする必要のない数字は全部」
吉岡が驚いた。
「敵に教えるのですか」
「いつか一緒に商売する相手かもしれない」
返事を書き終えたところで、聖剣が呟いた。
『勇者の敵が、いつも剣で斬れるとは限りませんね』
「今回は斬らずに済んだ。腰が軽いよ」
翌朝、診療所から受領印が届いた。
薬を運んだのは、昨日まで連合の荷を運んでいた荷馬車だった。
御者は「病人の前では、商会の看板なんか読めない」とだけ言った。
俺はその言葉を議事録に残した。
その晩、女商人から短い手紙が届いた。
毛布は無事に孤児院へ着き、子供たちは新しい毛布を二人で一枚ずつ使っているという。
俺は喜んだが、エリナは手紙の末尾を指さした。
『来月の仕入れができるかは、まだ分かりません』
一度荷物を通しただけでは商売は続かない。
俺たちは臨時取引所の利用料を公開し、町の商人たちに運営委員を選んでもらうことにした。
魔王軍だけで管理すれば、連合の独占を別の独占に置き換えるだけだ。
「俺が委員長をやるか?」
「それでは誰も反対できません」とエリナ。
「勇者の肩書、こういうとき邪魔だな」
吉岡は議事録に『社長、委員長への立候補を辞退』と書いた。
「立候補してない!」
委員に選ばれたのは、あの女商人と王国の鍛冶屋、それから倉庫番だった。
意見は早速割れたが、誰も会議を途中で放り出さなかった。
俺はその光景を見て、ようやく商売の入口に立てた気がした。
その晩、臨時取引所の委員会で最初の議案が出た。
『魔界の荷物を優先して通すべきか』
俺は当然だと思いかけた。
だが倉庫番が手を挙げた。
「王国の薬も、魔界の村に届かなくなっています。ここは仕返しの場所じゃないでしょう」
女商人が両方の荷札を並べる。
委員たちは品目と緊急性で順番を決めた。
俺の会社の荷物は三番目になった。
「社長、よろしいですか」と吉岡。
「ああ。俺が負けても、取引所がちゃんと動いたなら勝ちだ」
取引所の看板には、誰かが小さく『出入り自由』と書き足していた。
俺は消さずに残した。




