■第十八話 魔王軍が平和になった結果、勇者が失業した
社長就任、半年目。
会社の経営は、少しずつ改善していた。
軍事費は削減。
農業機械は好調。
医療事業も成長。
不動産事業も安定した収益を生み始めている。
「……いい感じだな」
俺は決算資料を見つめた。
エリナがうなずいた。
「はい。営業赤字は大幅に縮小しました」
「……黒字化まであと少しか」
「そうですね」
俺は椅子にもたれかかった。
「……ようやく落ち着いてきたな」
そのとき、社長室の扉が開いた。
王国の使者が入ってきた。
「勇者ジーク様」
「……何だ?」
「国王陛下からの書簡です」
「……国王?」
俺は封筒を開いた。
そこには、こう書かれていた。
【勇者資格停止通知】
「…………」
俺は固まった。
「……何だ、これ」
使者が説明した。
「魔王軍が戦争を停止したため、勇者の討伐任務が終了しました」
「……それはいいことだろ?」
「はい」
「……じゃあ、何で資格停止なんだ?」
「勇者制度は、魔王討伐を目的として設立された制度です」
「……うん」
「現在、魔王は存在しません」
「……元魔王なら旅行してるけど」
「そのため、勇者の職務が消滅しました」
「…………」
俺は天井を見上げた。
「……つまり?」
使者は深々と頭を下げた。
「勇者ジーク様。長年のお勤め、ご苦労様でした」
「…………」
「本日をもって、勇者としての給与支給を終了いたします」
「……給与?」
俺は首をかしげた。
「勇者って、給与が出てたのか?」
使者が驚いた。
「……ご存じなかったのですか?」
「……初耳だ」
使者は資料を取り出した。
【勇者給与支給記録】
月額:金貨百枚。
支給期間:五年間。
未受領額:金貨六千枚。
「…………」
俺は震えた。
「……六千枚?」
「はい」
「……俺、ずっと貧乏だったんだけど」
「王国財務局に保管されております」
「何で教えてくれなかったんだ!」
「勇者様が受領申請をされませんでしたので」
「申請が必要なのかよ!」
俺は額を押さえた。
「……もう嫌だ」
エリナが微笑んだ。
「ジーク様。勇者を辞めても問題ありません」
「……そうか?」
「はい」
「……何で?」
「すでに社長ですから」
「…………」
俺は静かに目を閉じた。
「……勇者の方が楽だったな」
そのとき、吉岡が入ってきた。
「社長。新しい肩書きについて、ご相談がございます」
「……肩書き?」
「はい」
吉岡は書類を差し出した。
【魔王軍株式会社 代表取締役社長】
【元勇者ジーク】
「…………」
俺は書類を見つめた。
「……元勇者?」
「はい」
勇者資格停止の通知を持って、俺は王国の窓口へ行った。
受付の女性は書類を三枚並べた。
「勇者としての退職届、未受領給与の請求書、称号使用の申請書です」
「勇者って、こんなに書類が必要なのか?」
「魔王討伐中は特例で免除されていました」
「今までの方が楽だった!」
未受領給与の記録には、俺が宿屋の床で眠っていた月も、傷薬を買えずに包帯を洗っていた月も、金貨百枚の支給予定が記されていた。
「教えてくれればよかったのに」
「通知は毎月、王都の旧住所へ送付しています」
「俺、五年間ずっと旅してたんだぞ!」
「転居届がありませんので」
役所は強かった。
魔王より強かった。
外へ出ると、かつて一緒に旅した冒険者が待っていた。
「お前まで仕事を失ったのか」
「俺は会社の社長だぞ」
「それ、勇者より危なくないか?」
否定できなかった。
冒険者ギルドでは討伐依頼が減り、護衛と測量の仕事が増えていた。
だが、魔物を斬る訓練しか受けてこなかった若者たちは、求人票を前に途方に暮れていた。
「剣の腕しか取り柄がないんです」
一人が言った。
「剣を振れるなら、荷車を守れる。危険な道を調べる仕事もある」
「魔王を倒すのが夢だったんです」
その言葉には答えられなかった。
俺だって同じ夢を持っていたからだ。
会社に戻り、俺は冒険者向けの職業訓練を提案した。
橋の点検、災害救助、輸送路の警備。
訓練中の事故を防ぐため、元騎士と医師に教官を頼んだ。
最初の講習で、俺はロープの結び方を教えようとして大失敗した。
「勇者様、その結び目だと荷物が落ちます」
「魔王を縛る時はこれでよかったんだ!」
「勇者の仕事がなくなったら?」と聞かれ、俺は答えに詰まった。
誰かを倒さずに済むなら、仕事を失うのも悪くないはずなのに。
王国の使者が帰ったあと、俺は古い勇者証を机に置いた。
裏には、最初に救った村の名前が彫ってある。
あの村で感謝されたのは、魔物を倒したからだけではない。
壊れた橋を直し、冬の薪を運んだからだ。
エリナは証を見て言った。
「肩書きがなくても、やることは残ります」
俺は証を引き出しにしまった。
勇者を辞めるのではない。
勇者の仕事を、自分で選び直すのだ。
「魔王と荷物は違います」
笑い声が起きた。
俺も笑った。
講習の終わりに、若い冒険者が尋ねた。
「勇者じゃなくなったら、何を目指せばいいんでしょう」
「まだ決めなくていいんじゃないか。明日、誰かを助ける仕事があるなら、まずそれをやろう」
冒険者ギルドの掲示板から討伐依頼が消え、若い剣士が途方に暮れていた。
俺は「平和になったんだから喜べ」と言いかけた。
彼の家賃は平和だけでは払えない。
護衛と災害救助の研修を、ギルドと始めることにした。
勇者資格の停止通知を持って王都を歩くと、子供が俺を呼び止めた。
「もう魔物を倒さないの?」
俺は答えに迷った。
「倒さなくて済むなら、その方がいい」
子供は少し考え、「じゃあ、お父さんを帰して」と言った。
父親は国境の警備隊にいた。
戦争が終わっても、帰還命令は届いていない。
俺は通知書を畳んだ。
肩書きを失った日に、まだやるべき仕事を見つけた。
彼は求人票を一枚取った。
橋梁点検員の募集だった。
俺は王国から受け取った金貨の一部を、訓練の奨学金に回した。
残りは、五年分の宿代の支払いに消えた。
「勇者の退職金、思ったより残らないな」
エリナは帳簿を閉じた。
「ジーク様。社長としての給与は、まだ振り込んでいませんよ」
「えっ」
「ご自身で振込承認を止めています」
「俺、また自分の給料を忘れてたのか!」
俺自身の仕事がなくなる日を想像すると、少しだけ怖かった。
だが、子供たちが剣の持ち方より帳簿の読み方を習っていると聞いて、その怖さを口にするのはやめた。
勇者の出番が減るなら、少なくとも今日の改革は間違っていない。
職業訓練の初日、元冒険者の一人が木槌を投げ出した。
「魔物を倒す腕はあるのに、棚一つ作れない」
俺は彼の隣に座り、釘を一本曲げた。
「俺もだ」
二人で笑うと、教官のゴブリンが容赦なく言った。
「社長も初心者扱いです」
勇者の肩書きが通じない場所で、俺はようやく次の仕事を覚え始めた。
失業届の職業欄に、俺は『勇者』と書いた。
窓口の職員は首をかしげた。
「平和な時代の勇者は、何をする仕事ですか」
答えに詰まった俺の横で、子どもが転んだ。
起こしてやると礼を言われた。
大げさな肩書きがなくても、誰かの役には立てる。
「……何か寂しいな」
吉岡は少し考えた。
そして、提案した。
「では、『勇者社長』はいかがでしょうか?」
「……勇者社長?」
「はい」
俺は笑った。
「……悪くないな」
こうして俺の肩書きは、正式に変更された。
【魔王軍株式会社 代表取締役社長 勇者ジーク】
だが、翌日。
人間王国から抗議文が届いた。
【勇者の称号を商業利用することは認められません】
「……吉岡」
「はい」
「俺、もう勇者って名乗れないのか?」
「商業利用については、許可が必要なようです」
「…………」
俺は拳を握った。
「……じゃあ、魔王って名乗ろうかな」
吉岡が笑顔で答えた。
「商標登録済みでございます」
「誰が登録したんだよ!」
「前社長でございます」
「旅行中の魔王、抜け目なさすぎるだろ!」
夜、俺は宿屋の古い帳簿を持って帰った。
旅の途中で世話になった村の名前が、頁の端に残っていた。
「あの頃は、魔王を倒せば全部うまくいくと思ってた」
聖剣が鞘の中で震えた。
『倒していたら、あなたは今ごろ何をしていたでしょうね』
「たぶん、別の魔王を探してた」
『それでは休暇がありません』
「お前は休暇の話ばっかりだな」
『働く剣にも人生設計があるんです』
俺は笑った。
剣に人生と言われる日が来るとは思わなかった。
翌日、講習所に新しい応募者が来た。
かつて俺と戦った魔族の斥候だった。
「人間の冒険者と一緒に働いてもいいのか」
「仕事ができるなら、いいんじゃないか」
「俺の顔を覚えている者がいる」
「じゃあ最初は別班にして、研修で顔を合わせよう。無理に仲良くしろとは言わない」
彼は少し考え、申込書に名前を書いた。
文字はぎこちなかった。
俺はその名前を読み上げず、静かに受け取った。
俺はそれを見て、勇者資格がなくなったことを初めて少し嬉しく思った。
勇者なら敵としてしか見られなかった相手が、同じ職場を選ぼうとしている。




