■第十三話 封印されていた初代魔王が、創業者利益を要求してきた
黒い箱の中から声が響いていた。
『我を解放せよ!』
俺は腕を組んだ。
「……まず、名前を教えろ」
『我が名はガルディオン!』
「……ガルディオン?」
吉岡が震えた。
「初代魔王ガルディオン様……!」
「知ってるのか?」
「はい。魔王軍の創設者でございます」
「……何年前?」
「約二千年前です」
「二千年!?」
箱の中から声がした。
『そうだ! 我こそが魔王軍を創設した偉大なる存在!』
俺は尋ねた。
「……何で封印されたんだ?」
沈黙。
『……経営方針の違いだ』
「具体的には?」
『我は、すべての魔族に無償で食料を配ろうとした』
「……いいことじゃないか」
『さらに、住宅も無償で提供しようとした』
「……それもいいことだな」
『医療も教育も、すべて無償にしようとした』
「……理想的じゃないか」
吉岡が小声で言った。
「社長」
「何だ?」
「当時の魔王軍は、その政策によって財政破綻しかけたそうです」
「…………」
箱の中から声がした。
『財源など、後から考えればよい!』
「駄目だろ!」
『民の幸福こそが最優先なのだ!』
「それは分かるけど!」
『だから、すべて無料にする!』
「会社が潰れるわ!」
エリナが静かに尋ねた。
「ガルディオン様。財源について、何か計画はございましたか?」
『もちろんだ!』
「……ほう?」
『魔王城の地下に、無限に金貨を生み出す魔道具を作る予定だった!』
「……予定?」
『完成する前に封印された!』
「…………」
俺は額を押さえた。
「……つまり、財源なしで全部無料にしたのか」
『そうだ!』
「胸を張るな!」
そのとき、ガルディオンが言った。
『ところで、現在の魔王軍の社長は誰だ?』
「……俺だ」
『貴様が?』
「ああ」
『勇者ではないか!』
「そうだ」
『なぜ勇者が魔王軍を経営している!?』
「株主総会で魔王を解任した」
沈黙。
『…………』
しばらくして、箱の中から声がした。
『……何だ、その恐ろしい魔法は』
「魔法じゃない!」
エリナが説明した。
「現在の魔王軍は株式会社です」
『……株式会社?』
「株主が経営者を選ぶ制度です」
『……つまり?』
「株主の支持があれば、社長を解任できます」
『……我も、株主になれるのか?』
「株を持っているのか?」
『当然だ! 創業者なのだから!』
俺たちは黒い箱を会議室へ運ぼうとした。
だが、箱は床に根を張ったように動かなかった。
『我が玉座を移すなど不敬である!』
「玉座じゃなくて箱だろ」
『創業者専用の玉座だ!』
吉岡は古い台帳をめくった。
「初代魔王様、当時の役職欄には『永世最高責任者』とあります」
「永世って、退職できないのか?」
『退職する気などない!』
「二千年も箱の中にいたのに、まだ働きたいのかよ」
『我には理想がある!』
エリナが箱の前に椅子を置いた。
「その理想の費用を、今日は一緒に計算しましょう」
『また金の話か!』
「金の話です。無償の食事を作る人、家を建てる人、医療を担う人の生活も守らなければなりません」
初代魔王はしばらく黙った。
『我が時代には、皆が喜んで働いた』
「記録には、無給で働いた建築職人が逃げ出したとあります」
『……その件は聞いておらぬ』
「報告が届かなかったのか、聞こうとしなかったのか。そこも調べます」
俺が言うと、箱の表面を走る魔力が弱まった。
『勇者のくせに、我を裁くつもりか』
「違う。今の社員に同じことをさせないために聞いてる」
吉岡は台帳の別の頁を開いた。
創業当時の食料配給表だった。
村ごとに配られた麦の量が細かく記されている。
「全部が失敗だったわけじゃないんだな」
俺が言うと、箱の中から小さな咳払いが聞こえた。
『飢えた者に食わせるのは、当然だろう』
「そこは俺も賛成だ。でも、続ける方法が必要だ」
エリナは新しい計画を示した。
まず孤児と傷病者を優先し、財源を確認して段階的に広げる。
無償支援を担う職員には給料を払う。
『ずいぶん小さな理想だな』
「小さく始めて、潰さずに続ける理想です」
創業者という肩書きは、現在の社員の給料より優先されるのか。
俺の問いに、初代魔王は初めて答えをためらった。
箱の向こうのガルディオンは、突然黙った。
俺が創業時の炊き出し記録を読み上げたからだ。
「一日に何人へ配ったんだ」
「数えきれぬほどだ」
エリナは横から言った。
「数えなかったから、翌月に食料が足りなくなったのです」
初代魔王は長い沈黙のあと、「では、今から数えればよいか」と尋ねた。
俺は笑いそうになった。
二千年遅れの経営会議が、ようやく始まった。
箱の封印には、幾重もの鎖のほかに、古い労働契約の写しが貼られていた。
『創業者の判断に異議を唱えた者は追放』。
吉岡は文字をなぞって黙り込む。
「昔の魔王軍では、反対意見が罪だったのか」
箱の中から鼻で笑う声がした。
俺は鎖に手を掛けなかった。
創業者がどれほど偉大でも、今いる社員の未来を勝手に決める権利はない。
初代魔王が掲げた古文書の封蝋は本物だったが、会社の設立日はそれより千年後だった。
「創業の功績と今の所有権は別です」
エリナの言葉に初代魔王は怒鳴った。
俺は封印箱を開けずに、椅子に座って話を続けた。
初代魔王は答えなかった。
やがて、箱の隙間から一枚の古い紙が滑り出た。
【創業時の約束……飢える者を見捨てない】
署名はガルディオン本人のものだった。
「これを今の会社でも守ろう」
『……本当にできるのか』
「約束を守れなかったら、社員に俺を解任してもらえばいい」
『何だと? 社長を解任するのか?』
「それが今の仕組みだ」
箱の中から、長い沈黙が返ってきた。
封印の箱には、細い傷が幾重にも刻まれていた。
「これ、誰がつけたんだ?」と聞くと、ガルディオンはしばらく黙った。
『昔の社員たちだ。
閉じ込める前に、ここへ名を刻んだ』。
俺は箱を灯りにかざした。
傷だと思った線の一本一本が、読めなくなった署名だった。
創業者が誇る栄光と、社員が残した記録。
その両方を調べなければ、会社の歴史は片側だけになる。
初代魔王は創業時の苦労を語り続けた。
だが、隣に立つ古参のゴブリンは小さく首を振った。
「城を建てたのは、名前の残らない職人たちです」
ガルディオンは言葉を止めた。
創業者の功績と、そこで働いた者の権利を、同じ帳簿に書けるだろうか。
翌朝、吉岡は二千年前の契約書を持ってきた。
紙の端は焼け、肝心の支払期日の欄が欠けている。
「十億枚は確定した借金ではありません。古い計算表に利息を積み上げただけです」
『我の二千年を疑うのか!』
「二千年生きたことと、二千年分の請求が正しいことは別だろ」
箱の中から、しばらく返事がなかった。
『……では、我が署名した原本を探せ』
「探す。正しい請求なら逃げない」
俺がそう言うと、吉岡は俺の椅子の背に「証人席」と書いた紙を貼った。
「証人席でございます」
『我を裁く気か!』
「違う。話を聞く席だ」
吉岡は古い紙を破らないよう、薄い板の上に載せた。
箱の中のガルディオンはそれを見守っているらしく、しばらく何も言わなかった。
創業者の理想と、今の社員の暮らし。
その両方を見失わずに進むことが、俺たちの仕事になる。
吉岡が古い記録を調べ始めた。
数分後。
「……社長」
「何だ?」
「重大な事実が判明しました」
「……何だ?」
「初代魔王ガルディオン様には、創業者特別報酬の未払い記録がございます」
「……いくら?」
吉岡は震える声で答えた。
「二千年分の利息を含めると……」
一拍。
「金貨十億枚でございます」
「…………」
俺は静かに目を閉じた。
「……吉岡」
「はい」
「この箱、もう一回封印していいか?」
箱の中から叫び声が響いた。
『待てええええ!』
「では、請求書の写しだけ先に送ってください」とエリナが言う。
箱の中が、初めて静かになった。




